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61.皇妃さまの支度事情

 早起きの利点は食事後に時間が取れることだ。

 二人で長椅子に腰掛けながら雪景色を眺める。

 いまは木々は緑を散らし閑散としているが、桜を植栽しているから春になれば見事な花を咲かせるはずだけど、他は何を植えるかはまだ考え中だった。薬草の類も考えたけれど、そちらはヴェンデル用の庭に様々植栽されている。なにもなければないでクーインが休憩場に使えるし、ライナルトの暇つぶしという対ニーカさんやジェフとの手合わせ場を見物できるので焦る必要はなかった。


「いまの公務はまだ軽めなんですよね、いずれこうもいかなくなるのかしら」

「そのあたりは私とリヒャルトで調整するが、直接政に関わる機会はそうそうないから心配しなくていい。どちらかといえば私の代わりに慰問を頼む機会が増える。それに不本意だが催事だな」

「ライナルト、そのあたり興味がないですものね」

「その通り、それに私よりも民とふれ合う行事は貴方の方が向いている」

「駄目ですよそういうこと言っちゃ。慰問なんて、王様が訪ねてきてくれるのは、みなさん嬉しいものなんですから」


 言ってみるも相手が他人の感情に興味がないから通用していない。彼は外壁工事なんかは率先して見学に行くけど、進んで慰問の類を行うとしたら戦による負傷者への対応くらいだ。実際この間も郊外の舗装工事に駆り出され怪我をした部隊を直接見舞った。

 最近は貿易に力を入れて商業の発展に力を貸しており、城壁外にも都市を拡張する計画を露わにした。国力を豊かにする皇帝だと評判が高くなる一方だが、私は知っている。

 工事の名目でさりげなく軍備を拡張、国内の要所に保管倉庫を設置する計画を立て、さらには各所に新しい砦を建設する計画だ。

 結婚式後のお休み期間が終わった直後、宰相からなにも言われず資料が届いたので何事かと思っていたけど、黙って読み進めるうちに意図を悟った。

 ただ表を読むだけなら、オルレンドル発展に寄与する素晴らしい事業だ。でも裏を読めば外壁工事の拡張計画を通していまのオルレンドルの建築技術の向上を計るつもりなのは明らか。オルレンドルが豊かになるのはいいことだし、最近はラトリアのきな臭さが際立っているから難民対策や侵略戦争を受けた場合の備えとして期待できるけど、こちらが攻め入る側になる可能性もあるので複雑なのは変わらない。だからといって備えは大事なので黙るに撤している。


 私の目標はこの人に長生きしてもらうことだけど、具体的には何をしたらいいのかしらね。


 本人に尋ねても「傍に居るだけで良い」と返ってくるのは目に見えている。私を甘やかすことに定評のある人だから、環境に任せていてはまず駄目人間になると、この結婚生活で婚約時代以上によーーーく学んだ。だから私がこの人の好いてくれる私であるためには、宰相やモーリッツさんくらいずけずけと助言をくれる人がいるくらいがちょうどいいのだと思う。

 などと考えていたら、あっという間に時間だ。

 足元に移動していたクーインや机の上でだらけていた猫たちをひとしきり撫でる。


「そろそろ支度しなくちゃ。ライナルトも頑張ってくださいね」

「カレンも。なにかあったら躊躇わず報告するように」

「はい」


 自分から唇を触れあわせ、余韻も覚めやらぬうちに呼び鈴を取る。涼やかな音が室内を満たせば数十秒のうちに扉が叩かれ、いまかいまかと待っていた侍女達が顔を覗かせ、ルブタン侍女頭が代表して恭しく頭を垂れる。


「おはようございます。皇妃殿下」

「おはよう。支度をお願いします」


 この部屋にして良かったと感じるのは、衣装部屋も作ってもらった点だ。すべてのドレス類は入らないけど、直近で着るものや宝飾品は手元に置いておけるから、いちいち出向いて時間を取られない。

 服を脱ぐまでは自分でやるけど、以降は侍女の仕事。

 指先まで爪が整えられているのも、顔やうなじ、腕、足まで綺麗に毛が剃られているのも、全部全部彼女達の繊細な仕事によるものだ。

 温かいタオルを顔に当てられ、されるがままになりながら、使い魔ルカの言葉を思い出す。皇妃付きの侍女は掃除洗濯礼儀作法だけに通じているんじゃない。様々な気遣いの他にもマッサージ師やエスティシャン並の腕前が必要なんだわとあの子は言っていた。

 そんなの到底私には務まらない。いつだったか、いとこのマリーが侍女にはなりたくない、と言った理由がいまになってようやくわかった。

 支度が終わる頃にはライナルトも出勤、入れ替わりにマルティナが顔を出している。

 彼女は私がコンラートから連れ出して秘書官になってもらった。はじめは恐れ多いと辞退されてしまったがウェイトリーさんの説得と、亡きクロードさんが私付きを推薦していたと聞き、それが決定打となり了承してくれた。

 彼女は文官らしい服装で整えているが、結わえた髪を一部だけ流し、少し柔らかさが演出されている。印象を整えるためか最近伊達眼鏡をかけるようになった。

 元から映える顔立ちなので、けっこう声をかけられる機会が多いらしいけど……服の下に複数の武器があるなんて、お誘いする側は知らないだろう。

 着替えを八割終わらせ、目尻に墨を入れる間に今日の予定を読み上げる。


「本日はかねてからのご予定通り、お支度を整えた後は国営孤児院へ慰問となっておりましたが、申し訳ございません。急遽予定に変更がございました」

「どう変わったの?」

「視察を終えた後はブロムベルク侯宅にて夫人主催の昼食会への参加をお願いしたくございます。療養院はまた別日に組ませていただきますので、本日はそちらへ」

「陛下に聞いた予定と違いますね」

「左様にございます。しかしながらこのような変更で御心を騒がせるなど許されざること。皇妃殿下のご要望あらば元通りの予定に戻せますが……」

「わかってます。その日程で組んでください」


 昼食会を捻じ込まれるのも初めてじゃないから狼狽えない。マルティナまで用件が上がってくるなら優先順位が高い証拠だし、彼女こそ淡々としているけど、揉めたのは想像に容易かった。臨機応変に対応するのが役目だから予定変更を駄目とは言わないけど、立場上物申さなきゃならない部分はある。それにこの場合、参加を切望してきたブロムベルク侯だけが問題ではない。


「ただ最近は頻度が高いですね。どなたあたりで動いているかは調べておいてもらえます?」

「近々、ご希望に叶う報告ができるかと存じます」


 うん、じゃあもう調べが入ってるってことね。

 私の予定を組むにあたっては、宮廷と外を繋ぐ取次と予定組みを兼ねる文官が複数存在して、このうちの誰かが過剰に小銭を稼いでいるのは間違いなさそう。このあたりは不本意だが大人の事情が絡み、宮廷のあれやこれやがあるから咎めて完全に止めさせる……のはできないけど、やり過ぎは良くない。本当に必要な急用を除き、お仕事ちゃんとしてください、新米皇妃だからって舐めないでくださいね、の意味で忠告は必要だ。

 だってほら、予定変更となってルブタン侍女頭が慌てて小物類や宝飾品の変更を指示し始めたもの。慰問と昼食会じゃ衣装の雰囲気を変える必要がある。こうも変更を許していてはマルティナをはじめとした秘書官と侍女の関係が悪くなるし、いまごろ護衛を任せる近衛も大慌てのはずだ。

 …………人間関係も考慮しなきゃいけないのが地味に大変かもしれない。

 コンラートのときはここまで苦労しなかったなぁ、と現実逃避する間に、やっぱり衣装は変更となってしまった。大慌てで着替えさせられたけど、最初より地味目の意匠だ。慰問目的としては問題ないけど、昼食会には不釣り合いになる。

 これにベティーナという侍女が言った。


「ブロムベルク邸へ向かう馬車でわたくし共が衣装を工夫いたします。こちら袖が外れる仕組みになってますので、代わりにこちらのレース仕立ての細工品と薄衣を組み合わせます。腰元は飾り帯を携帯いたしますからそちらで飾り立て、首飾りは……」

「……任せるわ」

「かしこまりました。身支度はわたくし共が整えますので、安心してご出立くださいませ」


 針仕事用の指ぬきや手首の針差し姿が異様に似合っていて、その姿は自信満々で頼もしい。やっぱり私の侍女はできる女性が揃っている。

 部屋を出ると、ひときわ立派な風采の人物が待っていた。こちらもコンラートから一緒に来てもらった護衛のジェフ。いまは私の近衛の隊長格を勤めてもらっていて、互いに随分立場が変わってしまったけど、気安さは変わらない。


「本日の行路を……」

「はーい、じゃあお願いします」


 今朝もしっかり努めさせていただきます、の宣誓を長ったらしく続けられてはたまらない。手の平に湧かせた黒鳥を渡して歩き出す。出鼻をくじかれたジェフが咎める様子でついてきた。

 

「カレン様、日の始まりに挨拶は重要です」

「その気力は最初で使い果たしちゃった。孤児院で頑張らなきゃいけないんだから、あなたくらいは気軽でいさせて。……これもう何回目のやりとりだっけ?」


 マルティナは本人の性格もあるし慣れない仕事だから練習も含め付き合うけど、ジェフ相手なら肩の荷を下ろしたって許されるはずだ、と思うのは甘えだからか。

 黒鳥はジェフの頭の上でしばし鎮座していたが、馬車に乗る手前で黒子犬に吼えられ、しぶしぶながら足元の影に溶けていった。

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