92.王様達の悪巧み
星の使いにも礼を尽くす相手があると知れたのは幸いだけれど、オルレンドルに与するつもりがないのは変わらないらしい。ライナルトの問いにこう答えた。
「お二方が離せない関係とは真のご様子。ならば拒絶するのは無意味であろう」
「二言はないな?」
「嘘は申しませぬ。黎明殿のラトリア入りは此方の名にかけて認めよう」
「ならば良い。では、疾くお前の主人に我が意を伝えに戻るが良い」
「御意」
「それと、お前の王には、次はもう少しマシな者を寄越せと言っておけ」
最後にチクッと刺しておくのは忘れない。
瞬きの一瞬で姿を消した星の使いの後に残されたのは、喧嘩腰のラトリアに対する非難だ。とりわけうちの外交官は悪口こそ言いはしないけれど、苦々しい表情は隠せない。
そして宰相リヒャルトの苦言はライナルトに向いた。
「陛下。陛下にお考えがあるのは存じておりますが、陛下自ら国を離れる件にしても、あまつさえカレン様を連れてお行きになるなど、軽くお決めになりすぎではございませぬか」
「かといって、精霊をあれらに譲るわけにも行かん。竜が敵になったが最後、空からの対抗手段など、オルレンドルは完璧とは言い難い」
ひどく楽しそうに笑うせいか、打つ手なし、とリヒャルトに救いを求められたけれど、私はゆっくり首を振る。
「いまに始まったことではありません。それと陛下、黎明には下がってもらってもよろしいですか」
「構わん。ただ、竜への対抗手段は急がせたいから、また軍部から人を送る。それを寝かせないでもらえるか」
消える前に、神妙に眉を寄せた黎明がライナルトに進言した。
「その話の前に、陛下には確認をしたく存じます」
「許す。言ってみろ」
「わたくしは争いを好みません。オルレンドルの民が傷つくことや皇后陛下の心を乱すのは本位ではありませんから、守る術をお伝えしております。ですがどうか、みだりに精霊達の命を奪わないと約束してもらえないでしょうか」
「それこそ心外だな。私は守る術を学ばせるだけで、むやみやたらと戦を仕掛けるつもりはない」
二人はしばらく見つめ合うと、黎明が頭を垂れる。
「そのお言葉を信じたいと存じます。では、後ほど……」
本来、ライナルトに従う必要のない彼女が彼の判断を仰いでいたのは一堂に会した臣下のためだろう。簡単に出たり消えたりする精霊は、これだけでも人智を超えた神秘の存在だ。ほとんどであれば敵対となった時点で意気が削がれてしまうも、彼女の存在は心の支えになる。黎明は人の心の機微を掴みあげ、行動してみせることで私たちは助けられたのだ。
ライナルトが席を立つと、皇帝の挙動に場内の視線が集中した。
「諸侯には改めて触れを出すが、不安に感じる必要はない。我がオルレンドルは現時点においても知識・技術共に他国を凌駕する国である。たとえ精霊に国家を脅かされようとも、脅威を退けるための覚悟と力が備わっている」
知識、と発する際に私の方を見て強調するのを忘れない演技派だ。
「私は民を庇護する者であり、オルレンドルの威光は何一つ揺るがぬことを約束しよう。ゆえに諸侯には、その実力を存分に発揮してもらいたい」
一同を見渡し、各々の覚悟を見て取ると号令を下した。
「ラトリアは精霊が味方に加わったと浮かれているだろう。連中には、新たな土地を狙うばかりが己だけではないと思い知らせてやるが良い。オルレンドルの発展のため、諸侯らの働きを期待する」
……さりげなく隙があれば土地を取るつもりか。
ざわついていた場がすっかり落ち着き、諸侯の覚悟を取り戻したところでライナルトは今後について軽く触れを出し、場は解散となる。
彼が私に手を差し出し、謁見の間を後ろに行くのは散策だ。
「いつもでしたらお仕事に直行なのに、お誘いになってくれるのは珍しいですね」
「新しい衣に浮かれる妻の心を察するくらいにはできるようになったのでな。それを捨て置くほど無粋ではない」
「あら」
「よく似合っている。誰に作らせた?」
「いとこのマリーが紹介してくれた針子です。あまり有名ではないらしいですけれど、良い腕を持っていました」
いつもドレスを仕立ててくれる人が決まっているし、と趣向を変えてみた結果だ。出番がたったの数十分ですぐ脱いでしまうのはもったいなあと思っていたから、散策の申し出が嬉しい。
お洒落に関して、オルレンドルは新しい流行をどんどん受け入れる気質が育っている。だから舞踏会やお茶会なんかは様々な意匠が出てくるし、私もいくつも着させてもらっているけれど、他国からの客人を迎えるときは、以前から好まれているオルレンドルの着こなし方を変えていない。つまりスカートの後部を膨らませる形のそれだけど、古くさくならないように素材や光沢感の持たせ方は工夫されている。
場所的に派手な柄は避けられているけれど、レース素材を使って透け感を持たせたことで地味にはなりすぎない、ちょうど良い案配だった。繻子によって真珠が縫い込まれた揃いの首飾り、腕飾り、靴に目を輝かせた記憶は新しい。
ライナルトとは揃いの指輪を嵌めており、金の土台に金剛石がきらりと光った。
つい顔を綻ばせていると、柔らかく微笑む水色の瞳と目が合い、いっそう楽しくなってきてしまう。こうして練り歩く間に、ライナルトは宮廷の隅々に目を飛ばす。
「どうしてヨーの土地をくれるという誘いを断ったのですか?」
「ふむ、そこからか?」
「聞いて欲しそうにされてました」
今日、ライナルトの気分を引き当てたのは正門側だった。宮廷においては正面玄関とも言える場所だけれど、それゆえに意外と私たちが利用する機会は滅多にない。人がいるだろうけど近衛が離してくれるし、盗み聞きの心配もなかった。ライナルトも気にせず続ける。
「貴方も知っての通りだ。他人から譲ってもらってもまったく嬉しくないし、どうせヨーも同じだろう」
「同じって?」
「共に手を組み、オルレンドルを攻めないかとでも言われているはずだ。あれほど信頼できぬ言葉もない」
「もしヨーがオルレンドルのものになった場合は、土地をくれてやったのだからファルクラムを寄越せ、くらい言いそうですね」
「私が甘言に乗った場合、ヨーの侵略の手伝いを理由に、どちらにせよファルクラム領をかすめ取りに来るだろうな。あるいは背中から私を刺しに来るかもしれん」
「あなたならそうしますものね。正直に味方する理由がありませんもの」
ライナルトは構わず人通りの多い場所に出るから衆目を集める。
皇帝陛下は基本的に宮廷の奥にいるから、お目にかかる機会が滅多にないために、感嘆の声があちこちから上がっている。
そんな彼らの姿を目の当たりにしてはじめて実感できる。
帝都市民にとって、皇帝陛下の存在はかなり大きいのだと。
「カレン。ラトリアとオルレンドルでは前提条件が違う。ヤロスラフのように野望に愚直になるのが羨ましくないとは言わないが、もう少し外面は整えるつもりだ」
「でも刺すでしょ?」
正解だったのだろうけど、満足げに微笑まないでもらいたい。
「それは置いておいても、ヨーの方は返事は保留しているかもしれないな」
「彼らとて、オルレンドルが負ければ次は自分たちだとわかっているはずです。防備を怠らず、黎明から得たこちらの防衛技術をちらつかせておけば大丈夫ではないでしょうか」
あとはキエム達に対して、ヨー連合国を攻めようと提案されたけどはっきり断った、と土産話にもできるから、今回に関しては喧嘩にはならないはずだ。
彼の足がピタリと止まると揃って壁に向かって立った。
数代前の皇帝の肖像画だ。以前ここに飾られていたのはカール帝の肖像画のはずだけど、ライナルトの即位と共に入れ替わった経緯がある。
あまり興味なさげに見上げる横顔に尋ねた。
「私をラトリアに連れて行ってくださるのは本当ですか?」
「むろん本気だ。常々どこか旅行に行きたいと話していたろう」
新婚旅行ね。結局郊外に行くのがせいぜいだったから、事情はどうあれ心は浮かれている。ただ、彼は本気であっても、私もリヒャルトと同じ不安を抱いてしまう。
ただでさえ皇帝の不在期間で民を不安に陥らせたのにのに、今度こそ国を空けて大丈夫なのか。
その点については彼も考えていた。
「私の眠っていた間について、モーリッツ達からいくらか報告を受けている。やはり前帝派の人間が悪知恵を働かせて盛り上がっていたそうでな。あと一歩のところで私が目覚めたそうだ」
「まあ、それじゃあ……」
「再び、いや、今度こそ国を空ければ、足りない頭の連中は蜂起するのではないかと言われている。ちょうど良いから掃除も兼ねたい」
……あー。
「軍事の方はとりまとめられたのでしょうか」
「この数年でバーレが上手く計らってくれた。即位直後では難しかったが、良い練習にもなるはずだ」
不穏分子を燻らせておくのも邪魔になる。国外を相手にするためにも、手駒が揃ったここで……といった考えかしら。
腕を掴む手に力を込め、少し体重を預けて頭を傾ける。
「せっかくの新婚旅行は嬉しいですけど、大人数でぞろぞろと、ですか。あまり気は抜けなさそうですけど、贅沢は言ってられませんね」
それでも本来なら行けるはずのなかった外国の景色を楽しめるのだから、悪い話ではない。今回はライナルトも一緒だし……と旅行に思いを巡らせていたら、不思議な言葉が降りかかった。
「それについては心配ない。国外旅行は心置きなく楽しめるはずだ」
心配ないってなにが?
思わず見上げると、私の夫ながら、たいへん悪い横顔をしていらっしゃった。そこがまた格好いいし、浮かれている姿が可愛いなあと感じてしまうのは惚れた弱みだ。
察しの悪い私にライナルトがある考えを披露し……私は驚愕で固まった後、楽しみのあまり場を忘れて、飛び上がらんばかりに抱きついた。
●裏側の戦い●
現状帝都で幅を利かせる仕立て屋は限られている中、名を売ってチャンスをものにしたい新進気鋭の針子と、皇妃に針子を紹介することで恩を売れるマリーの図