81.人としてできることを
視界の端で端で密かに反応を示したヤロスラフ王はどこまで知っていたのだろう。
あえて語らずを決めたようだけど、ヨー連合国の五大部族は殺気立った。彼らは一見理知的に見えるけれども、その気質は血を厭わない。ライナルトが制してくれなかったらしばらく騒ぎになっていただろう。
ざわついた空気に星の使いは眉を顰めた。
「オルレンドルの貴き方、それはあまりにも失礼ではないか」
「間違っているのでしたら深く謝罪いたします。ですが星の使い殿、その前にここが本当に精霊郷であるかどうか、わたくしを説得してくださいませんか」
私は真実を語っているだけなので焦る必要がない。
ゆったりと語りながら星の使いと視線を交差させていると、軽いため息と共に、折れたのは星の使いだった。
「残念ながら……証明する手立ては、ない」
「では精霊郷ではないと認められますか」
「それもできぬ。だが、此方が貴女方に、精霊の受け入れを認めてもらうための場を提供したということだけは事実であると伝えておこう」
……微妙な線だ。
でも反感も止むなしであるところ、こう言いきるのは豪胆とも言えるし、彼の真意が正直掴みきれない。
相手には同情を示すような素振りでそっとため息をついた。
「星の使い殿は、此度の件で人の世が簡単に進まぬ事を思い知られたのでしょうね」
強大な力を得られる機会を国が簡単に逃すはずがない。
ただ、こんな状態がずっと続くのは困るので、このままでいいよ、とは断じて言ってあげられない。
「ですが精霊というあなたの同胞を想い、わたくし共のことを考えてくださるのであれば、やはりこの夢は覚ますべきでしょう」
「……なるほど。オルレンドルの尊き方は別の要求があるとみえる」
「当然です。徒に時間の消費を許すなど認められるわけがありません。この世界で過ごす一方で、わたくし共の民が如何ほど苦労しているか、あなた様も精霊の未来を背負う立場なれば、わからぬはずがありません」
「……ではどうされよと言うのか」
「まずわたくし共を全員解放してください」
要求は難しくないはずなのに、たったこれだけで星の使いは難色を示した……ように感じる。
「しっかりと理由はありますのよ?」
悪戯っぽく笑う。
「人の世界の政の話は、人の世界で行います。ここでわたくし共だけで結論を導き出したとして、国に話を持ち帰っても簡単には纏まりません」
オルレンドルは主の一声で話が進むといっても、やっぱり各所をまとめるには時間がかかる。星の使いも、人の欲深さを知ったと語るなら実感しているはずだ。
「精霊の帰還となれば、個人ではなく国として話を進める方が各国も精霊を受け入れる心構えが育つはず。わたくしにしてみれば、ここで無為に時間を消費する方が意味がありません」
ここでいよいよ身を乗り出したのはヤロスラフ王だ。ご老体はライナルトに苦言を呈した。
「オルレンドルの、いくらなんでも妃に好きにさせすぎではないか」
「どこがだ」
慇懃無礼な態度の若造に、ヤロスラフ王はこめかみに青筋を作る。
「政とは王が担うべき役目ぞ。そして精霊の帰還とあらば、なおさら我らが決めるべき事柄を、妃が口を挟むとは何事だ」
「国の指針に口を挟むのであれば問題あろう。だが私の后は精霊の有り様と、議題の場所について問題提起しているに過ぎん。ラトリアの良心に恥じる部分がなければ、出てくるはずのない言葉だ」
それとも後ろ暗い思いでもあるのか……そう視線で問うライナルトに、老人は苦虫を噛み潰すように皺を寄せる。
「いままで口を挟みなどしなかったくせに、そなた、妃が来てからは随分な変わり様だな」
「どこぞの欲深き王ほど、眼前にぶら下げられた餌にかぶりつきはしないだけだ」
彼もヤロスラフ王にも苛立っていたのだと思しき一声に、今度こそヤロスラフ王は腕を組み、傍観の姿勢を決め込んだ。
それにしてもラトリアのヤロスラフ王って長い間ラトリアの治世を続けた、やり手の王様という印象だったのだけど……。
二人の会話が落ち着くと、再び私と星の使いの会話に戻る。
「人の世で……と申されるが、あなた方の国は離れすぎている。たったわずかな会話を行うだけでも時間を消費しよう。それをどう解決されるおつもりだ」
「移動手段でしたら、精霊が提供してくだされば良いのではありませんか」
「……我らが?」
「精霊郷に住まう、生けとし生ける者の移住なのでしょう。ならばそのくらいの協力はあって然るべきなのでは?」
こちらはライナルトの提案で、足を組み直した彼が星の使いに言った。
「私はこれまでの話を総合した結果、貴公が精霊郷を代表する存在であるかを疑っている」
「オルレンドルは此方を疑われるのか」
「嘘でないと言うのであれば証明できる精霊を立ててもらいたい。我らの概念で、貴公と同じだけの身分を持つ精霊をだ」
いまのところだけど、ライナルト達の前に姿を見せているのはこの星の使いと、世話役と称する、スタァみたいな小さな存在だけらしい。
ライナルトにしてみれば、星の使いの手段は人智を超えた力で話を誤魔化すだけで、本人の証明には何にもなっていない。たとえ相手に嘘をつく理由がなかったとしても、信じられないのが本音だ。
星の使いは、証人を連れてくることはできないと拒否した。
「事情があって、いまの彼らは精霊郷を離れられない」
「であれば、やはり移動手段の提供だな。我らを謀っていないと証明したいのであれば、そのくらいの協力はあるべきだ」
私もちょっと申し添える。
「他の精霊が精霊郷を離れられないといっても、乗り物代わりの生物を貸すくらいはできるのではありませんか」
「……ヨーから意見は上がらぬが、オルレンドルと同じ意見ということか?」
「あなたの足りない言葉で被害を被ったのはオルレンドルだけではありません。彼らとて、待っている臣民がいるのです」
それでも私たちをここに捕らえ続けるなら反感は必須だし、呑んでもらえないのなら、これまでの話し合いは徒労に終わる。
星の使いはしばらく考えるそぶりを見せた後、こう言った。
「であれば、オルレンドルの皇后に対し条件がある」
「お伺いしましょう」
「目覚め次第、いまなお此方に干渉を続けている精霊を止めてもらいたい。攻撃を加えられているわけではないが、雑音となり此方の邪魔をしている」
「良いでしょう、伝えます。他には?」
「……それだけだ。敵対しなければ、それだけで良い」
フィーネがなにかしているっぽい。
スタァの発言からもしやと考えていたけれど、やはりフィーネは、軽んじられない存在らしい。
「なぜ彼女に会おうとしないのです?」
「此度の問題とは関係ない理由だ。答えを拒否する」
すべての謎を答えてくれるわけではないけど、私もこの精霊が疑問を明かしてくれるとは思っていない。重要なのは早々に現実世界に戻してもらうことで、ここが本当に精霊郷かは二の次で良かった。
キエムなんかはまだ星の使いを疑っているけれど、引き際は弁えている人だ。精霊を過剰に刺激するのはオルレンドルだけで良いとも考えているだけあって、この場は下がってくれる。
星の使いはゆっくりと首を振り、皆に言った。
「異論がないのであれば、皆には明日にでも現実に戻っていただく。後日改めて話し合いを行っていただく形で進めるがよろしいか」
「構わん……が、どこで話を進めるかが問題だ」
ヤロスラフ王の発言に一同の視線がライナルトに集まるも、彼は憮然としている。首脳部が一堂に介するとなれば各国の要人が集まる。言い出しっぺ兼地理的にもオルレンドルが最適だけど、ライナルトは乗り気ではないようだ。
ここで星の使いが言った。
「此方も人の世を見ておきたくある。移動手段と場所については追って連絡しよう」
彼が手を叩くと、目の前にあった机がかき消えた。これで話し合いは終わりと言いたげで、席を立った順から椅子も消えて行く。物理的に追い出したいらしい。
彫像のように佇む星の使いにヤロスラフ王が文句がありそうな様子だったけれど、無駄だとも知っているのだろう。足音を立てて部屋を出て行ってしまう。
続いてヨーの面々が、最後に私たちが席を立ち、私は帰り際に振り向いた。
「なぜ白夜が出てこられないのですか?」
「……深い事情がある。貴女であっても明かせない」
「わかりました。いつか真に互いの信頼関係が結ばれることを祈っております」
ライナルトに腕を引かれてその場を後にする。
謎にまみれた会議は一端の収束を見せたのだけれど、私は帰りもしきりに首を傾げていた。