59.閑話Ⅲ 安らぎの場所へ
ライナルトに早く帰りたいといったもう一つの理由が彼女だ。
フィーネを養子として迎えたいと紹介したときは、当然話し合いとなった。
彼は反対。コンラートで預かるだけでは駄目かと問われたけど、私がこだわったのは家族の形だ。心の傷が深い『宵闇』には、おそらく居候では声が届きにくい。彼女にかつて半身の白夜がいたように、なにかしらの形で身内を作らなければならないと強く感じていた。
コンラート周りの誰かの養子にする案も出たけど、“神々の海”を経て彼女が懐いたのは私だし、代わりをできる人はいない。
必至の説得でコンラート入りは認めてくれたけれど、当たり前だけど条件付き。
彼は婚姻後であっても、精霊は皇室の一員としては迎えない方針を固めた。ここはかなり繊細な問題で、その気はないといえど、不老の存在を政に絡めたくないから妥当な判断になる。
他にも揉めると思われたコンラートは一時間も待たずヴェンデルが了承したので……一応、正式な手続きは終わってないけど、とにかく養子入りの形はまとまった。
フィーネにも説明したけど、政治のくだりは興味がないし微妙な反応。養子入りの仕組みもピンと来なかった様子で、私の義理の娘にすると説明したら、ようやく疑問に首を捻った。
「わたしはあなたよりずっと年上だけど娘になるの?」
「そう、人間社会ではその方がごたつかないから、この形が一番穏便に家族になれる道だと思う。ただ私にはもう義息子がいるし、お兄さんもできることになるんだけど……」
アーモンド型の目をいっぱいに見開いて凝視された。
おにいさん、と数度繰り返すと私を指差した。
「じゃあ、あなたがおかあさん?」
「そうなるわね、嫌?」
後に黎明に聞いたけど、竜種と違い、母がいない純精霊にはかなり不思議な概念だったらしい。しばらくして、何度か言葉を繰り返して同意した。
養子入りはこんな感じで、比較的穏やかにまとまっている。
現実の方では、土替えを終えた子供二人が戻ってきた。
いちはやくフィーネが中に入ろうとしたところをヴェンデルが引き留め、顔に付着した泥を拭う。
「あれこれ触るのは汚れを落としてから」
フィーネはむっとした様子だが逆らう気配はなく、大人しく顔を拭かれている。
ヴェンデルはコンラート領じゃ常に弟分の立場だったし、仲のいいエミールにも弟扱いされてるから、お兄ちゃん的な位置が嬉しかったんじゃないかな……と見立てている。
黎明連絡網で、フィーネは早くもコンラートに馴染んだとは聞いていたけど、心から打ち解けるのはもっと時間がかかると思っていたから、これは予想以上の結果だ。
そして「嫌?」と聞いた私の質問の答えはここで出ている。
「おかえり」
シャロをライナルトの膝に移動させて、フィーネを抱きしめる。昔の実母とコンラート領のエマ先生がしてくれたみたいに、強めに力を込めてだ。彼女はまだ抱擁などに関してはぎこちない。愛情の籠もった接触には慣れていないが、嫌がってはいないと聞いている。
「元気そうで良かった。みんなとはどう?」
「……どう、というのはよくわからない。だけどおじいちゃんたちは優しい」
この場合の「たち」はウェイトリーさんや実父のアレクシス父さんになる。彼女にとっては世話を焼いてくれる二人はどちらも「おじいちゃん」に該当するのでこの呼び方だ。
ヴェンデルも抱きしめようとしたら、あちらは早々に席に着いている。
……帰ってきたときは怒りながら泣いてくれたのに、時間をおくと、向こうに飛ばされる前と同じく素っ気なくなってしまった。これが思春期なのかもしれない。
フィーネはライナルトを見ると、両手を広げて首を傾げたが、静かに拒否され諦めた。彼はこんなものだと認識しているのか、傷ついてはいない様子。隣に椅子を寄せると、膝にはお気に入りの黒子犬を添えてくっついてくる。反対側にはルカが座るから、私は小さな少女達に挟まれた。
「もーこれだから嫌なのよ。向こうではライナルト、こっちではフィーニスに取られちゃうんだもの」
「でも、あなたの復旧をしたのはわたし。わたしにだって独占する権利がある」
「うるさいわ。コンラートにいるのも、マスターの近くにいるのも先駆者はワタシなんだから、先輩をもっと敬いなさい」
ぼやくルカにじゃれる黒鳥。
折りよく現れたリオさんにフィーネが表情を輝かせる。
「甘いのとしょっぱいのが食べたい」
「んじゃ僕にも同じの倍量で」
「ワタシは甘いのだけでいいわ」
次々と人外達の要望が入るも、リオさんは始終満面の笑みだ。
ライナルトの手前言葉は控えめだけど、この人も熱心にフィーネの世話を焼いているらしい。フィーネも彼に対しては人見知りを起こさず秒で懐き、ヴェンデルが早くも彼女の世話を焼いているのも含め、コンラートとの関係性の構築が早かったのはリオさんの存在が大きい。シスが早々に懐いた件といい、つくづく不思議な人だ。
話の最中でヴェンデルがライナルトにこんなお願いをした。
「陛下。僕、ちょっとほしいペンがある」
「ペン?」
「皇室に卸してる硝子工房が作ってるものなんだ。予約しないと作ってくれないから、陛下の名前使って良い?」
「好きにしろ。こちらの名前を使うなら、支払いも回して構わん」
「そう言ってくれると思ってたよ。フィーネの勉強用も欲しかったし、揃いで作らせてもらうね」
ちょっとライナルトの眉が動いたが、ヴェンデルはちゃっかり素知らぬ顔を決め込んでいる。
こんな風にお願い事もできるようになっている。……というか、こんなお願いするなんて、そのペンって相当値が張るんじゃない?
「まあいいだろう。それより小耳に挟んだが、郊外に馬屋を作ったと聞いた」
「作った作った。たまに乗ってみんなと遊んでる」
ヴェンデルの誕生会の折(※)にお願いされて引き取った馬だ。はじめはクロードさん宅に置き、馬車用の馬として活用するつもりだったけど、広い場所で育てたほうがいいと考え直し、先行投資として郊外に土地を買った。将来郊外には別宅を建てるのも視野に入れているし、今は最低限の設備だけ整え、土地は遊ばせている。
こちらはハンフリーがはしゃぐほど喜んで、積極的に通って世話を焼いているらしい。彼が護衛から夢の厩務員に変わる日も遠くないかもしれない。
世話が上手く行きそうなら、もう数頭引き取っても良いと考えていたら、ライナルトがこんな提案をしてきた。
「サゥからもらった馬で、使えなくなったのがいるそうだ。面倒を見てくれるなら、いくらか払っても良いが、どうする」
「サゥって、ヨー連合国の馬?」
「先だってサゥ氏族のキエムから献上された馬だ。選りすぐりと言っていたが、あれらの目利きも外れるらしい」
ヴェンデルは顔を輝かせるも、待ったをかける。
「お待ちください。簡単に言われましたが、サゥの馬は軍用に向いてるのですよね。そのくらいの子になると、大きさはもちろん気性が荒いのではありませんか」
出身地もだけど、荷馬車に向いている馬と軍用馬は性格の違いも大きい。馬同士の性格が合わなかったら本末転倒だ。最悪土地を分けて運用するなんて事態に陥れば、運営費だって馬鹿にならない。
ところがライナルトは「問題ない」と主張した。
「その気性が軍用馬に向いていないらしい。あまりに不真面目だから潰した方がいいとまで言われているそうでな。良い引取先がないかマイゼンブークから話が回ってきた」
「馬が不真面目……それはともかくマイゼンブークさんは馬にまで目を向けてらっしゃるんですね」
「意外に好きらしくてな。引き取りたくとも空きがないそうだ。馬車用に使えないこともないが、半分道楽で育てる者の方が好ましいと言われた」
道楽……。いえ、元々ヴェンデルに頼まれ引き取ったのは潰される予定だった馬だ。実際乗馬の練習や、慣れるのなら馬車に使おうくらいの考えだったから、確かに道楽になる。
将来的に数を増やすと考えたのも嘘じゃない。でも馬一頭の面倒を見るのは、人間と同じくらいのお金が掛かる。最初に予算を組んだから問題ないけど、お金をもらったって足りるとは考えがたい。出費を踏まえると……。
「ヴェンデル、やめて。その目は止めて」
「カレンがいない間、僕、すごく心配したし学校休んだんだよね」
言葉がぐさっと心臓に刺さる。
サゥの馬って響きだけに夢中になって決めるのはよくない。とても良くない。
「あの時は変な噂は立つから陰口は増えたし、おじいちゃんもエミールも元気がないし、いつまでも落ち込めないって、僕、もの凄く頑張ったんだけど」
け、ど。
「…………いまの子達との相性をみて、大丈夫そうなら、いい」
よしっと拳を握るヴェンデル。甘すぎると半眼になるシスとルカ。よくわかってないフィーネに、しれっと馬を押しつけたライナルト。
ただ帰ってきただけなのに、早々に大きな出費が……。
馬の引き取りが決まると、残りは雑談となった。フィーネの誕生日をうちに来た日に定めたいとか、空き家になったクロードさん宅へゾフィーさん達に入ってもらう話が纏まりそうとか、うちの新しい庭師のおばあさんがジェフを片手でいなしてしまったとか……気になる話の勢揃い。
あとは私宛に文字通り山のような贈り物が届きはじめていて、開封作業にマルティナが苦労しているとかなんとか。後日帳簿類と共に確認してほしいと言われ、婚約当初の気の遠くなる作業を思い返し、頬杖をついた。
「せっかくライナルトもいることだし、いっそ今日は父さんとエミールも呼んでぱーっとやろうかしら。父さん、どうせ忙しいからって食事をおろそかにしてそうだし」
「……おじいちゃんとおじさんね。またお小遣いをもらったら嬰児に渡せばいいかしら」
「うん。合ってるけどせめてエミールはお兄さんと言ってあげましょうね、フィーネ。それとシスはあとで話があります」
「なんだよ。借りたら倍にして返してあげる予定だぜ」
「それもあるけどそれだけじゃない」
この賑やかさを味わっていたら台所に立ってみたくなった。私もみんなに美味しい煮込みを味わってもらいたいのは当然、ライナルトには特製の煮込みを試してもらいたい。
葡萄酒なんかは事前にリオさんに手紙でお願いしておいたのだけど、肉に関してだけは、仕入れを頼めるといったらシスしかいない。
……そっちは味が味だから、小鍋でちょこっとね。
「私の顔になにかついているか?」
「いいえ? 驚く顔が楽しみだなと思って。ライナルトの方は、なんだかご機嫌斜めですけれども」
「なんとなくだが、貴方が別の男を考えていた気がしてな」
「あら、当たらずとも遠からず。ライナルトってすごい勘を働かせますよね」
勘の鋭さはともかく、彼と私だけの味はここで披露できるかもしれない。
隣の黒い子犬を抱き上げ、ここにあるのにないような毛並みを堪能して思いを馳せる。
……ここが私の家で、本来あるべき場所だけど。
どうか『向こう』の私の友人達にも同じだけのあたたかい時間が流れていますように。
そう願って、ご機嫌斜めの皇帝陛下の顔に子犬のお腹を押しつけた。
※書籍6巻にて馬を強請った。