はじめてのまほう
僕は召喚されてからの経緯をネフィリアと名乗る女性に話すことにした。
「なるほどな。大体の事情は理解した」そういうと彼女は突然笑い始めた。僕の記憶上、他人からこれ程の笑いをとったのは初めてだった。なるほど人を笑わせるのは気分が良い。このまま異世界でお笑いなど始めてしまおうか。
「あのおっさんカツラだったのか! どうりで胡散臭かったはずだ」ネフィリアは拘束具がギィギィと軋む程体を揺すりながら笑い続けている。さすがに笑いすぎである。
「あの、それで僕も魔法を使えるようになるんでしょうか?」永遠に笑い続けそうだったので軌道修正しておこう。
まだ笑い足りない様で口調は震えていたが答えてくれた。
「話を聞くに君は勇者なんだろう? なら使えるのが道理だな」
「勇者だと魔法が必ず使えるものなんですか?」
「おそらく召喚されたのは君を含めて5人のはずだ。あたしが過去にみた書物にはそれぞれが各属性の適性を持つと書かれてた。あー属性つうのは、火、水、土、光、闇の五系統の事でこれは後でまた説明するか。つまり勇者であれば必ずどれかの属性魔法が使えるって事になる」
その話を聞いて、僕は馬鹿らしくなって笑えてきた。
「それなら僕の属性は闇ですね……」
「何か天啓を受けたのか?」
「いやー、召喚された勇者の名前なんですけど、火乃宮、水木、土井、光延って言っていて、僕の世界の文字でそれぞれが属性に対応していると言いますか、そのままといいますか、僕自身闇野ですし」そんな理由で異世界に召喚されたのなら適当が過ぎるだろと突っ込まずにはいられない気持ちだ。
「使える属性が分かるなら、案外すぐに魔法が使えるようになるかもしれない。普通だったら各属性をそれぞれ修行して、適正の有無を判別しなきゃならないから時間も手間もかかる。君はその工程をすっ飛ばせるってわけだ」
そういう考え方もあるのかと思わず感心してしまった。魔法使いと聞くともっと気難しくて、捻くれていると思っていたが、この人は案外ポジティブの人なのかもしれない。その前向きさを見習わせていただこう。僕はそっと手を合わせた。
「一旦闇属性に適正がある前提で話を進めるが、闇属性の特性は変化や変質にある。何かを破壊したり治したりは不向きだが、敵を欺き偽ることに関しては随一だ。あたしの拘束を解く様な開錠技術にももってこいの属性でもある。まーそういう特性ゆえに犯罪と関連づけて考えられる向きもあって、あまりもてはやされる様な属性ではないな」
「それって闇属性の適性がある以上、この世界では後ろ指を指されながら生きていかなきゃいけないってことですか!?僕なにも悪いことしてないのに……」
「いやあたしらこれから脱獄しようとしてるじゃん。普通に犯罪者じゃん」
め【目】が点になる
ひどくびっくりする。あっけにとられること。
(精選版 日本国語大辞典より)
「ま、まあそれは一旦置いときましょう」僕は考えることをやめた。
「そもそも光と闇の適性をもつ者なんて数える程しかいないんだから、完全に濡れ衣ってやつだな。ちなみに癒しが特性の光の属性は闇とは正反対に人々から讃えられ尊ばれているけどな」完全な追い打ちである。このくそ魔法使いいつか泣かす。
「そもそも魔法って何か分かるか?」一通り僕をいじり倒して満足そうな声だ。
「イメージはありますけど、火を出したり、水を出したり」
「そうだなそれは確かに魔法だ。ざっくり言えば、魔法ってのは魔力に形や作用を与えることって表現になる。魔力をただ放っても、それはただ衝撃を与えるに過ぎない。もちろん莫大な魔力をぶつけりゃ相当な武器だが、効率が悪いし、そもそもそんな魔力を持ったやつもほとんどいない。だからもっと明確に起こしたい事象をイメージしてやる。物を燃やす火のイメージや敵を押し流す水のイメージだ。魔力をそのイメージ通りに変換出来れば君の言った魔法が発現する。ただ闇は現象をイメージしずらい属性でもあるんだが……そこは努力あるのみってことで」
なるほど、完全に理解した。
「で、魔力ってどうやって出すんですか?」
一瞬の沈黙の後、やれやれと言うように語りだした。
「魔力の放出は、まず体に流れる魔力を感じるところからだな。基本は瞑想だ。胡坐でも組んで自分の内側を意識しろ。たぶん時間がかかると思うからあたしは寝るわ」
5分と経たずに寝息が聞こえてきた。全くなめられたものだ。こちとら異世界転生おすすめ人種第一位の日本人様だぞ。異世界人より魔法というワードに触れてきた自負が僕にはある。サクッと魔法くらい使ってみせますとも。
一先ず言われた通り瞑想から始めるとしよう。胡坐を組み手を足の上で重ねる。イメージはさながら鎌倉の大仏である。目を閉じると、ここに来てからの事や好きなアニメの事など様々なことが浮かんでくる。それらをぼんやりと意識しないよう自身の身体の中に集中する。座っている地面が底冷えして足元が冷たい。組んでいる手はほんのりと温かく、食事をとっていないので時折腹の虫が鳴いている。吸い込む空気は冷たく吐き出す息は暖かい。
かれこれ一時間位経った頃だろうか、先程まで意識出来なかったが臍のあたりが温かい。厳密には臍よりもうちょっと下だろうか、その温かさはまるで血液のように、緩やかに前進へ輸送されているようだ。そうかこれが魔力か。この魔力を放つイメージ、わかりやすく指から出してみよう。
魔力が構えた指に流れるよう意識すると、わずかに指の周りが発光し始めた。ついに魔法が使える。その興奮にいてもたってもいられない。壁に指を向け、溜まったエネルギーを開放するよう押し出す。
「霊〇!」
光の弾は思ったよりも速い速度で壁にぶつかり、わずかな爆音で岩を削った。勢いで撃ってしまったので、音が出ることなんて微塵も考えてなかった。看守の足音が聞こてこないか耳を立てたが、5分経っても静かなもので問題はなかったらしい。
「さすが勇者様ってか。数日はかかると思ったんだけどな」わざとらしく、あくびをしながらネフィリアが起きた。
コツも何も教えてくれなかった魔法使いに腹が立った僕は、得意の皮肉を披露することにした。
「すみませんねー。もう少し寝かせてあげたかったんですが思ったより簡単で」
「気にするな。こちとら何年もここで寝てたんだ。貯金は十分さ」
意にも介さない様子で、それはそれで腹が立つ。
「魔力の放出は理解できた様だな。では魔力の変換に取り掛かろう」
魔力の放出までが一瞬で出来てしまったので、この時の僕は天狗になっていたのだろう。ネフィリアの拘束程度、数日で解いてやると勢い込んでいた。まさかここから半年の時間を要するとは……。
「ついにこの穴倉生活ともおさらばか。随分長いこと居たから妙な安心感があるんだよなー」
「悪かったな半年もかかって」僕はふてくされて見せた。
「いや、大洋が来てからはあっという間だったさ。まさか半年で出られるなんて思ってなかったよ。この首輪は魔法使い拘束用で魔力が霧散するようになっている。当然ちょっとやそっとじゃ解除出来る代物じゃないんだ。大洋に闇の魔力の適性があった上で、努力した結果だ。あとは師匠が良いおかげかな」ネフィリアはケラケラと笑いながら答えた。
この半年で彼女とはずいぶん親しくなったと思う。拘束をとけばお互い自由の身なわけで、一緒にいる理由も無くなる。まさかこんな牢獄暮らしが名残惜しくなるなんて。
「まずは契約の魔法からだったな」僕は気持ちを悟らせないよう平静を装った。
「そうだな。よろしく頼む」
「我、闇野大洋と汝、ネフィリア・ヴァーミリオンはここに契約を結ぶ。一つ汝は我をこの牢獄から救い出すこと。一つ救い出したのち命の略奪を行わないこと。以上の制約はどちらかの命が費えるまで有効である。汝同意するか」
「同意する」
辺りが眩い光に包まれ、そして互いの体に吸い込まれるように消えていった。
「じゃーこのまま首輪もいっちまうか」そのまま僕は詠唱を始めた。
「泥濘の大樹。常闇の楽土。汝を絡め凌辱する運命の宿因。我は裁定者。全ての者に一筋の光と絶望を与えん。我が力をもって汝をそのくびきから解き放つ」
ガチャンッと大きな音が牢内に響き渡った。どうやら解除は成功したらしい。向かいからゆっくりと人影が近づいてくる。人影は伸びをしながら歩いてくるがその体は一糸も纏っていなかった。
「どどどどdどうして裸!」
「知らん、首輪が取れたと同時に剥がれた」
本人が気にしていないなら見ても良いのではないか? そういうことにしよう。僕らはアダムとイブまだ羞恥心なんて知らないのさ。日本にいる頃から思っていた。漫画の主人公は目をそらしてもどうせ叩かれるのだ。であればしっかり脳に焼き付けるべきではないだろうか。と、まとまらない童貞思考を迸らせながら、じっと見るでも無く、かといって目を逸らすでもなく、挙動不審になってしまった。明かりが届く距離にネフィリアが来て初めて気が付いた。
「――エルフ?」
「おや、言ってなかったか」
正直何年も閉じ込められていると聞いていたので、自分の母かそれ以上のおばさんが現れるのではないかと思っていた。しかし彼女の見た目は自分とほとんど変わらない年齢のように見えた。赤茶っぽい髪色はイメージと違ったが、その長い耳はまさにエルフという感じだ。
「聞いてないって! それよりなんか着て下さい。お願います!」
「あーもーうるさい奴だな。分かったよ。せっかく解放感を味わってたのに」彼女は地面に落ちていた元服の一部を拾い上げると胸部と下半身に巻き付けるとこれで良いだろと? と言わんばかりにこちらを見た。
「あ、ありがとうございます。それでこれからどうするぅ?」ずっと一緒にいたといっても、実際姿を見ると女性であることを意識してしまって、ぎこちない感じになってしまった。
彼女は答えることはせず、目の前の檻に触れる。すると鉄の棒がまるで砂のように崩れ落ちた。さすが師匠といったところだろうか。僕の檻も同じように破壊し、難なく牢から出ることはできた。するといきなり僕の腕をつかみ詠唱を始めた。
「灼熱の主、業火の王よ。その眷属をわが身に纏い、天翔ける飛天の翼を授けよ。こうする」
ネフィリアの体を炎が包むと同時に、僕の体がものすごい力で地面に引っ張られた。いやこれは彼女に引っ張られて空気の抵抗でそう感じているらしい。らしいというのも、僕の目には砕けた牢屋だったものの残骸らしき物と、立ち尽くす人の姿が下に流れていくのがぼんやり見えているのみだったのだ。そういえば、この人はこういう奴なのだ。別れで感傷的になったり裸を見てドギマギしてしまったのが急に馬鹿らしくなった。
脳が状況を理解するのを放棄しはじめ、ここ半年の思い出がまるで走馬灯の様にフラッシュバックする。嘔吐するほどのトラウマ魔法修行や師匠の罵詈雑言、カツラの一件を知り、大爆笑し仲良くなった元騎士だという看守との思い出。時々忍び込んでくる他国の諜報員を名乗る黒い人との会話。ああ僕の人生でこんなに人と関わった事があっただろうか、いや無い。お母さんお父さん僕は異世界で幸せに生きました。先立つ不孝をどうかお許しください。かしこ。
不意に明かりが目に突き刺さる。ゆっくり目を開けると、そこには真っ青な空。今は昼間だったのか。まだ脳が正しく機能していないらしい。なにせ視界の数十メートル下に城らしきものと、それを取り囲むように栄えた街が存在しているのだから。
「久しぶりのシャバは最高だなあ!」彼女はご機嫌である。
「シテ…オロシテ…」僕は今にもこの蒼天に胃液の虹をかける寸前だ。
「なんだって! 聞こえねーよ!」
「オロシテ! オロシテ! オロシテ! オロロロォ……」お父さんお母さん以下略
「うわっ! まったくだらしねえなぁ」
彼女は急降下し、小高い丘の様な場所に落下、もとい着地した。そして僕は気絶した。
夢を見た気がする。たぶん子供の頃の夢だ。母親の膝に頭を乗せ背中を優しく叩かれている。そんなありふれた日々の夢。
目が覚めると初めに緑が飛び込んできた。どうやら脱出は成功したらしかった。不思議なことに視界に映る木は何故か右から左に生えている。つまり横向きに生えていたのだ。異世界には不思議な場所もあるんだなとぼんやり考えていた。
「起きたならいい加減どいてくれ」
声は左から聞こえてくる。声の方を向くと空とネフィリアの顔があった。どうやら僕が横になっていたから、木が横から生えて見えたのかと納得した。
「なあ重いって」
僕は自分の状況を瞬時に判断し、飛び起きた。顔には太ももの感触と温かさが残っている。落ち着け落ち着くんだ。相手はあのネフィリアだ。修行と称したストレス発散の暴言を思い出し冷静さを取り戻した。
「あ、ありがとう」僕は努めて冷静にお礼を言ってその場に座り込んだ。
「まあいいさ。それよりこれからの事だが……」彼女が何かを言いかけた時、辺りの木々の隙間という隙間から甲冑を着込んだ如何にも騎士風の奴らが出てきた。
僕には分かるこの流れは良くない非常に良くない。完全に包囲され逃げ場など疾うになかった。
「ネ、ネフィリアさん。お願いします! 助けてください!」見よこの完璧な土下座を。僕は頭を地に伏した。
「まったく、しょうがねえ弟子だな」
彼女はやれやれという身振りをしたが、どことなく嬉しそうに見えたのは僕の都合の良い勘違いなのだろう。