歴史を、そして歴史が紡ぐもの
ジャネットの身体がぐらり、と力なく揺れる。
「ジャ、ジャネットさま?!」
あまりのことに驚くセラ。そんなセラの叫び声も聞こえないのか、くたり、と彼女の方へ倒れる。
咄嗟に支えたセラであるが、もともと華奢な彼女では完全に支えきることなどできず、同じように倒れそうになる。
しかし、なんとか踏み留まりふたりとも倒れる、という最悪の事態は防ぐことができた。もっとも、あくまで倒れなかっただけであり、ジャネットを抱えながら尻もちをつくこととなった。
どすん、と尻もちをついたセラは痛みで顔をしかめる。だが、すぐに心配してジャネットを見る。彼女はどうやら意識を失っている様子だが、その表情はかすかに苦悶に歪んでいた。
「……っ」
確かにセラにとってジャネットは少々思うところのある相手だ。しかし、仲間でもある。そんな彼女が苦しんでいる姿を見て喜ぶことができるほど性格が悪い訳じゃない。むしろ、人並みの良識は持ち備えている。
そんな彼女であるがゆえ、意識を失っているジャネットを心配するのは当然だった。
「ジャネットさま、ジャネットさま!」
心配し、声をかけるセラ。彼女らふたりの姿を見て、はからずも原因となったエリスは想定外、とばかりに狼狽えていた。
「……えっと。ちょっと、刺激が強すぎた、んでしょうか?」
「いや、強すぎたとか、その程度でおさまるとは思えないんだがねぇ……」
狼狽えるエリスの姿に、彼女の部下である千代女はあきれた、とばかりにツッコミを入れるのだった。
しばらくジャネットが気を失ってワタワタしていたセラとエリス。しかし、それも時間とともに落ち着いたのか、とりあえず気絶したジャネットは千代女に任せ、ふたり――というよりセラ――は本来の目的、諸部族連合へ赴いた理由を話した。
それを聞いたエリスはうむむ、と唸る。
「……つまり、ダンジョンマスター。……いえ、表向きアルデン公国はこちらとの同盟を望む、と?」
「えぇ、まぁそちらは最終的に、です。まずは通商による経済交流。平たく言えば貿易関係の構築を――」
「そして相互不可侵辺りを、というところですか」
セラはエリスの指摘にこくり、と頷いた。セラもそうであるが、ダンジョンマスター。秀吉もさすがに最初から同盟関係を構築できる、などと考えていなかった。
ゆえにまずは緩やかな交流。そして信頼関係を得ることを前提に行動すること、という指針で一致させていた。
もっとも、あわよくば、という考えがなかったわけではない。それがかつて諸部族連合があった地域を支配していたダンジョンのマスター。鮮血のダンジョンマスターと謡われるジャネットの派遣に繋がっていた。
まぁ、それもエリス・アルフォードという女性がいたことで皮算用となってしまったが……。
ともかく、もともとそこまで期待してなかった以上、セラにできることは本来の目的達成のため、交渉することであった。
ただ、こちらもこちらで想定外だったが。なにしろ、当初の予定では諸部族連合に戻ったであろう外交官。エルフ姉妹の姉、リィナと交渉するつもりだったのだ。
秀吉たちにとって諸部族連合にいる既知の相手はエルフ姉妹。リィナとルゥしかいなく、なおかつ上層部に影響を及ぼせそうなのはリィナのみ。秀吉たちが交渉相手に選ぶのは当然の帰結だった。
それがふたを開けてみれば、なぜか帝国の皇女――対外的には皇子――のアレク。彼女の手勢である筈の三ツ者衆、甲賀衆棟梁の望月千代女の登場。さらには影の権力者、歴史上の人物であった筈のエリス・アルフォードの出現など想定しろ、などという方が無茶な話だ。
しかし、好機でもある。なにしろ、エリスはリーゼロッテの先祖であるアルデン公国国母、アンネローゼ・アルデンの側近にして右腕。立場だけで見れば間違いなく親アルデン公国派だ。
彼女をうまく説得できれば一足飛びに同盟締結できる可能性すらある。ならば、それを狙わない手はなかった。
「うぅん……」
しかし、直接会ったセラはその手が可能性が薄いことを理解した。
なにしろ、直接会って確信したのは彼女。エリスが忠誠を捧げているのはアンネローゼ個人。間違ってもアルデン公国という国家ではない。
たとえアンネローゼがアルデン公国を建国させたといっても彼女が現在関わっていない以上、関係ないのだ。
ただし――。
「さすがにわたしの個人的な考えだけで同盟だ、不可侵だ、と決めるのは無理がありますねぇ……」
「やはり、そうですか……」
「――ですが、良いでしょう。議会の方へ意見を投げてみましょうか」
「…………えっ?」
セラからするとまさかの提案。思わず、といった様子でエリスを見る。にこにこ、と笑っているが冗談を言っているようには見えなかった。
だが、そうならなんでそのような提案を?
当然の疑問が頭をよぎる。その事を感じたのだろう。エリスはくすくす笑いながら答えを告げた。
「ふふっ、不思議ですか?」
「え、えぇ……」
「たしかに、お嬢さま亡き後の公国に興味などありません。それでも、頼まれた以上最低限見守る程度のことはしますが――」
アンネローゼの遺言、なのだろうか。その言葉で納得したセラ。しかし、続く言葉で度肝を抜かされることとなった。
「それ以上にわたし、ランドティア王国が嫌いなんですよね」
「……えぇっ?!」
あまりのことに目を白黒させるセラ。ランドティア王国は彼女やアンネローゼの故郷、カルディア王国が前身だ。つまり彼女は、己の故郷を嫌いと宣言したに等しい。
それで驚くな、というのは無理な話だろう。なにしろ彼女の主、アンネローゼはあらゆる手を使って国を守ろうとしたのだ。それなのに、その腹心たるエリスが国を嫌うなど想像できる筈もなかった。
「…………別に、今を生きる王国民が嫌い、という訳じゃありませんよ? でも、あのおバカ夫婦には一時期、とんでもなく苦労させられましたから……」
はぁぁ、と深いため息をつくエリス。そこにはとんでもない哀愁が漂っていた。それを受け、頬がぴくぴく震え、苦笑いを浮かべるセラ。
だが、そこではた、と考える。そもそも、エリスが苦労されられたというおバカ夫婦は何者なのか。
たしかに彼女の雰囲気には哀愁があった。しかし、同時に僅かながら親愛の念も見てとれたのだ。
彼女の苦労されられた、という発言。そして、親愛の念。それらを加味すると最低でも近しい間柄なのだろう。そんな相手――。
「………………ぁ」
ひとつの可能性に思い至り、たらり、と冷や汗が流れる。いる、たしかに。彼女が親しかったであろう、そして、嫌いそうな夫婦が。
エリスもセラが思い至った答えを察したのだろう。正解だ、とばかりにニヤリ、と笑う。
それで確信を得たセラ。が、喉がカラカラに渇いてくる。
本当にこの答えで正しいのか。実は間違っているのではないのか。そんな思いとともにもうひとつ。その考えは不敬ではないのか、という思いが。
しかし、そんな思いもエリスの次なる発言で粉々に吹き飛ばされた。
「まったく、困ったものですよ。ジュリアンさまも、クロエお嬢さまも……」
セラの口からひゅ、と息が漏れる。
間違いない、エリスが言ったのは、そしてセラの予測は正しかった。
ジュリアン・カルディアとクロエ・クラン。あるいはクロエ・フォン・ハミルトン。すなわち、アンネローゼの元婚約者と異母妹。カルディア王国最後にして、ランドティア王国最初の国王夫妻なのだから。