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96.大きかったはずのベッド

 そこは思ったよりだいぶ寂しい光景だった。

 記憶に焼き付いていた景色は時間の流れと共に、さらに荒廃していた。

 建物は手入れが行き届かず、最低限の修復だけが行われているけれど、つる草に覆われ、かつての壮麗さをただひたすらに訴えている。

 荒れ果てた前庭はあちこちが野草に乱され、エマ先生が丹精込めて育てていた草花は枯れ……復興は進んでいるはずなのに、前より荒廃が進んだと感じるのは気のせいだろうか。

 玄関の鍵は開けっ放し。以前は壁や床に血の染みが残っていたけれど、それらは面影もなく、内装は作り替えられている。

 内部は人が寝泊まりした形跡も残っていたけれど、幽霊騒動のせいか誰もいない。

 伯の自室、書斎の本棚はからっぽ。

 残されていたのは傷のない机や椅子で、かつてその席に座っていた人が呼び起こされるけれど、名前を呼んでも返事はない。

 ヴェンデルは誰もいない家族の部屋から丁寧に巡っていった。屋敷を終える頃には肩を落とし気味で、向かったのはエマ先生と暮らしていた小さな家。こちらは金目の物はなかったためか、さほど荒らされず以前の形を保っている。かつての家の寝台に寝そべりながら、昔は大きかったはずの部屋の小ささを実感し、最後に向かったのが墓だ。

 領主一家とコンラート領民が眠るお墓は坂を下りた外れにある。

 使用人のヒル達に移してもらった伯達やベン老人の墓石は苔に覆われていたせいで汚れている。私やヴェンデルは手入れを行い、摘んできた花を墓石に供える。

 夕方になって領内から人がいなくなると、私はヴェンデルと散策に出て、私たちに気を遣って姿を消したルカが付き添った。

 二人、ゆったりした足取りで屋敷から出たとき、空は橙色から藍色に染まる手前だ。

 雲は金や桃に混じった色合いに染まっている。ヴェンデルは思ったより平然としているけれど、何を考えているかはわからない。

 話しかけたのは私からだったはずだ。


「ほんとに何もなかったでしょ」

「でも家具とかは残ってたね」

「そっちは活用できるって思ったのかも。なにか気になるものはあった?」

「気になるっていうか、地下の抜け道あったじゃん。あれを元通りにして隠してたのは笑った」

「ああ、それ。私も知ったときはおかしかった。たぶん、次に活用するんでしょうね」

「人ん家で好き勝手してくれるよねー……まあ、もう僕ん家じゃないけど」

「いいじゃない。いずれ取り戻してもらえるのだから」


 町並みは建物を除き、植わっていた植物もほぼすべてが入れ替わっている。あの時の火事と毒性の強い煙で軒並み駄目になったそうだから植え替えたそうだ。

 どこか懐かしい、知っているようで知らない町を歩き回っている気分。ヴェンデルはそんな故郷を眺め、私に聞いた。


「陛下は本当にコンラートを取り戻してくれるのかな」


 静かな、まるで溶けて消えてしまいそうな声だったのは、不安だったせいだろうか。ヴェンデルが抱く、未来への漠然とした恐怖に私は力強く言った。

 

「取り戻してくれる。だってライナルトは十年以内にって約束したもの」

「僕はそこ、いまいち信用しきれないんだけど」

「あ、ひどい。いつもコンラートに帰ったらって前提の話をするくせに」

「そりゃあ僕が帰れるって信じなかったら駄目だからさ。でもそうじゃなくて、カレンの場合は、例えば約束の期限が過ぎたとしても、へーかを許しちゃいそうってところが不安」

「…………んー」

「ほら、否定できない」


 悲しいかな、そこは否定しきれない。だけど彼がコンラートを取り戻してくれる点においてだけは間違いないのだと言えば、ヴェンデルは困ったように腕を組む。


「そこまで言うなら、僕は取り戻してからのことだけを考えるけどさぁ……」

「ヴェンデルはライナルトが行動に移せなかった場合のこととか考えてるんだ」

「そりゃあ、義理とはいえ皇帝陛下の息子だし、色々勉強させられるからさ……世の中、言うだけでなにもかも上手くいくとは限らないし」

「大人になっちゃったのねぇ」

「なに、その台詞」


 場所のせいか、ただ喋っているだけなのに、お互いなにも知らなかった頃を思い出す。


「ヴェンデル、宮廷で何か言われたりしてない?」

「何かってなに?」

「いま自分で言ってたじゃない。ライナルトの義息子だし、コンラートの時と違って色々な人に会う機会が増えて……」

「悪口?」

「……はい」

「言われるよ。たぶん、カレンの想像の倍は僕の耳に入ってる」


 思ったよりあっさりとした返事だ。ヴェンデルはとある家に近づくと勝手に玄関を開き、中を検め――やっぱり、といった風な顔で扉を閉じる。

 その家は私も知っているし、何度も尋ねたことがあった。

 私の侍女だったニコの実家だ。ここの家は火災を免れ、多少の修復だけで済んだらしいけど、本来ここに住んでいたはずの人達はもういない。

 ひととおり巡っていると、空の朱は段々と藍に染まってしまう。夜の帳が落ちはじめると、私たちの前に小さな灯りが浮かんだ。

 ――転ばないでね。

 声なきルカの心遣いに礼を告げると、ヴェンデルが話を続ける。


「悪口が堪えないっていったら嘘になるけど、でも仕方ないとも思うよ。だって地方領主の血の繋がってない息子が皇帝陛下の義理の息子だし、野良犬って言いたくもなるかもしれない」

「……それ、実際に言われたの?」

「すごいよね、父さんと血が繋がってないとか殆ど忘れてたし、誰にも言ってないのに、調べ上げるのが趣味の人とかいるみたい」


 周りを見渡して、なにもないことを寂しそうに笑う。

 私は少し考え……尋ねた。


「助けはいる?」

「本当に辛いときは言うよ。いまは僕の置かれた状況を覚えててくれるだけでいい」

「わかった。我慢しすぎないでね」

「シスやエミール達は知ってるから、僕が拙そうなときは話してって言ってある」


 達、となればお隣のレオやヴィリに、宰相リヒャルトのご子息レーヴェかな。いまは黙っておくより一応話しておこうといった雰囲気を感じられる。放っておいてほしい様子だったから、下手に騒ぎ立て信頼を失う真似はしないほうが良い。

 ヴェンデルはさっきから暗がりばかりに目を向けている。


「何か見つかった?」

「見つからない。本当に皆の幽霊がいるなら出てきてほしいんだけど、全然だ。カレンは何か見えた?」

「それがなんにも見えないのよね」

「よく考えたらカレンって怖がりなのにコンラートの幽霊は平気なんだ」

「だって伯達が私たちに悪さすると思う?」


 ラトリア人は本当に日中しか領内にいなかったので、もしかしたらと期待したのだ。なのに私たちには何も聞こえない。泣き声も、悲鳴も、恨めしそうな人々もなにも出てこない。領内はひたすら静寂に包まれているから優しさを感じるほどで、寂しささえ感じている。

 ヴェンデルが私の誘いに乗ったのは同じ目的だったからで、だからこそ残念そうだ。


「僕に会いに来てくれたっていいじゃん」


 拗ねたように呟くも、私たちは幽霊には出会えなかった。

 戻ってからアヒムやマルティナにもなにか見なかったか尋ねたけど、やっぱり何も起こらなかったみたい。夜はそれぞれ思い出の部屋で休もうということで、私はライナルトとかつての自室へ。ヴェンデルはエミールとシスを伴い、エマ先生と過ごしていた我が家へ行った。

 こうして翌日はゆっくり出立するつもりだったのだけど、夜が明ける前に事情が変わった。

 マルティナに起こされた私たちが階下に降りたとき、険しい表情のアヒムの横にはラトリア人の頭領がいる。

 ひとりでやってきたのか灯りも持っておらず、何事かと驚いていると、アヒムがすぐにコンラートを発つと告げた。


「軍人共がおれ達に難癖つけて拘留するつもりのようです」


 目的はお金らしい。

 頭領が辟易した様子で言った。


「あいつらは最近こっちに来たばっかりなんだ。こんな僻地に来たからにゃろくな連中じゃないと思ってたら、まあ案の定さ。被害に遭う前にとっとと逃げな」


 この人は私たちを逃がすためにわざわざ来てくれたらしい。

 早々に支度を済ませると、ニーカさんに呼び戻されたヴェンデル達と合流し、頭領の案内でこっそり門を抜ける。他にも協力者がいたようで、どうやら罠でもなんでもなく、本当に逃がしてくれる様子だった。


「あんたら、仲間を裏切って大丈夫か?」

「心配いらねえよ。金を受け取ったら、その分きっちり仕事をするだけだ」


 別れ際、頭領は力こぶを作る。


「大工は軍人上がりばっかりだ。一応は従ってやってるが、僻地に飛ばされた三流軍人にやれるもんならやってみろって話さ」


 力強く笑うと、私たちにはさっさと行けと動物を追い払うように手首を動かした。


「もう行きな。次に里帰りするんなら、もちっとみすぼらしい格好で来てくれや」


 ……と、言われてしまった。

 この頭領は誤ることなく私たちを認識している。


「おっさん、あんた」

「おめえみたいな同胞を連れてるのは驚いたが、貴族みてえなお上品な連中が墓掃除なんてしてたら想像くらいつくに決まってら」

「……あいつらは気付いてるかい?」

「わしも頭は良くねえが、輪を掛けた馬鹿にゃ想像力なんてねえよ。それになんでか、みぃんなあんたたちの外見には注意すら払ってなかったからな」


 意味深に私の方を見るのは、どの時点で気付いていたのだろうか。それに、と頭領は最後に気になることを言った。


「今夜はわしひとりで中に入っても、なんにも起こらんかった。あんた達に知らせにいくからだったかもしれん」


 駆け出した私たちは、少し離れたところでシスに私たちの姿を隠してもらったところで、名残惜しげにコンラートの方を見つめていたヴェンデルが呟く。


「僕、本当はラトリアにいるラトリア人って嫌いだったんだけど、こういうの困るよね」


 本当は、というあたり、私たちの面子の中にラトリアの血を汲む人がいるから黙っていたのかもしれない。

 嫌いになりきれないから、と心の声が聞こえてきそうで、そんなヴェンデルの髪をアヒムが乱雑にかき回した。


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