64.野心だらけの三国探り合い
ライナルトは数日置きに視察に出かける。
カール帝と違い、良くも悪くも視察の多い皇帝だと評判で、よく帝国騎士団を連れ回す。
護衛に連れ回される帝国騎士団は暇がなく大変かと思いきや、第一隊だけに偏らないよう順番に回すので、見せ場もできるから彼らは張り切ってくれる。引き継ぎのために各々が連絡を取り合うから、前帝時代にあった独立独歩の気風も形を潜めた。
これに誰よりも嘆いていたのは、他人に争わせるだけ争わせ、高みの見物を気取っていたバーレ家のベルトランドだけど、あの人は縛られるくらいが丁度良い。
何故ならベルトランドには問題があった。それは前帝カール時代に行われた、裏口入隊の数。バーレ家の手助けがライナルトの皇位簒奪を助けたとはいえ、今後も同じ不正が続くのは見逃せない。
公にならなかったのは、これまでの功績と、彼が私の実父だったためだ。
こっそり叱るだけに留めたけど、いまはどうなっているのか……真相を知るのはライナルトだけだ。あの二人だと悪巧みしているとしか思えない。
ライナルトとのお昼時、白身魚をひとくち食べて嚥下した。
「しばらく外出を控える?」
「もう少し見ておきたい場所もあったのだがな、外出は控えてくれとリヒャルトに泣きつかれた」
「リヒャルトのお言葉はもっともだと思いますけど、ええ、あなたが帝都にいる時間が長ければ私も安心します」
モーリッツさんは視察賛成派で「陛下は実際の帝都をご覧になることで政へのひらめきを得ているのだ」と言っているけど、ライナルトとの遠出を楽しみたいので台詞に繋がっている。
いまでこそ陽が高い内に戻ってきてくれているけど、私が慣れてきたら一泊くらいしてくるんじゃないかしらと心配していた。
「でもあなたらしくありません。そんなことをお決めになったご事情は、どれほど私たちの頭を悩ませるものですか?」
「ふむ。昼時にしたい話ではないのだが」
「じゃあなんでご飯時にそんなこと言ったんですか」
「日中会えないと愚痴を言っていたと聞いた、これでいくらか時間の共有が図れるだろう?」
「それは嬉しいですけど、あなたがやりたいことを我慢するなんてときは余程です」
添え物のトマトは薬学院の温室で作られた特別製だ。お魚がバターたっぷりだったから、新鮮な甘みが強くて美味しい。
関係ないけど、オルレンドルの人ってバターたっぷりの料理が好きよね。寒いと力になりやすい食材が重用されやすいんだけど。
甘味は小さな焼き菓子にオレンジのキャラメル焼きを添えたもの。酸味と甘みが調和されいて、とても香ばしい。ライナルトは果物だけを単純に摘まんでいる。
食事を終えて一息つくと、溜め置きされていた話題はたしかに面白いものではなかった。
庭に面した椅子に揃って腰掛ければ、意外な国の動向を聞く。
「ラトリアが動き出した?」
「こちらに隠れてな」
私たちの大陸を支配するのはオルレンドル帝国、大国ラトリア、ヨー連合国の三か国だ。
オルレンドルは前帝時代にラトリアと繋がりがあったけれど、いまはヨー連合国の一部族と友好関係にあり、ラトリアとの関係は薄れつつある。
いまラトリアは、かつて前帝から譲渡されたコンラート領を足がかりに領土を広めようと、滅ぼされたあの地の再建を試みている。しかしオルレンドル傘下となったファルクラム領は資材の引き渡しをケチり、高値で売りつける様になった。
オルレンドルとラトリアに挟まれたファルクラム領は、両国が戦になれば真っ先にとばっちりを食らう位置だ。皇太子時代からライナルトが情報操作を行っていたのもあり、彼の国には悪感情を抱いている。
ラトリアは資材不足のために近隣の森林を伐採し始めるも亀の歩み。本国から距離があるせいで補助を期待できず、派遣される人には旨みよりもつらい作業になる。
それでもめげずに再建に励んでいると聞いていたのだけど、最近はそんなラトリアからオルレンドル入りする人間が多いらしい。
それも数十年前に発生した難民ではなく、もっと上の立場の人間がだ。
「その流れ者の中に、コソ泥の如く尻尾を出すまいと不審者が紛れ込んでいる」
「近年のラトリアは安定していないと聞きます。自国の安寧が優先でしょうに、随分オルレンドルに熱心ですね」
袖を引っ張り合図を送ると、クッションを使って上手い具合に上体を調整し、ライナルトの膝を枕にする。横になるや指で髪を梳く感触が伝わった。
「そろそろ話すが、ラトリアがオルレンドルにわざわざ出向いているのは貴方も無関係ではない」
「結婚式の時に、期待もしてなかった使者様がいらっしゃったことに関係してる?」
結婚式にラトリアの使者が参加したのは記憶に新しいけど、実はそれ、完全に参列はないものとして私たちは勘定していた。理由は先に述べたラトリア側の情勢の不安定化にかけて、式が遅れを見せたから。ラトリアとオルレンドルでは距離があるし、互いの関係を踏まえると参加するほどではない。それがきっちり使者を立てて贈答品まで用意してきたから相当驚かされた。
その理由をいまになってライナルトは語る。
「連中は長く続いたあの光の柱を警戒していた。ヨーの連中も同様だ。……キエムに誘われただけにしては使者が多かったろう?」
「多いなあと思ってたくらいで、言われてみれば、ですね。そこまで裏は読んでませんでした」
「モーリッツなら減点を出していたろうな」
「素敵な旦那様が隣にいましたから、幸せな花嫁をめいっぱい満喫していたんですー」
オルレンドル帝の伴侶としては落第だが、奥さんの回答としては正解だったらしい。
ちょっとしたじゃれ合いを経て続きを答えた。
「特に警戒されているのはれいちゃ……黎明ですか?」
「それを操ってみせた貴方も対象だ」
「……もしかして私も制限入ります?」
「完全にではないが、しばらく外回りは控えてもらう。ああ、実家周りは構わない、そちらは安全を確保できる体制が整っているから」
ライナルト曰く、式以降は黎明が姿を現していないのが、こちらの動向を探る人々を焦らせているらしい。彼女は平行世界から戻る過程と、結婚式で私に負担をかけないよう、自力で変身を行った影響で深い眠りについているだけだ。こちらの世界は大気中に魔力が不足しているから回復が遅れている。
「彼女を使って侵略でも行うと思ってるのかしら。……思ってるのでしょうね」
たとえばこの間のブロムベルク夫人が、私が精霊を行使するものと思っていたように、彼らを道具として見立てている人は大勢いる。昔と違い共存とは随分遠ざかってしまったから、人とそうでない者を隔てる壁はとても高かった。
……それを思うと、私の夫はライナルトでよかったのかもしれない。神秘嫌いの彼は自分が制御できない精霊を使おうとは毛頭考えていないから、私を利用しようとしない。
「どのくらい自重していれば良いのか、目安はわかります?」
「目的を探らせているから時間をもらいたい。もしラトリアの思惑がわかる者がいたのだとしたらこちらにとっても有利なのでな」
「……誰を使ってるんです?」
含み笑いが引っかかって尋ねたら、おかしそうに目元を緩めた。
「カレンのもう一人の兄が暇そうにしていたから、ニーカの推薦もあって声をかけた」
アヒムかぁ。
いまは父さんの要望があってキルステン家に滞在しているのだけど、有能な人は放っておいてもらえない定めらしい。
ヨー連合国はわかりやすくて、五大部族のサゥ氏族の首長キエムの妹、シュアンの元に世話役として多くの使用人が派遣されたそうだ。
三国はそれぞれが土地を拡大する思惑に余念がない。
野望は尽きず、いずれ戦争になる可能性が高いけど、キエムはヨー連合国を仕切る五大部族に登り詰めたばかりでしばらくは地位を安定させる必要がある。忍耐の人である彼は、思いつきでオルレンドルに手出しはしない。そのため現状は様子見に納めるし、残りの四大部族も同様のはず。このため警戒すべきはラトリアになるのだけど、彼の国は親交も薄く、大森林を挟んで遠すぎる上に、独自の風習と閉鎖的な考えが強く動向が読みにくかった。
「……後継争いの内乱が長く続いているのでしたっけ」
「色々あったらしいが、最終的には王弟と息子の一人が王位を求め反旗を翻したらしいな。鎮圧されたがいまだに内乱の爪痕が深い」
「現王ヤロスラフ三世はラトリアで絶大な影響を誇る王だと聞いています。やはりオルレンドルに敵意があるでしょうか」
「敵意というよりは野心だろうが、野望に素直になるにはヤロスラフらしくはないとは感じる。今回、精霊共を警戒しているにしても動き方が不審だと感じたのもそのせいだ」
それは他国がオルレンドルの内情を探っているように、ラトリアに密偵を送っている彼の回答だ。
「ラトリアは王族と言えど強き者が国を治めるべく、決闘などと単純な方法で国王を決める国だ。王であってもその例外には漏れず、その中でヤロスラフは長い統治を誇る王と言ってもいい」
十代半ばで冠を得てから、五十年を迎えなお健在。過去に何度か内乱を勃発させても国内を抑えているが、その性格に関してライナルトは答えを出している。
「カールも例に漏れなかったが、長く在位した老人は良くも悪くも臆病だ。ずっと内に籠もっていた男が余分な密偵を送るとは、それほどあの光の柱を脅威に感じたのか、それとも……」
「うちが仕掛けてくると不安になるなら当然では?」
「ラトリアへ続く道が限られているせいで、海路でも使わぬ限り、相手に知られぬよう戦を仕掛けるのが難しい。だからこそラトリアは守りが強く攻めるのが難しくある。もっとも、そのせいで資源には恵まれないのだが」
「はぁ……とにかくライナルトはラトリア側の動きがおかしいと睨んでいるのですね」
「確実に取れる戦や、痛手の少なかったコンラートのような件ならともかく、今回はヤロスラフらしくない。他の人間の思惑を感じる」
国内の平定を無視して外に出る政策をとれる人間ではないと言いたいらしい。こればかりはライナルトの勘が重要だから彼を信じ、私も安全に動くのみだ。こういうときに油断して攫われるなんてあっては目も当てられない。
「そういえば結婚式の時の使者の方、ただの外交使節にしては立派な風采の方がいらっしゃいましたね」
「気になったか?」
「大人しくされていましたが、ひときわ目立っていましたからね」
隠しても隠しきれない威圧とでも表現しようか。
その国民性か、国を代表して外に出てくるラトリア人は使者といおうと鍛え上げている人ばかりだ。その中でも、まさに燃えるような赤毛を有する武人がいたから覚えている。格好良い殿方でしたよね、と言わずにおいたのは私にしては賢明だった。
「案外王族の可能性はある」
「まさか」
「ヤロスラフは子宝に恵まれているから、あり得ない話ではない」
とはいえ本当に王族かどうかは興味ないのは丸わかり。
「それで、陛下は彼らの期待にどうお答えするつもりでしょう」
「私は平和を好む。せいぜい期待を煽り、我が国に抑止力があると見せかけながら遊ぶとしよう」
「…………しばらくは平和そうでよかったです」
戦支度が整ってないからまだ仕掛けないと。
うん、婚姻間もなくで血生臭い話にならなくてよかった。
ライナルトの首元に指を伸ばして添わせる。
「ところで外出のご予定がなくなったということは、私との時間に割いてくださると期待してもよろしい?」
「カレンが望むのなら融通しよう」
「じゃあもうしばらく私の枕になっていてくださいな」
「構わない。デニスの診療結果を聞くまでいるつもりだったからな」
時々皇帝の夢を見ては錯乱するから、心の医者であるデニス医師には診療を続けてもらっている。
今回の措置は大袈裟かもしれないが、ライナルトはまた私がどこかに行かないか心配しているから、安心させるためにも約束は違えないつもりだ。
新婚さんらしいじゃれ合いを続けていたが、後になってしみじみ思う。
私たちの期待する平和は、つくづく長持ちしないものらしい。
ライナルトが倒れ、目を覚まさないと知らせが届いたのはそれから半月後の話だ。
短篇集発売日に「転生令嬢と数奇な人生を」側で発売記念SSを公開します。
また電子特典は6巻の服装事情に続き「大陸食事情」と設定付きイラスト3枚になります。
よろしくお願いします。