死神と呼ばれた少女Ⅱ
わたしがベッドの横から動くことはなかった。気が付いたら眠っていて、目が覚めたらママの手を温める。そうして数日間を過ごした。
急に大きな音がした。ドアが開いた音のようだ。しかし、反応する気力がわたしにはもう無い。
「くせぇな。人の家で勝手にくたばりやがって」サイモンさんの声だった。
腕が力強く引っ張られる。まるで吊るされる様な体勢で体が持ち上がった。
「来い」それだけ言うと、私を引きずるように連れていく。
数日ぶりに外へ出た。空は相変わらず曇っていて、あの日から時間が止まっているみたい。
どこへ向かっているのか、わたしには分からない。せめて自分で歩こうとは思うけど、サイモンさんの歩く速度が速くて、足がついていかない。そのまま足が絡まり、転びそうになった。しかし、腕ががっちり掴まれていて、転ぶ事も出来ず、また引きずられる形になってしまう。そんなことを数度繰り返した。サイモンさんは面倒そうにこちらを一瞬見るが、結局何も言わずわたしを引きずった。
ずっと引きずられているせいで、靴に穴が開いてしまい、足と地面が直接擦れる。皮は剥けてしまい、靴にしみ込んだ血が妙に温かくて気持ちが悪い。それでも不思議と痛いとは思わなかった。
ママとよく一緒に買い物をした街だが、まるで初めて来たかのように景色が違って見えた。きっとママがいないせいだと思ったが、それだけではないみたい。
いつもおまけをくれる屋台のおじさんも、野菜を買っていたお店のおばさんも金物屋のおじいさんだって、わたしを見ると気まずそうに眼をそむけた。
無数の視線が突き刺さってなんだか居心地が悪い。それでも声をかけてくれる人は一人もいなかった。
ある家の前でサイモンさんは立ち止った。「ちゃんと立て」といいわたしを立たせ歩かせる。しかし腕だけは相変わらず力強く握られたままだ。
家に入ると初老の男が立っており、「お待ちしてました」と言い笑顔で出迎えた。
「こいつなんだが」サイモンさんが言う。
「はいはい。なかなか質が良さそうですね。未使用でしたっけ」
「未使用だ。こいつの母親はなかなかに美人だった。将来性はあると思うが」
見知らぬ男は私をぐるりと一周嘗め回すように確認し、グイっと顎を引かれる。
「虫歯も無し。傷もほとんど無い。さすがサイモンさん見る目がおありだ」男二人は談笑を続ける。
幼いわたしでも状況が理解できた。わたしは売られるようだ。
あの家にいても出来ることなんてありはしないのだから、どこにいても一緒だと思った。せめてママにきちんとお別れをしたい、それだけを考えていた。
交渉は済んだようで、サイモンさんはガチャガチャと音のする袋を受け取ると、わたしに一瞥もくれることもなく出て行った。
「お前はこっちだ」そう言うと男はわたしを奥の部屋へ通した。
そこにはわたしよりも小さな子や、お母さん位の女性など様々な年齢の女が集められていた。皆一様に感情を失ったように無表情だ。
部屋に入ったわたしを皆が見たのは一瞬で、その後は関心など失ったかのように俯いた。
「食事は一日二回、トイレの時は扉を叩け。それ以外ではここから出るな」男は扉を強く閉めた。外ではガコンッと大きな音が鳴った。おそらく閂かなにかだろう。
男が言っていた通り、朝と夜には食事が運ばれてきた。いつも同じカビかけのパンと冷たい汁。食事の時間以外ではすることがなく、わたしも無関心の住人になるのにそう時間はかからなかった。
ママ位の年齢の女性は時々この部屋から連れ出される。そうして数時間か数日後にまた戻ってくる。中には痣だらけのまま放り込まれる事もあった。それでも誰も何も言わない。
一度「大丈夫?」と声をかけたことがある。相手の女性はわたしを見たがすぐに目をそらし、「構わないで」とだけ言って拒絶した。
その日もいつもと同じように女を連れ出しに来た男が、めずらしくわたしに声をかけてきた。
「サイモンの野郎死んだってよ。お前のかあちゃんと同じように衰弱死だとさ。もしかしてお前病気なんか持ってないよな」男は私を力任せに掴み、別の部屋に連れて行った。
別の部屋では数時間待たされ、男が連れてきた医者に体を検査され元の部屋に戻された。
それから数日後の事。また知らない男たちが現れた。
なんでもこのお店をやっていた男が死んだのだという。ここがお店だったことをわたしはこの時まで知らなかった。私たちはそれぞれ別の店が買い取る事になったらしく、バラバラに引き取られていった。
わたしも別の店に連れていかれたが、生活は以前と左程変わりはなかった。
私を連れてきた男が死んだいう話を聞いたのはその2日後だった。店の店主と思しき男はひどく激怒し、わたしを罵ったが、わたしには身に覚えがない。
そうしてまた別の店へ移ることになった。しかしその店でもまた同様の事件が起きた。
この頃から噂が聞こえるようになった。
――あいつは死神だ。触れたものはみな死ぬ。
そんな噂に興味を持ったのがこの街に住む貴族の一家であった。貴族の家長は私を店主から言い値で買い取り、屋敷へ連れて帰った。
「お前の部屋はここだ。勝手に出歩くことは許さない」部屋へ案内したのは初老の男性で、おそらくは従者だろう。
ここは今までとは違った。部屋は物置の様だが、貴族の屋敷ということもあり綺麗で、簡素だが寝床まであった。食事は二食、残飯の様だが味はカビパンの比にならない。
屋敷に住む代わりに仕事が与えられるようになった。月に2、3度くらいの頻度で、知らない人間が従者に連れられ、わたしの部屋を訪れる。わたしは言われた通り彼ら彼女らの頭や肩、手に触れる。ただそれだけだ、それでも施しを受けるだけよりはましだと思っていた。そんな生活を数年送ることになった。
数年生活しているが、私の活動範囲は主に部屋で、それ以外ではトイレまでの導線のみである。食事を運んでくれるゾフというおじいさんだけはたまに話をしてくれるが、それ以外の使用人は私を避けているのが分かった。
いつものように客に会った日の夜、変な時間に目がさえてしまったので、トイレに行くことにした。辺りはすっかり暗くなっており、屋敷もしんと静まり返り、廊下に灯ったランタンの火が揺らめいているだけだった。用を足し、部屋への帰り道、誰かのしゃべり声が聞こえた。
私は普段、避けられていることもあり、存在を消すよう静かに生活している。その時もしゃべっている人と鉢合わせにならないよう廊下の角で少々時間を潰すことにした。
「――やっぱり死んだって」
「嫌ね、同じ屋敷にいるだけで殺されたりしないのかしら」
「なんでも触れなければ問題無いそうよ」
「そう。今日の人も明日か明後日には……」
「旦那様もなんで死神なんて拾ってきたんだか」
「バカ。聞かれたら次の実験台はあなたになるわよ」
「ちょっと冗談でもよしてよ。……でもそうね。もう部屋に戻りましょうか」
給仕はどんどん離れていき、残りの会話はよく聞き取れなかった。それでもそれが自分の事を話している事だけは理解できた。
私が何の気なしにしてきたことで人が死んでいた。その事実が重くのしかかり、その場から動くことができなかった。
翌日から体調が優れないという口実で、仕事を先延ばしにしてもらった。
その間、今までのことを振り返った。ママの死、サイモンさんの死、他にも何度も店を転々とさせられた理由。考えれば考える程、給仕が話していた言葉が真実に思えた。
ママを殺したのは私。その事実に気が付くのは直ぐのことだった。
私が死ねばこれ以上の被害はでないはず。私は食事を取らなくなった、睡眠も意識的にすることはなくなった。仕事の催促もあったが、断った。それでも私の暴走を恐れてか、追い出そうという動きは無かった。触れれば死ぬという事実が、私を守るのも皮肉なものだ。
ある晩、私は気が付いたら寝ていた。最近では良くあることなのでそれ自体は気にすることではなかったが、その日はいつもと様子が違った。
私の腕を握る者がいる。同年代くらいの男子だろうか、まわりには同じ年頃の男女がその様子を興味深々という面持ちで見守っている。
「俺はやったぞ。次はお前な」
事態がようやく飲み込めた私は精一杯の力で飛び起き、奇声をあげた。男女らはその様子に驚愕し、一瞬目を見開き固まったが、少女が悲鳴を上げて逃走したことで、我に返ったのか、ぶつかり、転げながらも逃げて行った。
部屋には沈黙が残ったが、それも束の間の事だった。私の叫びを聞いた使用人達があつまりだし、屋敷内は慌ただしく動き始めた。
数時間後、拘束された私は事の経緯を話した。話を聞いてくれたのはゾフだった。
彼は白髪髭に覆われた口でボソボソと語った。
今回私に触ってしまったのは、この屋敷の跡取り息子であった事。周りにいたのはその学友で、死神なんて馬鹿馬鹿しいと、くすねた酒に酔った勢いで度胸試しをした事。拘束はしばらく解かれないという事だった。
私は自分の不用意さを呪った。
数日後、私に触った屋敷の息子が亡くなったと聞いた。他にも彼の前に触った二名の男子が亡くなったそうだ。旦那様は「死神を屋敷に呼び込んだのは自分の愚かな過ちだった」と言い残し、自ら命を絶った。
私に下された処罰は、無期限の投獄。
牢の中には何もなかった。しかし、それが逆に私を安堵させた。
これでもう人を殺すことはない。
目を覚ました僕はようやく夢に見ていたものの正体を理解できた。それでも彼女にかける言葉が見つからず、ただただうずくまることしか出来なかった。