表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/141

69.誤解には気をつけて


 妻!

 妻!?

 妻!!!??

 いまこのひと妻っておっしゃった!

 どなたでしょう、お目にかかったことなど一度もありませんが!

 危機感を感じて後ずさった。もちろん私の夫はひとりだけなのもあったし、知らない相手とは言え、私を「妻」などと呼称する人物と相対していたと、後にライナルトに知られたらあとが恐ろしい。

 そもそもオルレンドル宮廷に突如現れたこの人物は何者なのか。

 不信感いっぱいに見上げていて気付いたけど、後ろの人はともかく、青髪のひとは、装いから見ても人間ではない。

 人間じゃないあたりで少し冷静になれたけど、感激に震えていた男性が、途端に寂しげに肩を落とす様に内心で首を傾げた。

 もしかしてこのひと、私をみていない。

 視線に込められた想いは、ひたむきと言っていいほどの熱を持っている。だけど私という人間を捉えているのかといえば……それはない。

 わかってしまえば恐怖感は薄れたし、声をかけるのもやぶさかではなかった。

 あの、と声をかけようとしたときだ。


「皇妃殿下!」


 ベティーナの声で我に返った。

 目の前には焦った様子の侍女がいて、必死の形相で私を揺すっている。あまりの慌てように声をかけていた。


「……どうしたの、なにかあった?」

「なにかあった、ではございません! お声をかけてもお返事がなく寝ているかと思えば、どこを見ているかもわからぬ様相で!」


 涙声で訴えられ、本当に心配をかけてしまったらしい。

 彼女曰く、私は心神喪失状態にあったらしかった。当然、そんなのは記憶にない。彼女こそ何を言っているのか……と言いたいところだが、ベティーナ以外にも心配そうな侍女がいる。

 彼女達の出現と共に不思議な二人組は消えてしまっていた。こころなしか彼らがいた瞬間と違い、周りも時間を取り戻した……そんな感覚がある。

 私は素直にそこに人がいた、と告げたのだが、ベティーナには否定された。

 

「皇妃殿下の御身は近衛がお守りしております。わたくし共以外に人など……」


 はっ、と衝撃を受けた様子で背後に振り返る。

 もう一人の侍女も何かに気付いた様子で、ベティーナに同意を示すと身を翻し、彼女はぎゅっと私の手を握った。


「陛下がご不在で心労が祟っているのは気付いておりました。しかしながら、幻覚を見るまでにお疲れとは、もっと早く進言すべきでございました。申し訳ありません」


 …………おや?

 もしや誤解が生まれている?

  

「あら? ちょっと、違うってば、話を聞いてベティーナ」

「……なにもおっしゃらないでください。問題はございませんから」


 ベティーナは私を繊細すぎると思い込んではいないだろうか。ライナルトが恋しいとはいえ、幻覚を見るほど病んではいない。むしろ幻覚なんかにうつつを抜かしたら愛想を尽かされるので、そんな暇はないというか……。

 さっきの発言は完全にしくじった。

 侍女を止める手立てはなく、遅れて侍医長が駆けつける有様だ。診断の結果、私はお馴染みである、心の専門医であるデニス医師との面会を取り付けられた。

 先生の診断は「お疲れですね」で済ませられたものの、侍女達はよりいっそう慎重になった。疲れを取るためのお香、お風呂のマッサージ、食事療法に睡眠と至れり尽くせりで、数日ですっかり元気を取り戻したのだ。

 けれど業務に戻ってもいいと言ったら、ルブタン侍女頭に圧のある笑顔をもらったので、諦めてもう少し休むことにした。

 ジェフにお願いし、こっそりコンラート家に帰ると、まず出迎えてくれたのは長毛の老猫だった。元家猫だけど捨てられていたところを家人に拾われている。

 私がクロとシャロを連れて行ってしまったので、家の新しい癒やし担当だ。

 続いて走ってきたのが義娘フィーネで、よりいっそう自然になった笑顔で抱きついてくれる。遅れて最後に登場したのが、庭師のおばあさんだ。

 突然の帰宅にも動じず、にこっと力強い笑みで迎えてくれる。


「あらあら、おかえりなさい」

「ただいまメヒティルさん。突然ごめんなさい、他の皆は外出中ですか」

「みなさんお使いに行っちゃってますけど、いまはマリーちゃんがお昼寝してますよ。呼んできましょうね」

「シスはいませんか?」

「あの子ねぇ、昨日から帰ってきてないんですよ」

 

 彼女はジェフにも満面の笑みを浮かべた。


「ジェフさんも、重い上着は脱いでくださいな。もうすぐしたらゾフィーさんが帰ってきますからね」

「ああいえ、自分は仕事の最中ですから」

「うちのなかでお仕事しなきゃいけないような事態は起こりはしませんよ。さ、せっかく帰ってきたんですから、ゆっくりお茶でも飲みましょうか」

 

 こんなパワフルハイパーおばあちゃんだけど、気取って偉そうにするところはひとつもない。みんな相談がしやすいから、家人をはじめ、ジェフも完全に頭が上がらず、新入りにして重鎮と化している。

 なお、パワフルハイパーはシス命名になる。

 猫のウラは老猫なのと、猫自体の気質のために動きが少し緩慢だ。そのぶんだけ人懐っこく、愛嬌も増しているので、成猫とは違う愛らしさが備わっている。皆によく手入れしてもらってるのか、毛は絡まりひとつみせず、拾われたときの面影はひとつもない。抱っこもなれたもので、ぬいぐるみみたいに大人しい。

 私に習ってフィーネも黒犬を拾い上げ、抱っこで運びだした。

 メヒティルさんは、庭で摘まれた香草を丁寧に洗い、茶器にお湯と共に注ぎ入れる。簡単だけど、素朴で香りの良いお茶だ。

 起こされたマリーが到着し、ついでに彼女に連れられてきたサミュエルが嫌そうに席に着いた。彼はたまにこうしてコンラート家に出現するようになったと聞いている。

 私に対しては面倒くさいやつがきた、といった雰囲気を隠さない。


「どぉもこんにちは」

「ええ、こんにちは」

 

 ジェフは剣をさりげなく手元に置いているので、たぶんサミュエルへの警戒は解いていない。サミュエルもそんなジェフに辟易とした表情をしてみせた。

 マリーがお茶にジャムを入れる間に、サミュエルへ話しかける。


「こちらに戻ってきてたのね」

「マイゼンブーク卿や誰かさんにめんどくせぇ仕事押しつけられるおかげで休む暇もありゃしませんが、やっっと暇らしい暇が出ましてね」

「よかったじゃありませんか、少なくとも仕事があるって証拠だし。ね、マリー」

「そうねー、稼げない男よりは稼ぐ男がいいのは確かだわ」

 

 彼と喋れるのはマリーという存在があるからだ。彼女がいなかったらサミュエルは隙を晒さないし、飄々とした態度を崩さなかったろう。私が彼について考えることも、こうも話す機会すらない。

 マリーを真似てお茶にジャムを混ぜるフィーネは、お茶の味をみてからメヒティルさんにお願いした。


「おばあちゃん、この味、わたし嫌い」

「じゃあ何も入っていないおばあちゃんのお茶と交換しましょうね。すっぱいのが苦手なんだから、あんまり量を入れちゃいけませんよ」

「だってマリーは美味しそうに飲むんだもの」

「人の味覚のせいにするんじゃないわ。あと行儀が悪いんだから、作ったからには全部飲みなさい」


 むくれるフィーネにマリーが忠告するも、言うことを聞く娘じゃない。

 

「やだ。いろんなの試すの」


 そう言って次のジャムを試そうとする。

 意外にこの二人もうまくいっているらしい。

 私も任せてばかりはいけないし、フィーネに注意しておこう。


「フィーネ、いまは身内だけだから嫌いでもいいけど、そういうときは苦手って言うの。もっと穏便にすませるなら得意じゃない、がいいわ」

「なに、それ。面倒くさい」

「人とお茶をするときには重要なの。言葉一つで与える印象ががらっと変わるんだから。いまは理解できなくても、いつかはわかるから、ね?」

「…………おかあさんがそう言うなら、やるけど」

 

 ほんとうに表情が豊かになった。少なくとも言われたとおりになんでも行動していた時より、自己主張が出てきた分だけ感情は育っているはずだ。

 ジェフ、フィーネ、マリー、サミュエル、メヒティルさんと、あまりない面子でのお茶会。話題に欠きそうだけど、そこはメヒティルさん。はじめにお茶を準備した段階で、きっちり考えてくれていた。

 一人分、お茶の用意が多いと思っていたら、お隣のエレナさんが登場したのだ。焼きたてのお菓子を持参して、笑顔で席に着いた。


「お呼ばれってことで、今日はチョコレートのクッキーにしてみました。カレンちゃんも是非たべてくださーい」

「美味しそう。エレナさん、腕上げました?」

「おわかりですか! はい、得意じゃないなりにちょっと上手くなりました」


 どん! と積まれる、文字通りの山積みクッキー。

 宮廷のお菓子もおいしいけど、作りたての手作りは別の味があって手が止まらない。

 エレナさんは料理が好きな人じゃないけど、私の用事で呼ばれる以外は暇を持て余しているのもあり、方々の趣味に手を伸ばしている。最近はお菓子作りにはまっていて、ちょうどコンラートに無限の胃袋を持つ半精霊がいることから、これ幸いにと大量生産を行っているようだ。おかげで誰の脂肪も犠牲にならず、腕前だけが伸びている。

 柔らかく甘みがつよいクッキーは、濃いめに淹れられたお茶に合った。

 エレナさんとマリーと私が主軸になりつつ、フィーネに話題を振れば自然に場が回る。

 甘味に辟易したサミュエルが厨房から持ってきた、しょっぱめのナッツを囓りつつ、エレナさんが私に聞いた。


「そいえばカレンちゃん、息抜きは大事ですけど今日はなんでコンラートに? 突然だったから、お姉さん驚きましたよ」


 まったく驚いていない調子の質問に、私も本題を思いだし、老猫ウラのお腹を揉みながら言った。


「あ、ちょっと幻覚見ちゃったので、フィーネに相談しに」


 言葉選びを間違えた、と気付いたのは一拍の沈黙を置いてからだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ