47.“フィーネ”の役目はここにある
これは誰にも話してはならない、精霊たちにとっての忌むべき過去。
私が白夜との秘密の会合で聞き出した話だ。
かつて精霊達が人界から去った『大撤収』付近の話。仲間によって森に隠された黒い精霊は、力の質が違うために異端だった。
森は広かった。人がまともに生きて行ける場所ではなく、獰猛な獣も住まうため、長い間人の侵入がなかった。黒い精霊は森から出てはいけないと言われたために、いいつけを忠実に守り続けていた。
たまに半身の白い少女が訪ねたが、仲間の手前、数十年に一度がせいぜいだ。
宵闇は寂しくなかった。
そもそも孤独がなんたるかをしらない生き物だ。このあたりは私の知る宵闇と変わらなかったが、変化が生まれたのは、少女の元にある一行が迷い込んでからになる。
なんてことはない旅人達だった。
その頃は多数の国家があって小競り合いが絶えず、魔法文化も栄えていた。冒険家業の何でも屋が幅を利かせていた、大陸の黄金時代だ。宵闇の隠れる森に入り込んだのはそんなひと組で、遭難したところを彼女が助け、これをきっかけに少女は森を出た。
宵闇は異世界転移人『リイチロー』ではなくこの世界の『旅の一行』と出会った。
この点が私の知る少女の過去と違う点だけど、端的に言えば『旅の一行』は『リイチロー』ほど善人ではなかったし、白夜の注意が森から逸れていたのが不運の始まりだ。
『旅の一行』がどういった人となりを有していたかは知らない。
元から悪人だったのか、普通の人が欲に溺れた結果なのか、詳細を白夜は語りたがらなかった。
だから判明しているのは、人の悪意を知らない無知な少女が言葉巧みに、いいように騙されて力を行使した事実だけ。
彼らは仲良くなると森から誘い出し、好きなように宵闇を利用した。人にとってはどれだけ大変な荷運びや獣退治も、少女にとっては指先一つで終わる些末事。これを上手く利用して荒稼ぎし、また小狡さもあったために大きな仕事は引き受けず、他の精霊や魔法使い達に捕まらぬよう逃げ回った。
やがて足がつきそうになると少女を好事家に売りつけた。
……たとえ騙されていたとしても、宵闇の楽しい旅路が変化を迎えたのはこの時からかもしれない。
人の悪意は時として想像の上を行く。
彼女が人に危害を加えず、いいように騙せると知った人間はあらゆる願望を叶えるべく、噂紛いでしかなかった悪行を試した。
それは強力な精霊と交われば寿命が延びるとか、生きた肉を喰らえば同等の力を得られるだとか、生き血を啜り続ければ人が精霊に至れるなんて……普通の人が聞けばあり得るはずないと、むしろ信じる側の正気を疑う話ばかりだ。
けれど好事家はそれを試した。
挙げ句、効果がないとわかれば、同じ欲望を抱く人間に精霊を紹介し荒稼ぎした。
救いようがなかったのは、宵闇が並の精霊以上に力を有していたこと。
肉体の痛みはあっても傷はすぐに治ったし、魔力に際限はなかった。感謝されれば良いことをしたのだと信じた。愛していると囁かれた表面の言葉そのままを受け入れた。孤独で、いままで感謝されることを知らなかった少女に喜びを与えてしまった。
本当に人間の役に立っているのだと、喜んで自ら存在を隠し続けた。
だけどそんな偽りが長く続くはずもない。
その瞬間、宵闇になにがあったかはわからない。ただ、ある時に少女はとうとう人の悪意を知って、心の痛みを知覚した。そこにいた好事家や客、街ごと巻き込んですべてを焼き尽くした。白夜に宵闇の暴走が伝わったとき、『大撤収』について協議していたため対応が遅れてしまった。駆けつけたときには、宵闇はあちこちで人を殺し回っていた。
これは私の推測なのだけど、この話を語っていた白夜のきれの悪さを踏まえると、もしかしたら冒険家達やかつての『客』達に手を下していたんじゃないかなと思っている。
それでも被害が甚大だったらしいから、見境はなかったみたいだけど……。
ともあれ精霊側も宵闇の暴走を放ってはおけない。
白夜を主導として、実力のある精霊の助力を請うて宵闇を捕らえ、やがて暴走の原因を知った。いくら鎮めようとしても人を殺す意思は変わらず、彼らは困り果てたそうだ。なにせ宵闇の力は他の精霊と一線を画しているせいで、放置すれば人界・精霊郷共に影響を与えてしまう。具体的には司る力が”死”に近すぎるせいで、死した者の魂が活性化してしまう。この時は大陸に死霊術士も実在したから様々危うまれた。
協議した結果、暴走した力を外に出さぬよう、当面少女を閉じ込めることにした。
多少周辺地域に問題が発生するかもしれないが、遺跡を人界に作ったのは憎悪は人に責がある、といった彼らなりの考え方によるもの。
遺跡への入り口の守りはとある死霊術士に任せ、彼らは去った。
けれども一向に憎しみは鎮まらず、その結果が現在に繋がっている。
話を現代に戻そう。
悪意の果てに人を殺して回った精霊であれば話は簡単だったのに、目の前の子は加害者であり被害者だ。
腕で顔を守りながら泣きじゃくっている姿は、肉体の傷はすぐに治っても痛みに鈍かっただけで、辛くないわけはなかったのだと当時の状況に思いを馳せてしまう。「可哀想」を強調していたのも精神的外傷によるなにかのはずだ。
受けた苦痛が並大抵のものではなかったと伝わってしまう。
状況に流されていいわけがない。
……でも悩んだ。
すごく、悩んだ。
白夜は『大撤収』に伴い傷ついた半身を連れて帰るべきだったと後悔していて、その時の苦しみから、私にある提案を持ちかけていた。
もちろん最終判断は私に委ねられているし、提案に乗らずとも元の世界に帰してくれると言った。これは私が心から同意しないと成り立たないから強制できないためだ。
私もいままで結論を出せずにいて、そのために宵闇に話しかける。
ニーカさん、リリー、黎明に彼女の伴侶や子供たち、ほかにも犠牲になった人々を思いながら、怯えさせないためにゆっくりと腕を降ろさせる。
「あなた、いまの自分が嫌だったから違う誰かになりたかったのよね」
否定も肯定もない。ぼろぼろと泣き続けている子に厳しく言った。
「白夜も言ってたけど、それは逃げられないの。精霊で、黒色を持っているあなたはどうやっても宵闇でしかないし、あった過去は変えられない」
「…………やだぁぁ」
「でもね、忘れようとしてよかった。逃げてもよかった。なかったことにしたってよかったの。だけど傷ついたからとそれ以上に誰かを傷つけ回るには、犠牲が多すぎた。あなたには責任がついて回っている」
具体的には存在の消失。今後新しい“死を司るもの”が生まれ出ずるまで、人界と精霊郷双方に障害が発生しようとも、いまの宵闇を消す決定が下った。
ぐずぐずと泣く宵闇に時間はない。
ごつんと思いっきり額を打ち付けた。名前を盗られて、苦労をかけさせられたのは悔しかったけど、これで溜飲を下げるとしよう。
「ただ、傷つくばっかりのあなたをそのまま死なせるには惜しいとおもう精霊がいる」
犠牲は大きい。だけど幸せを知らず、つらかった記憶ばかりのまま消失させたくないと願うのは、宵闇の半身たる白夜だ。
仲間の決定は変えられない。だからここではない違う場所で、更生の機会を与えてもらえないかと持ちかけられていた。こちらではもう生かしてもらえない宵闇を私の世界へ連れて行って欲しいと、宵闇の家族として請われていた。
「決めて。精霊である宵闇やあなた自身は変えられないけど、もうむやみやたらと人や精霊を傷つけないって約束するなら、宵闇の他にもう一つのあたらしい名前をあげる」
「え……」
だけど、と付け足す。
「命惜しさやこの場を逃げるだけの返事は許さない。あなたの心は白夜が視ることができるから、嘘をついた瞬間にこの話はなかったことにする」
これが無理強いはできないと言われた理由だ。
涙を止め、呆然と私を見上げていた宵闇が呟く。
「……愛してくれるの?」
「愛せるかはわからない」
くしゃりと顔が歪んだ。
嘘をついても仕方ない。この子を連れて行くとなる以上、私たちは偽りの関係を築いてはならない。
「言ったでしょう。愛されたいと思うなら、同じくらいに愛さないとって。私は意味もなく乱暴する人は嫌いだもの。少なくとも誰彼構わず傷つけていた、いままでのあなたは好きになれない」
「でも、わたしは愛したのに、愛は返ってこなかった」
「それは相手が悪かったわねって……大昔のことだし、私にはそうとしか言い様がない。だけど私が名前をあげるからには、それはこれからのあなた次第」
本当はお互いもっと時間をかけて決めるべきでも、時間がないために直接的なやりとりになる。救いがあるとしたら相手が精霊で、白夜がいるから嘘はつけない点だ。
なら……と、安易に救いを求めようとした声を遮った。
「だけど私に好かれようと無理をするのはやめて」
無理難題を言いつけているのはわかっている。だけど私の命は有限だし、精霊ほど長くは生きられない。今後向こうで宵闇が人に馴染み、考えなしに力を振るわないためには必要な言葉だ。
「いつか本当に誰かを好きになって、その人のために変わりたいと思うときがくるならいい。だけどそれ以外で、自分の心をねじ曲げてまで在り方を変えようとはしないで。そのための家や家族は私が用意できるから、あなたはあなたのままに生きて欲しい」
「…………意味がわからない。心を曲げないって、どうしたらいいの。わたしはわたしじゃないままでないと、みんな笑ってくれなかったのに」
「わからないなら考え続けて」
思考停止は許さない。それが私の家族達を傷つけない道に繋がる。
「……考えて、考えて、問い続けて。そうして在り続けるなら、憎しみばかりじゃない日を送れる時が来るかもしれない」
今度は返事が長かった。
混乱しながらも自らの頭で考え続ける間、私は宵闇の手を握り続けた。同時にこれでいいのかとも自分自身に問答し続けた。
私でさえ完璧な人間とは言えないのに、ご立派な説教をしている。果たして精霊ひとりを引き受けるなんてできるのか。はっきりとした自信や答えはいまだ導き出せないが、宵闇が唇を開いたとき、私も覚悟を決めた。
「……頑張ってみる」
できる、と言わないだけ上等だ。
その返答を聞いて、私も新しい名前を黒い少女に与える。白夜の仲介を経て使い魔契約を果たし、宵闇を縛る制限権を獲得する。
「フィーネ。こちらで私が大好きな人からもらって、新しい友人を築いていったあたたかい名前。これをあなたにあげる」
契約がここに成された……けど。
ライナルト、怒るかなぁ。