35.半精霊の解放に向けて
揺さぶられて身を起こすと黎明が間近にいた。片手が頬に添えられ、濡れ布巾で慎重に目元を拭ってくれる。私から魔力を補給している様子はないし、白夜の助けは彼女を自立させたらしい。
「人が来ます。もう起きねばなりませんよ」
お湯はないのに、ほんのり布巾は温かい。
彼女が離れると扉がノックされる。顔を出したのはエルネスタで、疲れ果てた様子でどっかり椅子に座るのだ。唇は半開きになり、喉からは無意識の声が漏れている。水を渡すと一気に飲み干したが、そのまま長椅子に横になりクッションを抱きかかえた。
「お疲れさまでした、会議はどうでしたか」
「めんどかった」
疲労が濃すぎて語彙力が低下している。不憫に感じた黎明がエルネスタの頭をなで始めるのだけど、それすらも受け入れ大人しかった。私は盛られていたお菓子に手を伸ばして食みはじめるが、木の実がキャラメルで固められさくっと食感が楽しい。すっかり冷めたお茶で流し込み、そこではじめてお腹が空いていると気付く。頭のすっきり具合と、エルネスタの疲労を鑑みれば時間が経っているはずだ。
「…………一応、精霊の要求は受諾された」
「それを聞いて安心しましたが、すんなり決まったにしては長引きましたね」
「色々揉めたからね。やっぱりうちとしては精霊を入れたくないって連中が多いけど、白夜の態度の変化が効いたわ。オルレンドルで宵闇の蛮行は見過ごせないって結論になった」
「まぁ……ですよねぇ。放っておいたらまた地方が犠牲になりますし」
「そういうこと。トゥーナの二の舞になったら見過ごした中央に対して人心が離れるもの」
「エルネスタさんはどちら側だったんですか」
「どっちでもいいわ。わたしは時勢に付いていくだけだから」
どこか投げやりな様子で返していたが、そんな様子も一瞬だ。
「隠さなくなったわね」
「何がでしょう」
「地方が犠牲になったら、って意見は普通に暮らしてるだけの市民じゃすんなり出てこないものよ。ああ、いまあんたは本当に貴族だったのねって思ったところ」
「でも会議室でもしっかり貴族してませんでした? あれ、かなり頑張ったんですよ」
「別人みたいだったもの。ま、わたしはいまの腑抜けた顔の方が好きよ」
腑抜けたとはまた心外だ。心を許しているといってほしい。
「エルネスタさん、黎明の存在に気付いていたんですか」
「気付いてはいなかったわよ。だけど宮廷に連れて行って以来、体調を崩しがちになったでしょ。あの時から、時々変な気配が付き纏ってるのは感じてた。貴女も不調になるのがわかってる感じで行動してたし、なんかあるでしょってね」
疑問はあったが「尋ねない、関わらない」を選択したのもあって問わなかったそうだ。だが宮廷に白夜が来ると聞いて、エルネスタは思いついた。
「その白髪といい、白夜に会わせたらどんな反応が起こるかを見たかったのが本音」
ここで彼女はきゅっと目を細め、駄々っ子みたいにクッションを叩いた。
「だけどそんな大物が隠れてたのは! まったくもって! 想定外!!」
「ですよね、お疲れさまでした」
「ですよね、じゃないわよ。わたしがどれだけ他の連中から絞られてたと思ってる。わたしは同胞に救いの手を差し伸べただけなのに!」
「でも私を拾ってくれたのはエルネスタさんですし」
「あの謝罪としおらしい態度はどこにいったのよ、ええ?」
「謝罪の気持ちは本当です」
だけど他に頼れる人がいなかったのも本当だから、あの時点だと、やはり私はエルネスタに保護を求めるしかなかった。やっぱりいまの結果は自然な流れだったんじゃないだろうか――と、思ってしまうのは、きっと相手がエルネスタだからだ。
きっと彼女は最後まで私を庇い立てしてくれた。実際その通りだったのか、エルネスタは露骨なしかめっ面で、引き続き私の保護観察を続けると述べた。
「拾った猫の責任は最後まで持てって言われてね。まったくとんだ拾いものだわ」
「はい、拾ってくれてありがとうございます」
しかしエルネスタが別世界――即ち平行世界の存在を簡単に認めてくれたのは意外だった。そのあたりを問うと、彼女は簡単ではなかったけれど、と頷いたのだ。
「魔法院に新しい役職が創立されたのは眉唾ものだけど、あの使い魔を見せられてたら嫌でも納得するわ。貴女自身が創造したものじゃないにせよ、それほどの魔法使いから継承しているなら高位の身分だって納得できるもの」
すんなりと信じてくれたので救われた思いだったが、このあたりからがやや難しい。
簡潔に述べると、私の訴えは答えを保留された。
理由としては簡単で、ひとつの会議で結論を出すには突拍子がなさすぎたせいだ。
ただエルネスタとレクスは「フィーネを元の世界に帰す」のは後押ししてくれたらしい。
「オルレンドルにこれ以上妙な存在を置いておくわけにはいかないから、早々に追い払った方がいいってね。……連中向けの理由よ?」
大多数はまだ精査したいと結論を出し、私の来歴は機密扱いするとして、エルネスタが面倒を見るとなった。今後は宮廷からの招集命令があった場合はすぐさま応じる必要があり、今日は質疑応答のため宮廷に留め置かれるのが決まった。
そしていまは白夜も宮廷に滞在している。
宵闇の討伐は決定したものの、彼女は現在魔力を潜め隠れている。オルレンドル側も少女の居所を探す協力を申し出て、情報共有を図るために彼女を留めたのだ。
この話を聞いた私は感心した。こうと決めたら行動が早いし、精霊に任せきりにしないのが皇帝らしい。また白夜も為政者側の意を汲んだから滞在したのではないだろうか。
宮廷の寝泊まりはエルネスタも付き合ってくれる。豪勢な料理を運ばせる、と意気込む彼女は有言実行の人だったから、夜は鬱憤を晴らすように飲み食いしたが、葡萄酒の瓶を二本近く空けたエルネスタは無事酔っ払いと化した。
寝こけてしまったエルネスタを引っ張っていると、その精霊はやってきた。
窓からやってきた精霊は供を連れていない。月光を背負って立つ少女はひときわ神々しいが、表情は昏く思い詰めている。
「汝に聞きたいことがある」
精霊会議では決して晒さなかった素顔を垣間見せていた。
幾度かの聴取を経てしばらく、私の要求も呑んでもらえた。
しかしオルレンドル側は協力よりも「勝手にしろ」の姿勢が近い。私は宵闇に関わりがある可能性が高いし、黒い少女を完全に排斥するためにも、私はこの世界から追い出した方が良い。そんな精霊側の進言があって「ついで」で認められるも、その際に白い少女はオルレンドル側にもうひとつ要求を行った。
「塔にいる幼子を解放したい。あれは黎明の娘を確実に帰すための手段になる」
『目の塔』にある『箱』の解放を望んだ。
当然、これはオルレンドル側に拒否された。審議するまでもない即答は、内政干渉だと宰相に忠告されるも、白夜はある条件を出した。
「解放された半精霊がオルレンドルに害を加えるなら、自分が処分しても良い」
これが皇帝の心を揺らした。どのみち彼にとってもはや『箱』は忌むべきものであり、消せるものならなくしてしまいたい存在だ。
白夜は自身がほぼ単身であり、見目が幼いために実力を疑われていると知っていた。被害なしに『箱』を鎮め、結果をもって精霊が人に敵意がないと証明すると述べれば皇帝は乗ったのだ。
かくして『目の塔』の封印解除が決定したが、最後まで解放に反対だったのはエルネスタになる。『箱』消滅における総括長に決まった後もずっと渋面だった。
当日、『目の塔』周りは厳戒態勢だ。軍人が配備されているものの、多く必要とされているのは魔法使い達となる。彼らを見渡した白夜はやや呆れていた。
「一瞬で終わるのだ、無駄に人を置く必要もなかろうに」
皇帝も姿を現したが、まずは『目の塔』の封印解除だろうか。傍目からみても『目の塔』は魔力の鎖が茨が巻き付くようにガチガチに封印されている。魔法使いだけでなく普通の人が近付いたって違和感を感じる代物だけど、対する少女は親指と人差し指を合わせただけだった。パチン、と音が鳴ると、実体のないガラスが塔からバラバラと落ち、空気に解け消えて行く。塔の封印に関わった魔法使い達が口を開けそれらを見上げていた。
肝心の白夜はなんともない様子で塔に進み始めるのだから堪ったものではないし、黎明や白夜が半精霊を幼子扱いするはずだ。
進み始める皇帝を周囲が諫めているのを目に留めたけど、構わず白夜に続く。
二度目の『箱』解放に向けて踏み出すのは、少し妙な気分だった。