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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「お茶汲み」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「お茶汲ちゃくみ」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約40分


必要演者数:5名

      (0:0:5)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


●登場人物


松吉まつきち:遊び人。仲見世なかみせ安大黒やすだいこくへあがった際に、花魁おいらん青紫あおむらさき虚言きょげんを見破

   りつつもあえて聞き入れたふりをして、おいしい一夜を過ごす。


勝五郎かつごろう松吉まつきち一兵衛いちべえ六兵衛ろくべえと同じ町内に住む兄貴分。

    町内の若いしゅがそろいもそろって色街いろまちで振られた事でご機嫌斜め

    になっているところへ松吉まつきちからモテ話を聞く。


一兵衛いちべえ勝五郎かつごろう弟分おとうとぶんその1。

    同じ町内の若いしゅと共に色街いろまちへ繰り出すも振られてしまい、

    へこんでいる。


六兵衛ろくべえ勝五郎かつごろう弟分おとうとぶんその2。

    松吉まつきちの話を聞き、自分もおいしい思いをしようと安大黒やすだいこくへ行く。


青紫あおむらさき仲見世なかみせ安大黒やすだいこく花魁おいらん

   ひたいが抜けあがり、目は細く、鼻の穴が広がってて、口が大きく、

   色が黒い、…愛くるしい顔…だそうである。


若衆わかしゅ仲見世なかみせ安大黒やすだいこく若衆わかしゅ

   松吉まつきち六兵衛ろくべえ見世みせへ案内する。


花魁:一兵衛いちべえたちの遊びに行った見世みせ遊女ゆうじょ

   一兵衛いちべえたちを手ひどく振る。(セリフ2つのみ)


●配役

松吉:

勝五郎・枕:

一兵衛・若衆:

六兵衛:

青紫・花魁:



枕:昔の遊郭ゆうかくというものは、非常に煩雑はんざつなしきたりがあったそうです。

  初回・その次の回である裏と遊女ゆうじょ側から品定めされ、三度目にやっと

  馴染なじみとなって床入とこいりができる。

  そこに行くまでにとんでもない額のお金が必要になるのは言うまでも 

  ありません。

  それだけでなく、花魁おいらん引手茶屋ひきてちゃやでお見立て、いわゆる指名するわけ

  ですが、そこでも羽振はぶりの良い所を見せないとならない。

  もっとも、時代が下がるにつれてそういったしきたりは消えていった

  そうですが。

  これはそういった、だいぶゆるやかになった頃のはなしでございます。


一兵衛:兄ぃ、兄ぃ!

    ちわーっ!


六兵衛:勝五郎かつごろうの兄ぃ、いるかい?


勝五郎:おうおめぇらか、どうしたぃ?

    こないだ、町内のわけぇので仲見世なかみせへ遊びに行ったんだってな?


一兵衛:…行った。


勝五郎:どうだった、一兵衛?


一兵衛:…驚いた。

    三日月女みかづきおんな


勝五郎:なんでぇその、三日月女みかづきおんなってな。


一兵衛:よいにちらりと見たばかり。


勝五郎:そりゃ、振られちまったんじゃねえか?


一兵衛:早く言いやぁね。


勝五郎:遅く言ったってそうだよ!

    …六兵衛、おめぇはどうだったんだ?


六兵衛:…月蝕げっしょく


勝五郎:…なんでぇその、月蝕げっしょくてのは。


六兵衛:まるっきり姿すがた見せず。


勝五郎:ひでえなぁおい。

    それじゃあ面白おもしろくなかったろ。


六兵衛:そらそうだよ。

    けぇぜに払って遊びに行ったってのによう。

    俺ァあんまりしゃくさわったから、帰りに茶飲み茶碗二つと皿三枚

    持ってきた。


勝五郎:…なんだか瀬戸物屋せとものやに入った盗人ぬすっとみてえだな。

    おめぇはどうした?


一兵衛:あんまりえげつねぇ振りかたしやがったからよ、

    鉄瓶てつびんかなだらい持ってきた。


勝五郎:鉄瓶てつびんに…かなだらい!?

    やることがだんだん大きくなってきてねえか?

    それより、よくあんなでかいもん持ってこれたな!?


一兵衛:そのまんま持ってきたらバレちまうからよ、色々考えたんだ。

    取っ手のとこにひもとおしてな、首に掛けてまたぐらの間に鉄瓶てつびん下げ

    てよ、その上から着物を着たんだよ。


勝五郎:大胆だいたんだなおい…。

    しかし考えたなぁ。


一兵衛:でもよ、廊下ろうかを歩いているうちはまだよかった。

    はしご段を降りる時にちょいとひも引っ張って持ち上げなきゃいけ

    なかったんだ。

    うっかりそのまま降りたらよ、鉄瓶てつびんのケツがはしご段にコーンと

    ぶつかっちまった。

    そしたら湯がタラタラってこぼれてよ、ここで小水しょうすいしちゃいけま

    せんって言われちまったんだ。

    俺ァてめえのしょんべんで火傷やけどしたの初めてだよ。


勝五郎:やれやれ、ったく大袈裟おおげさだな。

    じゃあ、かなだらいの方はどうしたんだ?


一兵衛:鉄瓶てつびんを首から下げた時に、一緒に背中にしょったんだ。

    で、はしごを段降りたと思ったらおんなが追っかけて来やがった。

    来なくたっていいものをよ、来なきゃいけねえ時には来ねえし、

    来なくてもいい時には来るんだ。


花魁:ちょいと、黙って帰るなんて薄情はくじょうじゃないか。

   今度はいつ来るの?

   いつ来てくれるんだい!


一兵衛:そう言っていきなり背中をたたきやがった。

    いやあ、悪いとこたたかれたよ。


勝五郎:なんでだ?


一兵衛:だってよ、背中にかなだらいしょってるんだぜ?

    叩かれたかなだらいが「ぼぉわぁぁぁ~~んん」て鳴りやがった。

    そしたらおんな肝潰きもつぶしやがってよ。


花魁:あぁらやだ、今のかねの音はなんだい!?


一兵衛:って言うもんだから、

    俺とおめぇの別れのかねの音だ。

    って言ってやったんだ。


勝五郎:なぁにをくだらねぇこと言ってんだおめぇは!

    じゃあなにかい?

    これだけ町内のわけぇ者が行って、

    仲見世なかみせおんなにモテたのはだれ一人いねぇってのか?


一兵衛:まあ、ひらたく言いやぁそうなります。


勝五郎:平たくったって角が立ってたっておんなじだよ!

    ったく…俺たちだけだからいいものの、もしここに隣町の奴が

    一人でも混じっててみろ。

    にらみがきかなくなっちまわぁ。

    祭りの時なんざ威勢いせいがつかねえやな。

    しっかりしろぃ!


一兵衛:勝五郎兄かつごろうあにぃ、さっきから俺たちにぽんぽんぽんぽん小言こごとを言って

    るけどさ、そう言う勝五郎兄かつごろうあにぃはモテるのかい?


勝五郎:俺がモテるくれえだったら、おめえ達に小言こごとは言わねえよ!


一兵衛:なんだよおい、しょうがねえなもう。


勝五郎:しかしなんだな、たまにはこの町内のわけぇもんで仲見世なかみせおんなに、

    モテてモテてどうにもこうにもしょうがねえなんて奴がよ、

    一人くれえはいねえものかなぁ。


松吉:【戸を開けて入って来てへらへらしながら】

   ぉ、いた…。

   …くんちわぁ。


勝五郎:なんだ? 変な野郎が入ってきやがった。

    うんちわだってよ。

    って、誰かと思ったらまっつぁんじゃねえか、なんだよ。


松吉:【にやにやもじもじしながら】

   …へへ…いやぁ…弱ったね…。


勝五郎:ひとりで弱ってやがるよこの野郎は。

    なァにを弱ってんだよ!


松吉:へへへ…みんなの前だけどね、

   俺ァ今日ちょっとおもてをまともに歩けねぇんだよ。

   腰がふらついて。


勝五郎:? 何かあったのか?


松吉:…ゆんべのお疲れ。


一兵衛:大掃除かなんかやったのかい?


松吉:大掃除の疲れじゃないよ。

   仲見世なかみせの…”コレ”にモテてね…。


勝五郎:はは、この野郎、ホラ吹いたってネタは上がってんだぞ。

    おれァこないだ、馴染なじみんとこで聞いたんだ。

    おめぇ、あそこの見世みせじゃあんまりいい客じゃねえって言うじゃ

    ねえか。


松吉:いやいや、ゆんべはね…馴染なじみの見世みせじゃねえんだよ。

   初めてンとこ。

   おれ初回しょかいでもってあんなにモテたってのは初めてだね。

 

勝五郎:おめぇが初回しょかいでモテた…?

    へぇぇ、今年ことしゃかぼちゃの当たり年だなぁおい。

    実はな、町内のわけぇもんがこれだけいるけどよ、

    仲見世なかみせおんなにモテたって奴が一人もいねぇんでな、

    皆に小言こごとを言ってたんだ。

    じゃあよ、まっつぁん、

    おめぇの、そのモテた話ってのを聞かせてもらいてェな。


松吉:へへへ……お望みならば、べんじようか。


勝五郎:べんじようかだってよ。

    生意気なまいきな事言ってんじゃあねぇよ。

   

一兵衛:で、どういうわけなんだい?


松吉:実はみんなの前だけど、おれァきのう腹掛はらがけのどんぶりの中に

   ぜにが少し入ってたんでな、仲見世なかみせに冷やかしに行ったんだ。

   で、いつもの馴染なじみの見世みせの前を通り越して、

   右に曲がってひだりかわ見世みせ

   ひょいとチョンチョン格子ごうしの中をのぞくってェと、おんなが五人ばかり

   で見世みせってたんだ。

   かみから二番目のおんなおれァ目がまったね。

   じーっと見てると見世みせわけしゅがすぐ俺をめっけてね、

   面倒めんどう見始みはじめたよ。

 

若衆:よろしければ親方、ひとつお遊びのほどを…。


松吉:って言うんで、

   おうわけしゅさん、おめぇんとこのぎょくの値段なんざ聞くのも野暮やぼな話だけ

   れども、どのくらいだ?

   って聞いたら、


若衆:いかがでございやしょう。

   70せんてのはどうでしょう?


松吉:それでいいからって上がった後に、ああでもねえこうでもねえって

   ぐずぐずぐずぐず言って、ぜにかかるってのはやだよっつったら

   、


若衆:いえいえ、手前共てまえども見世みせでは決してそういう事はございません。

   どうぞ、ご安心してお遊びのほどを。


松吉:なんてきっぱり言うもんだから、

   そうかい、じゃあ厄介やっかいになろうじゃねえか。


若衆:ありがとうさまで!

   おがりになるよぉーーーーー!!


松吉:てぇ声を背中に聞いて、幅の広いはしご段をトントントントーンと

   のぼって引き付けへ通ったよ。

   すぐにわけしゅが上がって来て、


若衆:いらっしゃいまし!

   ぇー、ご初回しょかい様で? お馴染なじみ様で?


松吉:って聞くもんだから、

   実はわけしゅさん、おれ初回しょかいなんだ。

   いやね、つうぶってどんなでもいいから引いてくんねェと言って、

   気に入らねえが来てツーンとすんのも野暮やぼな話だ。

   岡惚おかぼれしているがいるんだが、面倒めんどう見てくれねえか。

   って言ったら、


若衆:承知をいたしました。

   どのをお見立てで?


松吉:じゃあ、上から二番目にいたげてもらいてぇ。


若衆:二番目でございますね!

   承知いたしました!


松吉:で、若衆わかしゅが出てっておばちゃんがお茶を入れてくれた。

   そいつをすすってるとやがて、ぱたん、ぱたん、と上草履うわぞうりの音が

   聞こえてきたね。

   あ、おんなが来たなと思ってると、引き付けの障子しょうじがスーッと開いて

   おんな一歩いっぽ足を踏み入れて、俺の顔をひょっと見た。

   次の瞬間だよ、


青紫:ぎゃああああーーーッ!


松吉:すごい悲鳴を上げて逃げ出したんだ。


勝五郎:…分かるなあ。

    たいがいおめぇのツラ見りゃびっくりするよ。

    なぁ?


一兵衛:だなあ勝五郎兄かつごろうあにぃ。

    そらぁ分かる。

    よく目ぇ回さなかったな。


松吉:余計な一言だぜ、一兵衛いちべえのにっつぁんよう。

   しばらくつと戻って来たんだけど、あんな大声出したもんだから

   しらけっぱなしだよ。

   すぐにお引けってぇことになって、俺ァ部屋に通された。

   そしたらおんなが俺の前に座りやがってね、


青紫:おまはんは、さっき引き付けであたしがあんな大きな声を出したん

   で、さぞびっくりしただろうね。


松吉:って言うから、

   そらぁびっくりするに決まってんじゃねえか。

   いきなり人のツラぁ見てあんなに大きな声出しやがって。

   いったいどういうつもりだって聞いたんだ。

   そしたら、


青紫:初回で話も無し、寝るのもなんだから、あたしの話を聞いておくれ。


松吉:なんていきなり言うもんだから聞き返したんだ。

   話があるんだったら聞こうじゃねえか。

   で、どういう話なんだ?

   ってったら、


青紫:実はあたしは東京の生まれじゃなくてね。

   静岡のざいの生まれの人間なんだ。

   村の若い者…清三郎せいざぶろうさんと良い仲になって、すえ夫婦めおとと約束をした

   んだ。

   けどこっちは一人娘、向こうも一人息子、

   嫁にも行かれなければ婿むこにも来られないという体、

   仕方がないので二人で相談して、悪い事とは知りながらお互いに親

   の金を盗んで東京に逃げて来た。

   金のあるうちはあっちに遊びこっちに泊まり、面白おもしろおかしく暮らし

   ていたんだけど、しまいには一銭いっせんも残らずすってんてん。

   せいさんがある時、まとまった金があればそれを元手もとでに商売

   ができるんだがと相談してきたため、あたしはこの苦界くがいに身を沈め

   てぜにをこしらえてみついだんだ。

   せいさんはそれを元手に商売を始めたようで、はじめのうちは手紙の

   やり取りもしていたんだがだんだん遠のき、しまいにはばったり

   途絶とだえてしまった。

   あぁ薄情はくじょうなもんだ、あたしがそばにいないから、他に女ができたのか

   と人をやって尋ねてみると、重いやまいとこについているとのこと。

   飛んで行って看取みと看病かんびょうをしてやりたいけども、

   それもできない駕籠かごの鳥。

   しまいには神信心かみしんじんまで始めたけれど甲斐かいもなく、

   せいさんはとうとう死んでしまったんだ。


松吉:ってよ、そのおんなが俺の前でぽろぽろぽろぽろ泣き出しやがった。


勝五郎:ちょっと待てよおい、待ちなよおい。

    モテてやしねぇじゃねえか。

    おんなにのろけ聞かされてんじゃねえかよ。

    腰がふらつく元にも何にもなってねえだろ。


松吉:へへ、くな急ぐな慌てるなってんだよ。

   話はこれからなんだから。

   でな、


青紫:今日も今日とて張見世はりみせに座ってると、初回でお名指なざしというため

   よんどころ無くはしご段を上がって引き付けへ通り、障子しょうじを開けて

   一歩中へ入って、ふっと座っている男の顔を見たら、その死んだ男

   がそこに座っていた為に、あたしはあんまりびっくりして大きな声

   を出してしまった。

   けどよく考えてみると、死んだ人間が生き返るわけで無し、

   心を取り直して再び引き付けへ通ってよぉく見たらば、

   それがおまはんだったんだよ。

   おまはんは死んだ男に瓜割うりわらずしてそっくりなんだよ。


松吉:ってさぁ、そう言うんだよぅ。


勝五郎:んんん~~~む、だんだん本筋ほんすじになってきやがったな。

    で、どうしたんだぃ?


青紫:けどね、いつまでも死んだ人の事を思っていても仕方がない。

   今日を限りにあたしは牛を馬に乗り換えておまはんにくすけれど

   も、おまはんはあたしのようなおんなのところへでも、かよってきてくれ

   るかい?


松吉:なんて言うもんだから、

   おぉいいとも! 喜んで花魁おいらんの所へかよってこようじゃねえか!

   っつったら、


青紫:本当かい?

   それが本当だったら嬉しいね。


松吉:って、俺のふとももをぎゅっとつねるんだ。


勝五郎:んんん~~~む、うん、うん。

    で、それからどうしたんだ?


青紫:あたしは来年三月、この里からねんが明ける。

   ねんが明けたあかつきには、おまはんの所へ行って所帯しょたいの苦労がしてみ

   たいんだ。

   おまはんはあたしのようなおんなでもおかみさんにしてくれるかい?


松吉:とまで言うから、

   おうッ、花魁おいらんだったら喜んで俺のかかぁにしようじゃねえか!

   て言ったんだ。

   そしたら、


青紫:本当かい?

   それが本当だったら嬉しいね。


松吉:って、今度はほっぺたをぎゅってつねったよ。


勝五郎:よくつねる女だな、おい。

    で、その先は?


青紫:だけどそうなると、あたしは心配な事がひとつあるんだ。

   男というものはのんき者で年知とししらず、そこへいくと女は所帯しょたいの苦労

   や何やでどんどん年を取っていく。

   おまはんは年を取ったあたしに愛想あいそきて、若い女につばつけて、

   手に手に取って逃げ出して、あたしはおまはんに捨てられるんじゃ

   ないかって、それを思うと悲しくて悲しくて…。


松吉:ってんでまたぽろぽろぽろぽろ泣き出しやがった。

   でね、その時ひょっと気が付いたらね、目のあたりに急にほくろが

   できたんだ。


勝五郎:なんだいその、急にほくろができたってのは。


松吉:でな、そのほくろがだんだん下がってくるんだよ。


勝五郎:珍しいほくろだな。

    付けぼくろってのは聞いた事があるけど、下がりぼくろってのは

    聞いた事がねえよ。

    一体何なんだい。


松吉:よーく見るとな、おうッ、バカにしてるじゃあねぇか。

   おんなの横に茶飲み茶碗が置いてあるんだよ。

   中に茶がなみなみとんであるんだ。

   おんなのやつ、泣くふりしながら指先にその茶を付けちゃあ

   、目じりにこうやってなすり付けてんだよ。

   悪いこたぁできねぇもんだ。

   浮いてた茶がらを間違って目になすり付けちまったんだぁな。

   その上からさらに茶をなすり付けるから、

   茶がらがだんだんだんだん下へ下がってくる。

 

勝五郎:…なんだよ、ったく…そうじゃねえかと思ったんだ。

    どうもおめぇがモテたって言うから、おかしいと思ってたらこれ

    だよ。

    で、それからどうしたんだ。


松吉:いっときはカッと腹が立ったよ。

   けどよ、ようく考えてみるってぇとこれァ振られてんじゃあねえ、

   モテてるんじゃねえか。

   今はむやみやたらに腹を立てちゃあ損だと思ったんだ。

   てのはよ…まだ夜明けにゃ、があるじゃねえか。


勝五郎:~~嫌な野郎だねこいつは。


松吉:で、俺ぁおんなの言う事をまるっと信じたふりをして、

   上手うまぁく話に乗ったから……ってェなわけよぅ。


一兵衛:だよなぁ…、むこうはまっつぁんを放すまいとしてるから、

    扱いも自然良くなるよ、なぁ六兵衛ろくべえの。


六兵衛:そらそうよ一兵衛いちべえの。

    これからまっつぁんを通いめさせようしてるんだからなぁ、

    熟練じゅくれん手練手管てれんてくだ四十八手しじゅうはってってやつよ…むふふ。


松吉:だから今日おもてを歩くってェと、北から風が吹きゃ南に傾き、

   南から風が吹きゃあ北に傾き、お天道てんと様が黄色を通り越してだいだい色に

   見えると、こういうわけよ。

 

勝五郎:…へェ~~…世の中には変わったおんながいるもんだな。


松吉:ああ、俺ァずいぶん遊んだけれど、ああいうおんなに会ったのは初めて

   だぁね。


勝五郎:おう、俺も話に聞いたのは初めてだ。


六兵衛:ちょ、ちょちょちょっ…まっまっつぁん。

 

松吉:なんでぇ六兵衛ろくべえ


六兵衛:それじゃ何かい?

    これからもそのおんなのとこへ通うつもりかい?


松吉:冗談じょうだん言うなよ。

   あんな水くせえ、じゃねえ、茶くせえおんな

   いっぺんこっきりひねりっぱなしだよ。


六兵衛:だ、だったらさ、俺が…、

    その、おんなのとこへ遊びに行っても構わねえかな?


一兵衛:ちょ、おい六兵衛ろくべえの、抜けけはいけねえよ!


六兵衛:わりぃなあ一兵衛いちべえの。

    はええもんちだ。


松吉:おうかまわねえよ、行ってきな。

   たまにはああいうおんな面白おもしろいよ。


六兵衛:うん、うん、それで、

    いつもの見世みせの前を通り越して右に曲がって左側だな。

    店の名前はなんてぇの?


松吉:店の名前か?

   安大黒やすだいこくってんだ。


六兵衛:…変な名前だなぁおい。

    安大黒やすだいこくね。

    で、おんなの名前は?


松吉:青紫あおむらさきってんだよ。


六兵衛:…まるで病人だな。

    見ればわかるかい?


松吉:ああ、ひと目でわかるよ。

   おでこが広くてね、目がぎょろッとしてて、

   その代わり、鼻の穴が広がってる。

   おまけに口が大きい。

   色が黒くてね、…愛くるしい顔だ。


六兵衛:よせよおい!

    おでこが広くて愛くるしいってのはねえやな。

    …まぁいいや、じゃ、俺行って遊んでくるから。


一兵衛:ちくしょう、羨ましいなぁ!

    帰ってきたら話聞かせろよ、六兵衛ろくべえの!


六兵衛:ああ、分かってる!


松吉:おう、遊んできな!

   行ってしっかりモテて来なよ!


六兵衛:ありがとう、まっつぁん!


    【二拍】


    いやぁありがてぇありがてぇ。

    ここんとこ、ずーっと女日照おんなひでりが続いてたんだよなぁ。

    こうなりゃ人の二番だろうが三番だろうが、かまやしねぇや。

    いつもの見世みせの前を通り越して右に曲がって左側…お、ここだ。

  

    【二拍】


    いるいる、おでこが広くて目がぎょろッとしてて、口が大きくて

    、…なんだか、ダボハゼみてぇな顔したおんなだねどうも。

  

若衆:【手を叩きながら】

   …親方、ぇ~親方。

   いかがでございます?

   ひとつ、お遊びのほどを。


六兵衛:おぅ…わけしゅさん。

    おめぇんとこのぎょくの値段なんぞ聞くのも野暮やぼな話だけれども、

    どのくれえだ?


若衆:いかがでございましょう。

   70銭ということでは。


六兵衛:それでいいからってんで上がる途端とたんに、後からああでもなければ

    こうでもねえってぜにはやだよ。


若衆:いえいえ、手前共てまえども見世みせでは決してそういう事はございません。

   どうぞ、ご安心してお遊びのほどを。


六兵衛:あ、そうかい。

    じゃあ厄介やっかいになろうじゃねえか。


若衆:おぉ、どうも、ありがとうさまで!

   おがりになるよぉーーーーー!!


   【二拍】


六兵衛:っしょっと…。

    へへ、さ…引き付けへ通った。


若衆:いらっしゃいまし!

   ぇー、ご初回しょかい様で? お馴染なじみ様で?


六兵衛:あぁ、初回だよ。

    でね、つうぶってどの女のでもいいからげてくんねェと言って

    、気に入らねえおんなが来てツーンとすんのも野暮やぼな話だ。

    岡惚おかぼれしているがいるんだけど、面倒めんどう見てくれねえかな。


若衆:へいっ、どのでもお取り持ちいたしましょ!

   どのにでございます?


六兵衛:かみから二番目にいたげてもらいてぇんだ。


若衆:青紫あおむらさきでいらっしゃいますな?

   承知しょうちをいたしました!

   しばらくお待ちを!


六兵衛:…。

    ふふっ、わけしゅしたへ降りてった…ぁ、おばさん、ぁお茶入れて

    きてくれたの。

    ぁ~今日はね、ちょいとふところさみしいの。

    今度まで借りておくから。

    じゃ、いただきますんで、ごちそうさま。

    へへへ…いやァ~ありがてぇありがてぇ。

    【茶をすする】

    ぶっ、ぶはっ!

    なんだいこれは…いやに生ぬるくて生臭なまぐせえお茶だね…。


    【つぶやく】

    …ぉっ。

    ぱたぁん、ぱたぁんってね。

    廊下に上草履うわぞうりの足音がしてきた。

    おんなぁ来たんだね。

    待ってました…!

    …障子しょうじがあいた…!

    おんなへぇってきた…!

    いくぞぉ…。


    【花魁の顔を見て】

    !!はっ!!? あーーーーーーッッ!!


青紫:!!!?

   この人は大きな声出して、びっくりするじゃないかい。

   どうしたのおまはん。


六兵衛:花魁おいらん…俺ァ、妙な気分になっちまった。

    お引けにしようじゃねえか。


青紫:その方がいいよ、こっちへいらっしゃいよこっちへ。

   はばかりはいい?


六兵衛:ああ、大丈夫でぇじょうぶだ。


青紫:そうかい、さ、こっちへとおって…そこへお座り。

   おまはん一体どうしたの?


六兵衛:…いま、引き付けでおめぇの顔を見て大きな声を出した時は、

    さぞびっくりしただろうなぁ。


青紫:びっくりするよ、あんな大きな声を出すんだもの。

   どうしたんだい。


六兵衛:初回で話も無し、寝るのもなんだから、俺の話を聞いてくれるか

    い?


青紫:あそう、話があるの。

   だったら聞きましょう。

   どういう話なんだい?


六兵衛:実は俺ァ東京の生まれじゃねえ。

    静岡のざいの人間なんだ。

    村のむすめっ子と良い仲になってすえ夫婦めおとと約束をした。

    けど向こうは一人娘、こっちは一人息子、

    婿むこにも行かれなければ嫁にも行かれないというからだ

    しまいには無分別むふんべつな事に、二人で親の金をちょろまかし、

    手に手を取って東京に逃げて来たんだ。

    金のあるうちはあっちに遊びこっちに泊まり、面白おもしろおかしく暮ら

    していたんだが、しまいには一銭いっせんも残らずすってんてん。

    ある時の相談で俺が女に、ここにまとまった金があれば

    それを元手もとでに商売ができるんだがと言ったら、

    女がこの中に身を沈めて金をこしらえ、俺にみついでくれた。

    俺ァそれを元手もとでに商売を始めた。

    はなのうちは手紙のやり取りもしていたけれども、

    だんだん遠のいて、しまいにゃばったりと途絶えてしまった。

    薄情はくじょうなもんだ、俺がそばにいねぇから、他に男でもできたのか

    と人をやって尋ねてみると、重いやまいとこについているとのこと。

    飛んで行って看取いと看病かんびょうをしてやりてぇけども、それもできない

    駕籠かごの鳥、しまいには神信心かみしんじんまで始めたけどその甲斐かいもなく情け

    ねぇ、女はとうとう死んじまったんだよ。


青紫:…あっそう、ふーーん……。

   で、どうしたの?


六兵衛:今日も今日とて友達に悪く誘われて仲見世なかみせに遊びに来て、

    途中で友達とはぐれちまって、ここのうちの前でボーッと立って

    たんだ。そしたらここのわけしゅに声を掛けられた。

    ふらふらぁっ、と上がって引き付けへ通ってぼんやり座ってると

    そこへおめぇが入ってきた。

    顔を見たら、その死んだ女とそっくりだったもんで、俺ァあんま

    りびっくりして大きな声を出したんだ。

    けど考えてみると、死んだ人間が生き返るわけは無し、

    心を取り直してよぉく見たら、それが花魁おいらん、おめぇだったんだよ

    。

    おめぇは死んだ女に瓜割うりわらずしてそっくりなんだよ。


青紫:あぁ~そうなの…。

   それで?


六兵衛:だけどな、いつまでも死んだ女の事を思っても仕方がねぇ。

    俺ァ今日を限りに牛を馬に乗り換えておめぇの所へかよってくるが

    、おめぇは俺のような男でも、客にしてくれるかい?


青紫:…そうねぇ、おまはんがかよってきてくれるなら

   面倒めんどうを見さしてもらうよ。


六兵衛:!そうかぃ、ありがてぇなぁ…!

    ところで花魁おいらん、おめぇの年明ねんあけはいつだい?

    来年の三月…どうだろうなぁ。

    年が明けたあかつきには、俺の所へ来て所帯しょたいの苦労をしてくれね

    えかなぁ…?


青紫:それぁおまはんがさ、ここへかよってきてくれて、

   この人は、と思ったら、所帯しょたいの苦労でもなんでもおまはんの所へ

   行ってするよ。


六兵衛:!そぉかい! ありがてぇなぁ…!

    けどそうなると、俺ァ心配な事がひとつあるんだ。


青紫:何が心配なんだい?


六兵衛:何が心配なのったって、男はけやすい性質たちだよ?

    どんどんどんどん年を取っていく。

    そこへいくと女というものはのんき者で年知らず。

    おめぇが年を取った俺に愛想あいそきて、若い男をこしらえて、

    手に手を取って逃げ出して、俺ァおめぇに捨てられるんじゃねぇ

    かって、それを思うと悲しくて悲しくて…。


    って花魁おいらん、おめぇパッと立ち上がってどこへ行くんだよ?


青紫:待っておいでよ、いまお茶汲ちゃくんであげるから。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


桂歌丸



●用語解説


チョンチョン格子ごうし小格子こごうしのこと。


岡惚おかぼれ:片思いのこと。傍惚れとも書く。



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