ある日森の中、野盗に出会う。
僕は今、空にいます。
数時間ぶり二度目の空中遊泳。足元には集まった無数の騎士たちが魔法や弓矢を放っているのが見て取れますが、そんなの今の僕には関係ありません。気持ちが悪いです。
かれこれ1時間程度は飛んだだろうか、ネフィリアにお米様抱っこされたまま森の中に降り立った。
「ぁ……ぁりがとね」かすれた声でお礼を言う。
「あーはいはい。気にすんな」僕を地面におろし、彼女は辺りを見渡した。
「この辺りはもう隣国、イルムンドの領地だろうから追ってはこないはずだ」
「そっか……ならここでお別れかな。ここまで本当にありがとね」僕は吐き気を抑えながら歩き始めた。
「いや、近くの町あっちだぞ」僕の進行方向とは真逆を指しながら彼女は言った。
「そっか……ならここでお別れかな。ここまで本当にありがとね」僕は方向を変え、また歩き始めた。
「嘘だろ……追手だ!」突然の事態に吐き気も吹っ飛んだ。
「ヒャァ! ごめんなさい! ごめんなさい! お願いだから命だけは助けてください!」僕はまた体の向きを変え、高く飛び上がり、着地と同時に土下座した。
「嘘だ」
「……え?」
「だから嘘だ」
「……え? なんて?」
「追手はいない」彼女はため息をひとつ吐き、地面に伏す僕をまじまじ見た。やめて恥ずかしい。
「お前、あたしと別れたら三日と経たず死にそうだな」ごもっともである。
「助けてくれた恩もあるし、弟子がすぐに死んだらあたしの名にも傷がつくってもんだ」
「はぁ」
状況が呑み込めない僕から目を逸らし彼女は続けた。
「察しが悪いやつだな。もう暫くはあたしが面倒みてやるって言ってんだ」女神かな?
「いやーさすがネフィリア様! 面倒見の神! 師匠の鏡!」とりあえず全力でヨイショしてみた。そしてめっちゃ睨まれた。
「覚悟は出来てるんだろうな大洋」覚悟?一体なんの覚悟だろうか、敵からは距離をとれたしネフィリアがいるなら野生の猛獣と出会っても何とかなるだろう。
再び状況が呑み込めない僕に女神はほほえみながら言った。
「師匠と弟子が一緒にいるんだ。修業はあって当然だろう?」
オイオイオイ、死ぬわ僕。
「ぁ……ハイ」
もう2時間程は歩いているのに人に全く出会わないのは偶然だろうか。
「ネフィリア様。近くの町ってあとどれくらいで着くでしょうか」
「次その呼び方したら一回殺す。ああ契約で殺せないから半殺しか」
「ちなみにその後回復とかは……」
「あたしは回復魔法の適性がないから無理だな」
「この度は私の不用意な発言で不快にさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
彼女はとりあえず矛を納めてくれたようで、一つため息をついた。
「あたしを呼ぶときは師匠かネフィでいい」師匠と呼ばれるの気に入っているんだなと思ったが、それを言うと怒りが再燃する可能性大なので心のうちにしまっておこう。
「わかった。これからはそうする。それで次の町ってあとどれ位かかりそうなの? すでにちょっと暗くなってきてるんだけど」
「そうだなー逃げてるとき空中から見えた感じだと、あと三日位かな」三日って何日だっけ?
「ん? 三日? 三時間の間違いじゃなくて?」
「三日だ」彼女は淡々と言っているので、大したことではなさそうに聞こえてしまうが、現代日本から来た僕には三日も歩くという経験はもちろんない。
「一応確認なんだけど、この世界って魔獣とか魔物的な生き物は存在するんですかね」
「魔獣はいるぞ。魔物ってのは分かんねえけど、知恵のある魔の者は魔族って呼ばれてる。そうそう出くわす事は無いけどな」ですよねー。こんなファンタジーの世界でいない方がむしろ失礼というものだ。そもそも召喚された時に魔王がどうのって話を聞いたことを今思い出した。
「ネフィさんや。三日もこんな鬱蒼とした森を歩けば当然魔獣などと、こんにちはすると思うのですが、その際は戦ってくれるんですよね?」
ネフィリアはニヤッと笑った。何度も見た顔だ。
「修行するって言いましたよね。魔獣くらい一人で倒せずに最凶の魔法使いの弟子は名乗れませんわよ」実に楽しそうだ。
「それにせっかく魔法を覚えたのに使ってみたくないのか?」その言葉にはぐうの音も出ない。
「……使ってみたいです」
「なら良し」どうやら魔獣とは僕が戦わなければならないようだ。
そんな話をしたせいで、おっかなびっくり森を歩いていたのだが、擬態するリスのようなものや羽の生えたネズミ、七色のアリなど不思議小動物にしか出会うことはなく、恐れていたような事態には遭遇しなかった。
キョロキョロと不思議そうに周りを見る僕が気になったのか、ネフィリアは動物や植物についてあれこれ説明してくれた。彼女の博識っぷりはさすがと言う他なく、ほとんどテーマパークの観光客気分を味わうこととなった。
「今日はこの辺で野宿だな」急に立ち止まり彼女は言った。野宿という言葉でハッと我に返った。人生初めての野宿、相手は傍若無人、天上天下唯我独尊の魔法使い、とはいえ女性だ。僕の思春期が爆発してもそれは不可抗力というものである。チラッと彼女をみる。もしかしたら恥じらいの表情位は見れるかもしれない。
ドスンッバキバキゴゴゴゴゴ。とんでもない音が聞こえ、まわりを確認する。辺りにあったはずの森が消えた。正確には直径十メートル程度だろうか、森をくり抜いた様に木が倒されている。僕は呆然とする頭であの禿げ頭を思い出した。王様元気にしてるかな。
「まあこんなもんか」何事もなかったかのように環境破壊の権化は言い放つ。またゴゴゴゴゴと音が聞こえると土でできた手が倒した木を丁寧に運んで、禿げた土地の中央に櫓を作っている。そして完成した櫓に盛大に火をつけた。まさにキャンプファイヤーであった。僕は心を無にし突っ込まない決意をした。
「し、師匠ってたまに詠唱なしで魔法を使いますよね。詠唱なしでいいなら、その方が早くて良くないですか?」
「まだ説明してなかったな。確かに魔法は詠唱しなくても使える」そう言いながら指を立て火を出した。
「が、詠唱したときに比べて無詠唱はイメージの構築に劣る。詠唱っていうのはただ決められた文章を読んでいるってわけじゃない。深層心理においてより魔法のイメージを強固にしている。つまり、無詠唱はイメージが弱い分威力や効果、範囲が劣化する」師匠は火のついてない方の手をあげ、同じように指を立てた。
「深紅の輩。一片の灯火となりて我を照らせ」明らかにサイズの違う炎が発現した。
「な?」わかったろと言わんばかりに師匠は両手の拳を閉じ、火を消し去った。
一応見張りは交代制でという約束で、僕は先に見張ることとなった。辺りでは時折草の騒めく音が聞こえたり、獣の目の光が見て取れるが、バカでかいキャンプファイヤーのおかげか寄ってくる事はなかった。三時間程度たった頃だろうか、そろそろ眠気が耐えられなくなりそうだったので、立ち上がり少し歩くことにした。危険かとも思ったが、辺りは禿ているので何かが近づけば目視で確認出来る。炎を中心にちょうど一周しネフィリアの元に戻る途中、ガサガサッと草木が揺れる音がした。また獣が様子でも見に来たのだろうかと目を凝らした。
「……ら……がい……ぜ」声だ。はっきりとは聞き取れないが、こんな夜中に森を徘徊する者が怪しくないわけがない。急いでネフィリアの元に駆け、眠る彼女を揺さぶった。
「ネフィ、人が来てる」しかし全く起きる気配がない。体を叩いても、耳元で呼んでも起きない。あまりに起きないので思春期特有のあれ、ではなく日頃の恨みを晴らそうと耳に息を吹きかけてみた。少し体が動いた気もしたが、起きる気配はない様だ。ほう、どこまで耐えられるか試してみようじゃないか。と竿役おじさん役を楽しもうとした時、後方から男が話しかけてきた。
「おいおい、こんなところで焚火をしている馬鹿がいるかと思ったら子供じゃねえか」これはすごい。僕は彼を知っている。こういった世界ではお約束のスキンヘッド悪役だ。
「坊や焚火っていうのはこんな大きくしたら俺らみたいなやつに見つかるんだぜ。勉強になったな」
「兄貴! 女もいるッス」こちらの三下子分っぷりも見事である。
「慌てるな。ガキは奴隷商に、女は楽しんだ後、娼館だ」奥から出てきた兄貴と呼ばれるモジャモジャロン毛の男は僕とネフィリアを品定めするように見た。
「こいつエルフじゃねえか! ついてるぜエルフは希少だから非処女でも高値が付く。ガキはヒョロヒョロで顔も良くねえな。まあ今晩の飯代くらいにはなるだろ」
これは非常にまずい。こんなに騒がしくしても師匠は一向に起きる気配がない。僕が何とかしなければ再び囚われ生活に逆戻りだ。男たちとの距離は数メートル。こんな時はまずこれに限る。僕は地に手足をつき深々と頭を下げた。
「僕らは今近くの町に向かっているところです。金品の類は持っておりません。それはもう素寒貧でして、差し上げられるのはこのゴミみたいな服のみです。また私は貧相で肉体労働も出来ません。きっと奴隷商も買い取ってくれないかと思います。ここはどうか寛大なお心で見逃してみるというのはいかがでしょうか」チラッと男らを確認する。
「じゃあお前はここで殺す」状況が悪化した。どうやら【たたかう】コマンドしか今は選択出来ないようだ。
男の数は三人、もしかしたら森にまだ仲間がいるかもしれない。飛び道具には注意しなければ。武器はおそらく腰に下げているナイフだろう。魔法は使えるだろうか。魔法使いは数が少ないし、魔法が使える人間が野盗になるとは思えない。一旦その線は考えない、そもそも魔法戦なんて教わってないから知らん。距離的に詠唱するとナイフで刺されて終わりだろう。無詠唱か。さっき聞いたばかりだが、僕の魔法がどの程度劣化するのか試してないから分からない。もしかしたら相手を倒す威力が出ない可能性もある。しかし今の僕には魔法以外戦う術がない。それにネフィリアには既に何度か助けられてるしな。やるしかないか。僕はフゥっと一度息を吐き、気合をいれる。
僕を中心にブワッと黒い煙が一気に広がる。これが僕の魔法<黒霧>。詠唱すれば2、30メートルは覆えるが無詠唱ではどうやら丁度10メートルといったところだろうか。
「兄貴! 全く周りが見えねえ!」
「こいつ魔法使いっス!」
「落ち着け! 動けば足音が聞こえるはずだ!」
予想通り、突然のことに野盗は混乱している。これなら森の外に仲間がいても弓矢は打てないだろう。しかしこの魔法、困ったことに僕も周りが見えなくなるのだ。落ち着いて意識を集中する。野盗は周りを警戒しているが、動いている音はしない。僕にはおおよその位置がわかる。これは魔法ではない。闇魔法の適正がある者は辺りの気配に敏感になるという特性があるらしい。ほかの属性にもそれぞれ特性があるらしいが、今はいいだろう。
野盗の位置に意識を集め、魔力を発現させる魔法のイメージに変換、そして発動。ウオッだかアアッだか声にならない叫びが聞こえてくる。彼らには霧から無数の茨が襲い掛かっている。これが二つ目の魔法<黒き茨の乙女>。影から茨を出し攻撃や拘束する魔法だが、黒霧は霧でありながら影という扱いでもあるらしく、黒き茨の乙女の発動条件を満たすらしい。
余談だが本来魔法には名前が存在しない。火を出す魔法だとか空を駆ける魔法だとか呼ばれるのが一般的らしい。僕の魔法名は師匠の趣味で名付けられている。師匠曰く、「その方が格好いい」とのことだ。まあ、分からなくはないが。
暫くののちドサッと倒れる音が聞こえた。気配に気を配りゆっくりと野盗に近づいた。意識はなく気を失っているようだ。どうやら無詠唱でも意識を刈り取るには十分な威力だったようだ。むしろ詠唱していたら……冷汗が出てきた。問題は伏兵がいるかどうかということである。今は霧があるので襲われていないが、霧が晴れたとたん大勢に囲まれては敵わない。
突然グイっと首を絞められる。しまった。まさか気配を消せる奴がいるなんて想定していなかった。せっかく異世界まで来てもう終わりなのか。意識が飛びそうになったその時、パッと首を絞めつけていた腕が解かれた。
「油断禁物」振り返るとネフィリアが立っていた。
「いつから……」首をさすりながら問いただす。
「最初から」
「最初?」
「見張りの最初から」
「じゃあ全部見てたってこと?」
「修行するっていったろ?」なんて奴だ。
「ちゃんと出来たじゃねえか」ネフィリアはワシワシと僕の頭を撫でまわした。僕は突然の緊張から解放された緩急で力が抜けて、地面に座り込んだ。
「伏兵はないから魔法は解いて大丈夫だ」僕が魔法を解くと同時に、霧が晴れていく。
「修行するにしてもやり過ぎだって。別に起きて見ててくれれば良いじゃん」
「あたしが後ろで見守ってたら、無意識に安心しちまうだろ」たしかにそれはそうかもしれない。現に野盗が現れた時、ネフィリアを起こして何とかしてもらおうとしてしまった。
「まあ、たしかに」
「あたしが不在の状況で、大洋はきちんと対処した。もっと自信を持っていい、お前はちゃんと強くなってるよ」悔しいが、師匠に褒められると嬉しくなってしまう自分がいる。
「それにしたって首絞めはやり過ぎ! 死んだと思った」
「それは罰だ」
「え、ちゃんと対処したって言ってくれたのに?」
「お前寝ているあたしに悪戯したよなあ」
「あっ……あー」
「またやったら次は落とす」
僕は誓った。二度と寝ているネフィリアに触れないと。