58.閑話Ⅱ コンラートの新しい家族
「ライナルト、ご存知の通り私は家から突然居なくなりました。ですから自室に私物を置きっぱなしなのをお忘れですか」
「忘れてはいない。取りに行かせれば良い」
「私物だからやです」
いくら恋人でも、人に見せたくないものはある。
「シャロとクロにも会いたい。犬は連れてきてもらえるけど、猫は人間の都合で行き来させるわけにはいかないし、あの子達を撫でられないのが、いまどれだけつらいかわかりますか?」
「カレン」
「そんなお顔してもだめ。家に帰りたかったから頑張ったのだから、そろそろ家に戻らせてくださいな。……他にも戻る理由があるの、知ってるでしょ?」
コンラート家には一度も帰っていない。皆に来てもらう形で再会していたから、さすがに住み慣れた家に戻りたかった。このまま宮廷でずっと一緒にいますと言ったら、キルステンにも気軽に行けなくなりそうだ。
「それに戻ってからは一緒にいたじゃないですか」
「最初は寝込んでいた」
「でも早めに起きたし、そこからはずっとです。お仕事も午前中にちょっと出るだけでしょう?」
本来なら許されないことだけど、業務には支障がないとのことで殆どの時間を一緒に過ごしている。そろそろ家の様子を見たいと思ったって良いはずだ。
「心配なら一緒に来たら良いじゃありませんか。どのみち今日も私と居てくださるつもりだったんですから」
この一言で説得が成功した。
急な外出は近衛を慌てさせたけど、ジェフだけはそろそろ……と思ってたのかもしれない。私たちは揃ってコンラート家に向かったのだが、道中は街の賑やかさに驚かされた。
馬車越しでもわかるけど、とにかく明るいのだ。いつもより数を増やした楽士が音楽を鳴らして和気藹々と踊る人に、笑い合う人達の姿を見かける率が高い。家々の窓からはオルレンドル国旗がはためいているし、お祭りの雰囲気が目立っている。
馬車を見て指差す子供と目が合うと、その瞬間に肩ごと引き寄せられた。
「皇族の馬車だと隠していない。厄介事になるから外は見ないように」
コンラート家は連絡が行っていたのか、玄関前で待機していたウェイトリーさんが恭しく頭を垂れる。隣にはエレナさんも控えており、こちらも満面の笑みで出迎えてくれた。
ウェイトリーさんは心労で倒れてしまったらしいから、元気な姿で迎えてくれるのが嬉しかった。
「おかえりなさいませカレン様、陛下」
「ただいまウェイトリーさん。エレナさんもお久しぶりです。元気そうでよかった!」
「待ってましたよー。おかえりなさいカレンちゃん! 陛下もお疲れさまでした!」
向こうの世界であんなことがあったためか、彼女と会えるとはしゃいでしまう。私から抱擁を交わしに行くのは癖みたいなもので、両手を合わせて喜ぶと、ライナルトの皮肉がエレナさんに飛んだ。
「私はついでか、エレナ」
「陛下については旦那様に任せてるので、いまの私は放っておいても頑丈な陛下よりコンラートとカレンちゃん優先です」
「そうか。そのまま職務を遂行しろ」
「お任せあれ~」
ファルクラム貴族時代からの部下のためか、彼女もライナルトには結構砕けている。
さあ、うちでは誰と会えるだろう。胸を高鳴らせ玄関を潜った瞬間だった。
「おそーーーーーーーい!!!!」
お腹に走る衝撃に、足が身体を支えきれなかった。後ろに倒れたところをライナルトが支えてくれるも、お腹には少女の頭がぐりぐりと押しつけられている。
ルカ――人形ではなく、少女の姿をした使い魔がいる。
「遅いわーーーー! ワタシがどれだけ待ったと思ってるのよ馬鹿ーーーー!!!」
「ル、ルカ、ちょっと、体勢が……」
「外で待ってたかったのに、ワタシはダメって言われるしーーー」
「それは、たぶん、いまのがげんい……」
「だめですよ。みなの足を止めてはいけません」
ルカを引き剥がしたのはすらりとした長身の美女だ。重力に反したふわっとした衣装を纏う華奢な体躯は、ルカを軽々と持ち上げる。
「いや! ワタシはまだマスターと一緒にいるのー!」
「玄関で騒いではなりませんよ。……おかえりなさい、わたくしのあなた。それにわたくしのあなたの番のひと」
違和感がすごいのに、不思議とうちに馴染んでいる黎明。彼女はふわっと笑うと、遅れて姿を見せたシスにルカを渡して姿を消した。
……多分、顔見せのためだけに姿を見せてくれたのだろう。
黎明は私に気を使ってコンラートに移ってくれているが、私を宿にしている関係上、回復を図るためにも普段は姿を消していると聞いている。
ルカを挟んでシスとも抱擁を交わす。
「ただいま!」
「よ、おかえり」
それはもう力いっぱい抱きしめるけど、ぽん、と背中と髪を撫でてくれる彼は、「向こう」のシスとは違い、さみしがり屋の側面は感じられない。
「思ったより早く帰ってきたな。ま、とにかく中に入りな。面白い光景が見られるぜ」
「面白いの? ……こら、ルカ、そんなことしないの」
ルカがライナルトに向かって思いっきり変顔を作り、敵意をむき出しにしている。
「ほっとけ。せっかく人の形に戻れたのにきみに会わせてもらえなかったから拗ねてるんだよ」
「当たり前でしょ。マスターを守ったのはワタシ! 一緒にいる権利はワタシにもあるはずなのに、なんでその男に取られるのよ」
「僕の加護効果があったのも忘れてないか?」
と、主張する。実際その通りで、フィーネ……宵闇に聞いていたとおり”神々の海”に置いていかれかけた私を助けてくれたのはシスの加護とルカだ。
シスが最初の防壁。彼はヴェンデルとの約束で私にこっそり加護を与えていた。
ルカは……これは初耳だったのだけど、私に残っていたエルの加護を、糸を紡ぐみたいに補強していたらしい。加護が壊されたとき、ルカはヨー連合国にいたが、宵闇と私が接触した瞬間に彼女自身であることを放棄した。記録だけを人形に残し、本体は私に戻り、刹那の奮闘の末に、宵闇に『針』を引っかけて向こうへ連鎖的に落としたそうだ。
このときに彼女は私から離れてしまった。”神々の海”に残された彼女は消え、エルの加護は完全に消え失せる。だから正確に言えばこのルカは私の知ってるルカじゃないかもしれない。人形に残った記録から再生された写しなのだけど、元の欠片も有しているから説明しがたい状況だ。
ただ本人は「記憶が同一なら個体としても一緒」と言い張っている。
「最後に残ったのは製作者とワタシの加護よ。なのにみんな止めて、黎明は行かせてくれないし!」
「馬に蹴られたくなきゃ止めとけ」
「せっかく帰ってきたのにライナルトだけがマスターを占拠してるなんて納得できない。少しくらいワタシに譲ってよ!」
「ルカ、それ以上はちょっと……大声はやめて、お願いだから」
誰かに改めて言われると顔が赤くなる。つい止めにかかったが、以前に比べ、よりいっそう人間らしさに磨きが掛かっているのには感慨深くなった。
ルカは目くじらを立てるが、ライナルトは無感動にルカを見下ろすだけだ。
「やっぱりお前は嫌い!」
あ、これは落ち着かせないと無理。
ルカを抱っこすれば、程よい軽さに調節されて抱きやすくなる。黒鳥を出すとひとまず落ち着いてくれるからありがたい。
ルカを撫でつつシスに尋ねたのは、残りの使い魔の行方だ。
「ねえ、子犬の方はどうしてるかしら。うちにいるのはわかるけど、どこに?」
「あっちだよ。婆から離れない」
「あの子を婆っていうのやめて、ちゃんとフィーネって呼んであげて」
「黎明が僕を子供扱いするのやめたら一緒に止めてやる」
シスが指差した方向は居間だ。いまかいまかと待っていた使用人の皆と挨拶を交わすと、懐かしの我が家に帰ってきた実感が伴う。椅子に腰を下ろす前に、窓の向こうの光景に釘付けになった。
庭に子供用の作業衣に身を包んだ少女がいる。長すぎる黒髪は無造作に束ねられ、渡されたスコップを両手に持って不思議そうに見つめている足元で、黒い子犬がお行儀良く座っていた。
持ち方がなっていないと自ら指導するのはヴェンデルで、その二人をヒルさんがあたたかく見守っている。
「な? 精霊が土いじりを人間に教えられてるなんて面白い光景だろ」
「面白いかしら。ワタシはなんであんな手間のかかることをするのか理解できない」
土いじりはまだ続くらしい。
呼び戻す気にはなれず席につくと、すかさずウェイトリーさんの給仕がはじまっていく。クロとシャロは使用人のルイサさんとローザンネさんが連れてきてくれた。
二匹のふわふわが恋しかった。ルカを隣に置いて、念願の触れ合いがはじまる。
「うう……やっぱりうちの子かわいい」
クロは人懐こいからいいとして、シャロが身を固めてしまっている。猫なで声で宥め続けていたら私を思いだしたらしく、膝に落ち着いてくれる。
毛だらけになりながら猫を愛でつつも、ウェイトリーさんに近況を確認する。
「フィーネはどんな感じですか」
「お行儀良くされております」
「……率直な感想をお願いします」
「では……少々荒々しくはございますが、人の生活に馴染みがないからでございましょう。話し合えばしっかりと意図を理解し、言うことを聞いてくださいます」
ウェイトリーさんからの評価は悪くない。しかしこれに意を唱えるのはシスだ。
「たまに癇癪起こして困ってるって素直に言えよぅ」
「シス様、あの程度は我々にとっては許容範囲内でございます。わたくし共が困ったときには黎明殿もいらっしゃる。到底困っているとは言えません。ですね、エレナ殿」
「ですねー。こう言ってはなんだけど、チェルシーをみていた皆さんとエレナお姉さんにとっては楽なくらいです」
フィーネはこちらの世界に来る際、半身たる白夜に魔法頼りになってはいけない、と言われている。白夜は日常生活まで縛るつもりはなかったのだろうが、その言葉をどう受け取ったのか、フィーネは生真面目に人と同じ生活に取り組もうと考えた。
ただ魔力をあまり使わない生活は不便この上なく、時々頭がいっぱいになるそうだ。
「……宮廷だと静かすぎるもの、コンラートに預けて良かった」
こちらに帰ってきて休息にするにあたり、彼女をどちらに置くか迷ったのだけど、黎明が使い魔達は全員コンラート行きを指示した。皆に預けたために、数日ぶりの再会となったのだ。
ただその彼女を、簡単に受け入れられない子もいる。
いきなり使い魔仲間が増えたルカだ。
「ワタシはあの子嫌いだけどね」
「おーおー言いやがる。その嫌いなあの子に復旧不可能な状態から戻してもらった癖に」
「それは……!」
ルカが言い淀んだ言葉はわかる。
「あの子が原因なんだから、戻すのは当然でしょう」だ。けれど口を噤んだのは、私たちがまだ、すべての元凶がフィーネ……宵闇だったと教えていないためだ。
……悩んだけど言わなかった。
なにせ今回はライナルトの逆鱗に触れているし、コンラートの皆だって大変だった。フィーネをうちで預かると言っても賛成は得られないし、了解を得ても亀裂が生じる。すべてを打ち明けるのは折を見てからにしようと黎明との話し合いで決めたが、シスとルカはとっくに真相を見抜いていた。
「みなさんにはご苦労かけます」
「なんの、賑やかなくらいで誰も気にしておりません。使用人一同、家が明るくなったと喜んでおります」
ウェイトリーさんは頼もしく笑ってくれるけど、悩ましい点はもう一つある。
異なる世界の歴史を話すのは避けた方が良いとは向こうでも述べられていたが、その関係で私も皆にすべてを話せなかった。
行方不明の間、なにをしていたかはともかく誰と過ごしていたかが説明できないのだ。ここではないどこか、違う世界に行って来た……などと頭の狂った説明しかできず、黎明達についても帰還に際し助けてくれた恩のある精霊達としか紹介できずにいる。
シスが足を組み、にやりと笑う。
「内々とはいえ精霊を娘に迎えるって勇気があるよな。いまどんな気持ちだライナルト」
「コンラート内だけで済むなら文句はない」
そこしか家族として迎えられる位置がなかったんだもの!