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41.忘れじの抱擁

 のびのびと笑い、心底皇帝を案じている姿に偽りはない。前々からもしかしてと思っていたけど……。


「ヴァルターさんって家の務めで近衛になっているわけではなくて、本当に陛下を慕っていらっしゃるのですか?」

「誤解されがちですが、近衛を目指したことに家は関係ありません。陛下の御身を守る立場を目指したのは私自身の意思です」

「……理由をお伺いしてもよろしい?」

「もちろん。実は貴女に話を聞いてもらいたくて声をかけたのです。友よ、よろしければ私の話に付き合ってください」


 この時にヴァルターの意図を悟れたのは、短いながらもこの人と良い関係を築けたのが関係しているのかもしれない。

 いまから聞くのはヴァルターが抱える秘密、内に秘めた、決して外に出せない深淵。誰にも言えない聲を私に聞かせてくれるのは、いずれ去る人間だからだ。

 夜なのも相まってリューベック家は静まりかえっている。上階のある一室に明かりが灯っているが、その部屋が誰の居室かは察せられる。離れた場所から兄を想うヴァルターは、真摯な眼差しを向けていた。


「フィーネは不思議だったでしょう。私がレクスのために務める姿を見ているのに、こうして陛下の御身を案じていることを」

「失礼ながら、一番はお兄さんかと思っていたので、陛下をそこまで敬愛されていたのが意外です」


 元の世界の経験則を含むけど、ヴァルターは思い込んだら一途で、他の者は目に入らない性質があるのだと考えていた。レクスが皇帝カールの位置で、お兄さんを慕ったからこそ彼の性質に違いがあるのだと。


「私は陛下が好きですよ。こう言ってしまうのはおかしいかもしれませんが、あの方が自らの道を進む姿が好ましく、同時にとても羨ましく感じている」

「レクスさんの意思と反するのではありませんか」

「かもしれませんが、想うだけなら自由ですし、誰に咎められる必要もない」


 皇帝を好きと言ってくれて、さらに親近感が湧いた気がする。だけど羨ましいとは何故だろう。

 彼の声に耳を傾けると、涼やかな風が木々の葉を攫っていった。


「以前裏庭で言ったでしょう。私がレクスを殺そうとしたと」

「冗談だとおっしゃった……」

「嘘ではなく事実です。……と、いまさら言っても、薄々感づいていたのではありませんか」

「そんなことはありません。充分驚きました」

「ですが納得はできるのでしょう。向こうの私は貴女を害した人間らしいし、そう考えられるだけの人間だったみたいだから」


 そんなことは話していない。身を固くすると、薄く笑って人さし指で自身の目を指した。


「観察眼はあるつもりです。初めてフィーネと会ったとき、貴女は私に酷く怯えていた。あの時は理由がわからなかったが、いまとなっては察することも可能だ」


 ただ、それはどうでもいいとヴァルターは語る。


「私は貴女と友人になりたいと思った、それが叶ったのであれば、どこかの世界の私は関係はありません。そうでしょう?」

「ええ。あなたはあなたですもの。私だってこうしてお話しできることを、本当に嬉しく思っています」


 リューベックさんとはまったく違う人だからこうして二人きりでも平気だし、私も友人だと思っている。

 レクスを殺そうとした話だけど、子供の時分、かくれんぼに乗じて離れ倉庫に閉じ込めたのだと語った。


「あの時は連日土砂降りで声は届かず、外は冷え切っていた。身体の弱いレクスでは決して出てこられるはずがなかったのに、彼は生き延び帰ってきた」


 弟が兄を殺そうとした。いくら子供とはいえ恐ろしい事態だ。少なくとも普通の親なら決して容認し難いし、なんらかの対処をするはず。ヴァルターの場合は、両親がとにかく長男を大事にして次男はあれば良い程度の扱いだったから、殺される覚悟を子供ながらに持ったそう。

 それを聞いたとき、ふと『リューベックさん』の下地が浮かんだ。


「けれどレクスは私を咎めなかったし、告発すらしませんでした。父母には自らの不徳の致すところだと説明し、誰も傷つかぬよう配慮した」

「ご立派だとは思うのですが、ヴァルターさんにはなんとおっしゃったんですか?」

「許す、と」


 むしろ弟をそこまで追い詰めていた、気付かなかった己を反省して抱きしめた。

 その時にヴァルターは思ったのだそう。


「私のような愚か者とは違い、兄は真実生きるべき人だ。贖罪は彼が生きる道を開くためにこの身でつぐなおうとも決めた」


 それが"ヴァルター"の前身だ。彼は自身のためでなく、誰かのために人生を捧げると決め、その模範となったのがレクスだったのが大きな違いだ。

 ただ、と乾いた口ぶりで空を仰ぐ。満足げだがどこか足りなさそうだった。


「ですが私は致命的な問題を抱えている。いくら兄を模範とし正しくあろうとしても、いくら経っても私を許すと言ったレクスの心が理解できない。消してしまえば簡単な外道も、相互理解を得られない者に対話で挑み、理解したいとする姿勢が気持ち悪い」


 気持ち悪いと語る姿は満面の笑みで晴れやかだ。


「ですがご安心を。私は私の心を表に出そうとは思わない。それはレクスが死した後も変わらないでしょうし、スウェン達を守り続けるでしょう」

「もしかしてそれが陛下を羨ましいといった理由?」

「自由に心のまま生きるあの方は私の理想です。できなかった想いを重ねているだけかもしれませんが、好ましいのは変わらない」


 そして同じ理由で、リューベック家を継ぎたくないのだと言った。


「私は良い当主にはなれないし、継げば跡目問題を考えねばならなくなる。こんな狂った者の血は後世に残すのは相応しくない」

 

 彼はもう己の道を定めているらしい。


「ヴァルターさんは自分がお嫌い?」

「好きか嫌いかですか? ……わかりませんが、益のない人間ではあります」

「私はヴァルターさんは親しみやすくて、いい人だと思ってます。最初は怯えてしまいましたが、いまはちゃんと好きです」

「努力しているからですが、そう言われて悪い気はしない。ありがとうフィーネ」


 彼はただ心情を吐露したかっただけで、そこにレクスへの贖罪や答えは欲していない。私の行動としては「そうなんですね」と頷くだけなのだが、どうしても付け加えたかった。


「いまの話しぶりだと、あなたはいまのご自分を嘘で塗り固めていて、それを無益だと思っているように感じるんです」

「感じるも何も、事実です。無理をして慰めようとしなくてもいいんですよ」

「慰めるわけではないのですが……なんだか、ヴァルターさんは偽ってる自分を悪いことと思ってるみたいだから、そこが気になるなって」


 意図を掴みかねて首を傾げるヴァルターに、ほら、と指さした。

 だってさっきから両手を後ろに回して握り、敵意がないと示している。蕩々と語る間も距離を取って、徹底して私を怯えさせまいとしていた。それらを指摘すれば、彼は困惑した様子で「当然だ」と答える。


「怯えさせるつもりはないのです。私はただ、話を聞いてもらいたかっただけなのですから」

「私のことを考えて行動してくださったんでしょう? 嘘で固めていたとしても、嘘が実になってる証です」

「……フィーネ、貴女はなにを私に伝えたいのだろうか」

「特に何も。ただ、嘘でもいいのではないでしょうかと言いたかったんです」


 そんなに驚く言葉でもないから、彼はとても真っ直ぐな人だ。


「あなたはレクスさんを理解しなくても良いし、できなくてもいい。ただ有り様を受け入れているのなら、自分を否定する必要はあるのかしらと思った。それだけなのですが……」

 

 ヴァルターはそんなことをもう十年以上も続けているわけで、そこまで続ければ嘘も立派な本当だ。


「嘘で始まって駄目な理由はありません。その先も続ける気がおありなら、いつかあなたも、あなたの求める人になれるのではないですかと言いたかっただけ」

「私が?」

「はい、ヴァルター・クルト・リューベックが」

 

 ヴァルターとは種類が違うけど、自分を否定し続けるのは、ちょっと前の私を見ている気分だ。私はライナルトや家族が声をかけ続けてくれたけど、ヴァルターの場合は人が足りないのかもしれない。

 彼は静かにじっと深く考える。私の言葉をかみ砕いて脳に届け、ゆっくりと首を横に振った。


「……申し訳ない。私にとってその言葉はすぐに受け入れられるものではないようです」

「あはは、いいんです。私もなんだか偉そうなこと言っちゃったし、ただ言いたかっただけなんですから。真面目に考えなくていいですよ」

「いえ、ですが悪くないとは思ったのです。……失礼だが、抱きしめても?」


 恋人持ちだと知って安易に言ってくる人ではない。

 下心はない、と言わんばかりに言葉を重ねた。


「これから忙しくなれば、まともに別れもできなくなるかもしれない。そう思うと、フィーネとはきちんと挨拶をしておきたくなりました。ですがエルネスタに見られると揶揄われてしまいます」

「機会はまだまだあると思うのですが……たしかにエルネスタさんはしつこく言いそう」


 交わしたのは力の籠もった男女の抱擁ではなく、友人としての軽い挨拶だ。大きな手がぽん、と背中を叩く。


「ありがとう、私の小さな友人よ。短い間でしたが、共に在れて光栄でした」

「小さいとは心外ですが、私もあなたに会えて良かったです。可能性を見せてくれてありがとう、ヴァルター」

 

 殺してしまったリューベックさんとの時間は戻らないけど、あなたと会えたのは素敵な出来事のひとつだった。そっと身体を離すと、ふと思い出したかのように言った。


「そういえば、あの胸飾りは……」


 まだ返却されていないけど、それがどうしたのだろう。問い返そうとしたとき、足元になにかが纏わり付いた。

 黒犬だ。スンスンと鼻を鳴らしながら頭を撫でてとすり寄ってくる。

 ヴァルターがいやぁな顔をした。

 私はと言えば主の居所を探るのだが、見つけるのは難しくなかった。なぜなら建物の上階から、ある人影と並んで立っているからだ。逆光になっているから表情はわからないけど、手すりに肘を置いて、頬に手を当てている。

 隣にいるのがレクスだとしたら、彼女が容体を鎮めてくれたに違いない。


「彼女はどうしてこう、人が見られたくない瞬間を見つけるのがうまいのでしょうか」

 

 ヴァルターが今後も揶揄われるのが決定した瞬間だった。




新連載のおなじく生まれ変わり?もの、あちらも次の話を投稿。

こちらも合わせよろしくお願いします。

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