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87.貧乏くじ男と尻に敷かれる男

 キン、と剣が噛み合う音があたりに響く。

 私の近衛隊長の踏み出す一撃は重い。相手取っていたのは赤毛の幼馴染みだけれど、げぇ、という叫びが聞こえてくるかのようだ。

 逃げるアヒムにジェフは逃げを許さない。アヒムは上段からの一刀を受け止めるも、まともに刃を交わすつもりがないのか、しなやかな動きで刃を逸らして弾く。

 一連の動作は惚れ惚れするほど滑らかで、見学していた一部近衛から感嘆の声が上がった。

 宮廷にある自室の庭で、私は傍で控える女性に尋ねる。


「マルティナ、どう思う」

「アヒムさんの分が悪いですね」

「経験って意味で?」

「いいえ。剣を扱う型の意味でです。ジェフさんはどちらかといえば真正面から斬り合う方ですから、絡め手が得意なアヒムさんは……」

「さんは?」


 じっと目をこらし、彼らを凝視していたマルティナが呆れ顔で首を振った。


「訂正いたします。まともに打ち合うのを避け、逃げ回っているだけににございます」


 同じラトリアの血を汲み、かつ自身も優れた武を持つマルティナの意見なら納得だ。

 私は庭の長椅子でクッションにもたれかかり、寝そべりながら試合を観賞しているけれど、決して不真面目な気持ちでいるわけではない。

 先ほどまでは真面目に諸々の報告を聞いたけれど、一月半に渡る眠りの弊害がここに現れている。加えてまともに食事を摂っていなかったから痩せてしまっていたし、身体はずっと鈍重で疲れやすく、体調を崩しがちだ。

 私を宿主とするルカの助けで回復も早めだけれども、その補助があってもこの身体は頑丈とは言い難いために、こうしてゆっくり休養を取っている。

 目覚めた翌日から精力的に動き出し、筋力が衰えたと言って訓練も始めたらしいライナルトと私の状況は正反対だ。

 いまの私は長い政務が祟っての休養扱いだ。代わりにライナルトが悪鬼の如き勢いで仕事を処理しているので、定期的に重要な部分だけの報告を聞く。そんな生活をしばらく送って、やっと調子を取り戻したところ、お見舞いに来てくれたアヒムがジェフに目をつけられて腕試しとなった。

 近くで薄堅焼きの芋を囓るルカが大口を開けて笑う。


「あはは、見てよマスター。アヒムったらぴょんぴょん逃げ回って、往生際が悪いったらありゃしない!」

「そういうこと言うんじゃありません」

「だって、ちゃんとマジメに小ずるい手を駆使すればジェフにだって勝てるかもしれないのに、なんで逃げ回るのよ」

「ルカ様、アヒムさんは考えがあっての行動かもしれません」

「マルティナはあっちの肩を持つワケ?」


 子供っぽく頬を膨らませる姿は愛らしい。彼女はこれまでもたくさんの人々を驚かせてきたけれど、そんな姿にも慣れているマルティナはさらりと言う。


「どちらに味方するわけではありませんが、わたくしも目立つのは嫌いですので、ああなる気持ちはわかります」

「……マルティナとルカがアヒムを推したんじゃなかったかしら」


 原因は遊びに来てくれたアヒムの前で暇と呟いちゃった私だけど、訓練でも見学したら? と言いだしたのはルカで、ルカが話を振った相手がマルティナ。そのマルティナは笑顔でアヒムを推薦した。

 

「いやですわ、皇妃殿下。わたくしはジェフさんに並ぶ剣士といったらアヒムさんの他にいないと、心から信じているのです」


 彼女の真の実力はシュトック城の一件(※)で知っているから、この鮮やかな笑顔は大変胡散臭いけど、武より学を信じる性格だから、絶対人前で剣を抜きたくないのだろう。下手にいい勝負をしたら注目を浴びちゃうし。

 ケラケラと笑うルカの頭の上では黒鳥が寝転がっている。この子は私が眠りに誘われている最中、始終落ち込みっぱなしだったらしい。ルカ曰く、いつもどこへ行くにも私に同行していたのに、今回に限ってそれが叶わなかったからだそう。相手は精霊だから落ち込む必要はないのだけど、使い魔心は難しい。

 ルカの笑い声だけは届いたらしいアヒムが、目元を絞って彼女を睨む。


「聞こえてるかんな、覚えとけよ!」

「だからなんだっていうのよ、そんなの知らないワー」


 仲いいなー。


「おかあさん、ちょっとどいて」

「あ、ごめんね。体重かけちゃった?」

「違う、重くはない。身体の向きを変えたかったの」


 長椅子に座っているのは私だけではない。フィーネが隣にいるのだけど、彼女は打ち合いには興味ないのか、手にした本に意識を注いでいる。ヴェンデルを真似したのか、必要ないはずの眼鏡をかけていて、大きな眼鏡が顔かたちに合ってないものだから、どこか可笑しく愛らしい。

 熱心に読んでいるのは、最近できた新しい友達から借りた本だそう。


「それ、だいぶページが残ってるけど、まだ止められない?」

「ん。もう少し。もうちょっとしたら区切りがよさそうだから、そこでお話を聞くね」

「はいはい。止め時は誤っちゃだめよ」

「わかってるもん」


 これは絶対わかってない返事。

 改めて相談があるために滞在をお願いしたフィーネ。本来この子を宮廷に置くのはライナルトが良い顔をしないのだけど、いまは特例。マルティナを傍に置き、ジェフ達を中に招いているのも護衛のためだ。

 本当はライナルトも居たかったかもしれないけど……あの人は溜まった仕事の処理が忙しいので、今日も夕餉のためだけに帰ってきて、会話も少なめに眠り、明日は早朝に出て行く。

 ライナルトが眠りから覚めた折は、あのジーベル伯が一時避難した程度には憤慨していたと聞く。教えてくれたニーカさんの安堵する姿を思い出す度に、私はヨー連合国側を思わずにはいられない。オルレンドル新帝以上に不安定な立ち位置にある彼らは、どれほど政に混乱が生じたのだろう。

 体勢を変えると、すかさずベティーナがクッションを差し入れてくれる。

 ジェフ対アヒムの練習試合はジェフの勝利となったけれども、戻ってきた本人はいまいち納得していない。

 それどころか不満顔で言われてしまった。


「カレン様から本気を出すように言ってはもらえませんか。このままでは、いつまでも私は本気の彼と相対できないままです」

「……ですって、アヒム」

「なーに言ってるんですか。おれが本気出してないとか、この汗を見やがれって話ですよ」


 肩で息をするアヒムは、端から見るとジェフにしごき倒されたようにしか映らないが、ジェフにしたら違うらしい。

 

「君は以前からそうだ。私にくらい本気でかかってきてはもらえないだろうか」

「あんたは近衛になってから妙にふっきれたと言うか、変わりましたねぇ! そんな強さを求めるみたいな台詞を吐くとは思いませんでしたよ」


 それはねアヒム。私はジェフもかなり強い武人だと信じているのだけど、彼は庭師メヒティルおばあさんに負け越し、そしてニーカさんにも敵わなかったから、彼女と同じラトリアの血を引くあなたと勝負したいと思っているの。

 マルティナもその本意を悟ったから、アヒムに無理矢理話題を持っていったのだけど……あえて口にしない。だってマルティナが意味深な目でこちらを見ているもの。

 ジェフは元々ファルクラム王子殿下の側仕えだったし、時間を経て彼の本分が顔を出したのだろう。

 近衛や侍女には最低数を残し下がってもらうと、密会のための場を用意する。ベティーナにはお湯だけ用意してもらい、お客様をもてなすお茶を淹れるのは私の役目だ。

 ところがアヒムはその姿に肩をすくめた。


「皇妃殿下にお茶を用意していただくとは、なんとまぁ光栄なことで……」

「お世辞にみせかけた嫌味じゃなかったら普通に言ってもらえた方が嬉しいのだけどな」

「んじゃ、つまみは塩気があるもんにしてください」

「はぁい。ちゃんと用意してます」


 やりとりの傍らで、本から目を離さないフィーネの頬を摘まむのはルカ。喧嘩しかけた二人をマルティナが窘め、彼女達や息を整えたジェフも席に着く。

 彼らの席以外にも空席があるのだけど、その人達もフィーネが本を畳む頃に到着した。

 新しい客人はいとこのマリーと、その恋人未満友人以上のサミュエルだ。

 着飾ったマリーは形式的な挨拶は省き、見舞いの花束を渡して言った。


「調子はどう、ちょっとはまともに動けるようになった?」

「全快じゃないけど、なんとかかな。サミュエルを連れてきてくれてありがとう」

「逃げ回るから大変だったわ。宮廷からの呼び出しなんて、逃げられるはずないのにねぇ?」

「…………俺ァ忙しかっただけなんで、逃げちゃイマセンシ?」


 明るい彼女とはうらはらに、サミュエルの方はあきらかに嫌々といった様子だ。ただ、アヒムを見るなり目を見開き、唇の端をつり上げる。


「これはこれは、憐れにも精霊サマと仲が良ろしいと噂のアヒム殿じゃあありませんか。や、お噂は魔法院なんかで聞いてますー、シス副院長の面倒をよぉぉく見てくださってるそうで、ええ」


 サミュエルはあえて対象に自身を小物に見せる気質で、物言いが人の神経を逆撫でする。それがわかっているのか、アヒムは面倒くさそうに視線を空に投げ、サミュエルを指差しながら私に尋ねた。


「こいついります?」

「残念だけどいるのよね……ところであなたたち、もしかしたら仲良くなれるかもってマリーと話してたんだけど……」


 素直じゃないところに、物事を皮肉って見るところとか……。案外ウマが合うかも、なんて思っていたけど、彼らの反応は違った。

 お互い見事に声を重ねて顔を逸らした。


「冗談じゃない」

「冗談じゃねえ」


 やっぱり合うじゃない。

 ※書籍6巻の救出でマルティナの同行を加筆。

 フィーネの新しいお友達はマルティナの妹です。


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[良い点] 同族嫌悪かな?
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