82.ラトリアの企み
人もいなくなったからか、ライナルトが問いかける。
「先ほどからしきりに不思議がっている。なにか気に掛かることがあっただろうか」
「ヤロスラフ王なんですけどね……」
ほとんど星の使いに集中していたけれど、できる範囲でヤロスラフ王の様子を観察していた。その上で抱いた所感を、ぽつりぽつりと口にし始める。
「なんで、あんなにわかりやすい方なのかしらって疑問が絶えなくて……」
「ああ、それか」
「それかって……そんな一言で済ませてよろしいのですか」
やっぱりライナルトも考えたことは同じだったみたい。
私が疑問視したのはヤロスラフ王の人格と述べようか、そのわかりやすさだ。
どうも長く玉座に在り続けた王にしては短絡的すぎると感じたというか……。
もちろん私がラトリアの風習や国に詳しくないのは、ある。けれどこれが玉座に就いたばかりの新王……。
「私の顔に何かついているだろうか」
「いいえ、あなたは例外だったなと思っただけ」
「含みのある物言いだ」
「とんでもない、出会いからいままでにおける、あなたの武勇伝を思い返しているだけです」
「思い返した感想はどうだった?」
「私のためにも、もうちょっとご自分を大事にしてほしいですね」
……彼みたいな人はとにかく、長く玉座に固執し続けた王にしては、失礼だけど感情が読みやすく野心が丸見えだった。もしかしてあの場での態度は演技で、何か狙いがあってこちらの足を掬おうとしているのか疑っていたくらいだ。しかし今日の姿を目の当たりにして、あれを演技と断言するのは……かなり難しい。
足元の石畳を睨み付ける。
「いくら考えても噂に聞くヤロスラフ王の人柄と噛み合いません」
「カレンはヤロスラフにどんな印象を持っていた」
「強欲で野心家である分だけ、狡猾な王という人柄ですが、あのヤロスラフ王は我慢の利かない子供です。まだその辺の、コネ作りにやってくる商人の方が、お顔を作るのが上手ですよ?」
などと言えば、声を低くして笑う。
「口ぶりは優しいが、我が妻にしてはなかなか手厳しい意見だ。やはりコンラートを取引にされたのが堪えているか」
「わかっているならおっしゃらないでください」
その辺の後ろ暗い感情も、ライナルトなら受け止めてくれると知っているから正直に出せるだけ。たとえばヴェンデルの前でだったら、こんな態度は表に出さないだろう。
物珍しかった為か、ライナルトはしばらく笑みを絶やさない。
「私怨は切り離せんか。ああ、それも良かろう」
「馬鹿おっしゃらないで。ここは喜ぶところではなく、あなたが私を咎める場面ですよ」
「普通ならそうするところだが、生憎と、その恨みも受け入れてやりたくてな」
私を駄目にするのが得意すぎではないだろうか。
やはり私を律するには自分自身で気をつけないとならない。
「でも、ライナルトは気にならない?」
「たとえ長い年月がヤロスラフの理性を蝕み、安寧が知性を奪ったとしても、あれがオルレンドルの敵であることには変わるまい」
「……利用できない限りは興味ないってことですね」
彼の微笑みは肯定だ。
組んでいた腕を放すと、少しほつれていた私の髪を指で撫でつける。
「理由を考えても仕方ないからな。ただ、牙を隠す方法すら忘れたヤロスラフをつまらないとは思っている」
ともあれラトリア王ヤロスラフについては世間の評価に対して、実物との乖離が激しすぎるとの意見は合致した。
「ラトリアと精霊が組んでいるのは、きっと間違いありません」
その裏付けは白昼夢で出会った謎の二人組。
精霊と思しき青い男性とラトリア人と考えているけど、疑問はまだある。
「ヤロスラフ王はどんな手段を用いて精霊を組み込んだのでしょうか」
「わからん。だが普通に考えれば、自ら時間稼ぎを買って出ているのは間違いあるまい」
「そこは同意見ですけど……それよりも、私には精霊が何を考えているのか理解できない」
私の考えるヤロスラフ王の企みはこうだ。
星の使いに招集されたヤロスラフ三世。老人はなんらかの手段を用いて精霊と手を組み、息子ジグムントに後事を託すと現実に帰す。素知らぬ顔で三国会談が始まると他国が飲めない条件を出し、自らは囮となって時間稼ぎを行い、皇帝不在で政が麻痺したオルレンドルへ攻め入る作戦だ。
こう考えるのは、あの場で唯一ヤロスラフ王だけが玉座を危ぶんでいなかったためだ。昨今謀叛を鎮めたばかりなのに、覚めない眠りにも不満を漏らしていなかった。
不可解なのは、もし二カ国で戦争が勃発した場合、精霊はどこに利を見出せるのかという点。
自然と声に力が籠もり、人さし指の関節を唇に押しつけている。
脳裏を過ったのはコンラート領での別れの数々だ。
「たった数年足らずでファルクラム領まで狙ってくるなんて」
「腹立たしいか?」
「当たり前です。ラトリアのせいでオルレンドルが瓦解していたかもしれないんですよ」
「だが私たちが眠っていようと、オルレンドルの体制は易々とは崩れない。やわな配下達を持った覚えはないからな」
「わかってます、でも……」
「コンラートは取り戻すと約束したろう」
私の怒りと焦りを見抜いている目に、八つ当たりのように腕を掴む手に力を込める。
帰るに帰れない状況が一種の諦めをもたらしているからゆっくり構えているものの、現実は厳しい状況に追い込まれているのを忘れていない。
オルレンドルの民は、姿を見せない皇帝に不安を隠せなくなっていた。ファルクラム領への対処だって残したまま、皇帝と皇妃が覚めない眠りについているなんて、まったく笑えない。
でも結果として帰還の約束は取り付けられたのだから、悩むのはよせ、と自分に言いきかせる。
陰鬱を晴らす散策を終えた私たちを出迎えたのはスタァだ。館の正面玄関を開けた先で、廊下に正座で小さくなっている。
肩まで縮み込ませた少年は、私たちを見るなり泣きそうな様子で言った。
ごめんなさい、と。
私は慌ててライナルトを止めた。
「待って、待ってください。謝っただけなのに、いくらなんでも斬り捨てようとするのは早計ではありませんか」
元転1特典詳細の簡易版です
○書籍を買えば読める:フィーネが帰った後のエルネスタ達の話。エルネスタとキルステン家『次女夫妻』の出会いとアルノーの真実
■電子特典
①キャラクター設定画(ヴァルター&???)※未公開設定と本編後についてももう少し踏み込んで書きました。
②元転人物相関図
③オリジナル水彩イラスト(レクス&エルネスタ)
■くまざわ書店様「移り気な女神にご用心」カレンの行方不明を聞いたサミュエル
■応援書店様「惚気は黒犬も食わない」ニコとフィーネが惚気る話
■書泉様「ワタシを覚えていて」アヒムに秘密を打ちあけるルカ
■楽天様「庇がなくば」滅多に出さないライナルトの心中