決闘裁判
僕は日本に居たとき、一度だけ音を吸収する部屋というものに入ったことがある。部屋は、『無響室』と呼ばれるものらしく、内部は、無数の細長いピラミッドの様な突起が、四方八方に隙間なく並べられていて、それが、音の反響や反射を遮り、0デシベルという特殊な空間を作り出すという構造らしい。
無音と聞くと静かで落ち着くと思うかもしれない。しかし、実際に扉が閉じられ、いざ無音の世界になると急な圧迫感が生じ、何故か不安で落ち着かなくなり、早く出たいとさえ思えた。
かつてアメリカの音楽家ジョン・ケージは、僕と同じように完全な沈黙を体験するため、無響室に入った。しかし、無音の中でも聞こえてくるものがあったという。それは『血液の流れる音』と『神経系統の音』という体内から聞こえるノイズだったのだ。その結果、ケージは“沈黙は存在しない”という認識に至ったという。
それでもあえて言わせていただきたい。
今ここには“完全な沈黙”が存在すると。
観衆の声はもちろん、先ほどまで鳴いていたはずの鳥の声さえ聞こえない。もしや既に決闘が始まっていて、これは相手の魔法なのかもしれない。
僕は慌ててレイナルドを凝視した。しかし、特に何かをしている感じは受けない。それどころか身動き一つとってはいない。周りを見渡すと身動きをとっていないのは彼だけではない。全ての人間が硬直しており、もしや僕は時間を止めることに成功したのかもしれない。
「ふふっ、手に入れてしまったか。最強の力ってやつを」僕はシニカルに笑ってみせる。
「……ぶっ。ハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
ネフィリアの馬鹿みたいな大笑いで、無響室は瓦解した。他の人たちは相変わらず、苦い顔をしているが、ザワザワとしはじめ、音は取り戻したようだ。
「えぇ。皆様静粛にお願い致します。これより闇野大洋殿とレイナルド・ドモン殿による決闘裁判を開催いたします」
ジェラルドさんは、僕の名前についてはスルーすることにしたようで、実名呼びで開始を宣言した。ネフィリアはまだ笑い続けている。
広場中央には、僕とレイナルドだけが残り、ジェラルドは数歩離れた位置へ、ホワードは観覧席付近のひときは立派な椅子に腰かけた。ネフィリアは笑いながら憲兵に連れられ観覧席横に立てられた丸太に体を拘束される。それでもなお、ヒィヒィと苦しそうに笑っている。
これから弟子が命がけの戦いに向かうというのに緊張感、いや人間性が欠落していると思う。
「ヴァーミリオンを倒して、今日から私が、最強を名乗りたかったですが、仕方ありませんね」
僕より背が高いせいか、レイナルドは僕を見下したように見る。
「なんでしたら、変わっても構いませんが……」戦いたいというのなら別に僕は構わない。
「それには及びません。既に決まったことを今さら変更しては、ホワード様の時間を無駄にしてしまいますからね」立派な事だが、目が泳いでいる。余程ネフィリアの悪名は轟いているらしい。
「そうですか。若輩の身ではありますが、精々、無罪を勝ち取れるよう善処します」
レイナルドは面白くなさそうに、フンッと鼻を鳴らした。
「両者共、五歩ずつ後ろへ下がってください」ジェラルドの指示に従い、後ろへ五歩、二人分でおよそ十歩の距離はなれる。
「ルールは特にございません。武器でも魔法でも使用していただいて結構です。勝敗はどちらかが命を落とすか、私が戦闘続行不能だと判断した時点で決します。闇野氏が勝利した場合は、この度の罪は不問とし、褒美として、少女を受け渡します。ドモン氏が勝利した場合、闇野氏、並びにネフィリア・ヴァーミリオン氏は有罪とし、執行される刑はベネム・ホワード様に一任されます。内容に誤りや、反論等ございませんね?」
両者頷く。
会場のボルテージは上がり、観衆は歓声やら罵声やら、とにかく叫びたいだけ叫んでいる。
「それでは、こちらのコインが地面に落ちた瞬間から勝負開始となります」ジェラルドはポケットから銀のコインを取り出し、僕らと観衆に見せるよう、左右に半回転ずつ動かし親指の上に乗せた。
先ほどの歓声がピタッと止まり、再び静寂が訪れる。
静寂の中でネフィリアの笑い声だけが響き渡っていた。
パチンッと音がしてコインが空中を高々と舞う。クルクルと回転を続け、一メートルを頂点に落下が始まった。
落下までの数秒が、永遠にも思えるほど、ゆっくりと、ゆっくりと落ちていくコインを目で追う。その間に、脳内では戦闘のシミュレーションが行われていた。
「魔法使い同士の戦闘では、いかに詠唱のスキを作るかが重要である」とは師匠の言葉である。
ならまずは、無詠唱で<黒霧>を発動させ、視界を奪い、その隙に<黒き茨の乙女>を詠唱、拘束しとどめを刺す。この間の野盗を撃退した時の作戦だ。実際にうまくいったイメージもあるし、このコンボに初見で対応するのは難しいだろう。
コインが地面に衝突し、甲高い金属音が辺りに響き渡る。
僕はシミュレーション通り、無詠唱で黒霧を発動し、霧に隠れるよう素早く位置を変える。
「眠れる乙女。汝は常闇に咲く薔薇の如く。我らに仇なす者に戒めの――」
このまま詠唱し、拘束さえできれば僕の勝ちだ。
しかし、霧が凄まじい勢いで、後方へ押し流され、隠れていたはずの僕の姿は、日の下に晒される。
「魔法使いの弟子なのですから、魔法を使う事は分かっていました。ですが、まさか闇魔法の使い手に出会おうとは思いもしませんでした」
レイナルドを覆うように水の球体が形成され、その球は渦でも巻くかのように、高速で回転している。霧が押し流された要因は間違いなくこれだろう。彼が話している間も、冷たい風と水滴が押し寄せ、僕は耐えるため膝をつく。
「しかし、そう。若いな。君、実践の経験が少ないのだろ。自分の霧がどのように広がっているか、考えたことはあるかな? 君を中心に拡散していたよ。つまり、霧がこちらに届くまでに、わずかだが時間があったわけです。私が、自分の視界を奪われるのを大人しく待っているとでも思っていたのかい? だとしたら甘く見られたものだ」
レイナルドの纏う空気が変わる。目つきも鋭くなり、睨みつけられた僕は、完全に飲まれてしまった。
「君の師匠と違い、私は深淵に到達する事も叶わなかった半端ものではございますが、その深さの一端をお見せしましょう」
「天駆け、大地を潤す原初なる存在。何人も侵すことの出来ない虚色の王。生命の母たる御身の化身を顕現させよ」
詠唱を止めろ! 脳が警鐘を鳴らす。
しかし、迂闊に立ち上がれば暴風雨によって、たちまち押し飛ばされ、壁に激突することになるだろう。異世界にきて初めて、怖いという感情に心が支配された。
僕はこの時ようやく、自分の浅はかさ、慢心、傲慢を思い知ることになった。
自分は勇者で、最凶の魔法使いの弟子で、数少ない闇魔法の適正者で、恵まれた存在なのは間違いないだろう。それでも僕はネフィリア・ヴァーミリオンじゃない。いくら修行をつけてもらったところで、一年足らずで最強に至れるわけないのにな……。
レイナルドの足元からは大量の水が噴き出し、やがてその水は停止し集まり、生き物を形作った。
竜。
これが魔法。さすが異世界。ちくしょう。かっこいいな。
「呆気ない幕引きでしたな」レイナルドが手を前に突き出すと同時に、水竜は僕めがけて突っ込んでくる。
それは助けてくれた事への感謝の為か、それともせっかく弟子にしてくれたのに不甲斐ない結果になった事への謝罪の為か、ともかく僕はネフィリアを最後に一目見たかった。
「もういいのか?」声は聞こえない。それでも彼女の口は確かにそう動いた。
ああそうだ。良いわけないよな。憧れの異世界にきて、たった一年で終わりなんて、それにまだフローラとの約束も果たしていないじゃないか。勝手に諦めるな。僕。
震えの治まった足を、目一杯蹴りだし、間一髪で水竜の突進を躱す。横をかすめた、水竜から生じる突風と、たえずレイナルドから発せられる風雨によって数メートル体が吹き飛ぶ。
レイナルドはオーケストラの指揮でもするかのように、優雅に手を振る。その動きに呼応するように、水竜が再度僕に迫る。
先ほどと同じようにギリギリで躱し、そして吹き飛ばされる。
「いつまで逃げる気ですか。これでは術比べにもならないではないか」
こんな状態で正論パンチは止めていただきたい。しかし、竜の速度が思いのほか速く、回避に専念せざるを得ない。一度でいい、魔法を詠唱する時間さえ稼げれば、まだひっくり返せるはずだ。
幾度か水竜を躱し、なんとかタイミングを掴み始めた。次の突進を完璧に避けたら隙をつく。そんな時だった。ただでさえボロかった布の靴が限界を迎え破れたのだ。突然足元がグラつき、体勢を保つことができず、前のめりに倒れそうになる。
次の瞬間。
水竜は僕の腹を食い破った。観衆からは歓声と悲鳴が入り混じった声が上がる。
僕の形をしたそれは、腹に空いた穴から黒く変色し、霧散した。
レイナルドの背後、正確には影から飛び出した僕は、彼に手を向け、<宵闇のベール>を発動させた。
「ほう。視界を奪うとは。闇魔法にはこんな術もあるのですか。しかしながら、私の水の結界は攻防自在。無暗に触れれば、腕ごとねじ切れますよ」
まだ、魔法の熟練度が低く、更には無詠唱であることを考えると、視界を奪えるのは精々十秒程度だろう。それで十分だった。
僕は透かさず、<守言の箱>を発動。これでレイナルドに僕の声は届かない。
「贖えぬ罪と罰。貪食なる闇の番犬よ。汝、忠実なる闇の僕なりや。束縛の鎖を断ち切り、我の求めに応じよ」
僕の影からドロリとした黒い塊があふれ出してくる。
「さて、次は何を見せて頂けますかな」
視力の戻ったレイナルドは僕が後ろにいることに気が付き振り返った。しかし、その視線は徐々に上がっていく。
そこにいたのは、三つ首の巨大な猛獣であった。
猛獣は涎を垂らし、グルルルと彼を威嚇する。
「ハッ! これ程のものが見られるとは! 年老い、魔道の探求から退き数年。まだ、こんなにも高鳴れるとは! 振り落とされてくれるなよ!」
彼はまた巧みに腕を振り、竜を差し向けてくる。
召喚された猛獣は、水竜の突進を機敏な動きで躱し、竜の首に噛みついた。竜は絶叫と共に空へ浮上するが、猛獣は食らいついたまま離れない。まるで血液かの様な拳大の水滴が、空からボタボタと垂れてくる。
レイナルドは必死に腕を振り、水竜に食らいついた番犬を振り払おうとする。
今、彼の意識は僕から完全に外れた。先ほどまで強烈に吹いていた風雨も凪いでいる。
「眠れる乙女。汝は常闇に咲く薔薇の如く。我らに仇なす者に戒めの刺創を刻みたまえ」
僕の詠唱にレイナルドが反応し、再び水の結界の威力が増すが、もう遅かった。詠唱され威力の増した<黒き茨の乙女>は彼の陰から出現し、鋭く水の結界を貫き、そのままレイナルドに纏わりついた。
しばらくの沈黙の後、彼はクッと堪えるような声を漏らし、地面に膝をついた。その途端、水竜は弾け会場にどじゃぶりの雨を降らせ、水の結界も上部から溶けるように流れ落ち地面に水だまりを作った。
勝敗は決した。
僕は魔法を解く。
「この勝負。闇野大洋殿の勝ちと致します!」
状況を的確に判断したジェラルドが観衆に向かって、判定を高らかに宣言した。
途端、割れんばかりの歓声が会場から巻き起こる。
この声援は僕だけに向けたものではないだろう。レイナルドと僕。二人の技量が拮抗し、観客を沸かせる程の、見ごたえある勝負になったことの証明だと思った。今はそれが誇らしい。
「まず君に謝罪をさせてほしい」
フラフラと立ち上がり僕のもとへやってきたレイナルド。
「私は君に失礼な態度をとりました。大変申し訳ありません」
「いえ! 私こそ自分の未熟さを痛感して、恥じ入るばかりです……」
頭を下げた彼に動揺し、こちらも負けじと頭を下げる。しかし、お互い譲らず謝罪のラリーは数度続いた。
「当初、ご子息を襲った暴君と聞かされていたものですので、制裁を加えてやらねばなどと、年甲斐もなく義憤に駆られておりまして……」
「その件ですが、勝負に勝ったから無罪というのは、本当に良いのでしょうか? もしかしたら本当に、私がご子息を襲った犯人かもしれないのに」
「ははは、君程の実力者が悪漢であったならば、ご子息の命はもう無かったでしょうね」笑えない冗談に僕は中途半端な笑みを浮かべることしか出来ない。遠巻きに見ている、ホワードの視線が突き刺さる。
「ということは信じてもらえるという事ですか?」
「もちろんでございます。ホワード様には私の方からきちんとお伝え致します」
はじめの印象とは打って変わり、レイナルドは穏やかな笑みを浮かべ、まさに好々爺という言葉がぴったりの人物に思える。
「個人的な事なのですが、是非、大洋様とお呼びしてもよろしいでしょうか」気恥ずかしそうにする彼が、なんだか可愛く思えてきた。
「様なんてとんでもないです! 大洋と呼んでもらえればと。僕もレイナルドさんとお呼びしても良いですか?」
「もちろんですとも! では私も大洋くんと呼ばせて頂きます」
彼がおもむろに手を差し出したので、僕も慌てて手を突き出し、がっちりと握手を交わした。
会場の歓声も一層声量を増した気がする。
「大洋くんは晴れて無罪放免となったわけですが、しばらくは街に滞在されますか?」
「そうですね。フローラの件もありますし、恐らくは」
「それは重畳。私は職務の都合上、すぐに王都に戻らなければならないのですが、使用人を一人置いていきますので、後のことは彼に聞いてください」
彼は残念ながらといった表情を浮かべ、それだけ言うとホワードとジェラルドの元へ向かった。
「おう。初めての実践はどうだったよ」
なんだか久しぶりに会った気さえする、ネフィリアの声に安心感を覚える。
「初めてじゃないし……。でも、レイナルドさんは強かった。本当に」
「あの野盗のこと言ってんのか? あんなもん実践に数えんなよ。今回の決闘で分かったと思うが、魔法使い同士の戦闘は比にならないくらい複雑だ」
「そうだね……。今の自分には足りないものが多すぎた」
「そう気を落とすなって。半端ものとか言っていたが、あいつ相当な使い手だぞ」
励ましているつもりなのか、ガシッと、肩に腕をまわし、組まれた手でポンポンと僕の肩を叩くネフィリア。
「まさか水の竜を出せるような格のやつが、こんな田舎の裁判に出張ってくるなんて思ってなかったからさ。大洋があたしを見た時、選手交代して会場ごと木っ端みじんにするところだったわ」
「あの時の言葉はそういうことだったの!? 僕はてっきり諦めていいのか的な事なのかと……」
「いやいや、お前が死んだら嬢ちゃんどうすんのさ。もう受け渡す約束しちゃってんだぞ。あたしは解呪なんて出来ないからな!」なぜか偉そうな彼女に、ようやく平穏が返ってきたことを実感する。
「それでこれからどうしようか。まだ回収された荷物も何も戻ってきてないし」
「それならこちらにございます。お節介かとは思いましたが、わたくしの方で引き取りの手続きをしてまいりました」その良く通る声の主は、黒いロングテールコートを身に纏った、黒髪のイケメンだった。




