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34.世界の壁を越えてきた者

「私は名誉市民の名は把握しているつもりだ、だがお前のような名誉市民は知らぬ」

「左様ですね。陛下は私を存じません」


 でも私はあなたを知っている。

 過剰なお世辞で場を引き延ばすのは厳禁。所作は不快感を与えぬよう軽やかに、だが決していち市民ではない人間であるのを示すために、姿勢はもちろん、指先まで意識的に貴族として振る舞った。

 久しぶりのこの緊張感に耐えられるだろうか。

 

「エルネスタ様とレクス様にもお詫びを。私はオルレンドル貴族、並びに魔法院に連なる者ではございますが、あえて黙っておりました。騙すつもりはございませんでしたが、そうなってしまったのもまた事実にございます」


 エルネスタ達にも頭を下げたのは、いまのうちに謝っておかねばこれからどうなるか不明なためだ。ここから先は彼らの対応がどう変わるかわからない。黎明がいてなお絶対大丈夫だといえるほど、楽観的ではいられなかった。

 

「どう説明したものか悩ましくありますが、私はオルレンドルの民であり、陛下の忠実なる臣下であり、国のために働いたのです。その甲斐あって、魔法院顧問に任命してくださったのも陛下でございました」

「また身に覚えのないことばかり言う。魔法院に顧問などと役職を設けた覚えはない」


 否定するものの、目はすっかり為政者のそれで、加えるなら前帝から帝位を簒奪した人物そのまま変わっていなかった。個人的な感情で現実を遠ざけず、現実味がなかろうとも色つきに対する嫌悪をひっくるめて私の真意を探っている。

 ……人は歳を重ねるごとに変わっていくが、皇帝はなにも変わっていない。昔のままで在ってくれる事実は私の身を助けているが、ほんのり悲しくもあった。

 やっぱり誰も、彼の心に入れなかったのかしら。

 

「頭のおかしい女とお思いくださいませ。ですがそれが真実でございますし、嘘は申しておりません。私はあなた様が知らない、違う世界の陛下から恩を授かりました」

「は……」

「話にならない、と言うには些か早計ではございませんか。この頭が狂っているか否かは、あなた方が竜とお認めになった精霊が保証してくれるのですから」


 この手の話題は、皇帝がなんて言いそうかなんて読めているから遮った。

 まだだめ。まだこの人に主導権を渡してはだめだ。


「逆を言えば、だからこそ私は、厚かましくもこの場に立っているのです。出過ぎた真似で会談に割り込んだ愚か者ではございますが、この喉が発する声は、すべてオルレンドルに敵対する意思がないことを示すために費しております」


 ライナルトが魔法使い達を見るが、エルネスタは黙って首を振り、シャハナ老もまた同様だ。代わりに発言したのは白夜だ。


「人の政に口を挟みたくないが……事実はどうあれ、その者には宵闇の魔力の痕跡がある。疑うのは構わぬが、調べたきこともあるゆえ、処するのは止めてもらいたい」


 よし、最低限命の保証ができた。


「ありがとうございます、白夜さま。ですが陛下は聡明な方、神秘の有り様を疑おうとも、国の有事を左右するこの状況を飲めぬ方ではありませんので、ご安心くださいませ」


 そうか、と素直に頷く少女。見た目と同じあどけなさを感じてしまって、こんな状況なのに可愛らしいと感じてしまった。微笑ましさは胸の奥にしまい込み、再度頭を垂れる。


「私は違う歴史を歩んだオルレンドルから来た人間の魔法使い。ただそれだけの者であり、私について覚えてもらいたいのはその一つのみでございます」


 どうしてこの世界に来てしまったのか。

 なぜ宵闇が私の名を必要としたのか。

 私の名を奪ったから脱獄できた意味に『■■■』を名乗る理由はなんなのか。

 真相を知るのは黒い少女だけで、私にはさっぱりわからない。この世界に落とされたのは悪夢よりもひどい悪運で、エルネスタに保護されたのは幸運で、黎明と出会ったのは偶然の結果だった。彼女の存在があっていまはじめてここにいるのだと言葉にして、唯一の願いを告げる。


「陛下、私は私が当たり前に在れた家に帰りたいだけなのです」


 誓ってあなたのオルレンドルを脅かしたいわけではない。冷たい目を向けられるのは悲しくはあるし、どんな形でも死んだ人達にまた会えたのは嬉しくて、いまもこの胸は複雑だけど、胸に誓った絶対は破れない。

 私はライナルトを置いて行かない。

 逆も然りだ。奈落の果てまで連れて行くと誓ってもらったのだから、私が離れるのは論外になる。

 長い長い沈黙を経た皇帝の返答は、まずは問いだった。


「名は」

「いまはフィーネと名乗っております」

「黒い精霊に奪われた真実の名とやらはどうした」

「自らの名だと実感を持てません。また、音を聞いても霞がかかったように頭の中で霧散します。私は聞くことが出来ても、その名を発するのが不確かなのです」

「では姓を述べよ」

「どうぞご容赦ください、答えられません」

「何故だ」

「我が家はすでにオルレンドルにおいて違う歴史を歩み、異なる結末を迎えております。私の存在がグノーディアにない事実がその証明です」


 知っている姓なら出自を探りたかったのだろうが、不必要な情報は与えたくない。

 素性についても絶対に語る気はない。

 皇帝の目の前にいるこの私は、別世界の魔法使いという認識だけでいい。


「名は明かせぬ。後ろ盾すらない流れ者の魔法使いを保証するのは精霊ときたか」


 中指で肘掛けを叩くのは、熟考する際の合図だ。


「再度聞く。望みはなんだ」

「帰還。ひいては宵闇に名を返してもらい、彼女か、あるいは白夜様の協力を持ってこの世界を去ることにございます」

「名までもと申すか。そもそも、いまの話だけを鑑みればお前が名を奪われたのが原因で、我が国は被害を被ったのではなかったか」

「恐れながら、私の世界の精霊とは、もはや薄れた神秘の果てであり、存在すら人々から疑われておりました。また宵闇の事例を見れば、人の魔法使いが対応できる相手ではありません」


 それに名前を奪われたままだと、どういった問題が残るかわからない、と付け足させてもらった。

 この辺は責任問題を問うているより、ただの確認事項だ。皇帝も宵闇の実力は加味しているだろうし、為政者として聞かねばならないから尋ねているといった節がある。


「精霊が保証したのは異なる地よりやってきた人間である点だけだ。顧問などと大層な名乗りをしたが、己が責任を証明できるものはあるか」

「多少のずれはありますが、宮廷や魔法院の隅々まで、一般人が入れない施設の存在までも知識を披露いたしましょう。他にも気になる点があればいくらでも」

 

 皇帝からの質問には誠実に、けれど答えられないものは答えられないと返していく。

 中には本当に魔法院の長老格しか入れない部屋への問いもあったし、何気に素性を探ろうとした気配すらあったけど、うまく答えられたはずだ。

 この間、特にエルネスタとシャハナ老は真剣な顔で考え込んでおり、特にエルネスタの反応が芳しくないとわかると、それを察した人々も、悩ましい形相を見せる。

 皆、飛び抜けて優秀な人達だ。ただでさえ馴染みのない精霊に対応している中に、世界を超えてきた者が飛び込み、突拍子もない話が飛び交っている。なのに理解も早く、状況把握に努め、実際幾人かは平静を取り戻していた。

 最後の質問は、完全に私の予想を逸れた。


「ニーカ・サガノフとはどのような関係だった」


 彼ほどの人が公の場で私情を問いかけるなんて考えもしなかった。少し答えを詰まらせてしまったけれど、嘘偽りのない言葉を告げる。


「歳は離れていますが、良い相談相手であり、尊敬すべき友人です」


 これを聞くと皇帝は私に下がれ、と片手で命じた。

 皆を一瞥すると言ったのである。


「時間を取ったが、この場は一個人の陳情を取り扱う場ではない。竜と精霊共の関係が示されたのであれば、ひとまず精霊の要求である宵闇について審議を行う」


 会議室は追い出されたが、ここはごねても印象を悪くするだけだ。

 意思を伝えられただけ及第点! と会議室から退場したら、扉が閉まった途端に、息を抜いてしまった。

 だって、ずっと抱え込んでいた秘密をやっと明かせたのだもの。

 何も解決していなくても、燻り続けた感情が解けたためか肩の荷が一気に降りた心地になってしまう。

 通された客室では長椅子に横になった。行儀が悪いけど、精神的疲労も、肉体的疲労も、どちらも限界に達している。

 なぜなら白夜の力は強力で、それでいて魔力の純度が桁違いだった。同じ人智を超えた半精霊シスを知っていたけど、それ以上にずっとずっと、よくわからなくて怖い熱だった。

 あんなもの、人が扱える力じゃない。

 ほう、と息を吐いて、全身から力を抜いていく。

 ……狡いけれども、シスの解放要求は皇帝の顔色を窺った末に止めた。あの段階では過剰要求になっていたからこれでよかったはずだ――と信じたい。


「れいちゃん、誰か来たら起こして」


 私の中に引っ込んでいた黎明から「わかりました」と伝わってくる。

 ……そういえばあの実体化って一時的なものなのかしら。


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