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60.皇帝夫妻の穏やかな朝

 目覚めは快適……には程遠い。

 顔の上で人を台代わりに跳ねるのは黒鳥、首の上でだらけるのは黒い子犬。

 小さくてもぽんぽん跳ねられる衝撃と息苦しさで身体を捻れば、使い魔達も諦めずに安眠を妨害する。争いの結果は私の負けで、上体を起こせば黒子犬と、その頭の上に乗った黒鳥が揃って小首を傾げていた。子犬は最近黒鳥に感化されている。

 ……昨日は猫のクロとシャロとも一緒に寝てたけど、二匹はどこに行ったのかしら。

 ふうっと息を吐き、そろそろと寝台を降りる。私専用にしつらえられた寝台は、オルレンドル皇帝の伴侶専用とあって豪華な天蓋付きになっている。柱の手彫り細工以外にも邪魔にならない程度に金箔が施され、天蓋カーテンはレースが幾重にも重なっているが、触れればじゃらじゃらと鳴る細工品は天然の桃色水晶製。大事にしたいけどこれは黒鳥の玩具と化しているから、傷が付きはじめるのも問題だ。

 普通の人が目覚めるより早い時間に起こしてもらったのはわけがあった。


「ライナルトはまだ寝てるわよね?」


 黒鳥が首を動かし頷く仕草を見せる。

 意気込んでクローゼットを開けばずらりと服が並んでいる。侍女達の手伝い不要で着られる服はこうして一箇所に集めていたが、生地もしつらえも腕のある職人製だ。

 本当はもっと気軽に着られる既製品が良かったけど、そこまでは注文をつけられないので、お手軽品を楽しむときは二つの実家に戻ったときだけと決めていた。

 私の部屋は二階にあった。

 部屋を出て進めば一階全体を見渡せる廊下に出る。居間となる室内にはだれもおらず、代わりに一階中央の、大理石が敷き詰められた冷たい床上に虎が一匹、腹の上に猫が二匹寝そべっていた。

 猫たちはクーインに取られてしまったみたい。目覚めに耳の上を掻いてあげると気持ち良さげに背伸びをするが、黒子犬と黒鳥が混ざればなんとも奇異な風景になる。

 顔を洗い歯磨きなどで眠気を追い払った。

 婚姻後、宮廷へ住まいを移すのは、かねてから決められていたとおりだ。新しい住まいは宮廷にありながらまるで新築のように新しいけれど、それもそのはず。なんとこの部屋は柱を残し、元あった壁や二階部分の床を壊して改築された。

 一階は暖炉つきの居間が大半を占めていて、採光には庭に面した部分に大きなガラス扉がある。改築にあたっては壊せない柱もあったから、狭く見えないように衝立を上手に使って高さと広さを演出し、新しい技術や様式をふんだんに取り入れている。

 一見うっとりするくらい素敵な部屋なのは間違いない。基本的にどこかに花や絵画が飾られているけど、見えない部分に実用性の高い剣や斧がかけられているのが、誰の要望であったかは察してもらいたい。

 他には談話室や書斎にお風呂、手洗い場と基本的な生活は一階で足りる仕様になっている。二階も数部屋残っているけど、一室が私の個人部屋になっていた。

 で、一階にはもう一つ大きな部屋がある。そこに目的の人がいるからすぐにでも入室したいけど、ぐっと堪えて我慢だ。私は庭に面したガラス扉に手を掛けた。

 室内は常に暖かいから忘れがちになるけど、季節は冬まっただ中。今朝も雪が膝くらいまで積もっているけど、これでも積雪は少ない方。

 ガラス扉を開くと寒さが飛び込んでくるけれど、風はないから過ごしやすそうだ。

 部屋から続く煉瓦で舗装された道だけは雪が取り払われている。履物を替え、行き着いた先は屋根付きの東屋……に似せた台所。こちらも特殊仕様で雪が入り込むことなく綺麗なままだ。これは婚姻前に『向こう側の世界』でお世話になったエルネスタ家の炊事場に似せて作ってもらった。

 食材は昨日の時点で運び込んでもらってるからすべて揃っている。

 支度は難しくなかった。整えられた竃に火を放り込むと、すぐにパチパチと木がはぜる音が響く。

 水を張った鍋には木でできた蒸し器を嵌めて野菜類を置くだけ。燻製肉は切り口が鮮やかな厚切りベーコンに、トマトはくし切りにして、必要分の卵を傍に置いて一端準備完了。

 いつの間にか傍にいた黒子犬に火の管理をお願いし部屋に戻ると、さっき入らなかった部屋の扉を慎重に開く。この部屋はカーテンが掛かってるから中は薄暗くなっているも、内装は知り尽くしている。

 部屋は主寝室だった。右側を空けて眠る人の傍らに足を運び、半分寝台に乗り出しながら目的の人の肩を揺らした。


「ライナルト、朝です」


 無防備に眠っていたその人は、深く息を吸い、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 まさにいま起きたて……と言いたいところだけど、私はがっくり肩を落とす。


「おはよう」

「おはようございます。やっぱり起きてた」


 丁寧に引き寄せられて真正面から抱きしめられる。首に掛かる息がくすぐったいけど、されるがままに身体を預けた。


「朝から落ち込んでどうした」

「なんでこう、うまく行かないのかしらと思って。この間より早く起きたつもりなんだけど、全然勝てたためしがない」

「起床に勝つも負けるもなかろうに、いつから勝負になった。カレンが早起きして私を起こしに来る、それだけで充分ではないか」

「ちょっと違うんですー」


 私がライナルトを起こしたいと言わなければ、とっくに起きて朝練にでも向かっていたはずだと知っている。


「いま起きたと言っては信じないか?」

「信じない。私だってその程度の嘘は見抜けるんですからね」

「残念だ。そろそろ独り寝が寂しくなってきたのに」


 などと言ってくるけど、私が別室で寝るのは数日に一回程度。今日はその一度がやってきただけなので、寂しいのは完全に嘘。大体結婚式以降は毎日顔を合わせている。


「それで、いつになったら支度を手伝わせてもらえるのかな」

「しばらくは駄目。たまの料理で緊張を解しているんだから、ひとりでゆっくり考えたいの」

「やはり疲れるか?」

「あなたの奥さんになったの、この間ですよ? 簡単に慣れちゃう方がびっくりなんじゃないかしら」


 侍従長からライナルトにお手伝いさせないでって言われてるの、いつ頃白状しようかな。

 私的には手伝いくらい良いと思うのだけど、万が一にも火傷すらさせたくないようで、料理は私一人に留めてくれと懇願されている。

 私? 私に関しては……諦めてそう。

 なかなか離してくれない夫に起きるよう促し主寝室を離れた。

 寒さで体調を崩しやすいせいか無茶をしないでほしいと言われているけど、料理は数日に一回の事前申告制だから無理のない範囲に留めている。

 宮廷と私たちの居室を隔てる扉は防犯上の理由で二重になっている。

 一枚目の扉を開くと次の扉まで小部屋を挟むのだけど、出入り口にワゴンが置かれていた。これに焼きたてのパンが詰まった籠や調味料類、果物や飲み物を入れてもらっていて、おかげで簡単に支度が整えられる仕組みだ。

 下段には動物たちのご飯が入った器があり、いまかいまかとご飯を待つ虎と猫たちにはこれが与えられる。クーインはまた別にご飯があるので、前菜みたいなものかな。私が料理をする日はライナルトがご飯をあげる役と決まっている。

 パン類を並べる間に、野外厨房の野菜はちょうど良い感じに火が通り柔らかくなっていた。鉄鍋に厚切りにしたベーコンを放り込むと、肉の焼けるいい音と匂いが漂いだす。トマトは軽く炒めて塩胡椒にバターをひとかけら。さらにもう一つの鉄鍋にたっぷりのバターを溶かして溶き卵を投入。ライナルトは半熟が好きじゃないので、形を整えてしっかりめに火を通したらオムレツの完成。私はバター控えめで半熟に仕上げている。

 オムレツのトマトソースがけ、厚切りベーコンに蒸し野菜をお皿に盛り、お盆で運んで着席。片付けを考えず作れば温かいうちに料理は楽しめる。

 ……後片付け禁止令が出ているので、ご飯作りのいいところ取りをしているのは否めないんだけどね。

 朝ご飯だから簡単に作ったけど、悪くない出来だった。卵の火加減も、ベーコンの焦げ目もお互いの好み通り。野菜は塩だけでも充分美味しいし、トマトソースは酸味が控えめで卵によく合う。

 パンは種類が豊富で色々あったけど、中でも砕いて柔らかくした玉蜀黍とチーズを練り込んだパンが絶品だった。


「今日の予定は孤児院と療養院の慰問だったか」

「そうですね。時間があったらコンラートに行くつもりですが、夕方には帰れると思う。ライナルトは……外壁工事を見に行くんでしたっけ。あと、あなた自ら手合わせをする話は本当ですか?」

「自主的に身体を動かしてはいるが、実地の勘が薄れては意味がない。……言いたいことは素直に言った方がいい」

「いえ、だったらなおさら寝室を分けて正解だったなって。寝不足で剣なんて握らせられませんもの」


 なんて言ったらご機嫌を損ねたが、無理をして寝不足になられては元も子もない。

 これは私が二階で寝ていた事情と関連しており、なんとこの旦那様、誰かと一緒ではちゃんと眠れない性質だと判明した。

 もちろん目を閉じて軽く眠るくらいはできる。私には無防備な姿も晒してくれるけれど、眠りは浅く、疲れを取る本当の意味での睡眠は取れない。

 婚約前にぐっすり寝入った彼を見たから勘違いしていたけど、あれは怪我と疲労が濃かったせいだ。何度か膝枕で寝てもらったこともあったけど、短時間だったし完全な睡眠には至っていない。詳しく問い詰めれば人の気配を感知するだけで身体が自然に覚醒するらしく、やっといつ起きても彼の方が先に起きている理由に納得した。

 こればっかりは生まれ育った長年の習慣だから、じっくり付き合っていくしかない。慣れるまでの対策を講じ別室を設えてもらったら、これにライナルトは大変お怒りを示し、口論の末、数日おきに別々で眠りましょう、となった。

 ついでだから朝の起床に挑戦したら、連敗に終わっているわけだ。

 周りからみたらくだらない遊びかもしれないが……これも新婚の楽しみということで私は楽しんでいる。

 結婚からひと月と少し、私たちはこんな感じで毎日を共有しているのだった。



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