94.たき火を囲みながら
しかし空を飛んでいるといっても、簡単にコンラートへ到着できるわけではない。
足が竜だからといっても、黎明が飛ぶための魔力の仲介を行うのは私の身体。ほどほどの速度で移動し、朝になる前に地上に降りると、私と黎明はいったん休息。皆も思い思いに過ごし、ぐっすり眠って休息を取ったら、再び出立。昼夜が逆転してしまうけど、これが一番早い日程になる。
これまでの旅行は必ず身の回りを手伝ってくれる人がいて物も豊富だったけど、少人数の旅は初めてだ。それでも魔法の補助があるから火熾しに虫除け、寝るときの気温調節など楽をさせてもらっている。
アヒムとシス、ルカはこの間まで他国を巡っていた。
こういった旅程は手慣れたもので、様々な準備も整えてしまうけど、アヒム曰く、これまでの中でもっとも苦労のない旅らしい。
だからもう少し苦労があっても構わない。
私とエミールは同じ考えだったようで旅人らしい旅をしてみたいと言ってみたら、ルカに体を壊すからだめ、と叱られてしまった。一方でヴェンデルは旅行したいと言ったわりに苦労は嫌いなようで、快適な旅路を楽しんでいる。
朝、眠る前に炭の上に小さなやかんを置き、木の枝で火の調節を行いながらヴェンデルが私たち姉弟の要望に呆れた。
「大体さぁ、寝床は固くて寝にくいし、たき火の臭いは服に移るし、ご飯は限られるし、カレンとエミールはそういうのやったことないだろ。進んで不自由したい気持ちがわからないね」
「不自由とはちょっと違うわ、何事も体験って言うじゃない」
「姉さんの言うとおりだ。ちょっと自分が自然とふれ合って育ってきたからって、知ったかぶりはどうかと思うぞ」
「ほんとのことだから知ったかぶりじゃないんだけど。だいたい僕だって地面が固い野宿は苦手だよ」
ヴェンデルは伯とエマ先生が自由に遊ばせていたので、虫には慣れっこ。おまけにコンラート時代は水汲みが大変な関係上、毎日お風呂に入る習慣がなかったのも助けになっている。
現代日本ほど湿度が高くないから平気と言えば平気なのだけど、お風呂や虫に慣れなきゃいけないのは私とエミールなのかもしれない。
私は隣に座るライナルトに尋ねた。
「あなたは? 野宿とかはやっぱり軍学校の訓練で?」
「そうだな。ほとんどは野営訓練で教えられた」
「持参道具も、あなたとニーカさんは同じですものね……そっかぁ。じゃあ、軍学校を経験した人ってみんな野営が上手なのね」
「私は不得手ですよ」
否定したのはニーカさんだ。
「たしかに訓練を行うし経験もしますが、得意かと言われたら違いますね。特にライナルトなんて、元々どこでも寝れるし、蠅入りスープすら平気ですから……」
「食べるものがないときだけだ。好んでは食さない」
ライナルトが否定した虫入りスープの話にはヴェンデルも引き気味だ。
軍時代の話って人を殺傷するあれこれが関わるからあまり聞かないのだけど、時折聞く話は興味深いものが多い。
ただ気になったのは、ニーカさんが自身を野宿が得意ではないと言いたげな部分だった。
「でもニーカさんもすごく慣れてるような……」
「私は……」
ここで彼女は、なぜかとても遠い目をした。
「……初めての野営訓練が散々だったので、それよりは全部マシだと思っているだけです」
……シスが「あれかー」といった顔をしている。
エミールの疑問はマルティナにも向かった。
「俺としてはマルティナが野宿になれてるのが意外だったなぁ」
なんと彼女は軽々と登った木の上に腰を掛け休んでいる。片足を垂らしながら木の実を摘まむ姿が様になっていた。
伊達眼鏡を外し、首元を覆う長いマフラー姿はいかにも旅慣れている。旅立ちに際し携帯してきた旅装はすべて自前のもので、そのどれもが実用品だ。中にはアヒムも唸るほどの便利道具も所持し、談義していた記憶は新しい。
マルティナはエミールの疑問に微笑んだ。
「十代の頃は両親に会うために遠方に赴いたこともあったのです。ですから、どうしても野宿に慣れる必要があったのですよ」
「じゃあ、木に登るのは?」
「習慣です。ひとり旅もそうですが、傭兵は見張りを立てねばならないときもある。両親のもとへ赴けば、身軽なわたくしが高台や木に登らされる機会が多かったのです」
「……見張りって、マルティナの両親が傭兵であって、マルティナは違うんじゃないの?」
「もちろんそうですよ。ですが仕事柄とお国柄といったところですね」
マルティナのいまは亡き両親は傭兵だった。かつてコンラートを襲撃した一味にいたけれど、彼女の両親にまつわる話はみな承知している。
不思議そうなエミールに、彼女は家庭教師だった頃の貌を覗かせ語った。
「いつか貴方たちにラトリアは農耕に向いていない土地が多く、食料に乏しいというのは教えたとおりですが、子供を遊ばせておくのは十と少しまでなのです」
「……それ以降は?」
「早いうちに親の仕事を学ばせるか、国の合同訓練に通わせます。国を抜けても幼い頃からたたき込まれていれば、大人になってもそういう気質は継ぎやすいのでしょう。そういう意味で、わたくしは身内扱いだったのでしょうね」
学校のような教育機関も存在するが、その門下となるのはごく一部の優れた人のみ。勉学より力を尊ぶ気質なので、とにかく強さを求められるのがラトリアという国だ。
マルティナの話を聞いていたニーカさんが「あー」と空を仰ぐ。
「そういえばうちの爺さまもその気質が強かったかも。子供相手でも仕事は絶対手伝わせてたし、サボった日には怒り狂ってぶん投げられた」
「……こわ」
ぼそ、と呟くアヒムの手には温めた蒸留酒がある。ニーカさんも同じものを傾けながら、あっけらかんとお爺さんを庇った。
「や、投げた先は乾草の塊だったから、怪我はなかった。怒っててもその辺はさじ加減が上手だったよ」
「ラトリア人ってそういうとこあるよな。おれの母親は、ラトリアと同じ感覚で俺を働かせようとしてアレクシス様に止められてた」
「父さんが?」
意外な過去が判明。私とエミールが興味を示すと教えてくれた。
「おれとしてはアルノー様の乳兄弟だから働くのは当然……って感じでしたけど、母に任せてたら、もっと締め付けが厳しかったっつうか」
ラトリアの話題に、ルカがアヒムをつつく。
「ねえねえアヒム、それってマスターがラトリア生まれだったら生きていけなかったって感じかしら」
「ありえるかもなぁ。噂じゃ体の弱い子供は、親が命を奪っちまうって聞くし……」
恐ろしい質問に、あっさり頷いてしまうアヒム。
私は恐怖半分、興味半分でシスに尋ねていた。
「シスは、どう? そういうの聞いたことある?」
「ラトリアじゃ親が子供を殺すって話かい? ……ありえるんじゃないかな」
認めないでほしい。ただ彼はこれを昔の話、と前置きした。
「子供の頃から合同訓練ってやつ、いまはどうか知らないけどさ、体の弱い子供はそこでふるいにかけれられて命を落とすんだよ」
その訓練は大変険しく、そして苦しい。
強さを尊ぶがために丸裸で森へ放り出し、生還者のみを迎える時期すらあったという。
「ラトリアは強者が絶対って国だし、苦しませるくらいならって親が子を手に掛けるわけ。でも大概は養子に出してたみたいだけど」
「あ、全部が全部じゃないんだ」
「耐えられない親もいたんだろ。非合法だけど国が目を瞑ってる事業があるんだよ。あと訓練に出さずとも家業を手伝わせるって抜け道もあるしさ」
とても信じられない話だけれど、言われてしまえばどこか納得できる話だ。ニーカさんを筆頭としてアヒム、マルティナと私の周りのラトリアの血に与する人はいずれも身体能力がずば抜けている。強者のみを選りすぐった行いの結果だとしたら、ラトリア軍は如何ほどの強さを誇っているのだろう。そしてこの程度は私でも思いつくのだから、ライナルトだってもちろんそのくら……い……。
「……どうした?」
おもむろに夫を見つめる私の髪のほつれを直すライナルト。
「もしかしてヤロスラフ王が信用ならないとか、思い通りになるのが嫌とか、相手の意表を突きたい以外に、ラトリアの国力を直に見たいという魂胆ですか」
「そうだが」
「私との旅行は?」
「当然それもある」
いま気付いたか? みたいな顔!
ええ、ええ、気付きませんでしたよ! だってヤロスラフ王が気に食わないと感じていたのは知ってたけど、旅行に行けると思って、そればかり考えて準備していたのだもの!!
「そいつに繊細な気配りがあるわけないじゃん」
「シス、うるさい!」
「裏がないわけないでしょ」
「アヒムも!」
普段だったら絶対気付ける自信があるのに、よっぽど私は浮かれていたのだ。
シスに揶揄われるのが悔しくて話題を切り替えた。
「マリー達はいつごろファルクラムに到着しそうか、ルカはわからない?」
「サミュエルだけならともかく、マリーがいるし、急いでもワタシ達の旅行中じゃないかしら」
「途中までならマリー達も送ったのにね」
空を飛んで行くといったら乗り気になったけど、あまり荷物を持っていけないと告げた途端に馬車で行くと断られたのだ。
マリーとサミュエルは、お茶会で呼びだした話が関連している。
現在ラトリアがファルクラム領にも視認できる形で、ちらほら兵を派兵しているのは知っての通りだ。
オルレンドルは事実確認を行ったライナルトの命によって、既に派兵準備を終えている。
号令一つで軍を派遣できるようになっているけれど、機を誤って、ラトリア戦を仕掛けたとみなされるのは避けたいのだ。それに現実問題として、日数が長引けば費用もかさむ。ファルクラム領にも負担をかけることになるだろうし、長引いたら印象の悪化を辿る悪循環に陥るから、まだ決定はくだせない。
だけど、これに不安を覚えるのはファルクラム領側。
姉さんの護衛にはいくらか人を送ったけど、これだけで安心してもらえるとは限らない。
いったん信頼できる人に話をしてもらった方が良い……とのことで、いとこのマリーに白羽の矢が立った。私は父さんを送るかも考えたけど、父さんはいまや政に必要な人物。グノーディアを離れさせてはならないとライナルトに反対され、代わりにいとこのマリーに、キルステンの名代として向かってもらうことになった。
マリーはファルクラム領に戻りたくないはずだ。この話を断ってくれてもよかったのだけど、考えた末に了承してくれたのだった。