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98.これも忘れがたい思い出のひとつとして

 さっきの話、呑気な弟を見つめる夫の視線が気になっていたら、ライナルトが口にしたのは、昨今帝都グノーディアに入り込みつつある宗教家についてだ。

 

「多少宗教が入り込んだところで問題ないと規制を緩めたが、やはり固く禁ずるべきだったかもしれない」

「マルティナがお祈りをするだけで、そこまでになります?」

「そこまでとは言うが、救いとやらの教えはこちらが思う以上に人心に食い込む。逆を言えば、人を掌握するのにあれほど便利なものもない」


 彼の言葉に、でもさあ、とシスが割り込んだ。


「人間の規律と模範的行動は基とする信仰があってこそのものだ。それがなかったら人間は馬鹿で愚かで欲にまみれるばっかりだぜ」

「民衆の模範となるための規律や道徳は国が担い、導けば良かろう。少なくとも余所から流れてきた教えを入れる必要はない」

「発生させるなら自国ってか? ああ、まあそうだろな。だって宗教が国の根っこに入り込んじまったら、権力が二分されちまうから、好きなように行動できないもんな」

 

 真剣に悩んでいるあたり、この旅が終わったらオルレンドルでの宗教の締め付けが厳しくなるかもしれない。


「どこにいってもお仕事ばっかりですねぇ」

「ほーら嫁さんも呆れてる。ちょっとは遊べよバカ」

「シス、知らなかったの。私、彼のそういうところが好きなんだけど」

「わあお、怖気が走るね!」


 シスはこんな調子で口が悪いけど、彼はかなりこの旅を楽しんでいる。

 普段より二割増しで鼻歌を唄っているし、私たちには事細かに今と昔の違いを教えて楽しませてくれる。私たちが寝ている間に木の実を集め、大量の魚を釣って食料の供給すらしてくれるのだ。素朴な塩焼きを堪能する私たちにシスは満足げで、こちらが嬉しいくらい。

 ルカ曰く「親切の大サービス」らしいけど、彼がこうも楽しませてくれる理由は私にあって、私も旅に出る前に言われている。

「最初で最後の旅を楽しんでおきな」と。

 言われたときは複雑だったけど、でも、当たっている。

 ライナルトの伴侶となった以上、国外に出ることは滅多に許されない。

 機会を得たとしても、ただの私として、気心知れた友人とたき火を囲みながら煙に苦しんで涙し、お風呂に入りたいと嘆き、くだらない笑い話に大口を開ける機会は、もうないだろう。

 自分で選んだ道だから後悔はない、と思いたい。断言できないあたりは悲しいけれど、そこは私とライナルトが築いて行く信頼関係次第だ。

 たぶん、シスはそういった私の背景も含め、この旅への同行を了承してくれた。

 ……得がたい、大事な友人だ。



 翌日になり再び歩きだすと、大森林の奥に進むにつれ道はまともに整備されていった。

 ゆるやかな坂を登ると、段々と風が強くなり髪や服を激しく揺らし、やがて耳は異音を捉える。地の底から響くような深い重低音の正体が、谷間を吹き抜ける風の音だと教えてもらえなかったら恐怖に身をすくめていたかもしれない。

 視界が開けると眼前に現れたのは一本の橋だ。

 はじめそれをみた瞬間はありえない、と思った。

 なぜって、話に聞いていた脆い橋ではなく、しっかりとした頑丈な橋だったせいだ。


「ヴェンデル、念のため聞くけど……」

「僕が聞いてたのは木製の足場が悪い、脆い橋だよ。こんなのは……」

 

 戸惑うのは無理もない。渓谷の向こう岸へ渡るには距離がありすぎる。コンラートの大人達が子供達に話すことを躊躇った理由が一目でわかる程度には危ない長さだし、高さも同様だ。遙か遠くの谷底では激しい水が渦巻いており、仮に落ちても助からない。

 私たちが目撃した橋は鉄や鎖で補強された渡り幅も広い頑丈な橋だけれど、多少なりとも知識があれば違和感に気付けるはず。

 不安になってライナルトを見上げた。


「ライナルト、これ……」


 私の言いたいことは彼も察していたはず。たかが橋かもしれないけど、彼が険しい表情が何を物語っているのか、代弁はルカが果たした。


「大体二百メートルくらいの長さはあるかしら。これだけの橋って、オルレンドルでも作り上げることは不可能よね。ラトリアがこれだけの建築技術を有しているなんて聞いたことないわ」


 そう、そうだ。この橋は異常だ。

 この谷には、少なくとも見える範囲で向こうに渡れるような、地続きの土地がない。そんな中で谷に橋をかけただけでも信じられないのに、さらに安定した橋を作り通すのは、どうやったって難しい。できない……と断言はしないけど、それでも三、四人が並んで歩けるほどの頑強な橋を、たった数年で作り上げるのは無理だ。大体あの長さなら複数地点を橋脚で支えるなり支える必要があるはず。橋は弓なりの構造体でもないし、自重で落下してもおかしくないのだけど、崩れる兆候は見えない。橋を観察していたルカが鼻を鳴らした。


「……あ、そ。そういうこと」

「ルカ?」

「そこのあんぽんたん。アナタ、知ってて黙ってたわね」


 睨んだ先にいるのはシスで、彼はおどけたように肩をすくめる。


「知ってたとは人聞きの悪いな。変な結界が張られてるなぁと思ってただけで、何があるかは僕も調べてなかった。だって自分の目で発見した方が楽しいからね!」

「ルカ、どういうこと?」

「マスターはこぉんな橋の規模のわりに人がいないと思わなかった? ここ、橋を隠すような魔法がかけられてるのよ。ワタシでもなかなか気付けない、巧妙なのが!」


 激怒するルカに、シスはけらけらと笑う。


「そんな怒るなって。きみたちの姿はちゃーんと隠してるし、危ないかどうかの見極めくらいはできるさ」

「じゃあこの結界みたいなのはなんなのよ」

「人除けだろ。誰だって見つかりたくないものは隠すもんさ」

「……橋だけとは思えん。まだ連中が隠したいものがあるはずだな」


 ライナルトは橋に向かって歩き始めてしまうではないか。

 人に見つかる恐れがないとしても、渓谷に渡す橋を物怖じもせず進むのは胆力が違いすぎる。ニーカさんやエミールは面白がってライナルトの後に続けるけれど、私はシスの腕にしがみ付いてやっと渡れる。

 足元は比較的マシだけど、わざと風の通り道になる隙間を作って衝撃を和らげる構造だから、人間は谷を抜ける風をまともに受けることになる。改修以前なら強風の日は渡るのを避けたのだろうけど、下手に頑丈だから歩けてしまうのだ。


「こわいこわいこわい、お願いだからゆっくり進んで……!」

「心配するなよー。落ちてもきみは黎明がいるし、僕だっているじゃんか。大体空を飛んで移動してるのに、いまさらじゃない?」

「そういう問題じゃない……あなたやけに楽しんでるけど、そんなに人が怯える姿が楽しい!?」

「すっっげえ楽しい!」

 

 良い笑顔で肯定しないでほしい。

 ヴェンデルはアヒムやマルティナが支えてくれても、真っ青になって喋る余裕もないくらいだ。エミール達が無邪気に渓谷を見下ろしているのが信じられない……!

 ライナルトとルカは先が気になるのか、どんどん行ってしまう。私たちがやっと半分進んだ頃に彼らは橋を渡り終えており、茂みの向こうに消えてしまった。

 残ったニーカさん曰く「偵察に行く」と消えてしまったらしく、アヒムが渋い顔になる。


「皇帝陛下自ら偵察に行くって、なあ、おい、あんたも止めろよ」

「無理だ」


 彼女ははなから諦めている様子で、ルカがいるから大丈夫、と楽観的に付け加えた。


「なにせだな、今回はカレン嬢との新婚旅行に加え、この隠された橋だ。面白いことが起こり通しで、私に止められるはずがない」

「流石にご学友は詳しいね」

「他にも言わせてもらうなら、きっとライナルトなりの考えがあってのことだろうから、こんな時は任せた方が良い。それにこんなとこでまでお守りをしたくない」

「それ後半が本音だよなぁ?」


 ルカがいるなら危険はないだろうけど、心配だからと追いかける気力はない。なぜなら吹きすさぶ風に晒された身体は冷え切って、渓谷を渡るだけでも精も根も尽き果てていたからだ。ヴェンデルもしおれて地面に座り込み、動けないようだった。


「僕……帰りもここを通るのは、断固、拒否する……」

「俺はもう一回渡りたいけどなぁ。思ったより揺れなかったし、楽しかったし! 姉さんも、次は俺が支えるから大丈夫ですよ!」

「……ありがとうね、エミール。でも姉さんは、できたらちゃんと橋脚がある橋を渡りたいな……」


 ……私の弟はこんな時も元気で何よりである。

 思いがけない難所に体力を持って行かれてしまったが、生憎まだお昼にすらなっていない。小休止を挟んだだけで、ライナルト達の後を追いかけた。

 道はやはり整備されており、木の根や石ころに足を取られることもない。これだけ開けた道なのに誰ともすれ違わないのは不気味ささえ感じるけれど、降り注ぐ太陽の光が気分を明るくしてくれる。

 ライナルト達はどこまで進んだのか心配だったけれど、彼らは道なりの切り株に腰を掛けて私たちを待っていた。こちらの姿を認めるなり立ち上がり、傾斜になっている坂の方に顔を向けた。


「面白いものを見つけた」




前回のあとがきで書き忘れたのですが、アヒム、マルティナは質問に対し嘘をつきました。

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