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62.お勤めと女子会

 オルレンドルに親のいない子供達を保護している施設は多々あるけど、向かった孤児院は国営の……というより亡き皇太后クラリッサが表向きは運営していた施設になる。

 この名にいい思い出はないけれど、かといって責務を引き継ぐのを嫌とはならない。


「まさかこうしてお越しいただけますとは……!」


 施設に到着するなり出迎えてくれた初老の院長と職員さん。

 子供達から花束を手渡してもらう際に視線を同じ高さに合わせた。こういうのは教えてもらったわけじゃないけど、義娘ができたことで自然に身についた感覚だ。

 精一杯身綺麗にして緊張に身を固める子供達は微笑ましい。


「どうぞこちらへ。まずは子供達より歓迎の挨拶をさせていただきたく存じます」

「ありがとう、私はこちらに伺うのは初めてですから、案内お願いしますね」

「はい、はい。かしこまりまして……!」

 

 院長と施設職員達がやたら大仰に出迎えてくれるのは、大袈裟……でもない。訪問は季節が一巡りするまでに一回あれば良い方。院長としてはここで良い印象を与えて運営費を獲得せねばならない、そういう必死さがある。事前に調べてもらっていたのだけど、皇太后クラリッサは自ら孤児院訪問をする人じゃなかった。ただオルレンドルの皇后は孤児院の運営に名を貸すのが習わしで、ほとんど引継の事業だったから、彼女の名前が表に出ていたのだ。

 施設にいる子供は大体五十人程。整列した子供達に挨拶と歌で歓迎してもらうと、次は対面会話で、子供達がどんな風に生活を送っているか直にお話しする。たくさんは話せないけど、どの子も顔色は良いし健康状態は悪くなかった。院長や職員さんを先生と呼び慕っているのも見て取れる。

 それが終わると施設巡りだ。お決まりの順路があったらしいけど、途中で足を止め施設を見渡した。


「老朽化が進んでますね。修繕は入っていなかったのですか」

「そうで……ございましょうか。しかしながらオルレンドルの建築技術は一級でございますゆえ、まだまだ充分やって行けます」


 年老いた院長がぎくりと身をすくめたのは、もしかして咎められると思ったのだろうか。だとしたら心外だし、少し悲しい。私がではなくこうまで追い詰められたご老体がだ。


「院長は、わたくしがオルレンドル人ではないのはご存知ですね」


 このご老体はこの施設を任されて三十年ほど。六十代なのにもっと年嵩に見え、顔に刻まれた皺がこれまでの苦労を物語っている。

 私の言葉に肩を跳ねさせた事実に、クラリッサに対する苦い感情を呑み込み微笑んだ。


「ですから多種多様な文化を取り込み成長したオルレンドルを誇りに思っているのです。子供達が何人の血を引いていようとも、この国で生まれ育ったからには誰でも平等に教育を受ける権利があると考え……」


 まだすべてを言い終わっていないのに、たったこれだけの言葉で、ずっと不安そうに、皇妃の機嫌を損ねてはならないと必死になっていたご老体から力が抜け、ぶわっと大粒の涙を落としたから驚いた。

 普段ならここはハンカチを差し出すべきだけど、いまは違う。

 ここで狼狽えては駄目。

 皇妃たるもの悠々と、それこそルカの言葉を借りるけど聖母の如く慈愛を作らねばならない。全部知ってますよと、あたかも全知全能な神を装った笑みを作るのが私の仕事であり、これこそが孤児院訪問を依頼してきた宰相からの要請だ。


「も、申し訳ございません。このような醜態を……」

「いいのですよ。いままで苦労なさってきたのでしょう、あなたの苦難を思えば、わたくしはあなたに礼を言わねばならない立場です」

「そんな、礼など……私は、ただ子供達を健やかに育てたいと!」


 この反応なら想像できると思うけど、皇太后クラリッサは訪問を避けていただけではなく、必要な経費もケチっていた。正確にはケチってないけど、私にしてみれば変わらない。

 理由はこうして直に赴いたからわかる。子供達の中には赤髪や、肌の色が濃い人種の子供がいる。即ち親のどちらかがラトリアやヨー人であり、彼女が国営孤児院を好かなかった理由は、ここが子供達の血筋を差別せずに受け入れていたためだ。

 きっと要請はあったんだろうけど、いまのご時世では生粋のオルレンドル人の子供だけを迎えるのは難しいし、院長が子供を差別せず巣立ちさせる目標を掲げる人だった。


「少し順路を外れます。申し訳ないけれど、施設全体を見させていただきますね」

「カレン様、ご予定を外れますよ」


 ジェフは注進するが、形だけだ。


「それでも行く必要があります。あなた達も子供達が立たされている現状を、その目で納めておきなさい」

 

 本来は足を向けるべきではない職員の部屋や、建物の隅々まで見て回る。すべてが終わる頃にはため息を隠すのが大変だった。


「すぐに陛下に申し立て、修繕と建て替えを始めましょう。それに人員や嗜好品の類も足りていませんね。補充を行えるよう手配させます」


 運営に決められたお金だけしか支払われなければ、緊急時に必要なお金は足りない。この場合は修繕費や備品に嗜好品の類で、家具や遊具はどれも古く、何度も修理して使い続けた痕跡がある。

 国営だからクラリッサの目があるし、下手に国民へ寄付を募るのも難しく、善意ある貴族からの寄付金で繋いでいたのがやっとの状態。子供達の服装を見たときから感じていたけど、ここまでとは思わなかった。

 これが国営の施設だなんて、誰が信じられるのかしら。

 私はいわばクラリッサの尻拭いと言おうか、放棄した仕事を進めただけなのだけど、帰るまでには援助のために早速使いを送った。院長の国への不信感が少しでも払拭されたと信じたい。

 職員さんや年長の子供はこれから良くなるかも、と目を輝かせている。少しはいい仕事ができたかしらと胸をなで下ろしたときに、それは起こった。


「この毒婦め!」


 叫び声がしたと気付いたとき、見慣れた背中が私の前に立った。

 庇われたのだ。

 ジェフ、と名前を呼ぶ間に一気に場が騒がしくなるのだが、安全を確認し立ち退いた彼の肩にべったりと粘性の液体が張りついている。

 卵だ。

 私は卵を投げつけられて、ジェフに庇ってもらったらしい。

 犯人は施設の子供で、近衛から押さえつけられている。大人が集って体重をかけていたから、院長達の悲鳴が轟く。たまらず叫んでいた。


「やめなさい、相手は子供ですよ!」


 解放されたのは女の子だった。

 泣きじゃくっているものの、私に向ける目は憎悪にまみれて挫けない強い意思を持っていた。


「オルレンドルを乱した悪者め! 悪い魔法でオルレンドルを乗っ取ってなにをする気だ!」

「やめなさい!」


 院長や職員さんたちが少女の口を塞ごうとするも、少女は暴れ、結局押さえつけられて無理矢理連れて行かれる。ジェフが目配せしてきたが、なにもしないで、と目線で返した。

 院長はもう汗だくで、必死に女の子の言葉を訂正しようとする。

 あの子は比較的最近迎えられた子らしい。あちこち施設を点々として、最終的にここに落ち着いたらしかった。


「決して、決して先の言葉は本心ではございません。あの子は先の内乱で父を亡くし、母親に置いて行かれてしまいました」


 内乱とはライナルトがカール帝を弑逆した皇位簒奪の動乱だ。

 院長の話をひととおり聞き終わると、努めて平静に頷き返す。


「普段は仲間思いの良い子なのです。ですがあのように皇妃様に無礼を働くと知っていれば、決して、決して……」

「きっと、家族に置いて行かれた悲しみをぶつける先がないのでしょう。……彼女の罪を問いはいたしません。あなたがたの元で、彼女の傷が癒えるまで支えてあげてください」

「ああ……ありがとうございます。ありがとうございます……!」


 思いがけない危機を迎えたけど、この程度で済んでよかったはずだ。

 今度こそ孤児院を去るときは馬車ではジェフに同乗を求めた。


「あなたの衣装を汚してしまってごめんなさい。怪我はなかった?」

「たかが卵ですから、問題ありません。それよりもカレン様が汚れなくて良かった」

「ありがとう、ジェフが庇ってくれたから、時間に遅れずに済みそう」

「なんの、役目を全うできてよかった」


 爽やかに笑っているけど、きっとはじめからあの子に目をつけていて、だからこそ迅速な行動が取れたのだと思う。


「このことは陛下には言わないで。他の人にもそうよ、きつく口止めをお願い」

「ですが、子供といえど危険な思想でした。罰とは申しませんが、報告だけは必要かと」

「あの年頃の子は傷つきやすいの。知らせるにしても、あの人の様子を見ながらよ。それまでは院長に状態を報告してもらうだけに留めて」

「陛下はやはりお怒りになるでしょうか」

「わからない。子供だし見逃してくれると願いたいけど、ライナルトは過激な一面があるから」

「……苦労されますな」


 ふ、とあの時から変わらない、見慣れた柔らかい眼差しになった。

 恥ずかしくてつい両手で口元を覆う。


「大事にされてるのはいいこと、なんだけど」


 結婚して落ち着いたとはいえ、私が違う世界から帰還を果たしたのはまだこの間、といっても差し支えのない範疇だ。たかが卵一つでもどれが逆鱗に触れるかわからないし、慎重になりたいといえば納得してくれた。いまいち不服そうな侍女のベティーナにも言い含め、この事件はこれで終息させる。

 ジェフが馬車を後にすれば、振動で不安定な中、針を持った侍女達が私を挟み、レース生地や透けた素材でドレスを彩り始める。


「それにああいう考えを持つ人がいるのも事実なのだろうし」

「カレン様はご不安ですか?」

「愚痴よ、ここでだけ許して」


 相手が子供だったから堪えてはいないけど、ああいった考えの大人が多数存在する事実は忘れてはいない。

 院長にも語ったとおり、私は生粋のオルレンドル人じゃない。

 いまの私は幸運にもオルレンドル国民の大多数に受け入れてもらっている……と自惚れでないなら認識している。行方不明中は特に不名誉な噂にまみれていたらしいけれど、竜の背に乗り帰還を果たしてすべて撤回された。いまは大陸のどこにもいなかったはずの精霊を連れて帰った功労者として労ってもらえているが、だからって全員に歓迎されるわけではない。

 ……皇妃としての洗礼を受けていると言おうか、比較的落ち着いていられるのは陰口も初めてじゃないためだ。

 真正面から毒婦呼ばわりは初めてだったけど、あの子の場合は逆に真っ直ぐですっきりするくらいかもしれない。貴族には悪質な方が多いと、公の場に出始めてたった二十日程度で思い知らされている。

 そしてそれは、昼食会が行われたブロムベルク邸でも例外じゃない。

 もしかしたら、と期待を胸に赴いてみたけれど、すべてを終えコンラート家に寄った頃には、私は机に前のめりになっている。


「お疲れさまでした、カレンちゃん。今日はなかなか悪質な方でしたねー」


 労ってくれるのは途中から合流したエレナさん。普段宮廷にはいないし慰問への同行もなかったのだけど、昼食会や女の園に出向く際は同行してもらっている。今回はマルティナが急いで彼女を呼び、美しく着飾ってから同行してくれた。


「エレナさん……付き添い本当にありがとう。おかげで嫌味も冷静に流せました」

「お姉さんは特別手当ときらきらの衣装目当てに立ってただけで、あのおばさんを冷静に躱して、皇妃としての格を見せつけたのはカレンちゃんの手腕ですよ」


 その証拠に流行のドレスに頬を染めて喜んでいる。

 淡い緑を重ねた薄衣におおはしゃぎで、歩くたびにふわりと揺れるのがお気に入りみたいだった。

 

「エレナさんいないと無理だったからぁ。……それに、褒めてくれるけどわかりやすい皮肉で返したのは失敗でした」

「遠回しに言っても気付けない方はいらっしゃいますし? ま、ま、気にするなら次頑張りましょ」


 ……ああ、今日の昼食会は百点満点中の五十点も点数をつけられない。皮肉と嫌味増し増しのブロムベルク夫人相手に同じ土俵に立ってしまった。


「マルティナは、大丈夫? 相当駆け回ってくれたみたいだけど……」

「大丈夫です。カレン様が呼んでくださったおかげで、こうして休めてますから……あ、すみません、姿勢はどうかお見逃しを……」

「いい、いい。身内しかいないんだから楽にして」

 

 他にはあちこち駆け回り、私と同じく疲労困憊のマルティナ。そこにすかさず給仕してくれるのはゾフィーで、ひとり悠々と腰掛けていたマリーが肘をついていた。


「やっぱり皇妃サマって大変よねー」

「マリーも、エレナさんの着付け手伝ってくれたんでしょ。ありがとう、急なのに助かった」

「趣味だから構わないわよ。それより、私が選んだ貴女のその服、役に立ったじゃない」

「え?」

「最初は型破りだ破廉恥だなんだの文句言われたんだけど、私が進言して貴女の衣装棚に入れさせたの、知らなかった?」


 マリーが意味深に背後へ控えるベティーナに視線を向けると、こころなしか悔しそうに俯く私の侍女。……マリーと侍女達、仲は悪くないはずなんだけど、微妙に、こう、微妙にバチバチやり合うときがあるみたい。私はこの事実を知らなかったけど、マリー自ら申告して教えてくれていた。


「なんにせよ無事に終わって良かったではありませんか。……フィーネ様はもう少ししたら帰ってきますよ」

「……シスとルカだけで大丈夫かしら」

「心配はわかりますが、問題ありません。時折悪戯はしますが、常識はきちんと教え込んでいる様子ですから」

「そっか、ありがとう。ゾフィーさん」


 彼女や仕事終わりのマリーと、背後に控えるベティーナを含め、偶然にも女子会の体を成しつつある。この面子にジェフは気遣って外しているけど、いまごろヒルさんと歓談できているはずだ。

 ウェイトリーさんは定期検診に出かけているので、お茶入れはゾフィーの役目。

 マリーに指でつつかれた。


「それよりも、ゾフィーのお茶を飲んであげなさいな。かなり上達したのよ」

「…………本当だ、渋みもなくなってる」

「毎日頑張ってるのよ。元々かっこいい人だもの、これでコンラート家の見栄えもさらに上がるんじゃない」

「はは……なんとかお茶淹れがまともになりはじめた程度で、まだまだウェイトリーさんには適いません」

「でもゾフィーさんのおかげでウェイトリーさんはヴェンデルに集中できるんです。本当、良い後継者に恵まれて良かった」


 これにふふんと鼻を膨らませ得意げになるエレナさん。

 彼女が第一にゾフィーを推薦してくれたし、お友達が褒められて嬉しいに違いない。

 ゾフィーは我が家の要請を受け、正式にコンラート家の家令見習いとなって、お向かいの旧バダンテール邸に一家で越してきた。クロードさんの飼っていた犬たちを引き取っていたから、その繋がりでバダンテール調査事務所の現所長から打診されてたみたいなんだけど、見習いになると決めたあたりで正式に申し出を受けたみたい。

 このあたりで料理人のリオさんがマルティナと私のために軽食を持ってきてくれた。マルティナにはサンドイッチ、私には炊きたての白米で作ったおにぎりだ。

 今日は顔を出すといっていたから用意してくれていたらしい。

 塩握りと味噌漬けのお野菜が美味しくて、つい感極まってしまう。

 一緒に宮廷に来てもらう予定だったリオさんはコンラート邸に残ったから、こうして訪ねないとリオさんのお料理は味わえなくなった。時々呼んでお昼ご飯を作ってもらうくらいには、すっかり胃袋を掴まれてしまったのだ。

 

「マルティナは……家の方は落ち着いたの?」

「しっかりものの弟妹がおりますし、その子達をはじめとしてすっかり馴染んでしまいました。使用人も雇いましたから、わたくしが不在でもしっかり回っております」

 

 ……ってことは残業が多いのかな。

 ゾフィーさんがコンラート邸のお向かいに越してきたのは先ほど語った通り。では元のお家はどうしたかというと、マルティナと彼女の弟妹達に貸している。

 マルティナが引っ越ししたのは、私の秘書官として出世した関係だともウェイトリーさんに聞いた。収入も上がり大黒柱としてやっていける見込みができたので弟妹と相談し、伯母夫婦と生活の場を分けると決めたらしい。

 こうして懐かしい顔だけで集うと、話はあれやこれやと移り変わる。私も立場を忘れ楽しんでいたら、エレナさんが突然切りだした。


「それでカレンちゃん、新婚生活はうまくいってるんです?」

「うまくいってなかったら外出なんて許されてないわよ」

「そーなんですけどー。マリー、茶々を挟まなくったってわかるでしょ?」


 嫌な予感がしてきた。結婚式以降、こんな感じで集うと大概彼女達はこの手の話題に切り替え、私に聞き出そうとしてくる。


「まあね、聞きたい気持ちはわかるけど」

「でしょー。あの陛下がまともに旦那様をやってるなんて、ファルクラム時代の陛下を知ってるエレナお姉さんは、いまだに信じられないんです。ここはひとつ、ね?」

「そういって二人とも引っかき回すのが好きなだけじゃない!」

「当たり前でしょ。あんな結婚式までやっておいて話題のタネにならない方がおかしいでしょうよ。向こう一年は遊ばせてもらうわよ」


 そう、即ち私の結婚生活について……!



 短篇集は39本の短篇(書店特典・閑話・外伝+未完作は続きを書き下ろし・書き下ろし2本)とイラスト24枚などです。

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[一言] 早川公式noteを見ることができないので、出来れば活動報告で書店特典などの情報を教えてもらえればありがたいです。
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