45.竜の背に乗りながら
轟音は鼓膜が破れるんじゃないかと思うほどだった。銃本体に、魔法火薬をさらに加工した特製火薬は竜の鱗を貫き、横ではエルネスタが足元に張っている魔法陣が発動している。絶え間ない銃弾と光芒が小竜を貫くと、危険を察知したそれらは素早く地上に狙いを定め、人間は牙の餌食になると思いきや――。
「伏せなさい、目ぇやられるわよ!」
エルネスタに頭を抑えられ伏せた。別の場所に伏せていたシャハナ老率いる別働隊による魔法の一斉掃射により一条の光が空中をなぎ払ったのだ。
当たり所の悪かった竜は地に落ち、切ない咆哮が響く。弱った機会をこれ幸いにと、止めを刺そうとした人が身体を二つに裂かれた。命に頓着しない傀儡はおかまいなしに人間を食い破ろうとして、銃弾や魔法に防がれる。
開始たった数十秒で地獄のような光景だけれども、部隊を壊滅しかけた第一波は防げた。宵闇は意表を突かれることになれていないのか、半開きの唇で人間の抵抗を見下ろしている。すぐに忌々しいと舌打ちしたけど――それが遅かった。
最初から作戦は決まっている。
私たち人間は全員囮だ。精霊郷の生き物に対抗できるだけの有限の資源と、魔力をすべて最初で注ぎ込んだのは隙を誘うためでしかない。
宵闇の胸を貫いた者がいた。
突如現れた光は閃光じみていた。空に軌跡を走らせた白い少女が、黒い少女に接近している。白い少女の右手が衣類を貫通し、心臓を貫いた。
人間なら間違いなく即死だ。
ふたりは竜から落下するかと思われたが、そこで宵闇が踏みとどまった。
「この……!」
黒い刃が走ると白い少女――ずっと機を伺っていた白夜の身体を裂き、腕を切り離した。胸を貫かれた状態でも宵闇は健在で、白夜の腕を下げた状態でも平然と、けれど激しい怒りで奥歯を噛み合わせる。
白夜もまた、腕を切断されたながらも、眉ひとつ動かさない。
「核を掴み損ねたと思ったが、違った。場所を変えたな我が半身」
「わたしの半分……!」
白夜の斬り落とされた右手はすぐに再生を果たした。
宵闇も、あの細腕のどこに力があるのか、ずるりと腕を引き抜く。宵闇の身体からはどろっとした黒い液体が流れ落ち、傷はあっという間に塞がったが、少なくとも余裕は消えた。
完全にふたりの世界に入った。
私たちは飛来する小竜への対応で精一杯だった。それにモーリッツさんにはこの間に避難してもらい、安全な場所に移ってもらう必要がある。倒壊を始めぐちゃぐちゃになりはじめた天幕たちの合間を縫うように移動をはじめていた。
使い魔達を繰り始めたエルネスタに向かって叫ぶ。
「エルネスタさんも行って、モーリッツさんをお願いします!」
「犬は置いてく、あと頼んだ!」
「はい!」
私は白夜たちから離れられないので、まだ避難できない。そのため黒犬が上空を警戒し、安全そうな場所に誘導してくれる。
……これで数が減ってる方だと信じたい!
モーリッツさんは念のため野営地以外の場所にも部隊を点在させていた。こちらの発砲音を合図として、小竜の巣を襲撃し、こちらへの増援を阻止しているはずだ。
度々白夜の様子を確認しているけど、ふたりの精霊達の周りは、宵闇が乗り物代わりにしていた竜が旋回して警戒している。
上から目に付かなそうな物陰に隠れれば、シスの認識阻害の魔法のお陰で、上空から狙われることはない。少女たちに集中すれば、倍増された視力と聴力が二人の様子を拾ってくれる。ちょっと頭がおかしくなりそうだけど、これも私個人にだけ力添えしてくれるシスのおかげだ。
そんな彼は、人の戦には関われないと城に残ったけど、どこかで私を守ってくれているはず。
白夜と宵闇はちょうど言い争いをしており、特に宵闇は怒っていた。
「人間と手を組むなんて信じられない。精霊としての矜持はどこに行ったの」
「閉じた世界では先がないと考え始めたからだ。それでもすべてに共有を果たし、人界に戻るまでには長い時間を要したがな」
宵闇は白夜が己を害した事実に傷ついた様子だが、それよりも人と手を結んだ精霊たちに、子供っぽく怒りを露わにしている。白夜も親しい相手にだけ向ける貌になっていて、宵闇の言葉に耳を傾けている。
黒い少女は、精霊達の決断に批判的だった。
「まさか成長を望むとでもいいたいの? 馬鹿みたい、変わらないからこそわたしたちはわたしたちなのに」
「私はそうは思わない。その規則に縛られた古い体制がお前を傷つけた」
たぶん、それは私や他の人間が声にしたら、言い訳する間もなく引き裂かれる言葉。
白夜は淡々と続けるも、その内容は、かつて人界に半身を置いていった後悔に縛られている。
「お前の憎悪は人に責があるから置いていったが、あのとき共に精霊郷へ連れて行くべきだった。お前は我が半身なのだから、憎悪は私が受け止めて傍にいるべきだった」
「べきだった、ばかりね。わたしがつらいときは知らんぷりしていたくせに、こんなときは間を置かず現れる。あなた、むかしからお仕置きだけは得意だものね?」
「迎えにいけなかったな。すまなかった」
「……いまさらね」
謝罪に、宵闇が微かに震えた気がする。
けれども少女は良い意味でも悪い意味でも前向きだ。自身の胸に手を当てると高らかに宣言する。
「でもねおあいにくさま。あなたが可哀想っておもう憐れな精霊は、もうここにはいないの。わたしのいまの名前はカレンよ。異端でも受け入れてもらえた名前、わたしがわたしとして立っていい証拠」
「それはお前の名前ではないよ」
「違う。わたしの名前よ。森に閉じ込められた精霊が心優しい人に出会えた始まり。あたたかい友達と、好きな人を作って、あの牢獄から出られたわたしを観測した名前! やっと見つけたほんとうの、わたしがわたしであるべきだった生涯!」
いままで人を小馬鹿にするだけだった少女に、やっと感情が乗りはじめる。本人は気付いていないけど、心の内をつまびらかにし訴える行為は、宵闇にとって白夜が特別だからだ。
ただ、それでも白夜は宵闇を否定する。
「名を奪うことで“出られない”はずの因果を持ち込み、事象を書き換えたな」
「そうよ。あなたたちは皆してわたしをがんじがらめにしたから、どうやったってあそこから出られなかった。だから長い長い時間をかけて“外”に目を向けたの。そしたら見つけた、わたしが牢獄から出られた世界!」
半身の激情を目の当たりにした白夜は頷けばよかった。
それだけで宵闇の心は少し救えたかもしれない。だけど、彼女は認めなかった。
「どれだけ羨ましくても、どれだけ違う歴史を歩んだ自分を望んでも、お前は宵闇だ。人に傷つけられ、人を憎み、人と精霊を殺し回った“変わり果てたもの”だよ」
白夜は宵闇を傷つけた。
目を逸らしたい現実に向かい合わせたことで、乾いた笑いを零す少女は、全身から力が抜けたようにも見える。
いま少女にあるのは殺意でも憎悪でもなくて、ただ半身に拒絶された事実。いびつな貌で白夜を見つめて言った。
「死んじゃえ」
出現した無数の槍が白夜を貫くべく走った。白夜も同じだけの閃光を出して対応するが、同時に様子見していた竜が滑空し白夜を食い破ろうとする。
ここだ、と私も叫んだ。
「薄明を飛ぶもの……!」
堕ちた黎明に“明けの森を守るもの”は使えないから、呼び名はこれしかない。
いつか『目の塔』で魔法を使ったのと同じ要領で魔力を放出すれば、足元から質量のある存在が浮き上がる。
本当は空中に直接出してあげたいのだけど、そこまでの実力は私にはなく、だからこそなるべく彼女達の近くにいたかった。
出現までの時間は長いようで短い。自前の魔力も、白夜から分けてもらった魔力も容赦なく吸われていくが、ちょっと待ったはかけられない。
私は黎明を本来あるべき形で肉体を構築し、喚び直した。
足元で咆哮が轟く。
宵闇が操っていた竜とは比べものにならない質量と、魂に込められた重みの違いはヒスムニッツの森を揺らす。もしかしたらグノーディアまで届いたのではないかと錯覚しそうな竜の咆哮は周辺の小竜たちを食い止めた。
……ついでに私も足の均衡を崩して前のめりにすっころんだけど、ちょうど翼の付け根付近なのでこれ幸いとしがみ付いた。手綱もなにもなかったが、滑り落ちる無様を晒さなかったのは黎明のおかげだ。
ぴょんと飛び乗った黒犬がワンと鳴けば、見えない障壁が突きつける風から守ってくれる。
「いい子、ありがと!」
そう、私はいま黎明の背に乗っている。
万が一にも白夜の邪魔をさせないために、宵闇の竜は私たちで抑えようと決めていた。
私は黎明という『竜』の召喚に魔力のすべてを持って行かれるので、途中から彼女の出現を控えさせていたのだ。だからシスが認識阻害をかけていてくれたし、このエルネスタの気遣いがありがたい。
飛翔した黎明は本来の色を取り戻しており、どの竜よりも立派で美しかった。もう一度ひと吼えすれば完全に小竜の動きが止まり、彼女は突進した。剣すら弾く小竜の鱗を破り、骨を容易くかみ砕いたが、こんなもので“薄明を飛ぶもの”は止まらない。そもそも小竜は道行きのついでで、目的は小竜たちの親玉の竜だ。翼をひと凪ぎすれば、信じられない速さで風を切りだす。
狙われた側は危機を悟ったか、空を滑るように飛行し、黎明の首を噛もうと飛び込んでくる。本来黎明に敵うはずのない竜だが、宵闇に魔力を与えられているせいで限界を振り切っている。
全身に生々しい傷があっても痛がる様子がなく、一瞬でも間近で見れば目は血走り、異常なのが見て取れる。この竜はとっくに正気じゃなかった。
黎明がぐっと首を逸らせば目前に魔法陣が浮き上がる。息に魔力を乗せ、魔法陣に向かって叫べば、咆哮は氷のつぶてと化して竜を襲った。つぶてが竜の翼を貫通すれば、どこからともなく降り注ぐ雷が追い打ちをかける。
眩しさに目をやられかける最中、その向こう側の空で、白夜と宵闇が魔力を使った争いを繰り広げているのを見た。
少女たちを中心に光と闇が走り、時に力の欠片は獣の形をとってぶつかり合う。
黎明の背に乗りながらなんだけど、人の手には遠く及ばない決戦の当事者となって参加しているのは不思議な気分だった。