54.帰還Ⅰ 世界の外側
最後の出立は公にしたくなかったので、エルネスタ家の前にさせてもらった。
見送りの立会人は、人間からエルネスタ、ヴァルター、レクス、スウェン、ニコ。そしてシスに精霊の白夜に黎明。
他には魔法院から少数に、レクスの護衛としてヘリングさんと宮廷から派遣された軍人がいくらかいるけれど、この人達は私が本当にこの世界から去るかどうかの最低限の見届け人だ。『目の塔』で皇帝を庇い立てする言動を見せてしまったせいで、警戒されているせいでもある。
私はしつこいくらいにエルネスタに言っていた。
「ご飯、ちゃんと食べてくださいね」
「わかってるわよ。気になるからってあんな大量に作らなくったっていいのに」
「シスもいますし、保存が利くものを多めにしました。あとわからないことがあったらニコに聞いてください」
「それも何度も聞かされた。ちゃんと覚えてるってば」
いざ帰るとなると心残りが多い。
始終黎明について離れないシスにも頬へ口付けを落とす。
「シスは……」
「いちいち言わなくても大丈夫だって。いないならいないで、ちゃんとやれるしさ」
「そうは言っても心配なんだってば」
「大丈夫ですよ、わたくしのあなた。嬰児はやればきちんとできる子です」
「れいちゃん、ほんと、お願いだからシスのことよろしくね」
「……大丈夫ですよ。嬰児はつよいこです」
黎明は回復のため籠もっていたせいか、あまり表に出てこなかったけど夢の中で話はしていた。彼女のお陰で帰る切っ掛けを作れたし、感謝してもし足りない。
黎明は人前にも関わらずシスを抱きしめるけど、彼も抵抗せずに黙って受け入れている。
スウェンやニコ、ヴァルターにも同様に挨拶を交わすと、待機していた白夜に頷いた。
「道を開くゆえ、巻き込まれたくなくば送り出される者以外は下がっていろ」
白夜が手をかざすと、森がざわめいた。強い風があたりに吹き始め、周辺の鳥が一気に飛び立つ。気持ち悪いくらいの魔力の渦が光の粒子と化して飛び交い、『目の塔』地下のときなど比にならないくらい眩しくて目が痛い。
光は次第に赤、青、緑と色が足されて虹色になり、天高く魔力の竜巻を作り上げるも、本物に竜巻と違って暴力的ではない。まるで幻想的な光景、光が天高く雲まで伸びると、目の前には扉が作り上げられている。
白い両開き扉だった。お城に備わっていてもおかしくない大きな扉がエルネスタ家の庭に作られ、光は未だ天高く伸びている。
深い息をはいた白夜は、珍しくも疲労している。
「扉は作ったが、これはこの世界から出るためだけの扉だ。正しく帰れるよう、道を作らねば……」
「んで僕の出番ってわけだ」
シスが進み出ると、その青年の額をつんと押した者がいた。
「お前が道を補強してあげたとしても、子供ひとりでは無理よ。どうやったって不完全になるでしょうし、足を踏み外す可能性が大きくなる」
宵闇だ。白夜に隠されていたはずの少女が公の場に現れ、シスの目の前に浮いている。
以前よりはずっと落ち着き敵意もないけれど、そうもいかないのは人間側。一気に場がざわつくも、騒ぎになる前に少女を背中に隠した。
「この子の件はどうかご内密に。私が責任を持って連れて行きますから、こちらには二度と来られませんし、あなた方に害は加えません」
これで納まってくれたらよかったけど、そうは問屋が卸さない。あわや追及が始まろうとしたのを止めたのはレクスだ。エルネスタは驚きもしていないから、やはり感づいていたのだろう。
「彼女は死んだのではなかったか。白夜殿、どういうことかご説明いただきたい」
「殺せば死に際の力の解放で、汝らが被る被害も大きかった。追放がもっとも被害の少ない、妥当な処分だ」
「……承知した。もとよりその娘の存在を重視していたのは我々よりあなた方だ。新しい時代の幕が上がったいま、それは前帝時代の遺物と私は考える。もう二度と現れないというのなら構わない」
揉めるかと思ったのに、びっくりするくらい簡単に引き下がった。
人数が少なかったし、なによりレクスが納得を見せたのが大きい。彼の決定に逆らう人はおらず、無事、宵闇の件は黙認された。
宵闇は扉をみつめながら呟く。
「まっすぐに道を作らなきゃいけないの。あなたの想いと嬰児から辿って、わたしが座標を示せば、わたしの半分が『道』を作る。少なくとも単身で作るよりは、ずっと正確な近道がね」
宵闇はシスに手を伸ばし、私は『向こう』のことだけを考えるよう申しつけられた。
外部からの情報を遮断するために目をつむり、帰りたい場所を思い描く。
私は誰に会いたいのか。ライナルトはもちろんだけど、家の皆にも会いたい。ヴェンデルは絶対心配しているし、目の前でいきなりいなくなったから、ウェイトリーさんの心労はいかほどか、考えすぎると気が遠くなる。
父さんやエミールだって同様だ。ただでさえ北の地にいる兄さんの件で心労が募っているのに、私が行方不明なんて倒れてしまいかねない。
長い時間、祈るように考え続けていたと思う。
あっ、と誰かが声をだして目を開けた。
扉の前には楕円形の鏡が形成されていた。水で作られた鏡面、波紋の向こうで一組の男女が話をしている。会話は聞こえないけれど、その姿は間違いなくアルノー兄さんとヴィルヘルミナ皇女だ。
兄さん、と呟けば彼らの姿がぶれ、宵闇と白夜が言った。
「だめ、ちゃんと帰る場所を考え続けて。あなたが帰りたい場所よ」
「我が半身は思い描いた場所に座標を見出す。しっかりと行きたい場所を思い描かねば、場所が大きくずれるぞ」
ってことは北の地を思い描くのは間違い。グノーディアを強く想起すれば、今度は家の中でくつろぐシスの姿が映し出される。
机に置かれた小さな人形をつまらなさそうに見つめるのは、付き合いの長い方のシスだ。
ルカがまったく動かないのが気に掛かるが、横になったシスのお腹にヴェンデルが猫のクロを置いた。
不服そうな義息子がなにかを物申して、シスが匙を投げた様子で手を振った。
ヴェンデルはやや憤慨した様子で、お向かいに座るエレナさんが、シスにオレンジを投げる。彼らにウェイトリーさんがお茶を配りはじめる光景が、私にとっての日常だ。
近くで精霊達が相談している。
「我が半身。ここで固定しても良いか」
「あってると思うけど……もうちょっと確実性がほしいわ。これが正解っていえる要素はある?」
ルカ人形が居て、シスとヴェンデルが仲良くしているなら間違いないけど、確実にと言われたらひとりしかいない。
水鏡が切り替わり、今度は見知った執務室の光景にうつる。そこにいるのは皇帝よりも幾分若く、長髪のライナルト。ニーカさんと話しながら、視線は手元の、鷲を司ったブローチにある。
「ここで合ってる、道を固定して!」
鷲を象る胸飾りを認めると反射的に叫んでいた。
天まで伸びていた光がさらに輝き、突風となって走るとその場の全員の視界を奪う。おそるおそる瞼を持ち上げたときには、水鏡は消えている。
光は太い柱となり固定され、揺らいでいた魔力が安定していた。
白夜は相当魔力を消費したらしく、一気に存在が希薄になってしまったが、空を見上げながら呟いた。
「これで『扉』と『道』ができた。あとは急ぎ帰還するが良い、『道』で手こずると、どうなってしまうのかは想像できぬ」
「白夜、本当に大丈夫?」
「休息を取れば回復しよう。それより……頼む」
自分よりも宵闇を案じている「頼む」だった。
最後に彼女も抱きしめて、ほんのわずかの別れを惜しむ。背中をぽん、と優しく撫でられた。
宵闇に手を引かれ扉を開けば、星の散らばった深い藍と黒の混じった空間が広がっている。
くるりと振り返り、皆さんにお辞儀をして、友人達の優しい眼差しを目に焼き付けた。
「ありがとうございました……!」
扉がひとりでに動き出し、パタン、と閉じれば扉は闇に溶けて消える。
「ここが……」
「あなたを帰すための唯一の道。世界の外側。わたしたちは神々の海って呼んでる領域」
改めて見渡す”神々の海”はどこまでも星空が広がっている。左右上下どこを見ても同じ景色。扉がなくなったいまは、ともすれば平衡感覚を失ってしまいそうで、まっすぐ立っていられるのが不思議なくらいだ。
「行きましょう。道を踏み外したら大変だから気をつけて」
「道って言っても……」
「目をこらして、よく見て。わたしの半分が作った道がちゃんとできてる。そこに身体が入っている間は大丈夫だから」
「落ちたらどうなるの?」
「そのまま永遠に彷徨うか、消えるかのどちらか」
「…………気をつけるわね」
気付きにくいけど、たしかに足元に限っては光の粒子の密度が濃い。二人くらいがぎりぎり並んで歩けそうな幅の道が遠くまで続くも、ところどころ欠けていて、間違えれば足を踏み外してしまいそうだ。
「これを辿っていくのね……」
「そう。わたしはこの中を彷徨ってあなたを見つけたけど、嬰児が道しるべになって、わたしの半分が力を尽くしたから確実な道が組み上がった」
ここからの帰り道……即ち平行世界の移動なのだけど、とても分厚い辞書を想像してほしい。
内容は一ページにその世界が歩んだ歴史がぎゅっと詰められている。どれも似たり寄ったりな中身だけど、あるページの私が白の靴下をはいていたとしたら、隣の私は赤い靴下をはいている。さらにその隣のページは靴下をはいていなくて……とささやかながら違いが発生していく。
これが何百ページと離れてしまった「カレン・キルステン・コンラート」や「レクス」の存在の違いが平行世界になる。
宵闇はここを利用して様々な世界を探し回り、自身のもうひとつの可能性と私を見つけた。
つまりそれだけ距離が離れているから、この領域の海を利用して、普通は超えられない世界の壁も越えて近道しようという話。中の空間は様々ねじ曲がっていてるから『道』が必須なのだと聞いたけど、これは途方もなく長そうだ。
でも、ここを辿らねば帰れないから行くしかない。
宵闇の小さな手を握りしめた。
「行きましょうか。私は元の家へ、あなたは新しいお家に」
「……うん」
覚悟を決めて一歩を踏み出した。
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