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37.あなたに贈るひとこと

 いてもたってもいられなくて走っていた。

 彼の返事は必要なかった。飛び込むようにしがみ付けば白夜の拘束がほどけ、勢いがすぎたせいで二人して地面に落ちる。

 我ながらみっともない姿を晒すけど、恥ずかしがってはいられない。よじ登るみたいに体を動かして、彼の顔を両手で挟み込む。逃がすもんかと意気込んだから、ほとんど鷲づかみだ。

 ええ、ええ、いままでの経験が生きているから、これを怖いとは思わない。

 息がかかるほどの距離から瞳を覗き込む。

 誰だお前と言われる前に捲し立てた。


「死んだらだめ」


 昨日、秘密の話し合いをしたから白夜から聞いている。

 シスは心が人に近すぎるから、二度目の封印に心が耐えきれなくなって、壊れている可能性をとっくに考慮していた。

 それでも問題はないと彼女は教えてくれた。要はシスという縁が残っていればいい。自我を消して従わせるか、『心』だけにして閉じ込めるなり方法はあるからと。

 だけど私はシスが『箱』のまま生を終えるのは容認できない。

 けれどもこのシスはもう人を信用できない。

 彼にはもう誰かに親切にするための理由がない。誰かのために力を振るうのも、利用されるのも、ただ世界に在る事実すら嫌悪しているから何を言っても声は届かない。

 動機がないならあげるしかない。

 

「私の記憶をあげる。あなたを想う人がいて、歩んだ道は違うけど、誰かと笑い合える未来がちゃんとあるって希望を」


 そのための手段は得ている。黎明が私に記憶を見せてくれたあれと同じだ。

 特に相手がシスなら、個体として多少の違いはあれど、心身共に一度は繋がっている。こちら側から彼の内側に侵入する術は黎明から学んだ。


「誰だお前。なにをする……やめろ、私に入り込むな、心を視るんじゃない!」

「拒絶は許さない。死にたいと言っているのに悪いけど、私はあなたが死ぬのを見たくない」

「やめろ!」


 本気になれば抵抗できたはずだから、もしかしたら見えないところで白夜が力添えしてくれたのかもしれない。

 魔力を介した侵入は目に異常をきたした。眼球が熱を持ち溶けるような感覚に目を開けていられなくなる。一瞬のうちに視界が真っ白になってしまったが、侵入は止めなかった。

 何を見せたのかは、具体的には覚えていない。与えたのは私の記憶。解放されてからの、子供っぽい無邪気な笑顔だ。ライナルトに悪態を吐いてモーリッツさんを苛つかせ、ニーカさんにしょうもない悪戯を仕掛けて失敗する姿。エレナさんの作ったお菓子に減点を出しながら完食したある日の午睡。ルカと喧嘩をし、時にはヴェンデルと悪戯を企んで、怒られたら虎のクーインの元に逃げ込んだ。

 楽しい思い出の他には、真実の記憶。過去に彼と共に殺されて、そして『箱』へ一緒に投げ込まれた、愛しい人(システィーナ)の最期。


「なんだよこれ……。嫌だ、こんな記憶は知らない、私は得ていない!」

「手を取り合う人達は違うかもしれない。だけど裏切られてなかった真実は一緒のはず」

「やめてくれ! その名前はもう思い出したくない!!」


 システィーナの記憶には悲鳴が増したが、私が渡すものは彼の信じる裏切りとは違う。気が付けばシスの拘束は解けていて、嫌だ嫌だと駄々を捏ねて暴れる身体を押さえ込むのに精一杯だった。

 抵抗が大人しくなり視力を取り戻すと、人型は肉体を取り戻している。痩せ気味だけど艶やかな白髪と、涼やかな容姿を併せ持つ魅力的な青年が下敷きになっていた。

 銀鼠色の瞳に涙を浮かべぼろぼろと泣きながら、喉を鳴らして泣きじゃくる。


「僕はこんなの認めない。知らないんだ。誰も助けてくれなかったくせに、嘘ばっかり吐いたくせに!」

「そうね。遅くなってごめんなさい」

「お前は部外者だろぉ! この考え無しのイカレ女! 間抜け、かっこつけたって僕は一ミリだって感謝しない!」


 馬鹿だ阿呆だ罵られても結構。実際あなたを取り戻すために、私はほとんど考えもせずに白夜に解決策を聞きだし、自分自身を賭けた。シスなら絶対に私を壊さないし、私も壊されない自信があったから。

 ……黎明には反対されたけど、うん、賭けは勝った。

 いまは彼を抱きしめてくれる人がいないから、代わりに抱きしめる。


「おかえり」


 それはもうぎゅうぎゅうに、精一杯の力で苦しいくらいに力を込める。抵抗するかと思ったけれど、しがみ付いて泣いてくるから、これはもう本当に子供と変わらない。

 想定より穏便に終わってほっとしたけど、いまにも泣き出しそうな黎明に無茶を叱られたのは、少し落ち着いてから。

 シスは『心』の変化における消耗が激しい。いったん落ち着けるために眠ってもらおうとしたけど、人間に対する警戒心は変わらずだ。白夜によって無理矢理眠らされそうになると、私の腕を掴んで離さなかった。眠ってからも変わらずで、結局シスとずっと一緒。彼が眠る傍らで、エルネスタと今後について話し合っている。

 寝台の反対側では、黎明が興味津々になって青年の頭を撫でている。白夜の姿がないが、彼女は『目の塔』を出るなり与えられた部屋に戻ってしまった。


「エルネスタさん、いいんですか」

「いいって、そいつが解放されたことについて文句がないかってこと?」


 ずっと複雑そうな面持ちで青年の寝顔を眺めていたから尋ねた。


「恨みはある。憎いのも本当。でも解放されたそいつになにかしようとは思わない」


 黒犬の頭を撫でながら息を吐く。


「数年前までだったらなにがあっても殺してやるつもりでいたわ。父さんと母さんが殺されたのはこいつのせいと思ってるけど、わたしが約束を違えたのも事実だもの」

「約束って言うのは……」

「ただ自由になりたいって当たり前くらいは叶えてやりたかったのよ。あの時は、心からそう思ってた」


 殺意を鈍らせたのは時間だったのかもしれない。シスとエルネスタに交流があったのだと窺わせるが、それ以上を彼女は語らない。

 やがてレクスの来訪でシスを見守る時間は終わった。『目の塔』での顛末を聞き、皇帝の伝言を持ってきた彼は、シスを見て目元を和らげた。


「まだお休み中かと思いましたが、起きられていましたか」


 寝ていたはずのシスが目を覚ましている。なんとも嫌そうな面持ちで、レクスに悪態を吐こうとしたところで、横から伸ばされた腕に引き寄せられた。


「おはようございます、嬰児」


 黎明が全身でシスを抱きしめた。青年は抵抗するも、顔から豊満な胸に埋もれてしまう。


「れいちゃん? あの、その行動は……」

「わたくしのあなたがこの子を抱きしめたのなら、この子はわたくしの子も同然。愛を注ぐのは当然でしょう」


 謎理論だけど、シスを抱きしめてくれる人が増えるのは良いことだ。

 やり取りを眺めていたレクスは朗らかな笑いを零したが、そこに『箱』に対する恐れはなく、ひとりの人間を労う優しさがある。

 レクスはシスが落ち着くのを待ったところで、用件を伝えた。

 

「お疲れのところ申し訳ない。陛下がシス殿に確認したいことがあるとおっしゃるのだ」


 案内……というよりほぼ連行状態で連れて行かれたのはやや開けた部屋だった。

 周りは厳戒態勢が敷かれており、すでに臨戦態勢のシャハナ老をはじめ近衛すら目を光らせている。エルネスタも始終黒犬を出しっぱなしにしていたし、この部屋は、何かあったらバチバチにやり合うつもりで選ばれたとしか思えない。

 私は当然シスの傍らにいた。

 あからさまに不機嫌なシスに対し、皇帝の用件はひとつだった。

 

「お前はオルレンドルに仇成すつもりがあるか」

 

 シスは『目の塔』から解放されたけど、それは私、ひいては白夜の要望があってのものだし、この人としては、殆ど処分を確認するつもりで立ち合ったと予想される。彼は以前甚大な被害を出しているそうだし、もう利害関係を結ぶ理由はなく、約束を違えてしまった間柄だ。恨まれているオルレンドル側としては、身内に爆弾を抱えていられるはずもない。

 質問にシスは端正な顔を歪ませた。繁華街をうろつくチンピラの如き形相で嫌悪感を露わにし「なに言ってんだボケ」と第一声を放った。


「殺すつもりだったらここで起きた時点でとっくにやってる。私が暴走したら消すと言った白夜に生かされてるのがその証拠だろうが」

「信じられるわけがあるまい。私たちが互いに消滅を願っているのは違いなかろう」

「違いはないけど、フィーネの顔に免じて仕方なく大人しくしてるんだよ。お前の顔なんか見たかないしこんな国にも一秒だって居たくないが、お前みたいな人でなしでも殺したら悲しむせいだ」


 彼が事情に通じているのは私が記憶を開示したためだ。

 皇帝に対しては馬鹿だの阿呆だの悪態を吐き、いつの間にか持っていた短剣を投擲するから手癖が悪い。しっかり狙っていたようで、警戒していたヴァルターによってはじき落とされた。

 が、皇帝も皇帝で、命を狙ってきた凶器に怖じ気付きもしない。 


「では送還したあとに敵対する意思があるということか」

「だからやらないつってるだろボケカス」


 頭痛を堪える面持ちで私に振り向く。

 

「やっぱ殺したらだめ?」

「ぜったいだめ」


 物騒な思考を露わにしているが、白夜曰く、これは二度目の封印で半精霊の在り方を棄ててしまったせいだ。私が形を与えたからかろうじて繋ぎ止められただけで、彼は憎しみの象徴だった『私』を放していない。

 

「こう言うから諦めてやる」

「そのような曖昧な言葉で信用が得られると思うな。お前自身が今後も敵対する意思がないと示せる理由を言え。さもなくば必要とされる刻までグノーディアを離れていろ」

「私ならともかく、僕は恩人の恋人と同じ顔したやつを惨殺する趣味は持ち合わせちゃいない。お前はお前の行いじゃなくて、お前を大事に思うやつのおかげで肉塊にならずに済んでいるんだよ」


 場が沈黙の帳を落としてしまった。


「彼女がお前を望んで、お前に望まれた事実を視たから殺さない。それがなかったら討ち死に上等で国ごとぶっ潰してるよ」


 そういえば、人としての常識は半精霊のシクストゥスなら察してくれるけど、このシスには難しい部分があるのかなって、以前のシスを思い出してやっと思考が至り……。

 私は逃げた。



 レビューとても嬉しかったです。ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] このページ、めちゃくちゃ好きです。あっちの世界でのライナルトが婚約者ってバレたところ。最高にニヤけました。
[一言] 見てきます…と書いてしまいました。未来で続きお待ちしております!
[一言] シスおめでとう! という気持ちと、よくやったシス!! 逃げたぞ!! という気持ちでわくわくどきどきしています。ありがとうございます。続きを見てきます。
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