73.やっと会えた
今回は意識がはっきりしていて、視界もぼやけずどこもぶれていなかった。いうなら私の意識の中に潜った黎明と会った時に感覚は似ているけれども、ここに黎明の存在は感じられない。
手の甲をつねればきちんと痛みもある。だから現実らしいと判断はつくけど、反面、おかしな状況でもあった。
衣装が違う。昼間なのに夜会時の正装になっていて、最先端の流行を取り入れた肩や腕、背中の半分以上が丸出しの意匠だ。腕に絡みついた繊細な金鎖に真珠や紅玉をあしらった宝飾品は、トゥーナから献上されて、まだ一度も身につけていない品物だった。
これはもう間違いなく現実じゃない。
裾を持ち上げて立ち上がり、改めて周囲を見渡したら、新たに気付けることがあった。
ここは庭園の中で柵に区切られた、さらに小さな庭園だ。柵の向こうにもまた手入れされた庭が広がっている。
おかしいのは、鉄でできた柵が一押しだけで簡単に開いてしまったこと。見た目に反し驚くべき軽さでも、重力はきちんと仕事をしている。不安定な石畳に足を取られないようゆっくり進むも、持ち上げきれないレースの裾を引きずっているにもかかわらず、一切汚れていないことに気が付いた。
分岐路で足を止めると悩んだ。石畳は庭園全体を貫いて三叉路に別れているけれど、どこに進んでもさらに分岐になり、それぞれ大きな館に続いている。誰かに尋ねようにも人の姿は見つからない。加えて柵の向こうは緑豊かな森が広がっていて、どこに行けばいいのかすらわからない。
館で道を尋ねるべきか、それともこのまま進むべきか。見知らぬ庭園でぽつんと孤立して、まるで世界に取り残されてしまった気分だ。
いまさら慌てるような事態ではないけれど、私にはオルレンドルの政務を支えねばならない役目がある。誰にも会えないまま彷徨うのは困る、と諦めず歩を進めたところで、おかしなものをみた。
柵の向こうに別の庭園が出現し、人間が現れた。
十人以上の従者を引き連れた女性が貴人なのは間違いない。毅然と胸を張る美しい人だけれど、目を見張ったのには理由がある。
白磁のような肌に豊かな黒髪。大きく開いた胸元に、ほっそりと身体の線を魅せる裾の長すぎる衣装。簪を大量に挿した髪型は見たことのない民族衣装だ。
ただ、それは『いま』の私の話。生まれ変わる前の知識と、いまの私が伝え聞く特徴から示し合わせれば答えは導き出せる。
現代日本と中国を合わせたような意匠、これはどう見ても間違いない。
「クレナイ?」
海の向こうにある大陸の国だ。
女性と目があったけれど、向こうはこちらなど意にも介さず去ってしまった。追いかけて間に合いそうもなく見送るけれど、これには困惑を隠せない。
これまでの不思議案件からてっきり精霊絡みかと思ったのに、人間と遭遇するのは予想を超えている。
一体何が起きているの??
無意識に歩が速くなり、クレナイの女性がいた庭園へ続く柵の門を潜った。
するとまた景色が変化して、今度はあちこちに東屋が出現し始めた。色とりどりの花々に、小さな泉の上にかかった橋と、いずれも幻想的な風景なのは変わらない。オルレンドルだったら、庭の維持だけでも相当気を遣う風景だ。
ここでは庭園以外にも変化が生まれていた。私は意を決すると小道を進み、緑豊かな樹木の木陰が作る根元に寄る。
「休んでいるところ失礼します。少々よろしいですか」
この庭園には人がいる。
一定に距離を取っているけれど、それぞれが貴人を囲んだ複数人になっていて、その中でも一番近くにいた女性に声をかけた。
装いの意匠は……オルレンドルやヨーでは見かけない。栗毛の一部を赤く染めた女性はラトリア人のはず、と見当を付けたのは、その人の侍女集団が赤毛だったためだ。他の東屋にもいくらか貴人の女性らしき人が休んでいたけれど、どの人もクレナイの装いだから話しかけ難い。言語も異なるはずだし、だったら同大陸の人の方が良い。
女性は二十代前半ほどの年齢で、幸いにも言葉が通じた。白魚のような真っ白い手を重ねると「まあ」と驚きに目を見張って立ち上がる。
「お見かけしたことのないお顔かと思っていましたら、もしかして新しい方でいらっしゃる?」
「新しい……とは、少々意味を掴みかねますが……」
「いえ、わからないならそれで構いませんの。あら? それならどうして案内役がいないのかしら」
本来なら案内役がいるらしい。
大陸共用語が通じたのは助かったけど、ますます意味がわからないし、はじめから一人であったと告げると女性はまたもや驚いた。
「それでしたら、わたくしが説明するより直接聞くべきでしょう。あちらへ真っ直ぐ進むと、ひときわ大きな館にたどり着きます。そこに貴女様のお国の……」
言いかけたところで、はたと気付いたように首を傾げた。
「あら? あらあらあら? わたくしとしたことが、うっかりしていました」
何かに思い当たった様子で上から下まで私を眺め、好奇心いっぱいの眼差しで近寄ってくる。
「あの、私に何か?」
「もしかしてですけれど、貴女様はオルレンドル人でいらっしゃる?」
「……そうですけれど」
動作のひとつひとつが可愛らしい人だった。このときもパン、と手を叩いて無邪気に喜びを露わにしている。
「やっぱり! ラトリアにはない珍しいお髪と、きらびやかな衣装! わたくし、ラトリア人以外の方と初めてお話してしまったわ!」
「ウツィア様、お行儀が悪うございます。それにオルレンドル人となれば……」
「彼女達の言葉は気にしないで! ああ、でしたらまたお目にかかる機会もあるでしょう。どうぞ、館に行ってくださいませ。きっと、そこですべてがわかるでしょう」
きゃあきゃあと喜んで行くべき場所を教えてくれる。
彼女はラトリア人には違いなくても、格好や振る舞い的に深層の令嬢といった印象を受ける。世間に擦れていない感じなのだが、名乗るつもりはないらしい。
いまはウツィアという名前だけを覚えて、彼女の見送りを経て、指し示された道を行く。
彼女が示した館はどこを探せど見当たらないが、ここが人智を超えた場所であるなら必ず見つかるはず。
そう信じて先へ進むも、道中は少し居心地の悪い思いをした。
何故ならここにはウツィア以外にクレナイの女性たちがいる。彼女たちはそれぞれが距離を取っており、各所に一人と複数の侍女だけだ。最初に見かけた人より装いも飾りや衣装の色味も劣っていそうだ。共通して全員が興味か、あるいは厳しい眼差しを向けてくる。
私は彼女達を知らないし、相手も同様のはずだ。謂われのない敵意に応える必要はないので、澄まし顔で中央を通り抜ける。
門を跨ぐとさあっと風が吹き、私はひときわ大きな館の前庭にいた。
それは五階建ての白亜の建物。ウツィアは館といったけれど、この大きさともなれば城と言っても差し支えない。建築模様的にはファルクラムに似ているけれど、細かな紋様が入っている。
気合いを入れ直し、再び足先から指先まで意識して所作を直す。
──こうなったら、皇妃としてやれることをやるまでだ。
オルレンドルどころか、ラトリア、クレナイまで巻き込んで一体何が起こっているのか、事態を質す必要がある。精霊絡みとなればこちらの世界の白夜に会えるはずだし、彼女との再会を期待し扉を押すと、やはりひとりでに開いてくれた。
中は広いホールになっており、赤い絨毯が敷かれている。
どこに向かえば良いのか迷うけれど、奥に続く扉が勝手に開くから誘導してくれそうだ。行くべき場所を示してくれるのは良いけれど、静かすぎて不気味さすら感じる空間に、怯えて逃げられる可能性は考えなかったのだろうか。薄気味悪さを覚えながら進むと、唐突に暖炉のある待合室に到着した。
今度はラトリア人と、ヨー人がいる。ラトリア人が二、ヨー連合国の人が五名の計七名。クレナイの人はいないから、どういう法則性で集っているのかは不明だ。
ここにいる人達は「みんなでなかよくする」といったつもりはないようで、彼らもまた、お互いに距離を取りながら殺気立っている。私が到着した際も、もの凄く厳しい目線を向けられて、女とわかった途端に目をそらした。なぜ性別で意気を削いだのがわかったかといえば、ラトリアの若い男の子が「女か」と忌々しげに呟いたためだ。
彼らは何かを待っている様子で、奥にはひときわ大きな二枚扉がある。誰もそこにはむかう気がない様子で、試しに前に立っても開く様子がない。
念のため試しただけだったのだけど、ラトリア人に咎められた。
「おい、そこは決められた者以外は進入禁止だ。言われた規則は守れ」
「規則とおっしゃいましても……」
舌打ちされてしまった。他の人も教えてくれそうにないし、ラトリア人はあまり友好的じゃなさそう。困ってしまったので、探るような目でこちらを見ていた、壮年のヨーの男性に話しかけた。
「よかったら教えてもらいたいのですけれど、この先には何があるのでしょうか」
「この先、ですか……」
ラトリア人とは逆に、ヨーの人の対応は丁寧だ。おそらくは彼らが凝視していた私の髪の色、ヨーの白髪信仰に起因するのだろうけど、この人は考え込んだ結果、深々と頭を下げた。
「貴女様もここに導かれたのでしょう。もしご存じないとあらば、我々からお話しするのは避けた方が良い。そちらにおかけになり待たれると良かろう」
「あ、ありがとうございます」
「いえ……おい、そこのヤガゥス族。こちらの女性に椅子をお持ちしろ」
知り合いではないだろうに、どちらも私には丁寧に接してくれる。そろそろと座りながら思い返すのは、ヨー連合国の部族名についてだ。
ヨー連合国の部族名は必ず「ゥ」が入る。それにヤガゥス族といえば……。
現状を整理していると時間はあっという間で、やがて開かなかった二枚扉が、重厚な音を立てて開いた。
奥は会議室になっていたらしい。最奥にはどう見ても人間ではなさそうな男性が立っているが、部屋から出てきたのは七名の人間だ。
五人がヨーの人で、ひとりがラトリア人、そして最後の一人が……。
軍服を基調とした装いに、右肩からかかる毛皮付きの外套。どこか違う世界でみた皇帝そっくりの装いで、まとめて括った長髪は普段と違う雰囲気を醸し出している。
この人だけは間違えようがない。もしかしたら会えるかもと期待を抱いていたけれど、本当にいるとは思わなかった。
ライナルト、と名を呼び立ち上がると、彼もまた私に気付いた。
驚きに目を見張るも、私のもとへ早足で近寄り、頬に手を伸ばして触れてくる。
「本物か?」
第一声にしてはあんまりな言葉でも、まず疑ってくるところが彼らしい。この人こそ私の夫で間違いないと、詰め襟で隠れた首を触りながら確信した瞬間だった。