79.誰を疑い何を信じるか
そんな話は聞いていない。ヤロスラフ王に付き従っているのは、あの時出くわした人物のはずで、王子の存在にライナルトの表情が曇る。
「ヤロスラフの息子だと?」
「やはり知らなかったな」
「間違いないのか」
「嘘を騙るつもりはない。ヤロスラフめ、我らが到着する以前に別大陸の王と語り合っている。自ら子を紹介しているぞ」
キエムの前に酒が出現した。
強い酒精を喉へと流し込むと私へ杯を差し出すが、ライナルトに杯を奪われてしまう。
ヨーのお酒は好きだから飲みたかったのに……恨みがましく睨む間に、キエムは続けた。
「息子はラトリア人の中でも、とりわけ深い血の髪の色をした男だ」
「名前は?」
「ジグムントだ。知っているか?」
「当代一の武人と名高い男だろう。だが長子ではなかったな」
その名前は覚えがある。ヤロスラフ王が数ある息子達を差し置いて世継ぎに指名した人物だ。
キエムのつまみは塩で、ペロリと少量を口に含んだ。二人は飲み比べでもしているのかと言いたいくらいの勢い杯を傾けて行く。
「だが息子がここにいるのはおかしな話ではあるまい。ライナルト殿は不思議に思わなかったのか」
「おかしな話ではない。先の内乱のはじまりは、ヤロスラフが長く王冠を頂きすぎたせいで息子が痺れを切らしたせいだ。あれは権力を独占したがる癖がある」
「そうさな、だが反省してようやく己を指名しておいて、肝心な場に呼び寄せたのが側近であってみろ。俺がジグムントなら配下を手打ちにするぞ」
ばれないようにだが、と付け足すのは忘れない。
しかしジグムントの存在が確認されたのはその一度きり。ヤロスラフ王がなぜ息子の存在を伏せることにしたのかは謎だ。
とにかく息子の存在を知ったキエムは、仲間内で情報を共有したらしい。ヤロスラフ王の秘密主義には眉を顰めたものの、ライナルトには黙っていると決めたのだと語った。
「息子の存在を伏せている事実は不快だが、ここを出られんのはヤツも同じだ。騒ぎを起こしたわけではし、捨て置いてもよかろうとなったが……」
ラトリアの前にはオルレンドルという壁がある。ヨー連合国の敵にはなり得ないから、わざわざ知らせる必要はない。
私がキエムに咎めるような視線を送ると、彼はあけすけに笑った。
「すまんすまん。隠しごとがあるとは思っていたが、よもやそう大事になるとは思わなかったのだ」
「意地悪をされると悲しくなってしまいます。オルレンドルとサゥ氏族の仲なのですから、次はもう少しお考えいただきたいですね」
「うむ。妹も世話になっていることだし、以後は気をつけるとしよう」
が、ライナルトはこれだけじゃ済ませられない。たて続けに強い酒を煽ったのに、顔色一つ変えずに杯を置いた。
「それが事実ならヤロスラフは必要以上の人間を呼び寄せているということになる。精霊も知らないはずはあるまい」
「それでも我らにとっては精霊のもたらす恩恵の方が大きい」
「土地と資源に飢えた国らしい考えだ」
「さすがは平地に恵まれた国の王だ。嫌味にしかならん」
「嫌味だからな」
喧嘩するほど仲がいい。
手土産にヨー連合国産のお酒をもらい、上機嫌で館を後にしたのだった。
『会談』当日、ヤロスラフ王はずっと仏頂面だった。
理由は難しくない。各国の代表だけが集う席に私が同席したためだ。
初めは精霊郷側にも拒否されたのだけど、無理を通させてもらった。
まったく、とヤロスラフ王はライナルトを睨めつける。
「かような場に女子を呼び込むとは、いくら可愛がっていようとはいえ、そなたも我が儘が過ぎるのではないか」
「必要ゆえ呼んだまで。貴公に言われる筋合いはない」
「これは異なことを。こちらは必要な人間しか呼んでおらんし、大事な場に余計なものを呼び込む真似もせん」
円卓上になった席の中央に立つ男型の精霊だ。
血のように赤い巻き毛が特徴的で、涼やかな目元が冷たい印象を受ける。耳が大型犬のようなものに変化していた。
「余計なお喋りは止してもらおう。たしかに余計ではあるが、オルレンドルとヨーが必要というのであれば仕方がない」
「……ヨーもだと?」
「ヤロスラフ王はご存じなかったか?」
キエムといった五大部族は素知らぬ風で座っている。初耳だったヤロスラフ王は一瞬身を乗り出すも、すぐに座り直し、その姿を認めた「星の使い」は頷いた。
「それに新たな客人がいれど、此方が其方たちに望むことは変わらない」
うわべは丁寧に見えるけど、そこはかとなく尊大な態度を感じる。
「再度言っておこうか。其方達は受け入れる種の割合で揉めているようだが、此方が授ける恩恵はどの国であろうが均等だ。その点はゆめゆめ忘れずにいただきたい」
こうは言っているけど、精霊にも人型、動物型、不定形型と多くいるから、受け入れる種族によってその後の行く末は変わる。どの国も有利に事を運びたいから簡単には譲れない。
やはり論点は竜に集中していて、特にラトリアとヨーが対立していた。
「我が国ラトリアに竜種を集めるべきであろう。未開の地が多く、住みやすさを保証する」
「その点においてはヨー連合国も変わらぬよ。ご老体の要求はいささか過剰すぎる。そちらの要望ばかり聞いていては、三国の力関係が揺るごう。その力を持ってオルレンドルに侵略されるおつもりではあるまいな」
「まさかまさか。若者よ、それは大きな誤解というもの。我が国はあくまでも自国の発展にのみ注力するものである」
堂々と胡散臭い台詞を吐くけれど、これが王様というもの。
何度も繰り返した言い分なのか、ライナルトは平然を装っているものの既に辟易している様子だ。
ただ、ヨー連合国の中でも「またか」といった表情は隠せてない人がいる。紅一点であるドゥンナ族のイル族長がそうだ。ヤロスラフ王への牽制は男衆に任せ、もはや口をへの字に曲げて腕を組んでいる。
ヤロスラフ王の言い分はこうだ。
「オルレンドルは広く分布させれば良いと言うが、竜とは多くが群れを成す存在だ。生態系を考えれば分散は望ましくないと、そこな星の使い殿も声にしていたろう」
「再三意見しているが、我らがそれを了承できるはずがない。精霊の神秘、竜の力がどれほど強大か、知らぬとは言わせまいぞ」
なぜ竜を知らなかったはずの彼らが竜種に拘るのか、その理由は私。
『向こう側』からの帰還に伴う光の柱や、婚姻式の黎明だ。それにフィーネの存在は公式にしてないけど、調べればわかること。皆、口にせずともライナルトの様子を伺っている。
不可解なのは「星の使い」が黙りを決め込んでいる点なのだけど――。
一息ついたところを見計らって全体に声をかけた。
「少々よろしい?」
他の人も私が最後まで黙っているとは思っていないはず。
精霊を二体『所有』しているとみなされるオルレンドル皇妃の発言に場は鎮まった。
「新参でございますので、少々おかしな発言がありましたらご容赦くださいませ。『星の使い』様に質問がございます」
「……此方への質疑であれば後にしてもらいたい」
「いいえ、わたくしの疑問はあなたがたの帰還に関係しております」
人と獣を半々にしたような目がこちらを見つめる。
やっと私をまともに見たな――と私も見つめ返した。
「なぜ――わたくし共に決めさせるのでしょう」
「……と、言うと?」
「随分人に対し譲歩してくださるなと思いましたので」
私の質問はそんなにおかしなものじゃない。きっと他の人達だって思っていたはずだ。
「わたくしはいくらか精霊を存じておりますけれど、竜種しかり、精霊にも種族の特性があるでしょう。いくら譲歩するといえど、人に言われた程度で従うことができるものなのですか」
いくらなんでも精霊に不利すぎるというか、下手に出すぎているというか……。
いまのヤロスラフの主張だって聞けばわかるけど、各国が土地を提供できると言っているのだから、こう言ってはなんだけど好きな場所に移り住めば良い。
私には決着のつかない争いを続けているようにしか聞こえない。
「土地の提供と共に、各々が住みやすい土地を選べばよろしいのではないですか」
「…………我らの目的は移住のみであり、政に口を挟むつもりはない」
「それが精霊の決まりだから、精霊に決めさせては火種になると?」
「然り」
ヤロスラフ王が声を上げようとする前に、ライナルトが制する。
「貴公には私からも聞きたいことがある。先の話を蒸し返すが、貴公は私達が存在を感知していない人間を精霊郷に呼んでいるな」
質問には意表を突かれたらしくも、老体は堂々と居直った。
「難しい話ではない。確かに初めの頃は違う者を呼んでいたが、いまの者が確実だと思い、そこな精霊殿に頼んで入れ替えてもらった」
「わざわざ報告する必要がないと?」
「当然だ。そも、なぜ隣国の者であるそなたに我が国の事情を話さねばならん」
「私も貴国の事情など興味はない。だが、それがオルレンドルに損害を与えているなら話は別だ」
ここでライナルトは私から伝え聞いたラトリアの動きを言及する。
「我が后より、ファルクラム領近くを多くのラトリア人が行き来しているのは聞いている。私が眠りにつくのを知った上で、その者に命じたのではないか」
「言いがかりだな。旧コンラートについては、元々復興を急げと命じたに過ぎん。あそこは資源の少ない我が国にとって、命綱となる領地だ」
「その言葉が真実であると、どうして証明できる」
「事実を述べているに過ぎんよ。ただ、そなたの皇后におかれては随分と我が国を疑っておられるようだが……そうか、たしか以前はコンラート領に嫁がれていたのだったか」
ちくり、と刺してくるのは忘れていない模様。
嫌味は予想していたものの、コンラート領のあの日が脳裏を過ると、目線を「星の使い」に送る。
「疑いたくもなりましょう。わたくしとしては、まだ星の使い様に疑問が残っておりますから」
私たちの間で人間相手はライナルト、精霊は私が相手をすると話がついている。
「星の使い」は一見無感情に見えるけれど、あくまで見掛けだけのはず。
私は彼にある質問をしたかった。
「あなたにお伺いいたします。白夜はどこにいますか」
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