53.最後にあなたたちと手を取り合って
リューベック家で秘密裏に開かれた晩餐会という名のお別れ会。お腹もそこそこに膨らんで、ちょっとひと休み……の段階でテラスに出てエルネスタと話をしていた。
「レクスをどう思ってるか? 下世話な事が気になるのね」
「下世話って話題を察してる時点で自覚がおありじゃないですか」
「そりゃそうよ。わたしは鈍い女じゃないし、出会ってこの方、あれこれ言っては妙に干渉してきたり、来なくてもいい案件で会いに来たり、様子見とか言って弟を差し向けられたら考えもするわ」
そういえばエルネスタ家の造りについてよく言われていた気がする。そう思うと露天風呂なんてレクスにしてみれば狂気の沙汰だったかもしれない。
「……レクスってわかりやすい人だったんですね」
「そうでもないけど、一度恋人ができたって言ったらあからさまに落ち込んだからね」
「えっ」
「ちなみにそいつとは半月続かなかった」
……どうしよう。すごく納得できてしまう自分がいる。
「同じ話をしたときのヴァルターとそっくりの顔をしてるわよ。なんで納得してるわけ?」
「とんでもないです。エルネスタさんの魅力がわからない人だって思っただけです」
「あいつも同じ言い訳してたわね」
これほどヴァルターと絆を感じた瞬間もないかもしれない。
レクスの計らいで、私たちはちょっとした夜会衣装を身に纏っている。大袈裟な、と思ったけどニコがはしゃいでいるから断り切れなかった。着飾った奥さんを眺めるスウェンが、にやにや笑いを誤魔化せずにいる。
そんな彼らを尻目にエルネスタは続ける。
「どういう答えを求めるかはわからないけど、あいつから何か言ってきたことはないわよ」
「じゃあエルネスタさんの見解は?」
「ヘタレはお断り」
これ、脈ありだ。
なんで!? っていわれそうな回答だけど、私だってエルネスタと一緒に暮らしてきたからわかる。恋愛対象外だったなら、そもそも彼女は興味も示さない。
奇妙な寂しさを感じていると、彼女が指を伸ばしてほつれていた髪を直してくれる。
「貴女がそのうちいなくなるから言っちゃうんだけどさ」
いつもと違い真面目な雰囲気だ。背筋を伸ばして気持ちを切り替えた。
「最初に会った時に生まれ変わりを知ってるかって聞いてきたじゃない?」
「あ、ああ、そうでしたね。へんてこな質問をしちゃって……」
「そうじゃなくてね。あのときは初対面だったから変なヤツと思って聞き流したんだけど、違う世界だとか、そういう不思議な出来事を踏まえれば、思い当たらなくもないわけよ」
意外なところで話が掘り返された。
手すりに背を向け、両肘を置いて空を見上げる。
「わたしさぁ、昔、頭の中にもう一人いたわけ」
「もう一人……?」
久方ぶりの観察眼が私を貫く。
「馬鹿にするか笑ってきたら話すの止めようと思ったけど、信じるのね」
「エルネスタさんの話を馬鹿にはしません。聞かせてください、その頭の中の人と、どういう関係を築いていたのかを」
「築いてはいなかったんだけど……」
それは幼い頃から自然に『いた』と彼女は語る。
もしかしたら『エル』なのかもと思ったが、それも一瞬。彼女だったらここにエルネスタはいなかったはずで、実際、エルネスタの「もう一人」は男性だったらしい。
「遊んだり、勉強したり、まあ普通に生活送ってる時ね。女の子になれたーとか、これは夢かとかをときどき頭の中で男が囁くのよ」
「はっきりとは聞き取れなかった感じですか?」
「声が小さくてあんまりね。でもそれでよかったわよ、だって知らない男が頭の中にいるわけよ? 子供の頃はそんなもんかと思ってたけど、いま思えばたまったもんじゃないわ」
「頭の中で囁くだけでしょうか」
「そうよ、私の目を通してなにかを見て、呟くだけ」
「会話はできたんですか?」
「まさか。私は向こうの言ってることはなんとなくわかったけど、相手はわかんなかったみたいだし、あえて話しかけなかった」
つまり肉体の主導権は完全にエルネスタにあって、彼女も誰かに相談しなかった。理由は単純で、頭がおかしくなったと思われたくないためだ。話を聞くに、エルネスタはエルに及ばないにせよ、幼い頃から聡明だったのだ。
はじめは悩んだらしい。色々な書物を読みあさり、過去に同じ事例がなかったか調べたが、望むものはみつからない。『それ』と対話するか考えるも、結局しなかった。
相手は時々眠りから覚めたように起きて、なにか呟くだけの存在。そもそも子供の時から『居る』のが当たり前だったから、今更感もあった。
「ただそいつはねぇ、なんでそう考えたか知らないけど、いつからか変な誤解をし始めたのよ」
「……それってどんな?」
「わたしがやることなすこと、行動は全部自分の意のままに操っているって思い込み」
それが激しく自己主張をはじめたのはファルクラム侵略が始まってから。エルネスタがオルレンドル帝国に関わりはじめてから、ある道具を見たとき「それ」は言ったという。
「私が作った銃だってね」
その瞬間、エルネスタの頭の中には銃の設計図をはじめとした詳細が流れ込んだ。おかしな話で、このとき彼女は初めて「頭の中のもう一人」が別人なのだと認識した。
途端に気持ち悪くなった、と語る。
「なんとなく共生できてたけど、無理だってなったわけよ。だってこれからもずっとそいつにわたしの人生をのぞき見されるわけで、じゃあ追い出すしかないわねってなる」
「具体的にはなにをされたんでしょうか」
「銃を改良した」
銃には興味なかったが、彼女はシャハナ老に掛け合って新兵器開発と銘打って予算を回してもらった。そこでエルネスタは思いつくまま、銃の改良に着手する。
「その方はどんな反応をしてたのでしょうか」
「銃に着手したら喜んでたし、そいつが目覚める時間が増えてたけど、ぶっちゃけ五月蠅くて迷惑」
エルネスタにしてみれば「何を言っている」と、そんな気持ちは拭えなかったと語る。
「わたしは静かに休みたいのに、そいつが興奮し続けてるせいで頭の中で語りを聞かされて、その分だけ、わたしはずっと寝不足なの。あの時が身体的には一番地獄」
「エルネスタさんの不調には気付かなかったと」
「研究しすぎで疲れたんだろう、くらいの認識。新しい私の癖になんてだらしない、なんてほざいたときは殺意が止まらなかった」
……とことん相性が悪かったのだと窺えるが、私としては笑い話じゃない。
おそらくエルネスタの『頭の中の人』は異世界転生か転移をして過去に銃を作った人だと推察できるも、まるで他人事に思えないのだ。
私は私が誕生したときから異世界転生を果たしていまの『カレン』だったけれど、これはかつて私を召喚した『山の都』の子孫ナーディア妃の儀がうまく作用しただけ。本来この肉体にあるべきだった女の子を追い出したか、或いは吸収したかで体の主導権を握った。
答えの出ない悩みだから深く考えないようにしてるけど、エルネスタの話を聞くと、こんな事故もあり得るのかと気付かされる。
エルネスタは、名も知れぬ誰かへの殺意は増し増しになりつつ、寝不足になりながらも改造を終え、オルレンドルに提出して正式採用へと至った。
頭の中の人は大喜びだったらしいが、そこから寝不足の復讐が始まる。
「そいつはわたしの考えは読み取れないから、紙と筆を取りだしてこう書いたの。『お前の成果じゃない』って」
ここで初めて、彼女が相手の存在を認識していると教え、相手に素直に気持ちを綴った。この功績はエルネスタ自身の努力の成果によって得られたもの。改良案を考えた、また功を称えられるべきは彼ではなく『エルネスタ』だとも綴った。
「何を勘違いしてるか知らないけど、表彰されたのはあんたじゃないわよってね」
「相手はなんと?」
「まさか、そんな、あり得ない。お前は私で……とかほざきはじめたから「うるさい」って言ったら黙り込んだ」
気の毒な話だけれども、当事者のエルネスタとしてはそれだけでは済まない。この先もその人と生きるのは真っ平御免だったからだ。
「幸せな人生じゃなかったみたいだけど、そいつの生涯なんてわたしには関係ないもの。人の身体的特徴を馬鹿にして、気色悪い目線で語られるのも真っ平御免だった。そういうの全部ぶちまけてたんだけど」
「だけど?」
当時を思い起こしたのか、チッ、と苛ついた様子で舌打ちする。自然とこんな態度になるのだから、余程相手が嫌いだったのだ。いまでも拒絶の感情が強いらしい。
「半分も言い終わらない間に消えたわ。それから二度と出現しなくなったし、妙に体が軽くなったから消えたんだと思うけど、あの程度でいなくなるならもっと早く言っときゃよかった」
で、と私に振り返る。
「何か参考になった?」
「はい。なんというか、腑に落ちた感じはします」
「そ。ならよかったわ。わたしもくっだらない昔話と思って忘れかけてたんだけど、話したらなんとなくすっきりした」
その時の思い出は霞よりも儚い。夢か現かはどうでも良い、とまで言ってのけ、私もどことなくほっとした。
私がここにいないように、やはりエルもどこにもいないのだ。
「よし、それじゃ給与以上の働きをした分は、もうひとつくらいかしら」
彼女は両手を広げて問う。
「わたしになにかして欲しいことはある?」
私の生い立ちに詳しいわけではない。しかし、彼女は『エル』の肉体の持ち主なだけはある。しっかり見抜いていた。
「わたしは貴女の知ってる”エル”じゃないけど、時々わたしに誰かを重ねてたのは知ってる。望んでる相手じゃなくてなんだけど、そのわたしにできることは何?」
はじめて彼女に会ったとき「エル」と呼んだのを覚えていたのか。
言われてしまったら申し訳なさと、気付かれていた恥ずかしさと……どうしようもない胸の痛みに襲われ、まだ吹っ切っていなかったのかと気付かされる。
できること?
エルネスタに何をしてほしい?
考えて考えて……言った。
「……頑張ってね、って、抱きしめて、言ってもらえませんか」
何も聞かずに力強く抱きしめられる。彼女はエルじゃないけど、エルの流れを汲む人。見ず知らずの私の身元を引き受けてくれたエルネスタに、感謝と愛おしさが溢れて縋り付いた。
「頑張んなさい。あんな男にやるのは癪だけど、貴女が選んだのならそれでいい。最後まで生き抜いて、幸せになるのよ。……カレン」
うん、と何度も頷いた。私も彼女には幸せになってほしい。
最後になるエルネスタの体温を噛みしめていると上から視線を感じる。感じるというか、すでに影ができあがっていた。宙に浮かんだ人物が私たちを見下ろしていたのだ。
「シス」
「独り占めはよくないんじゃないか」
派手に着飾った青年が、私とエルネスタの間に割り込んだ。そのままぎゅっと息が苦しいくらいに抱きしめられる。
ちょっと、とエルネスタに咎められてもどこ吹く風で、室内に戻ろうと腕を引っ張られる。
「ヴァルターが演奏してくれるってさ。せっかくだから私と踊ろうぜ」
「あんまり得意じゃないんだけどっ」
「僕も得意じゃないから安心しな。どうせ転んだって身内しかいないし構わないだろ」
そう言われ、シスと手を取り合い踊り出す。スウェンはニコの手を取って、彼女が転ばぬようゆっくり足を動かした。
音楽に釣られた黎明が目を覚まし、彼女が演奏を引き継ぐ。引き継ぐと言っても魔法で楽器を動かすだけなんだけど、見よう見まねでできるのだから魔法はすごい。
私はスウェンに対してだけは優位に踊れて、悔しげな表情がおかしくってずっと笑っていた。ニコには優しく教えていたシスは、エルネスタに対しては鼻で笑って小馬鹿にしながら手を取り、レクスは目元を細め、みなを嬉しそうに眺めている。
最後にヴァルターの手を取って、型から外れた調子でゆるっと足を動かす。
「ヴァルター」
「はい、なんでしょうフィーネ」
「ありがとう。あなたのことも私は大好きになりました」
誤解されかねない発言だけど、もちろんライナルトに対する好きとはまるっきり違うと彼は知っている。だから安心して言えた。
「まともなお別れ、ちゃんとできたでしょ?」
「……そうですね。あの時の言葉は撤回します、この時間があってよかった。もうひとつ、私の宝物が増えたようです」
「大袈裟……と言いたいけど、私も同じかな。うん、色々あったけど、あなたたちと会って、楽しい気持ちで締められてよかった」
帰りたい気持ちはあるけど、友人達とのお別れも名残惜しい。
彼らとの思い出を焼きつけるために、私たちは遅くまで語らい、遊び、子供みたいに笑い合う。最後は膝枕で眠りだしたシスの髪を撫でながら、ゆっくり目をつむった。
――帰ろう。私の家と、待ってくれている人の元に。