魔界と魔王
まったく、もう。主さまは……!
これが好意の植え付けがなければくびり殺しているところですわよ。…………たぶん。
先ほどの主さまとのやり取りを思い出して、頬が火照ってしまいます。まさか首筋だけとはいえ、惜しげもなく裸体をさらしてくるなんて……。
その光景を思い出して、バクバク、と心臓の鼓動が激しくなるのを感じます。……でも、美味しそうだったなぁ。って、違いますわよ!
あたくしは邪な考えを振り払うように頭を振ります。
いまはともかく、主さまが望まれた諸部族連合の方へ交渉に向かいませんと。そのために、主さまのもとをお暇して外へ出たのですし。
「それで、もうひとりと合流しなければ、なんですけど……」
正直、気が進みませんわ。これが武門のクラン家ならまだ我慢できますけど、よりによってセント・クレア家なんて……。
「いまからでも、あらためて主さまへ直談判を……」
と、いったところで無理ですわよねぇ……。あぁ、もうっ! 主さまの色香に踊らされて何をやってるんだか……。自身のことながら情けなくなってしまいます。
でも、すごく魅力的な提案だったのも確か。なにせ、主さまのお手付きに、と言うことなんですから。
……別に、それが楽しみというわけではありませんわ。……本当ですわよ?
「はぁ……。誰に言い訳しているのやら」
別に思考を読まれているわけでもなし、なにをやっているのか。
それはともかく……。
「男の稀人。その子種というだけで利用価値は計り知れませんし、本当に子を成せたなら、それだけで価千金です」
……まぁ、婚前交渉という問題はありますが。それに目を瞑っても計り知れない利があります。なにしろ――。
「はっきりとしたことは語られていませんが、一説には陛下もまた稀人に近しい存在とか……。それが事実なら、陛下から覚えめでたくなる可能性も……」
稀人であろうとも、なかろうとも陛下。魔王陛下が類い希なる御方だというのは確かですが。そうでなければ、たった一代で魔界を統一なんて偉業、出来る筈もありません。
そのような御方に我がシュルツ家をお認めいただければ……。
「流石に始まりの二家。陛下の最側近たるティム、グリュン両家と同格、とまでは無理でしょうけど、そこに近しいところまで家格を上げられる可能性だって……」
とくにグリュン家。あの家は我がシュルツ家と同じく武門の家柄。家格が近くなれば婚姻の可能性も……。
「……まぁ、あたくしは不可能ですが。それでも分家の者を養子に入れるなり、方法はいくらでもあります」
でも、魔王、か……。
あたくしは昔のことを思い出してほろ苦い笑みが出ました。
なにせ、かの地でダンジョンマスターをやっていた頃、あたくしは人間たちに――。
「よりによって、魔王陛下と勘違いされてたんですもの、ねぇ……」
あれには本当に参りました。ダンジョンの、魔の者たちの王、という意味では魔王で間違いありませんが……。
「あたくしはそんな名乗りをした覚えなんてありませんのに。下手に魔界本土で知られたら、謀反と思われかねません。本当に冷や汗ものでした……。実際、後々陛下は一連のことを把握されていたようですし――」
唯一の救いは、陛下が真剣に受け取っていなかったこと。あたくしが勘違いされていたのを大笑いされていた、という話です。それがなければ、最悪……。
あたくしは最悪の想像をして、背筋が寒くなるのとともに身震いします。最低でもあたくしの処刑。最悪の場合、御家取り潰しのうえ、不名誉な歴史が未来永劫刻まれることになるのです。そんなことにならなくて、本当に良かった。
「そ、それはともかく……」
万が一の可能性を考えていると、それだけで気が滅入ってきました。いまは気分を、考えを切り替えましょう。
「確か、ルディアの教会にセント・クレアの娘はいるんでしたわね」
イヤなことはさっさと終わらせるに限ります。……イヤだなぁ。
重くなる足取りを無理矢理進めて、あたくしは先を進みました。
よりによってセント・クレアかぁ。あれがいなければ、ダンジョンが失陥しなかったかもしれないのに。我々魔界の住人からすれば、聖神教なんて害悪でしかありません。
それを分かっている相手に布教し、なおかつ成功させるなんて頭おかしいわよ、あの一族。洗脳能力でもあるのかしら?
あたくしも気を付けておかないと。
念のため、と気を引き締めてあたくしは目的地へと歩みを進めるのでした。……イヤだなぁ。




