過去より甦る因縁
にやにやと笑っていた千代女。しかし、別に彼女はジャネットやセラと敵対しようとしていた訳ではなかった。その証拠に――。
「……とはいえ、そりゃあ過去の話さ」
「どういう意味ですの?」
過去、アンネローゼの私兵。三ツ者衆に幾度となく邪魔されたジャネットからすると、今さらそんなことを言われても信用できるはずもない。
だが、千代女も千代女でアンネローゼに仕えていた、という歴史は知っていても、あくまでそれは初代の話。今の主はルシオン帝国皇女アレクサンドラ・ルシオン。そして、もうひとり。彼女たち――風魔小太郎を含めて――真の主たる人物だけでしかない。
もっとも、その人物からするとジャネットにたいして、別の感情を持っていても不思議ではなかったが……。
それはともかく、どちらにせよ彼女からすればジャネットをからかう以上の意味はなく、下手に話をこじらせると面倒なため、早々にネタばらしすることにした。
「なぁに、配下からセラがこちらに向かってきているって報告があってねぇ。しかもひとりじゃなくて同行者がいるときた。それで念のため出迎えに来たら、まさかまさかの、というわけさ」
くつくつ含み笑いしながら千代女は告げる。
「ちょっと待ちなさい、おかしくありません?」
その言葉にジャネットは待ったをかける。彼女からすると千代女の発言に少しおかしさを感じたのだ。その部分は――。
「そもそもあなたたちは、どうやってあたくしの姿を確認――というより認識してますの? あたくしが人の世に姿を現したのはダンジョンマスターとしての一度のみ。定明の者が記憶するには永い時間だと思いますが……」
「あぁ、それかい? 単純だよ、うちらの中にかつてのダンジョンマスター、ジャネット・デイ・シュルツを知る者がいる。それだけさね」
千代女の答えはある意味単純なものだった。その答えを聞いて、不思議に思いながらもとりあえずジャネットは納得した、が同時に警戒もする。
――あたくしを知る? いったい、何者かしら?
そう、ジャネットからするとその人物のことが分からない。かつての配下が敗れた後、三ツ者衆に膝を屈したのか。もしくは、その子孫が協力しているのか。どうにも不明瞭なのだ。まぁ、どちらにせよ――。
「行けば分かりますか……」
ジャネットはぽつり、と独りごちる。ここで悩んだところで答えはでないのだ。ならば、どのみち進むしかなかった。
「ならば、とっとと案内なさい。あたくしもそれほど暇、という訳じゃないんです」
なんにしても面倒事を片付けたい、と思ったジャネットは知らず高圧的な物言いをする。むろん、本人はそのつもりなどないが、やはり元々敵対していた、という意識がそうさせてしまったのだろう。
だが、不思議なのは千代女の反応だった。
このような物言いをされては不快になるのが当然。だというのに、彼女は怒る素振りも見せずニタニタ、と気持ちが悪い笑みを見せるだけ。それがセラを不安に掻き立てた。
そんな不安をよそに千代女が口を開く。
「もちろん案内はするよ? だけど、いまは具合が悪いねぇ。……ちょいと夜がふけるまで待ってもらうよ」
「……あたくしは、暇がない。と、言った筈ですが?」
どこか挑発的な千代女へ詰め寄るジャネット。また千代女も対抗するように前へと進み出る。
その結果、ジャネットの豊満な胸と、巫女服の上からでも分かるくらいたわわに実った、セラにも負けず劣らずの豊かな胸が接触。ぷにゅり、と形を変える。
その事に少し驚くジャネット。彼女からするとそんなことをする気など毛頭なかった。逆に千代女はもとからそのつもりだったのか、にやにや笑っている。
そして、そのままセラの方へ視線を向けると語りかけた。
「セラ、あんたは気を付けるんだね。『慌てる馬鹿は貰いが少ない』なんて言うからねぇ」
「なんですって……?」
「ふふふ……」
あきらかに自らのことを揶揄されていると怒りをあらわにするジャネット。そんな彼女の気配を浴びながら、挑発的な態度を崩さない千代女。
そんなふたりをセラは頭が痛い、とばかりに見つめるのだった。
結局、その後。ジャネットが折れる形で落ち着くことになった一行。彼女らは昼間はとりあえず都市の観光、という名目で辺りをぶらぶらして――宿の方は、既に甲賀衆が手配していた――夜に集合、ということになった。
そして、そのまま時が過ぎて夜――。
三人の姿は、とある通路の中にあった。
その通路を進む面々。その中でジャネットはあきらかに忌々しい、と顔を歪めている。それは別に千代女に問題がある、というわけではなく――。
「よりによって、この通路ですの?」
「悪いねぇ、あたしらの頭は人目につくのを嫌っててねぇ。ここからじゃないとたどり着けなくなってるのさ」
「だからって、この通路……。あなた方のお頭とやら、余程に性格が悪いのではなくて?」
「違いないっ!」
ジャネットの指摘にくつくつ笑う千代女。なにしろこの通路はかつて、ジャネットがアンネローゼとの対決に破れ、這う這うの体で逃げ出したときに使った脱出用の隠し通路。彼女にとっての屈辱、かつての敗北を思い起こさせる場所であった。
そんなところをわざわざ通らせるのであるから、ジャネットが性格が悪いなどと指摘するのは無理からぬことだった。
ただ、ジャネットに対する当て付けでないことも確かだった。これから会う人物は諸部族連合にとって重要――という言葉では言い表せない――人物であるし、なおかつここからの方が近いのも事実。
そして、なにより。公に会うべき人物ではない。それこそ、諸部族連合の裏。闇に属する権力者だった。
もっとも、そんなことジャネットには関係ない。むすっ、と不機嫌を隠すことなく、我が家と言わんばかりに先へ進み――千代女は困ったように笑っている――セラたちも後を追っている。
なにしろ、この先に何があるのかも知っているのだ。記憶が正しければ、先にあるのは地下牢。ジャネットにとって有用な人間を飼っておく牢獄だった。しかし……。
「あら……?」
通路を抜けた先、そこでジャネットは驚きに包まれた。完全にかつてとは雰囲気が違う。
まず、牢獄が存在しない。そして、質素ながらも、どことなく気品あふれる通路が広がっていた。
その驚きに気づいた千代女が補足を入れる。
「あぁ、ここにあったって言う地下牢ならよそに移設されたよ。いまやここは、あのお方。頭のために使われてるのさ」
千代女に説明されても、いまだ困惑が抜けないジャネット。だが、そんなこと関係ない。と、言わんばかりに千代女は先導する。
「さぁ、もう少しで目的地さね。ついてきな」
「え、えぇ。そう、ですわね」
いくら困惑していようと、本来の使命を忘れたわけではない。先導に遅れないよう後へ続く。
後へ続きながらも、きょろきょろ、と辺りを見渡して情報収集に余念がない。そして、装飾が魔界のものとは違うことに気づいた。
――これは一体……?
内心、首をかしげるジャネット。そうして彼女らは目的地であろう扉の前へたどり着いた。そして、千代女は目の前の扉を、こんこんこん、と叩いた。
「頭、甲賀衆、千代女です。目的のふたり、連れて参りました」
『……そうですか、入って』
その声が聞こえた瞬間。ジャネットの中で特大の警鐘が鳴らされる。……どこかで聞いた声。あれは、そう――。
ジャネットの頭脳が高速回転する合間も時は進む。ぎぃ、と扉が開かれた。千代女は躊躇なく、中へ進む。
セラもまた、それに続く。相手へ礼を失する訳にはいかないからだ。だが、ジャネットは気づく様子もなく考え込んでいる。
嘆息したセラはジャネットの手を握る。そのまま、手を引いて、ともに部屋へ入る。
突如、思考を中断させられ強制的に中へ入ることになった原因、セラを睨むジャネット。
しかし、セラは関係ない。――あるいは睨まれていることすら気づいてない節で前方。執務机があった場所に佇む――おそらく、直前まで座っていたであろう――人物を注視する。
その人が、とても部屋の主だと思えなかったから、だ。
その人物、桃色の髪を腰まで伸ばし、もともと穏和な方なのだろう。優しげな顔立ちであるが、いまは少し目を細め、こちらを――正確にはジャネットを警戒するように――観察している。
身体つきは全体的に細めでスラリ、として胸はなだらかな曲線を描き、腰もまた当然とばかりに、きゅ、とくびれていた。
そして、それ以上に特徴的で、セラが部屋の主ではないと思えた理由。それは、服装――。
ジャネットはセラが己を無視、いや、睨まれていることに気づかず、前方を見ていることに疑問を覚えた。
それを解消させるため、同じく前方を見て――。
「――なん、で?」
――目を見開き絶句。あり得なかった。見覚えがある。気配が似ている。しかし、あり得ない。
膝丈まである、クラシカルなメイド服に身を包んだ女性。多少、成長しているようには見える。しかし、かの者は定命の者。既に命も滅し、血肉も腐り果ててなければおかしい。なにせ、かつて見たのは五百年前。我が宿敵と対峙した時。
「……お久しぶりですね。鮮血のダンジョンマスター、ジャネット・デイ・シュルツさま」
「――あり、得ない。なんで――」
――生きてますの?
うわ言のようにジャネットの口からこぼれる。
お久しぶり、という言葉で確信した。してしまった。同時にあり得る筈がないのだ。なぜなら、彼女は宿敵。アンネローゼ・フォン・ハミルトンの腹心にして、筆頭メイド。
――空間を、そして時間を操る魔法を扱える人間。ランドティア王国の前身、カルディア王国にてハミルトン公爵家に、そしてアンネローゼ個人に仕えていたメイド。
「……エリス・アルフォード」
既にハミルトン公爵家とともに断絶した筈のアルフォード男爵家。その男爵家令嬢であり、当時ハミルトン公爵家にはメイド長がふたりいる。という噂話の原因ともなった才媛。
エリス・アルフォード男爵令嬢その人だったのだから。