表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/141

外伝.自由と自堕落は紙一重


 シスの一日は、おおむね朝から始まる。

 おおむね、という点がミソなのは、本来ならば眠る必要がないためだ。肉体は限りなく人に近づけているが、その気になれば睡眠は必要ないし、好きに活動していられる。

 それが朝寄りになっているのは、人間の大多数に合わせている……のではなく、居候中の家が健全な生活を送っているからというだけだ。

 朝日が昇ってしばらくするとパチリと目を覚まし、あくびをこぼす。細かい動作でも気を抜かないのがシスという半精霊もどきだった。

 やっかいになっているコンラート家の部屋は堂々の三階だ。家人しか許されない階層に、家主が嫁いだ後は堂々と居座っている。

 服を着替え、寝ぼけ眼を擦りながら部屋を出ると、同じように部屋を出た少女と出くわした。

 絹のような黒髪に、乳白色で滑らかな肌、優雅で品のある、どこにいても目を引く存在は、いまはフィーネと名乗る純精霊だ。

 寝衣のまま廊下に出てきた少女に、シスは手の平を乗せる。

 

「やぁお姫様、昨日はよく眠れたかい」


 その気になればすべてを見通せる目が半精霊を見上げる。いまもシスの本質を見抜いているだろうが、恐れる様子もなく考える仕草が微妙に生意気だ。もちろん気に食わないのはシスの所感なのだが、相手が精霊の中でも桁違いの年増なので、なんとなくでもマウントを取ってやりたくなるためだった。

 フィーネはシスの手を払うでもなく、小鳥みたく首を傾げた。おそらくこれを連れてきた元凶たる人間の使い魔(鳥)を真似ている。


「眠るのはむずかしいわ。だからよく眠れたかと聞かれたら、いいえね」

「ふぅん。眠るなんてきみにとっちゃ十八番だろうに、なんでまた」

「おばかさん。長く生きているとね、よく眠るって行為は数百年単位をあらわすのよ。そうなったら周りの声も聞こえなくなっちゃうから、わたしは浅くしか眠らないの」

「そりゃもの知らずで失礼しましたよっと。んで、いつもより早く起きてどうしたんだい」


 理由を尋ねた途端、少女はにこりと唇の端を持ち上げる。最近ようやくこの娘は自然体の笑みを浮かべるのが上手になった。

 シスの手を借り、階段をくだりながら謳うように教えてくれる。


「おにいちゃんの見送りをするの。だから、早支度」


 無論、本物の「おにいちゃん」ではない。齢数千を生きたこの精霊の年齢を超えるおにいちゃんがいたらそれこそ化物クラスだ。この場合は「人間の義理の兄」になる。昨晩はコンラートに泊まったから、ずっとわくわくが止まらないのだろう。

 少女はコンラート家に養子入りした。そのためコンラート家次期当主がその対象になるのだが、その「兄」の面倒見が良いからか、ことのほか懐いている。

 「餌をやらないでください」の張り紙を思い出しながら少女を観察した。人間を真似て、顔を洗い、歯を磨くが、その間に少女は少し不快げに唇を尖らせる。


「じろじろ見られるのは好きじゃない」

「見てないよ。観察してるんだ」

「いっしょじゃない。それ以上変な目でみるなら、髪を結ってよ」

「やだよ。僕へったくそだもん。義父にでも結ってもらいにいけば? どうせきみならひとっとびだし、この間やってもらったんだろ」

「あの人は上手だけど、わたしには笑ってくれない。だからいや」

 

 長すぎる髪のせいでまとめるのも一苦労らしい。魔法なしだと不器用だから、一向に上達しない。結局フィーネは使用人のローザンネの元へ行き髪結いを頼むのだが、その間は習った歌をリズムもへったくれもない音程で歌い出す。

 へたくそと言ってやりたいが、見た目に騙される使用人勢に冷たい目で見られるので如何ともし難いのが実状だ。見た目というのは重要で、フィーネは無垢な少女を偽装するのが大変上手なために、ほとんどの人間が騙されている。

 だが悲しいかな、シスの意見に同意するのは同じ人外の使い魔ルカのみだ。地味にフィーネを「あの泥棒猫」呼ばわりし、悪鬼の如く怒る様は親近感を覚えるが、人間達においては、非常に残念ながらあの純精霊は大変受けが良い。

 このため彼女が原因で一度本体を喪失したルカは、隙を見ては姑の如く苛めてやろうといった気概で満々だ。実際、人間の見ていない裏舞台で仕掛けた争いはやりすぎなくらいだったが、ルカ的には正統な権利だ。

 何故ならいまのあの使い魔は、言葉を悪くすると所謂バックアップから蘇ったコピーになる。元々シスが知っていた本フォルダは主人が連れ去られる折、”神々の海”もといゴミ箱フォルダに残され消失してしまった。『ルカ』としては本物も偽物もない同位存在の認識であり、周囲の人間もそんなことはつゆ知らず接しているが、それはそれでこれはこれだ。

 出し抜かれて主たるカレンを連れて行かれたのは、高すぎるプライドが刺激された。そのため人間の知らぬところで人外バトルが勃発したが、ルカの攻撃はすべてフィーネの目前で消失した。以後は怒り散らすため、フィーネは対応が面倒くさかったのか、最終的にルカにバージョンアップを施すことで両者は表面上だけ和解したのである。

 ではシスは、といったところだが、彼はもちろん最初からやりあう気はない。

 カレンにかけていた加護を容易く突破されたし、気に食わないばばあではあるが、最終的に攫われ人は戻ってきたし、落とし前はつけたように見受けられる。フィーネがいれば気に食わないオルレンドル皇帝は始終しかめっ面になってくれるので、面白さに勝るものはないと観察を決めた。

 さて、支度を整えたフィーネだが、「おにいちゃん」ことヴェンデルが降りてくると、懐いた犬猫の如く歓迎した。

 ヴェンデルの腕の中にいる猫は最近拾われた捨て猫で、毛の長い老猫だった。動物相手に少々ライバル心を抱いた様子だが、これも感情表現が豊かになった現れだろう。このような反応を示すのは現状ヴェンデルか、あるいはカレンのみではあったが、千年単位の引きこもりにしては素晴らしい進歩だ。涙を流して拍手でもしてやるべきだが、少女のために手を動かすのも億劫なので、きっと金でも払われない限り行動には移さない。

「家族ごっこ」に興味をなくすと外に出た。ルカはどうせヴェンデルについて学校に行くし、誘う気にはなれない。鼻歌を歌いながら家を出ると、四匹の犬の散歩帰りらしいゾフィー宅の兄弟をみかけた。

 レオとヴィリに手を振ってやると、満面の笑みで少年達は挨拶をしてくれる。健全な家庭には健全な精神が宿るとは、ああいう子たちを言い表しているのかもしれない。


「だけど健全すぎて、後ろ暗い身としちゃあ眩しくって仕方ないね」


 馬車を拾い向かったのはキルステン宅だ。

 代金は当然キルステン宅につけ、我が物顔で家に侵入すると家人に挨拶する。


「やあアレクシス、ちょいと聞きたいことがあるんだけどいいかな」

「シス君か。朝早くからとは珍しい」


 キルステン当主アレクシスだった。柔らかい面差しをもつ中年男性は、突如やってきた不審者にも慣れた様子で対応する。はじめの数回は姿を現す度に吃驚顔で心臓を押さえていたが、それが見られなくなったのは非常に残念だ。

 息子のエミールは犬のジルの散歩らしい。卓の林檎を手に取ってひとかじり、ひととおり世間話に興じると本題に移った。


「アヒムだけど、あいつ、最近見かけないけどどこに行ったか知らない?」


 現在キルステン邸にやっかいになっている旅の仲間だ。ここ三日ほど姿を見かけないので、アレクシスに尋ねに来たのだが、彼は不思議そうに尋ねた。


「聞いていないのかね」

「なんにも」

「いまはオルレンドルを空けているよ。……君たちは仲が良いから、てっきり伝えたと思ったのだが……」

「あいつ、僕が魔法で追跡すれば良いとでも思ってやがるな」


 実際はシスに知らせる気が皆無だったのだが、真実を知るキルステン家の執事は口を噤んでいる。

 フィーネによるカレン誘拐の際、アヒムは人外達にヨー連合国へ置いていかれた。なんとか一人で帰ってこられたが、その道中は筆舌に尽くしがたい苦労があったらしい。以降シスには怒り気味なのだが、シスは許されたと思っているので、連絡を取ってもらえなかった理由をわかっていない。

 むしろ的外れな方向で呆れていた。


「もしかして、まだカレン嬢の結婚にいじけてんのかな。諦め悪いなぁ、あいつ」


 アレクシスが苦笑しきりなのは、シスによってアヒムの長年の想いがバラされているからに他ならない。せめて助け船を出してやるべく、アレクシスが付け足した。


「お使いを頼んだのさ。明日には帰ってくるから、そのときは君の元に行かせよう」

「いや、いいや。用事があったのは今日だったから、いなきゃ意味ないし」


 アヒムを諦めると市街地へ繰り出し、朝から安酒場に堂々と居座った。この時間から入り浸るのは大抵は夜仕事で疲れたやつか、そうでなかったらろくでなしだ。楽器を持ち、適当な歌を一曲歌ってやればシスを褒め、酒を奢ってくれるから歌が好きだ。肉体に酒を回し、擬似的な酔いを味わって笑い続ける。最近の話題はやはり皇帝夫妻になってしまうが、素知らぬ顔でくだらない噂も、下品な噂も何でも聞いた。彼らが皇帝陛下に比較的好意的な印象を持っている理由が「婚姻式で全国民に祝い酒を振る舞ってくれたから」というのが実に現金で、これだから安酒場は外せないのである。

 だらしなく飲み明かし、昼をとっくに越えると店を出た。大概気の向くままに遊び明かすシスは考える。適当にふらついて学校帰りのヴェンデル達と遊び歩くか、ひさしぶりにモーリッツをからかい遊ぶか、コンラート家のリオに何か作ってもらって夜まで寝るか。

 選択肢は様々ある。

 マリーに頼んでどこぞのパーティに紛れ込んでも良いし、魔法院で憧れと尊敬の眼差しを全身に浴びても良い。ただし後者は相談と称して仕事をやらせようとする長老がいるので要注意だ。一度うっかり言葉巧みに騙されてしまった。

 外に繰り出し、一日中木の上で寝ていても良かった。

 なんでもできるシスはもう自由で、誰にも気兼ねなく遊んでも咎められない。

 帰りが遅くなると心配されるが、まあ、それはそれで心地良い。

 文字通り体から酒を抜いたところで「決めた」と呟く。

 この後、帝都グノーディアは中心部たる宮廷では、元『箱』の核だった青年を迎え入れるのだが、真っ先に向かったのは、どこよりも警備が厳重にされた一画だ。

 だだっ広い庭で、大型動物の傍らに座り、せっせとブラッシングに勤しむ女に話しかけた。


「なんできみがそんなことしてんだ?」


 シスを見上げた女は、オルレンドルでも最高級仕立てのドレスが汚れるのも厭わず膝をついていた。艶のある白髪が特徴的で、眼差しは穏やかで物腰は柔らかい。最近やっと「らしい」振る舞いが様になってきたシスの弟子だった。他の肩書きがコンラート家の当主代理で、ついでにオルレンドル帝国皇帝の伴侶でもある。

 弟子ことカレンはぱちりと目を丸める傍ら、大型動物……もとい、虎のクーインから取れた毛を丸めている。


「ちょっと毛が荒れてたのが気になったから、シャロ達のついでにね」

「ついでにしちゃ取れすぎだろ、毛。ドレスも……あーあー、毛だらけだ」

「だって気になったんだもの。それより、シスは一人?」

「他にいるように見えるか? きみこそ暇みたいだけど、仕事はないの?」

「さっき終わって帰ってきたの。やることがないなら、お茶にしましょうか」

 

 予定のない訪問にもカレンは当然の如く対応する。

 丁度おやつの時間なので、シスのために出てきたのは大量の茶菓子だ。消化系に関してはかなり肉体を弄ってあるので、昼過ぎまで飲んでいた酒は障害にならない。目の前でパンケーキを焼いてもらいながら、蜜やジャムを付け足しおやつを堪能して行く。

 いつもならヴェンデルやフィーネの様子を聞いてくるところだが、今日の彼女は虫の居所が悪かったらしい。新婚なのに漏らすのは夫への愚痴だ。

 行儀も気にせず、フォークで果物をつつきながらぼやいた。

 

「お昼ご飯を約束したのに、約束をすっぽかされたの。これで連続二日目よ」

「相手皇帝じゃん。予定通りなんていかないし、諦めろって」

「だって私はいいっていったのに、ライナルトから約束してきたの。それなのにあんまりじゃない」

「あーなるほど。あいつから言って破るんならあいつが悪いな。そんなことしなくてもいつも悪いけど」


 新婚の愚痴ほどまともに相手をして損を見るものはない。どうせいまは不満に思っていても、ライナルトの口に乗せられ機嫌を取り戻すのは目に見えている。適当に聞き流し、相づちを打っていたが、いつの間にか彼女がシスを見る目が変化していた。

 シスを見ているようで、違う誰かを見ている眼差しだ。

 何? と眉を顰める前に、唇の端についていたらしいジャムを拭ってくれる。その所作は少しだけ保護者めいていた。


「やっぱり、ちょっと違うのよねぇ。弟みたいにはほど遠いというか……」

「到底無理な注文しないでくれるかな」

「……ちょっと寂しいわ」


 誰を連想したかは知らないが、どちらかといえば寂しそうに笑った姿に不快感を覚えた。自分を前にして悲しくなるなど、弟子のくせに生意気ではないか。

 カレンはひたすら謝ったので許したが、これで終わらせないのがシスである。

 帰りがてら皇帝陛下の執務室に足を運ぶ。案の定皇帝は彼を相手にしないが、そんなのは予定調和だ。勝手に座り喋りだし、ついでに話を誇張して、皇妃殿下と『仲良く』『長時間』おやつを楽しんだ旨を強調し、鼻で笑ってその場を後にする。

 皇帝を見事におちょくると、顛末など知ったことかと帰路につき、のびのびと背伸びをして玄関を潜るとこう言うのだ。


「ただいま。ああー……今日も一日頑張った!」

 

 出迎えに現れた老猫を抱え、家の中に姿を消していった。



 現在脳が限界値に達しているため外伝です。

 2巻ボイスブックサンプルをいただきました。とても良い形でまとまっております。

 たくさん聴いてもらえたらいいなあと思いつつ、8日配信予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ