78.情報共有
向かったのはヨーの一行が滞在している建物で、キエムは笑顔で私たちを出迎えてくれる。
「貴殿からこちらに出向くとは珍しい。初めの頃以来だ」
初めだけでもキエムを訪ねたのが意外だ。思わず夫を見れば、こともなげに答えられた。
「ちょうどキエムとは話すことがあったからな。直に済ませた」
「お互いの今後の展望についてだが、ライナルト殿はカレン殿に夢中なのでな、心配召されるようなことはなにもなかったので安心してもらいたい」
「そこは心配してないのですけれど……」
「これはこれは、羨ましいほどに仲がよろしい。俺の入る余地がないではないか」
下手に仰々しい態度を取られるよりも安堵する。
馴れ馴れしいと言われそうだけど、これがキエムだ。
他の族長なら事前に面会を取り付ける必要があるけど、ライナルトとキエムは直に話す方が早いと考える人達だし、手間が省けたくらいに思っていそうだ。
館の内装は外観と違い、ヨー式の内装で染まっている。分厚い絨毯の上に直に座る方式で、ライナルトの助けを借りながら腰を下ろした。
意外だったのはキエムに使用人がいなかった点だけど、彼は笑いながら教えてくれた。
「せっかくひとりにしてくれるというのだから、そうさせてもらっている。こちらに喚びだしたのも一人だし、そやつは男だ。身の回りを世話させる必要もない」
「キエム様、こちらの館にはヨー連合国の皆様方が滞在していらっしゃるのですか?」
「ああ、全員族長だけだ。気に入った妾を呼び出したかった者もいたが、ドゥンナ族のイルが女なのでな。……カレン殿にはいずれ紹介しよう。男顔負けの戦士だ」
ドゥンナ族はキエムと同じ頃に下剋上を果たした、五大部族唯一の女族長だ。ヨー連合国の人らしく肌の露出は多めだけど、キエムが戦士と評したとおり、腰の両脇に鉈を二刀下げていたのが印象的だ。
ヨー連合国が精霊郷への仲間招集を必要最小限に留めたのは、五大部族が対立関係にあるせいでもある。彼らは『ヨー連合国』で一括りにされていようとも、絶えず互いの首を狙っている。いまは同じ館にあって国益のために働こうとも、互いを見張り合うのも目的らしい。
キエムは手ずから茶を淹れる。茶器一式と簡易竃場が揃っており、その場で火を興す方式だ。濃いめに煮出された茶に砂糖と山羊の乳を注ぐ。
「この場においては我らも約定を交わしているために、制約があって好き勝手できん。オルレンドルとの会話は、場合によっては他の族長共に共有せねばならんから、重要な話はできないと思って欲しい」
「あ、はい、もちろんです。ね、ライナルト」
「ここで隠し立てするような企みがあるとしたらヤロスラフくらいだろう」
「あの樽腹か。まったく、妙な悪巧みを企てて、年甲斐もなく元気な事よ」
気になることを呟きつつ、金の装飾具に嵌まった器を渡してくれる。やや甘ったるいけれど香辛料が効いてすいすい飲める。お菓子は……慣れない味だったけれど、お茶には合った。甘さが強いからライナルトの口には合わない様子だけど、彼は黙ってキエムの持てなしを受けている。
本題に入ると話題を変えられなさそうだから、先に確認しておこう。
「キエム様、キヨ様は元気にしていらっしゃいますか?」
「ん? ああ、あの娘か……」
異世界転移人、キヨ。
オルレンドルから事実上追放された彼女の名を出すと、キエムは難しげに口をへの字に曲げる。まるで一気に老け込んだようだ。
「病気もなく健やかにやっておられるとも」
「そのわりには、表情が芳しくないご様子ですが」
「なに、元気すぎるのも玉に瑕だと思ったまでよ。……時にカレン殿は、あの娘が行う医者の真似事……医療の知識は、どこから学んだかご存知か」
「いえ、キヨ様がどこで学ばれたかは……」
なぜそんな話題になるのだろう。事情を知っているらしいライナルトが教えてくれた。
「サゥの医師共と対立している」
なんとまぁ。
彼女は現代日本でいうところの大正時代付近の人間だったとはいえ、医師の元で看護士をしていたのも事実。あの時私を助けてくれたように、サゥの医療知識では我慢ならないところがあったらしい。
話を聞くと、はじめ彼女はサゥの医師達に疎まれた。
小娘の言うことだと鼻で笑われていたらしい。しかし本格的に口を挟み手を出すようになってきて、いよいよ厄介者扱いされたはじめたところで彼女の真価が発揮された。侍女を筆頭に、少数の医者を味方に付けてしまうと、あっというまに専用施設を開いてしまい、患者を受け入れ、成果を上げてしまったのだそう。
これだけ聞く分には素晴らしい話だけど、サゥの医療を担うのは医師団…主に薬師や呪い師になるから、彼らの商売は上がったり。怒りは半端ない様子で、キエムの元には苦情が殺到した。
「ライナルト殿には、もう少しあの娘に控えていただくよう注意してもらいたいと頼んだのだが……」
恨みがましげなキエムに、素知らぬふりを通すライナルト。
この様子だけで返答は容易に想像できてしまう。
「…………ご覧の通りだ。カレン殿から何か言ってはもらえぬか」
「注意だけならできるでしょうが、あの御方はこうと決めたら突き進みそうですから、お力添えできるかは難しいかもしれませんよ」
「それだけでも充分助かる。あの娘は大変賢く有能で、存分にサゥを謳歌されているが、その活躍のおかげで多くの呪い師を抱える妻の実家が被害を被り、出て行ってしまった」
以前キエムには側室にならないかと相談されたことがある。横の繋がりを重視する国だから彼も例に漏れず奥さん持ちなのだけど、五大部族に成り上がったのを機に事実上離縁状態。そしてこの一件で完全に別れてしまったらしい。
ただキエムはひどく残念がっているけれど、彼の妹シュアンによれば、キエムの婚姻は目の上の瘤だったドゥクサス族に縁付けされたもの。はじめから夫婦仲は冷え切っていたと聞いている。
ライナルトがゆっくりと茶器を置く。
「キエムに同情は不要だ。この男に正妻への情はない」
「酷いことを言ってくれるな。貴殿と違い、世間知らずの女を無一文で放り出すことへの憐れみくらいは持っている」
もしこの場にシュアンがいたら、この姿を見てなんと思うだろう。彼女はキヨ嬢と仲が良かったみたいだし、喜んでいたかもしれない。
サゥの現場を荒らしてしまったキヨ嬢だけど、オルレンドルの要人である彼女に何かあってはサゥの面目が潰れてしまう。キヨ嬢の立場を守るために、にっこり満面の笑みを浮かべた。
「キエム様がいらっしゃるからこそ、キヨ様も安心して過ごせるのでしょう。ご苦労をおかけしますが、どうぞ彼女をお願いしますね」
「…………うむ。まぁ、カレン殿がそう言ってくださるのなら俺も務めてみるが」
「どれほど友好的な部族がいたとしても、やはり頼れるのはキエム様でございますから、これからも頼りにしております」
悪い気はしていない模様。苦渋をぐっと呑み込んだ表情で腕を組んだ。
「引き受けたからには責任を持って預からせてもらうとも。ゆえに重ね重ね申し上げるが、どうか目を覚ました暁には、一筆お願い申し上げる」
「他の方々と歩みを合わせるよう書かせてもらいます」
横に居る夫の目が険しい気がするので、キエムには見えないところで彼の腹をつついた。経緯はどうあれ彼女をオルレンドルとサゥの梯子役にしたのは彼なのだから、見守る姿勢を見せないと。
キヨ嬢の話が落ち着くと精霊郷の話に移るのだけど、ここで私はある話を行った。
現実世界のサゥの動きの鈍さ、ライナルトが倒れた話など…キエムは興味津々で耳を傾けるも、段々と獰猛な獣じみた目を隠さなくなくなる。
「時間の流れが違うとは……普段ならば信じられない話だが、すでに信じられん経験をしている身としては、納得せざるを得ない状況だな」
「現実側では、みなさまが思う以上の時間が経過しております。私も確認させていただきたいのですが、キエム様がこちらに呼び寄せられて、十日ほど後にライナルトが喚ばれたのですよね?」
「うむ。全員その認識だ。体感的な時間も……なるほどな」
「信じていただけるのですね」
「胡散臭い精霊共と貴女を比べるならば、当然そちらを信じよう。そも、ここでの時間の流れは現実よりも早いゆえ、すべてを終え目覚めてもひと月程度しかズレがないと聞いていたが……」
現実への影響は少ないと思っていたからこそあった余裕だ。
キエムは背を曲げると、膝に肘をおいて頬杖をつく。
「普段はうるさいくらいに付きまとう小精霊が出てこない。なるほどなるほど、これは問い詰められては都合が悪いか」
「こちらの精霊も同様だ。アレは姿すら見せん」
「……いや、貴殿の場合は、まっぷたつにしたからだと思うぞ? いくら俺や短気が服を着ているイルといえど、精霊を斬るなど躊躇ったというのに」
ご立腹なライナルトに、思わず突っ込むキエム。
「それよりカレン殿。現実側で俺が倒れてから相当経っているのは間違いないのか」
「キエム様の配下は漏らしてはおりませんが、間違いないでしょう。かなり狼狽えていらっしゃるとお見受けいたしましたよ」
彼が倒れたのはライナルトが意識を失うより大分前だ。おおよその日数を教えれば、彼はうっすら微笑む。友好的なそれではなく、いつ牙を剥き出しにしてもおかしくない獰猛な類の笑みをだ。
「方法はわかりませんが、キエム様たちは時間の感覚を狂わされております」
私の予想が合っているのなら不可能ではない。そのあたりの情報も共有を図るとキエムは膝を打った。
「これは我ら全員にとって大事な話を聞いてしまった。せっかく親友殿が自ら訪ね教えてくれたことだし、礼をせねばならんが……」
「貴公と友になった覚えはない」
「おおそうだった、心の友だものなぁ」
からりと笑って流すと、お礼の代わりかこんな話を始めた。
「俺の内に秘めておこうかと思ったが、そのような話を聞かされては黙っているわけにも行くまいよ」
キエムは私たちに向けて距離を詰める。精霊に聞き耳されている可能性があっても、なお語るべき内容らしく、ライナルトは眉を寄せた。
「何を知っている」
「俺は貴殿よりも社交的だから、国が違えど雄弁に語り合うこともできる男でな。違う大陸と言えど、様々な御婦人方から情報を仕入れているのよ」
「御託はいい、早く話せ」
キエムの揶揄うような態度と声は一気に潜まった。
「ヤロスラフ、あの樽腹の息子がこの精霊郷にいるらしいが、見たことはあるか」
キヨとシュアン:書籍特典(いまだと短篇集)にて二人は仲を深めている。
キエム:立場柄心安らげる場所がないので、せっかくの機会、心置きなく寛いでいます