落語声劇「お茶汲み」
落語声劇「お茶汲み」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約40分
必要演者数:5名
(0:0:5)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
●登場人物
松吉:遊び人。仲見世・安大黒へあがった際に、花魁・青紫の虚言を見破
りつつもあえて聞き入れたふりをして、おいしい一夜を過ごす。
勝五郎:松吉、一兵衛、六兵衛と同じ町内に住む兄貴分。
町内の若い衆がそろいもそろって色街で振られた事でご機嫌斜め
になっているところへ松吉からモテ話を聞く。
一兵衛:勝五郎の弟分その1。
同じ町内の若い衆と共に色街へ繰り出すも振られてしまい、
へこんでいる。
六兵衛:勝五郎の弟分その2。
松吉の話を聞き、自分もおいしい思いをしようと安大黒へ行く。
青紫:仲見世・安大黒の花魁。
額が抜けあがり、目は細く、鼻の穴が広がってて、口が大きく、
色が黒い、…愛くるしい顔…だそうである。
若衆:仲見世・安大黒の若衆。
松吉や六兵衛を見世へ案内する。
花魁:一兵衛たちの遊びに行った見世の遊女。
一兵衛たちを手ひどく振る。(セリフ2つのみ)
●配役
松吉:
勝五郎・枕:
一兵衛・若衆:
六兵衛:
青紫・花魁:
枕:昔の遊郭というものは、非常に煩雑なしきたりがあったそうです。
初回・その次の回である裏と遊女側から品定めされ、三度目にやっと
馴染みとなって床入りができる。
そこに行くまでにとんでもない額のお金が必要になるのは言うまでも
ありません。
それだけでなく、花魁は引手茶屋でお見立て、いわゆる指名するわけ
ですが、そこでも羽振りの良い所を見せないとならない。
もっとも、時代が下がるにつれてそういったしきたりは消えていった
そうですが。
これはそういった、だいぶ緩やかになった頃のはなしでございます。
一兵衛:兄ぃ、兄ぃ!
ちわーっ!
六兵衛:勝五郎の兄ぃ、いるかい?
勝五郎:おうおめぇらか、どうしたぃ?
こないだ、町内の若ぇので仲見世へ遊びに行ったんだってな?
一兵衛:…行った。
勝五郎:どうだった、一兵衛?
一兵衛:…驚いた。
三日月女。
勝五郎:なんでぇその、三日月女ってな。
一兵衛:宵にちらりと見たばかり。
勝五郎:そりゃ、振られちまったんじゃねえか?
一兵衛:早く言いやぁね。
勝五郎:遅く言ったってそうだよ!
…六兵衛、おめぇはどうだったんだ?
六兵衛:…月蝕。
勝五郎:…なんでぇその、月蝕てのは。
六兵衛:まるっきり姿見せず。
勝五郎:ひでえなぁおい。
それじゃあ面白くなかったろ。
六兵衛:そらそうだよ。
高けぇ銭払って遊びに行ったってのによう。
俺ァあんまり癪に障ったから、帰りに茶飲み茶碗二つと皿三枚
持ってきた。
勝五郎:…なんだか瀬戸物屋に入った盗人みてえだな。
おめぇはどうした?
一兵衛:あんまりえげつねぇ振り方しやがったからよ、
鉄瓶と金だらい持ってきた。
勝五郎:鉄瓶に…金だらい!?
やることがだんだん大きくなってきてねえか?
それより、よくあんなでかいもん持ってこれたな!?
一兵衛:そのまんま持ってきたらバレちまうからよ、色々考えたんだ。
取っ手のとこに紐とおしてな、首に掛けて股ぐらの間に鉄瓶下げ
てよ、その上から着物を着たんだよ。
勝五郎:大胆だなおい…。
しかし考えたなぁ。
一兵衛:でもよ、廊下を歩いているうちはまだよかった。
はしご段を降りる時にちょいと紐引っ張って持ち上げなきゃいけ
なかったんだ。
うっかりそのまま降りたらよ、鉄瓶のケツがはしご段にコーンと
ぶつかっちまった。
そしたら湯がタラタラってこぼれてよ、ここで小水しちゃいけま
せんって言われちまったんだ。
俺ァてめえのしょんべんで火傷したの初めてだよ。
勝五郎:やれやれ、ったく大袈裟だな。
じゃあ、金だらいの方はどうしたんだ?
一兵衛:鉄瓶を首から下げた時に、一緒に背中にしょったんだ。
で、はしごを段降りたと思ったら妓が追っかけて来やがった。
来なくたっていいものをよ、来なきゃいけねえ時には来ねえし、
来なくてもいい時には来るんだ。
花魁:ちょいと、黙って帰るなんて薄情じゃないか。
今度はいつ来るの?
いつ来てくれるんだい!
一兵衛:そう言っていきなり背中を叩きやがった。
いやあ、悪いとこ叩かれたよ。
勝五郎:なんでだ?
一兵衛:だってよ、背中に金だらいしょってるんだぜ?
叩かれた金だらいが「ぼぉわぁぁぁ~~んん」て鳴りやがった。
そしたら妓が肝潰しやがってよ。
花魁:あぁらやだ、今の鐘の音はなんだい!?
一兵衛:って言うもんだから、
俺とおめぇの別れの鐘の音だ。
って言ってやったんだ。
勝五郎:なぁにを下らねぇこと言ってんだおめぇは!
じゃあなにかい?
これだけ町内の若ぇ者が行って、
仲見世の妓にモテたのは誰一人いねぇってのか?
一兵衛:まあ、ひらたく言いやぁそうなります。
勝五郎:平たくったって角が立ってたっておんなじだよ!
ったく…俺たちだけだからいいものの、もしここに隣町の奴が
一人でも混じっててみろ。
睨みがきかなくなっちまわぁ。
祭りの時なんざ威勢がつかねえやな。
しっかりしろぃ!
一兵衛:勝五郎兄ぃ、さっきから俺たちにぽんぽんぽんぽん小言を言って
るけどさ、そう言う勝五郎兄ぃはモテるのかい?
勝五郎:俺がモテるくれえだったら、おめえ達に小言は言わねえよ!
一兵衛:なんだよおい、しょうがねえなもう。
勝五郎:しかしなんだな、たまにはこの町内の若ぇもんで仲見世の妓に、
モテてモテてどうにもこうにもしょうがねえなんて奴がよ、
一人くれえはいねえものかなぁ。
松吉:【戸を開けて入って来てへらへらしながら】
ぉ、いた…。
…くんちわぁ。
勝五郎:なんだ? 変な野郎が入ってきやがった。
うんちわだってよ。
って、誰かと思ったら松つぁんじゃねえか、なんだよ。
松吉:【にやにやもじもじしながら】
…へへ…いやぁ…弱ったね…。
勝五郎:ひとりで弱ってやがるよこの野郎は。
なァにを弱ってんだよ!
松吉:へへへ…みんなの前だけどね、
俺ァ今日ちょっと表をまともに歩けねぇんだよ。
腰がふらついて。
勝五郎:? 何かあったのか?
松吉:…夕べのお疲れ。
一兵衛:大掃除かなんかやったのかい?
松吉:大掃除の疲れじゃないよ。
仲見世の…”コレ”にモテてね…。
勝五郎:はは、この野郎、ホラ吹いたってネタは上がってんだぞ。
俺ァこないだ、馴染みんとこで聞いたんだ。
おめぇ、あそこの見世じゃあんまりいい客じゃねえって言うじゃ
ねえか。
松吉:いやいや、夕べはね…馴染みの見世じゃねえんだよ。
初めてンとこ。
俺ァ初回でもってあんなにモテたってのは初めてだね。
勝五郎:おめぇが初回でモテた…?
へぇぇ、今年ゃかぼちゃの当たり年だなぁおい。
実はな、町内の若ぇもんがこれだけいるけどよ、
仲見世の妓にモテたって奴が一人もいねぇんでな、
皆に小言を言ってたんだ。
じゃあよ、松つぁん、
おめぇの、そのモテた話ってのを聞かせてもらいてェな。
松吉:へへへ……お望みならば、弁じようか。
勝五郎:弁じようかだってよ。
生意気な事言ってんじゃあねぇよ。
一兵衛:で、どういうわけなんだい?
松吉:実はみんなの前だけど、俺ァきのう腹掛けのどんぶりの中に
銭が少し入ってたんでな、仲見世に冷やかしに行ったんだ。
で、いつもの馴染みの見世の前を通り越して、
右に曲がって左っ側の見世。
ひょいとチョンチョン格子の中をのぞくってェと、妓が五人ばかり
で見世ェ張ってたんだ。
上から二番目の妓に俺ァ目が留まったね。
じーっと見てると見世の若ェ衆がすぐ俺をめっけてね、
面倒を見始めたよ。
若衆:よろしければ親方、ひとつお遊びのほどを…。
松吉:って言うんで、
おう若ェ衆さん、おめぇんとこの玉の値段なんざ聞くのも野暮な話だけ
れども、どのくらいだ?
って聞いたら、
若衆:いかがでございやしょう。
70銭てのはどうでしょう?
松吉:それでいいからって上がった後に、ああでもねえこうでもねえって
ぐずぐずぐずぐず言って、追い銭かかるってのはやだよっつったら
、
若衆:いえいえ、手前共の見世では決してそういう事はございません。
どうぞ、ご安心してお遊びのほどを。
松吉:なんてきっぱり言うもんだから、
そうかい、じゃあ厄介になろうじゃねえか。
若衆:ありがとうさまで!
お上がりになるよぉーーーーー!!
松吉:てぇ声を背中に聞いて、幅の広いはしご段をトントントントーンと
駆け上って引き付けへ通ったよ。
すぐに若ぇ衆が上がって来て、
若衆:いらっしゃいまし!
ぇー、ご初回様で? お馴染み様で?
松吉:って聞くもんだから、
実は若ぇ衆さん、俺ァ初回なんだ。
いやね、通ぶってどんな娘でもいいから引いてくんねェと言って、
気に入らねえ娘が来てツーンとすんのも野暮な話だ。
岡惚れしている娘がいるんだが、面倒見てくれねえか。
って言ったら、
若衆:承知をいたしました。
どの娘をお見立てで?
松吉:じゃあ、上から二番目にいた娘を揚げてもらいてぇ。
若衆:二番目でございますね!
承知いたしました!
松吉:で、若衆が出てっておばちゃんがお茶を入れてくれた。
そいつを啜ってるとやがて、ぱたん、ぱたん、と上草履の音が
聞こえてきたね。
あ、妓が来たなと思ってると、引き付けの障子がスーッと開いて
妓が一歩足を踏み入れて、俺の顔をひょっと見た。
次の瞬間だよ、
青紫:ぎゃああああーーーッ!
松吉:すごい悲鳴を上げて逃げ出したんだ。
勝五郎:…分かるなあ。
たいがいおめぇのツラ見りゃびっくりするよ。
なぁ?
一兵衛:だなあ勝五郎兄ぃ。
そらぁ分かる。
よく目ぇ回さなかったな。
松吉:余計な一言だぜ、一兵衛のに勝っつぁんよう。
しばらく経つと戻って来たんだけど、あんな大声出したもんだから
座は白けっぱなしだよ。
すぐにお引けってぇことになって、俺ァ部屋に通された。
そしたら妓が俺の前に座りやがってね、
青紫:おまはんは、さっき引き付けであたしがあんな大きな声を出したん
で、さぞびっくりしただろうね。
松吉:って言うから、
そらぁびっくりするに決まってんじゃねえか。
いきなり人のツラぁ見てあんなに大きな声出しやがって。
いったいどういうつもりだって聞いたんだ。
そしたら、
青紫:初回で話も無し、寝るのもなんだから、あたしの話を聞いておくれ。
松吉:なんていきなり言うもんだから聞き返したんだ。
話があるんだったら聞こうじゃねえか。
で、どういう話なんだ?
ってったら、
青紫:実はあたしは東京の生まれじゃなくてね。
静岡の在の生まれの人間なんだ。
村の若い者…清三郎さんと良い仲になって、末は夫婦と約束をした
んだ。
けどこっちは一人娘、向こうも一人息子、
嫁にも行かれなければ婿にも来られないという体、
仕方がないので二人で相談して、悪い事とは知りながらお互いに親
の金を盗んで東京に逃げて来た。
金のあるうちはあっちに遊びこっちに泊まり、面白おかしく暮らし
ていたんだけど、しまいには一銭も残らずすってんてん。
清さんがある時、まとまった金があればそれを元手に商売
ができるんだがと相談してきたため、あたしはこの苦界に身を沈め
て銭をこしらえて貢いだんだ。
清さんはそれを元手に商売を始めたようで、はじめのうちは手紙の
やり取りもしていたんだがだんだん遠のき、しまいにはばったり
途絶えてしまった。
あぁ薄情なもんだ、あたしが傍にいないから、他に女ができたのか
と人をやって尋ねてみると、重い病の床についているとのこと。
飛んで行って看取り看病をしてやりたいけども、
それもできない駕籠の鳥。
しまいには神信心まで始めたけれど甲斐もなく、
清さんはとうとう死んでしまったんだ。
松吉:ってよ、その妓が俺の前でぽろぽろぽろぽろ泣き出しやがった。
勝五郎:ちょっと待てよおい、待ちなよおい。
モテてやしねぇじゃねえか。
妓にのろけ聞かされてんじゃねえかよ。
腰がふらつく元にも何にもなってねえだろ。
松吉:へへ、急くな急ぐな慌てるなってんだよ。
話はこれからなんだから。
でな、
青紫:今日も今日とて張見世に座ってると、初回でお名指しというため
よんどころ無くはしご段を上がって引き付けへ通り、障子を開けて
一歩中へ入って、ふっと座っている男の顔を見たら、その死んだ男
がそこに座っていた為に、あたしはあんまりびっくりして大きな声
を出してしまった。
けどよく考えてみると、死んだ人間が生き返るわけで無し、
心を取り直して再び引き付けへ通ってよぉく見たらば、
それがおまはんだったんだよ。
おまはんは死んだ男に瓜割らずしてそっくりなんだよ。
松吉:ってさぁ、そう言うんだよぅ。
勝五郎:んんん~~~む、だんだん本筋になってきやがったな。
で、どうしたんだぃ?
青紫:けどね、いつまでも死んだ人の事を思っていても仕方がない。
今日を限りにあたしは牛を馬に乗り換えておまはんに尽くすけれど
も、おまはんはあたしのような妓のところへでも、通ってきてくれ
るかい?
松吉:なんて言うもんだから、
おぉいいとも! 喜んで花魁の所へ通ってこようじゃねえか!
っつったら、
青紫:本当かい?
それが本当だったら嬉しいね。
松吉:って、俺のふとももをぎゅっとつねるんだ。
勝五郎:んんん~~~む、うん、うん。
で、それからどうしたんだ?
青紫:あたしは来年三月、この里から年が明ける。
年が明けたあかつきには、おまはんの所へ行って所帯の苦労がしてみ
たいんだ。
おまはんはあたしのような妓でもおかみさんにしてくれるかい?
松吉:とまで言うから、
おうッ、花魁だったら喜んで俺のかかぁにしようじゃねえか!
て言ったんだ。
そしたら、
青紫:本当かい?
それが本当だったら嬉しいね。
松吉:って、今度はほっぺたをぎゅってつねったよ。
勝五郎:よくつねる女だな、おい。
で、その先は?
青紫:だけどそうなると、あたしは心配な事がひとつあるんだ。
男というものはのんき者で年知らず、そこへいくと女は所帯の苦労
や何やでどんどん年を取っていく。
おまはんは年を取ったあたしに愛想が尽きて、若い女に唾つけて、
手に手に取って逃げ出して、あたしはおまはんに捨てられるんじゃ
ないかって、それを思うと悲しくて悲しくて…。
松吉:ってんでまたぽろぽろぽろぽろ泣き出しやがった。
でね、その時ひょっと気が付いたらね、目の辺りに急にほくろが
できたんだ。
勝五郎:なんだいその、急にほくろができたってのは。
松吉:でな、そのほくろがだんだん下がってくるんだよ。
勝五郎:珍しいほくろだな。
付けぼくろってのは聞いた事があるけど、下がりぼくろってのは
聞いた事がねえよ。
一体何なんだい。
松吉:よーく見るとな、おうッ、バカにしてるじゃあねぇか。
妓の横に茶飲み茶碗が置いてあるんだよ。
中に茶がなみなみと汲んであるんだ。
妓のやつ、泣くふりしながら指先にその茶を付けちゃあ
、目じりにこうやってなすり付けてんだよ。
悪い事ぁできねぇもんだ。
浮いてた茶がらを間違って目になすり付けちまったんだぁな。
その上からさらに茶をなすり付けるから、
茶がらがだんだんだんだん下へ下がってくる。
勝五郎:…なんだよ、ったく…そうじゃねえかと思ったんだ。
どうもおめぇがモテたって言うから、おかしいと思ってたらこれ
だよ。
で、それからどうしたんだ。
松吉:いっときはカッと腹が立ったよ。
けどよ、ようく考えてみるってぇとこれァ振られてんじゃあねえ、
モテてるんじゃねえか。
今はむやみやたらに腹を立てちゃあ損だと思ったんだ。
てのはよ…まだ夜明けにゃ、間があるじゃねえか。
勝五郎:~~嫌な野郎だねこいつは。
松吉:で、俺ぁ妓の言う事をまるっと信じたふりをして、
上手ぁく話に乗ったから……ってェなわけよぅ。
一兵衛:だよなぁ…、むこうは松つぁんを放すまいとしてるから、
扱いも自然良くなるよ、なぁ六兵衛の。
六兵衛:そらそうよ一兵衛の。
これから松つぁんを通い詰めさせようしてるんだからなぁ、
熟練の手練手管四十八手ってやつよ…むふふ。
松吉:だから今日おもてを歩くってェと、北から風が吹きゃ南に傾き、
南から風が吹きゃあ北に傾き、お天道様が黄色を通り越して橙色に
見えると、こういうわけよ。
勝五郎:…へェ~~…世の中には変わった妓がいるもんだな。
松吉:ああ、俺ァずいぶん遊んだけれど、ああいう妓に会ったのは初めて
だぁね。
勝五郎:おう、俺も話に聞いたのは初めてだ。
六兵衛:ちょ、ちょちょちょっ…松、松つぁん。
松吉:なんでぇ六兵衛?
六兵衛:それじゃ何かい?
これからもその妓のとこへ通うつもりかい?
松吉:冗談言うなよ。
あんな水くせえ、じゃねえ、茶くせえ妓、
いっぺんこっきり捻りっぱなしだよ。
六兵衛:だ、だったらさ、俺が…、
その、妓のとこへ遊びに行っても構わねえかな?
一兵衛:ちょ、おい六兵衛の、抜け駆けはいけねえよ!
六兵衛:悪ぃなあ一兵衛の。
早えもん勝ちだ。
松吉:おう構わねえよ、行ってきな。
たまにはああいう妓も面白いよ。
六兵衛:うん、うん、それで、
いつもの見世の前を通り越して右に曲がって左側だな。
店の名前はなんてぇの?
松吉:店の名前か?
安大黒ってんだ。
六兵衛:…変な名前だなぁおい。
安大黒ね。
で、妓の名前は?
松吉:青紫ってんだよ。
六兵衛:…まるで病人だな。
見ればわかるかい?
松吉:ああ、ひと目でわかるよ。
おでこが広くてね、目がぎょろッとしてて、
その代わり、鼻の穴が広がってる。
おまけに口が大きい。
色が黒くてね、…愛くるしい顔だ。
六兵衛:よせよおい!
おでこが広くて愛くるしいってのはねえやな。
…まぁいいや、じゃ、俺行って遊んでくるから。
一兵衛:ちくしょう、羨ましいなぁ!
帰ってきたら話聞かせろよ、六兵衛の!
六兵衛:ああ、分かってる!
松吉:おう、遊んできな!
行ってしっかりモテて来なよ!
六兵衛:ありがとう、松つぁん!
【二拍】
いやぁありがてぇありがてぇ。
ここんとこ、ずーっと女日照りが続いてたんだよなぁ。
こうなりゃ人の二番だろうが三番だろうが、かまやしねぇや。
いつもの見世の前を通り越して右に曲がって左側…お、ここだ。
【二拍】
いるいる、おでこが広くて目がぎょろッとしてて、口が大きくて
、…なんだか、ダボハゼみてぇな顔した妓だねどうも。
若衆:【手を叩きながら】
…親方、ぇ~親方。
いかがでございます?
ひとつ、お遊びのほどを。
六兵衛:おぅ…若ぇ衆さん。
おめぇんとこの玉の値段なんぞ聞くのも野暮な話だけれども、
どのくれえだ?
若衆:いかがでございましょう。
70銭ということでは。
六兵衛:それでいいからってんで上がる途端に、後からああでもなければ
こうでもねえって追い銭はやだよ。
若衆:いえいえ、手前共の見世では決してそういう事はございません。
どうぞ、ご安心してお遊びのほどを。
六兵衛:あ、そうかい。
じゃあ厄介になろうじゃねえか。
若衆:おぉ、どうも、ありがとうさまで!
お上がりになるよぉーーーーー!!
【二拍】
六兵衛:っしょっと…。
へへ、さ…引き付けへ通った。
若衆:いらっしゃいまし!
ぇー、ご初回様で? お馴染み様で?
六兵衛:あぁ、初回だよ。
でね、通ぶってどの女の娘でもいいから揚げてくんねェと言って
、気に入らねえ妓が来てツーンとすんのも野暮な話だ。
岡惚れしている娘がいるんだけど、面倒見てくれねえかな。
若衆:へいっ、どの娘でもお取り持ちいたしましょ!
どの娘にでございます?
六兵衛:上から二番目にいた娘を揚げてもらいてぇんだ。
若衆:青紫でいらっしゃいますな?
承知をいたしました!
しばらくお待ちを!
六兵衛:…。
ふふっ、若ぇ衆下へ降りてった…ぁ、おばさん、ぁお茶入れて
きてくれたの。
ぁ~今日はね、ちょいと懐が淋しいの。
今度まで借りておくから。
じゃ、いただきますんで、ごちそうさま。
へへへ…いやァ~ありがてぇありがてぇ。
【茶をすする】
ぶっ、ぶはっ!
なんだいこれは…いやに生ぬるくて生臭えお茶だね…。
【つぶやく】
…ぉっ。
ぱたぁん、ぱたぁんってね。
廊下に上草履の足音がしてきた。
妓ぁ来たんだね。
待ってました…!
…障子があいた…!
妓が入ってきた…!
いくぞぉ…。
【花魁の顔を見て】
!!はっ!!? あーーーーーーッッ!!
青紫:!!!?
この人は大きな声出して、びっくりするじゃないかい。
どうしたのおまはん。
六兵衛:花魁…俺ァ、妙な気分になっちまった。
お引けにしようじゃねえか。
青紫:その方がいいよ、こっちへいらっしゃいよこっちへ。
はばかりはいい?
六兵衛:ああ、大丈夫だ。
青紫:そうかい、さ、こっちへ通って…そこへお座り。
おまはん一体どうしたの?
六兵衛:…いま、引き付けでおめぇの顔を見て大きな声を出した時は、
さぞびっくりしただろうなぁ。
青紫:びっくりするよ、あんな大きな声を出すんだもの。
どうしたんだい。
六兵衛:初回で話も無し、寝るのもなんだから、俺の話を聞いてくれるか
い?
青紫:あそう、話があるの。
だったら聞きましょう。
どういう話なんだい?
六兵衛:実は俺ァ東京の生まれじゃねえ。
静岡の在の人間なんだ。
村の娘っ子と良い仲になって末は夫婦と約束をした。
けど向こうは一人娘、こっちは一人息子、
婿にも行かれなければ嫁にも行かれないという体、
しまいには無分別な事に、二人で親の金をちょろまかし、
手に手を取って東京に逃げて来たんだ。
金のあるうちはあっちに遊びこっちに泊まり、面白おかしく暮ら
していたんだが、しまいには一銭も残らずすってんてん。
ある時の相談で俺が女に、ここにまとまった金があれば
それを元手に商売ができるんだがと言ったら、
女がこの中に身を沈めて金をこしらえ、俺に貢いでくれた。
俺ァそれを元手に商売を始めた。
端のうちは手紙のやり取りもしていたけれども、
だんだん遠のいて、しまいにゃばったりと途絶えてしまった。
薄情なもんだ、俺が傍にいねぇから、他に男でもできたのか
と人をやって尋ねてみると、重い病の床についているとのこと。
飛んで行って看取り看病をしてやりてぇけども、それもできない
駕籠の鳥、しまいには神信心まで始めたけどその甲斐もなく情け
ねぇ、女はとうとう死んじまったんだよ。
青紫:…あっそう、ふーーん……。
で、どうしたの?
六兵衛:今日も今日とて友達に悪く誘われて仲見世に遊びに来て、
途中で友達とはぐれちまって、ここのうちの前でボーッと立って
たんだ。そしたらここの若ぇ衆に声を掛けられた。
ふらふらぁっ、と上がって引き付けへ通ってぼんやり座ってると
そこへおめぇが入ってきた。
顔を見たら、その死んだ女とそっくりだったもんで、俺ァあんま
りびっくりして大きな声を出したんだ。
けど考えてみると、死んだ人間が生き返るわけは無し、
心を取り直してよぉく見たら、それが花魁、おめぇだったんだよ
。
おめぇは死んだ女に瓜割らずしてそっくりなんだよ。
青紫:あぁ~そうなの…。
それで?
六兵衛:だけどな、いつまでも死んだ女の事を思っても仕方がねぇ。
俺ァ今日を限りに牛を馬に乗り換えておめぇの所へ通ってくるが
、おめぇは俺のような男でも、客にしてくれるかい?
青紫:…そうねぇ、おまはんが通ってきてくれるなら
面倒を見さしてもらうよ。
六兵衛:!そうかぃ、ありがてぇなぁ…!
ところで花魁、おめぇの年明けはいつだい?
来年の三月…どうだろうなぁ。
年が明けたあかつきには、俺の所へ来て所帯の苦労をしてくれね
えかなぁ…?
青紫:それぁおまはんがさ、ここへ通ってきてくれて、
この人は、と思ったら、所帯の苦労でもなんでもおまはんの所へ
行ってするよ。
六兵衛:!そぉかい! ありがてぇなぁ…!
けどそうなると、俺ァ心配な事がひとつあるんだ。
青紫:何が心配なんだい?
六兵衛:何が心配なのったって、男は老けやすい性質だよ?
どんどんどんどん年を取っていく。
そこへいくと女というものはのんき者で年知らず。
おめぇが年を取った俺に愛想が尽きて、若い男をこしらえて、
手に手を取って逃げ出して、俺ァおめぇに捨てられるんじゃねぇ
かって、それを思うと悲しくて悲しくて…。
って花魁、おめぇパッと立ち上がってどこへ行くんだよ?
青紫:待っておいでよ、いまお茶汲んであげるから。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
桂歌丸
●用語解説
チョンチョン格子:小格子のこと。
岡惚れ:片思いのこと。傍惚れとも書く。