72.不思議の国へ
「なぜここにきてヨーに干渉を?」
彼女の疑問はもっともだ。私の役目はライナルト不在のオルレンドルの安定であって、他国への干渉は求められていない。余計な騒動を巻き起こすのなら、当然許されない行為になる。
「私の予想が正しいなら、おそらくキエム殿から直接の返事は期待できません」
以前シュアンから聞いた話を元に思い返している。
彼女曰く、派遣されているキエムの部下の様子。いままでは単に不自然だな、くらいの感想で記憶に留める程度にしていたのだけど、今回の件で感じた。
ラトリアがオルレンドルに仕掛けるにしても、ライナルトから聞いているラトリア王ヤロスラフ三世の性格と国の状勢を鑑みると難しい。
以上を説明して、私の所感を述べるとこうだ。
「キエム殿が事情があって隠れているのであれば別ですが、どちらもらしくないというのが私の考えです。ですから確証が欲しい、手短に調べたいのです」
「本当に出てこられたら?」
確認を取るモーリッツさんに微笑んだ。
「そのときはキエム殿とお茶でもしましょう。ラトリアが騒がしいのでしたら、こちらとサゥの仲の良さを再度見ていただく必要があります」
キエムはまだヨー連合国内での安定を優先したいはずだから、まだこちらに仕掛けてくる真似はできないはず。
二人は私の言いたいことを理解してくれたらしいけど、私もあえて言葉しよう。
「オルレンドル含め、どこも指導的存在の意図に欠いた動きをしているように思えてなりません。もちろんこんな先入観を持って動くつもりはありませんが、陛下がお目覚めになった時のために、ラトリアとヨー、二カ国の不可解な動きの前提条件を整えておく必要があります」
まだなにが有利に働くかわからない状況だ。ひとつでも手がかりが得られるなら越したことはない話だし、調べるだけなら問題はない。
モーリッツさんはしばらく考え込んだけれど、ニーカさんの後押しで調査に合意してくれた。彼女の伝手を使って調べてくれるそうだけど、いったいどんな伝手があるのか、興味本位で尋ねたら意外な答えが返ってきた。
「エスタベルデ城塞都市、あのとき貴女につけたハサナインという若者を覚えていますか」
「もちろんです。ジルケさんと一緒に護衛に当たってくれましたよね」
両者ともに奴隷だった家族の流れを汲む人だ。この二人がどう関係してくるかと言えば、なんとハサナインさんはサゥ氏族への諜報活動を行っているらしい。
しかし彼は私の護衛役をこなしていたことからも、オルレンドルの信頼厚い人物として考えられているはず。そんなことが可能なのかと問えば、ニーカさんはそれも承知だ、と頷いた。
「工作員をやっているところです。接触自体は初期の頃からあったそうで、ちょうど良いのでこちらから潜り込ませました」
「じゃあ今はオルレンドルにいないということですか?」
「いずれヨーにオルレンドルの領事館を作らせてはと話が出ていますので、その関係でヨーとオルレンドルを行き来させています」
そしてキエムは間違いなくハサナインを信じていない。疑われているのも承知で、情報収集に最適だからと、本人の希望もあって行かせたそうだ。他にもしっかり向こうに根付かせ最中の工作員はいるらしいけど、キエムの現状を探るだけなら彼で問題ないだろう、と彼女は言った。
「ハサナインを使う以上はある程度の手の内を明かさねばならない。その分オルレンドルの内情も伝わることになりますが、まぁ、私共もあれにすべてを明かしているわけではないので……何か気になることでも?」
「……いまはまだお互い利用し合う関係だからいいですけど、国家間問題に発展したら危険そうだなと……」
「それもハサナインは承知の上です」
彼に目を向けさせることで、他の仲間から疑いの目を逸らす。時間稼ぎをこなせば、役目を終えた折に出世も約束されている……と、こんなところだろう。さらっと言ってるけど、ニーカさんも結構なことを部下に行わせている。
彼女を近衛や帝国騎士団入りとは別枠とし、特別な権限を与えたライナルトの判断は正しかった。小回りが利くおかげで気心知れた仲として相談できるし、現にこうして助けられている。特別扱いが良いことばかりではないとは小耳に挟んではいるけど、私たちには必要な存在だ。
残るはラトリアだけど、こちらはアヒムを使おう……と、まさかの提案がでた。
「陛下も彼に探りを入れさせていましたが、次の命令もなくて暇をしているでしょうし、あれは働いていないと駄目になる男です。次の旅にも時間がかかるし、キルステン家でのんべんだらりと護衛をしているだけなら、馬車馬の如く働かせましょう」
「ニーカさん……アヒムに大分お詳しいですね」
「我々は良い友人関係を築いていますよ。たまに飲みにも行きます」
アヒムとはわだかまりも取れて話せるようにはなっていても、長居はしてくれないから羨ましい。
ニーカさんのにこやかさが眩しい。頼りがいのある彼女に安心感を覚えていたら、モーリッツさんがぽつりと呟いた。
「玩具の間違いだろう」
笑顔のニーカさんが首を直角に曲げると、モーリッツさんはそそくさと立ち上がり部屋を後にする。女二人になると期待の眼差しを向けられると、私は黒鳥と黒犬を出し彼女に進呈した。黒犬を抱き、巨大化した黒鳥に挟まれるニーカさんは心から幸せそうだ。
使い魔達はあたたかさのなかにもちもち……ぷにぷに……? とにかく柔らかな触り心地に、あるはずのない抜群の毛の感触を有している。
苦労をかける前報酬をお支払いし、存分に堪能してもらうのだけど、終わり際に彼女に励まされた。
「ライナルトですが、あの欲しい物は必ず手にしてきたやつが貴女を置いて行くことはあり得ません」
「自信満々ですね」
「親友特権といいますか、そこだけは、まぁ見てきたので」
薄く笑い、黒犬の頭のてっぺんに顎を乗せている。犬の調教師を親に持つだけあって、扱いは手慣れた感じ。黒犬もこころなしか気持ちよさそうだ。
「貴女と交わされた約束は聞いています。置いて逝かないと誓ったのなら約束は違えないでしょう。むしろ今頃、あいつを連れて行ったとかいう相手を叩きのめす勢いなんじゃないかな?」
「そんな乱暴なこと……」
「せっかくの新婚生活を台無しにされたら、私でもぶち切れます。あいつだってやっと貴女を手にしてのこれですから、正直、目を覚ましてからの方が怖いくらいです」
趣味といって差し支えない政も滞ってるものね。
彼女の言葉に励まされ、それぞれが仕事に戻る。
調査を進めてもらい、裏を取るにはひと月ほどかかった。これでもかなり速かった方なのだけど、この頃にはライナルトの不在に対する不安がかなり表面化し、私にもちらほらと厳しい声が出始めている。
なんでも陰謀論が噂に上がっており、皇帝陛下が表に出てこられないのは皇妃による皇室の乗っ取り計画が進んでいるかららしい。
私としては予想できていた笑い話なのだけど、コンラート家の事例を出されているからちょっと信憑性が高いと聞く。そんなことでオルレンドルの中枢は揺らがないから問題はないし、気にかけている余裕もなかったけれど、困ったのはライナルトの症状に似た居眠りの回数が増え始めていた点だ。
違うとしたら、最初の時と違って記憶には残らず、いつの間にか寝ていた……くらいの感覚。
自室に引き上げると、いつも通りライナルトの眠る寝室に向かい、寝台に身を乗り出す。彼の腕を掴むと、筋肉が固まってしまわないよう動かした。このあたりのお世話はヨルンに任せているけど、私も暇を見ては刺激を与えている。
もし彼が起きたら、筋肉が衰えたと言い、自主練に励むのが容易に想像できる。その前に体の動かし方を覚えているかが不安なのだけど、ライナルトならきっと大丈夫だろう。
目下の問題は、眠る機会の増えてしまった私がどれだけ対抗できるか。
フィーネのおかげで私は連れて行かれずに済んでいるらしいけど、彼女曰く、相手はのらりくらりと彼女を躱し続け、未だ確実な正体は掴めないそうだ。
このために、もしもに備え、どれだけリヒャルトとモーリッツさん達だけで持ちこたえられるのかを検討し始めている。
ライナルトの耳元に顔を寄せ囁いた。
「そろそろ寂しいので帰ってきてくれません?」
…………これで目を覚ました夫に会えたら苦労しないのだけどなぁ、とため息を吐いたところで、カクン、と頭が落ちた。
一瞬後に、また私はあの不思議な庭園にいたのだから、現実とはままならない。
まるで隠れた楽園のような小さな庭園。木陰のベンチに座る私は、風に乗って漂う花の香りに、辺りを見渡し、指を動かした。
試しに声を出す。
「あら、もしかしてこれって夢じゃないの?」