97.それぞれの別れ
コンラートを発つ前に、私達にはもうひとつやることがある。
過去の記憶は頼りないし、景色が変わっていたから見つけるのに苦労したけど、ヴェンデルの手助けもあって見つけられた。
少し背の高い草むらだ。
「ここだよ、間違いない」
私達が振り返った相手はマルティナで、彼女は苦しそうに心臓のあたりを押さえている。
「ここ、なのですね」
コンラートの襲撃時、隠し通路から逃げた私とヴェンデルが二人の追っ手に襲われ、エレナさん達に助けてもらった場所。即ちマルティナの両親が最期を迎えた場所だ。
もし望むのであればと確認したら、ここに来たいと彼女は望んだ。
そこに何かがあるわけでもない。
静かな夜の中に草むらが広がるばかりだけれど、マルティナにとっては違う。肩から力が抜け落ち、寂しそうに辺りを見回して、微かに吐息を吐きだす。
「この景色が、二人が最期に見たものなのですね」
マルティナの両親である傭兵たちは斃れねばならなかった相手だ。その死について私は何かを言える立場にはないけれど、娘であるマルティナは違う。彼女が残されたのは思い出と報酬に、一握り分の遺灰だけだ。
彼女は両親が倒れた場所で片膝をつくと、両手を組み合わせて祈りの言葉を捧げた。腰のポーチから取り出したのは一枚の硬貨と乾燥した花の花弁。それをあたりにばら撒くと、ちょうど吹いた風に乗って花びらは夜の闇に舞い溶ける。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
目元を拭うと、ニーカさんが彼女の肩を抱き叩く。アヒムやシスも同じように労いをおくると、私たちはコンラートの裏にある森を目指した。
エミールが気になったのはマルティナの祈りの言葉だ。聞いたことのない言葉に質問を投げると、すっかり元通りになった彼女が教えてくれる。
「死者に捧げる古い祈りです。亡き後も安らかに過ごせるように硬貨と花びらを贈るんです」
「花びらはまだわかるけど、硬貨も?」
「硬貨は死の国でも衣食住に困らぬように。花は光となって降り注ぎ、死の国への道行きを照らすと信じられます」
「へー……本にも載ってなかったな」
「前帝陛下が禁じられていた宗教が絡みますから、検閲されていたのでしょう。ですがこれから知ることができますよ」
コンラートを離れてから、私たちは森に入った。
それもただの森じゃない。コンラート領から入ることのできる、いまはもう使われなくなった大森林だ。
本来であれば黎明の背に乗って向かうところだけど、少し森を進みたいとライナルトが提案したのだ。アヒムは良い顔をしなかったけれど、気になることもあったらしいニーカさん、懐かしさを覚えたヴェンデル、森の野営をもっと楽しみたいシスとエミールが賛成を示したので徒歩の移動になった。
案内にはヴェンデルとシスが役立って、特にシスが大森林について話してくれた。彼が封じられる前は大森林の中に街道が作られており、実際に使用していたからだ。
昔はこの大森林の街道こそが、国と国を繋ぐ往路だったのは私も聞いている。その頃の話を彼が教えてくれる。
「もう少し進んだら険しい谷があって、橋を経由しないと両国を行き来できなかった。コンラートにとって監視しやすくていい場所だったんだよね」
昔は橋に行くまでの道はもっと開かれており、その近くには監視所や砦も設けられていたとかで、コンラート辺境領主はもっと重大な役割を担っていたそうだ。
「ただ、それってラトリア側に取っちゃイマイチなんだよな。周りの森も深すぎるし、野生動物も多い。ラトリア側からファルクラムに行く方の道は整備が行き届いてなくて道が悪い。冬なんて特に迷いやすいから、一歩踏み間違えたら即遭難だ」
「使い勝手が悪いのね」
「そうそう。そこで頑張ったのが、いまや主街道になった新街道だ。あの辺を頑張って整備した結果、安全に両国間を行き来できるようになった」
コンラートが長閑な田舎に変貌した詳細な経緯らしい。
歴史の授業にエミールは興味津々で、ヴェンデルは橋の話を聞いて何かを思いだしたようだ。
「そういえば谷にかけられた橋ってどうなったんだろ」
「ラトリアが使ってると思うけど、ヴェンデルは見たことないの?」
「ないよ。奥地にあるのは知ってるけど、大人は具体的な場所を言いたがらなかったし、子供は絶対ダメだって言ってた」
「なんで?」
「人が通らなくなったから手入れがあんまりされてないし、谷間の風が強いせいで、風が穏やかな時にしか渡れないからだって」
子供達に知られたら肝試しで行きかねないからといった理由もあったらしい。
……たしかにコンラート時代のヴェンデルだったら行ってしまいそうな気がする。
「カレン、いま失礼なこと考えてなかった?」
「考えてた。あなた森に秘密基地とか作ってたし、誘われたら行くでしょ?」
「うん」
「大人の見立ては大正解ね」
コンラート領で思い返したいのが、ファルクラム領から届けられた目撃情報だ。私はコンラート領に軍人がもっといるかと考えていたけど、その実、人数をほとんど見なかった。
新たに砦や検問所が設けられた話も聞かないのに、彼らはどこからやってきたのか。
その疑問の答えは、途中からの違和感によって導き出せそうだ。
森の中に作られた道に、ニーカさんが口角をつり上げた。
「道が整備されていますね」
大森林には地元民が使っていた獣道から侵入したのだけど、途中から道幅の広い、綺麗に手入れされた道に入った。ヴェンデルが辺りを見回し、ライナルトの足を止める。
「ここ、コンラートの猟師小屋から繋がってる細道だ。僕も使ってたけど、あの時より広くなってる」
「間違いないか?」
「ないない。絶対間違えない。ちょっとわかりにくいけど、あそこの木に登ってたし、裏にはヌマスグリがあったからよく食べてた」
ルカが指差された木の裏手を調べると、美味しそうな紫色のヌマスグリを摘んできた。
実を食むヴェンデルは目を輝かせる。
「懐かしいな。こっそり肥料をあげて育ててたんだよね」
「ワタシが見た感じ、すごい範囲で生い茂ってたわ。誰にも気付かれずに繁殖していったのかもね。ジャムにしたら美味しそうだけど、時間がないか」
ヴェンデルは喜んでいるけれど、無邪気に笑っていられないのは大人組だ。直近で人の手が入った道があるとわかるとより慎重に行動するようになるも、橋までは存外遠く、陽が高いうちに野営地を決めた。
徒歩の旅を初めて知ったのだけど、野宿は夕方になってからではなく、それよりも前に場所を見繕って休むらしい。
野営に適した場所はヴェンデルの助言を元にシスが見つけ出し、ここに目隠しの魔法を施した。
マルティナとルカがエミール達を連れてたき火に使う枝を拾いに行くと、残った者達で意見を交わし合う。
ニーカさんは足跡を見つけた、と言った。
「通ったのは数日前。複数の大人、すべて同じ靴跡だったから、間違いなく大勢が頻繁にこの道を利用している。アヒム、ラトリアは新街道を使って演習らしいことをしていたそうだが……」
「そりゃ間違いないが、あっちのはあんたらも知っての通り恒例行事だよ。ただ、まぁ通年よりは引き上げるのが早かったとは聞いたけどな」
シスはいつの間にか林檎を片手に持っている。
「なあライナルト、この付近で目撃されていた連中はどこに隠れたと思う」
「さて、まだなにも見つけていないのに答えを出すのは早計だ」
「この先にあると思うか?」
訝しむニーカさんの言葉に、ライナルトが頷く。
「もはやこの道は旧街道ではなく、全盛期と同じ役割を持っているのかもしれん」
「じゃ、これから先が楽しみだなぁ!」
シスの物言いは、この先で目撃するものを見透かしていそうだ。
事実彼は広い索敵能力を有しているし、知りながらあえて黙っているのかもしれない。黙っているのは意地悪だけど、彼の目的は単に私たちとの旅を楽しむだけで、オルレンドルを助ける理由はない。
そして残念なことに、シスはライナルトを揶揄う気分に入ってしまった、このままだと場の空気が悪くなるので、薪集め組が戻ってくる前に、私は話題を切り替える。
「ねえライナルト。お祈りの話に思うところがありました?」