32.精霊会議
朝から宮廷は異様な緊張感に包まれていた。
表向き、今日は閣議会議とされている。精霊の来訪が周知されることはないけれど、この日は特に中央の守りを固めねばならない時だ。私たちが宮廷入りした時、奥に進むにつれ、空気は異様に張り詰め、衛兵はこころなしか緊張感に包まれいっそう警戒を厳しくしている。
早めに会場入りしたものの、場は意外と会話に溢れている。
見る限り、参列者はそうそうたる面々だ。宰相をはじめとし、リューベック家を含めた高官、外交官、魔法院、軍部、財務と揃っており、各々が相応しい威厳に満ちている。
彼らのうち数名と元の世界で顔合わせしたこともあるけれど、いずれも紹介されたときはライナルトの知己であったり、婚約してからで、臣下としての貌しか見ていない。いまのように屈託なく和やかに話したり、嫌味を交わしたり、意外と口で叩き合うのだな……と密かな衝撃を受けていた。
同じように同席を許されているものの、壁に立つのは近衛と、数名の書記官、あとは護衛の名目で魔法使いが待機している。私もバネッサさんの隣で立っていた。
こういった重要会議に使われる部屋は、場所は知っていても入る機会がなかった。
調度品のしつらえは立派でも、皇帝の好みが反映されて華美な調度品はひとつもない。縦長の机の主賓席が誰の席かはいわずもがな、他の席を人間が埋めていた。
やがて皇帝が到着すると、一同が席を立ち、響く足音に腰を折り、頭を下げ続ける。皇帝が席に着いた後に一斉に着席し、壁に立った私たちも遅れて頭を上げた。
皇帝の傍にはヴァルターの姿もあり、彼と目が合うと、目元が少しだけ和んだ気がする。
「触れはすでに出してある。諸兄らに改めて語ることはない」
皇帝は皆にこう語ると肘掛けに腕を置き、瞳を閉じて、そのときがくる瞬間を待った。語るのは禁じられていないのか、高官と軍部が話し合いを始めるのだけど、話題はやっぱりトゥーナ領。あそこを奪われたのは痛手だったらしく、途中から財務のバッヘムが混じって今後の摺り合わせを行う。
彼らの話も興味あるけれど、一番気になるのは精霊がどうやってこの場に姿を現すかだ。
時を置くとエルネスタが片手を挙げ、一同に告げる。
「お静かに、いらっしゃったみたいです」
彼女の言葉に次いで、空間がぐにゃりと歪みを見せた。
それは何もない空間に水面が走ったかのようで、白魚のような指がつきでると、今日の主賓が到着した。二人の精霊を伴った、少女の姿をした精霊だ。
少女は皇帝を見るなり、小さな唇を動かした。
「すまぬな。どうやら我々は遅れてしまったらしい」
いつか宵闇に見せてもらった少女は、実物も人智離れした美を備えている。同じ精霊でも黎明は親しみやすさがあるが、こちらは感情を感じさせず、無機質すぎて近寄りがたい。十代前半の幼さはのこるものの、左右対称の柳眉の整った顔立ちに、白い薄衣を幾重にも重ねた衣装を纏っている。白髪の長く緩いくせっ毛は、同じ白髪でも光の粒子がきらりと舞って、それがまた異質さを強調している。彼女のすぐ後ろに立つ大人の女型と男型を模した精霊も、白夜ほどではないが群を抜いた容姿を保っていた。
彼らはすぐに魔力の質量を落とした。一瞬の後に、服装と見た目を除けば驚くくらい場にとけ込んだのだ。
白夜が指定された席は、なんと皇帝のはす向かいの席。
これには少女も器用に片眉を持ち上げた。
「これは驚いた。オルレンドルの皇帝は、我らを警戒しているのではなかったか。我が指を伸ばせば、汝ごとき、すぐに手を下せてしまうぞ」
この発言には近衛が殺気立ったものの、皇帝は飄々としている。
「お前達ごとき警戒する必要がない、と学んだ結果だ。私を殺したくばそうしてみろ、オルレンドルはたちまち混乱に陥り、二国間の争いが始まるだろう。お前達は土地どころの話ではなくなる」
「……ふむ。三国のうち、汝が中央にいてくれたのは正解だったかな。ラトリアとやらは血気盛んで、ヨーは新天地を求めすぎている」
……その人も十分厄介だけどなぁ、とは黙っておこう。
しずしずと着席する白夜は、一見するだけなら少女そのもの。椅子と机の大きさが合ってないのが可愛らしいけれど、語る姿はまったくかけ離れている。
両手の指先を合わせ、さて、と呟いた。
「すぐに本題を、というのも味気ないな。まずは前回の要望に対する答えを聞きたい」
「否だ。お前達に譲る土地はない」
「理由をお聞かせ願いたい。我らも突然の帰還に際し、汝らの事情を考慮して、一定の魔法の提供を良しとした。利にもかなう提案を、一言で断れるほどの理由をだ」
「お前達にはわからぬ理由だ」
「そうと決めつけるのも早かろう。我らも長く生きているゆえ、汝の誤解を解くことができるかもしれぬ」
……自由気まま、勝手の印象を地で行く、精霊側が、驚くくらいに人間側に譲歩して話している。
私の知る精霊像とは一回りも二回りも違いすぎる。
不思議な感慨に満たされていると、ライナルトの目配せを受けて、これまでの内容を宰相が簡潔に纏めて述べていく。精霊達より提示された土地の振り分け、これによって脅かされる人間の生活をだ。また現状、色つきの出現で社会は混乱状態。精霊の帰還とあってはさらなる混乱の避けられず、その被害は数え知れない、と述べている。
これに白夜は、被害は避けられないものの、一部の上位精霊が力を貸し、混乱への収束を約束した。先にも述べた魔法の提供や、眷属の存在も昔では当たり前だったことも述べ、丁寧に相互理解を求めて行く。一応聞く限りだけなら、彼らの帰還はそうそう悪いものじゃない。
けれどすぐに頷けるほど政は簡単じゃないし、当然、オルレンドル側も明確な返答を避けている。白夜の背後に立つ男型の精霊が若干不服げな眼差しを人間達に向けていた。
現在の問題を確認し終えると、少女は言った。
「現在、この国で問題になっているのは眷属問題だろう。彼らが共存できることは過去の歴史が証明しているが、荷が重いと言うなら精霊が責任を持とう。かつての我らが残した、我らに与する子供達について請け負っても構わない」
「よろしいのですか」
「そこの子供を見る限り苦労しているのは理解できる。どのような生き方を望むにせよ、少なくともお前達が対処するよりは穏便に済ませることが可能だ」
シャハナ老の問いに、白夜はちらっとバネッサさんに視線を向けた。シャハナ老は昔の『大撤収』の際に残った精霊と人の間に生まれた子孫の問題も提示したのかもしれない。
「無論、それらは汝らが我らと共存してくれるならの話だが」
玲瓏な少女の声は、決して大きくないのに全員に届いている。幾人かが難しげに唇を結んだのは、眷属の危険性を把握しているためか、同時に彼らの処遇を精霊に預けて良いのか悩んでいる証拠でもある。
「そこな皇帝陛下の返答はいかに」
「否だ。お前達に譲るものはひとつたりとてない」
「ふむ。それでも否と申されるとは、なんとも度しがたい野心を秘めているとお見受けする」
皇帝はやっぱり皇帝で、返事に迷いがなかった。人間側は主の返答を知っていたから驚きもしないが、白夜は嘆息をついて首を振る。
「人の王のひとりよ。我らは政にまで干渉するつもりはないのだ。ここまで譲歩させておいて断るならば、良い結果にはならぬと申し上げておこう」
「脅すのは結構だが、我らにもお前達が信用できぬ理由がある」
「聞こう」
ここで宰相リヒャルトが口を開いた。
「オルレンドルの領地トゥーナ。あそこは我らにとって重要な生産地のひとつでありましたが、過日の戦では領主と民、そして援軍の将校ごと『竜』に滅ぼされております。しかも話によれば、トゥーナを占領したヨーの軍勢にはこれまで見たことのない生き物が混じっていると」
「人に危害を加えるつもりはないと告げられた貴方の言葉に反している。これを説明してもらいたい」
宰相と、宰相に続くレクスの発した言葉には初耳の情報があった。ヨー連合国がトゥーナを占領したとは聞いていたが、見たことのない生き物とはなんだろう。白夜は質問に対し、その生き物は精霊郷の動物だと肯定した。
「彼の国はそちらよりも早く我らとの共存を受け入れ、我らに土地を提供した。その礼として一部のものが動物を譲った。彼らはそれを活用しただけであり、精霊は政への干渉は行っていない」
「詭弁ではあるまいか」
「相応の見返りを求めるのが人だと認識している。無論、贔屓しているのではないよ。オルレンドルが我らを受け入れた場合も礼を贈るつもりだ。同じことをヨーと、そしてラトリアにも説明している」
精霊側の立場としては、一応理には適っていると言いたいのだろう。
ヨーはすでに精霊を受け入れている。この状況は国として大変よろしくないのは一目瞭然だが、それらを顔に出す人間側ではない。
宰相は続けて問うた。
「では『竜』についてはなんと説明される。あれがトゥーナを害したところにヨー連合国が攻め立てたのです。我らからすれば偶然の一致とは言い難い」
「都合が良すぎる、と言いたいのはわかる。汝らは我らが貴国を滅ぼしたいと願っていると信じたいらしいが、我らは誓って虐殺には与していない」
「偶然と申されるか」
「彼の国が抜け目なかった、としか言い様がない。大地を血で染め上げる所業に我らは与さぬ」
肘掛けから両手を持ち上げ、胸の前で指を絡ませた。
「だがこのような回答で貴国が納得するとも考えていない。人の子、汝が聞きたいのは竜と、かの竜の背に乗っていた精霊の件だろう」
「左様。生き残った者の話によれば、彼の者はカレンと名を名乗っていたと言う」
白夜の背後に立つ精霊があからさまに眉根を寄せた。白夜でさえもゆっくりと首を振ったのだ。
「それは正しい名ではない。なぜ人の名を名乗っているのかはわからぬが、元の名は違うものであり、あの精霊は我らの中でも異端と忌避されるものである」
「貴方がたとは違うと申されるか」
「違うとも。ああ、実を言えば、今回の本題はその精霊についてだ」
とうとう彼らに宵闇の存在を教えたが、あの黒い少女が人の名を名乗る理由はなんだろう。内心で首を傾げていると、少女は言った。
「竜の存在を教えた理由だ。共存の話を置いといても、あれを一刻も早く討伐するため、一時的にでも協力してもらいたい」
白夜は語る。宵闇は元々封じられており、消滅すら願われていた存在であると。今回の復活は精霊達にとって完全に予想外であり、宵闇の独走は精霊達にとって看過できないと語るのだ。
「我らは最早宵闇を滅するしかないと決めた」
「なぜ我々にその話をされる。協力とは何を指しておられる」
「彼女を討伐するには我が直々に動く必要があるが、彼女は我らとオルレンドルの関係が芳しくないのを知って隠れ蓑にしているのだ。いまはこの地に隠れているゆえに、貴国への進入と滞在許可をもらいたい」
「わざわざ滞在許可を我らに求められると?」
「再度申し上げるが、我らは人と良好な関係を築きたいのだ。人の流儀に疎いといえど、礼儀を失するつもりはない」
宵闇をオルレンドルの地下に封じていたとは話さなかったのは、素直に話せばオルレンドル側の心証が悪くなるからだと見て取れる。
さらに白夜は宵闇の危険性を語り聞かせた。精霊郷側においても相当な被害が出ているが、人側に損害を出したくないと語ったのだ。エルネスタによれば前回の白夜は多くを語らなかったらしいから、これは相当な変化だ。敵対する意思はないとの言葉に宰相は眉を潜めたが、判断を委ねられるのは皇帝だ。
白夜の懇願も皇帝へ向いた。
「宵闇の存在は双方にとって良いものにはならぬのだ。一刻も早く国を平定したいと願うなら、この話を受け入れてもらいたい」
「そちらによれば、その宵闇とやらは意図せず逃げ出したもの、我らへの損害も宵闇の独断であると言う。だがそれが事実であるとは誰が保証できる」
皇帝の問いに白夜も頷いた。
「オルレンドルの皇帝ならばその問いも当然だ。ゆえに先ほどまでは、被害をもたらされた我らの森を視てもらおうかと思ったが……」
そこで少女の顔が動く。
先ほどまで見向きもしなかった少女の目線がまっすぐに私の方角に向けられている。自然、皆の注目もこちらに集まった。
「それで、なぜ汝がそこにいる。ただ突っ立っているだけならば案山子でもできるだろうに、もはや汝を救えなかった我らに語る口は持たないか?」
「白夜様?」
お付きの精霊が戸惑う中、エルネスタに視線を移せば、彼女は「やっぱりね」と言いたげに、胡乱げな目つきで私をみている。
駄目だ、助けてもらえそうにない。
宰相やレクスに助けを求めれば頷いてもらえた。発言権を得たと安堵したが、なんて説明したものか。困っていると内側で「ごめんなさい」と囁かれ、次いで口が自然に動いた。
「説明したい気持ちはありますが、この状態で顕現するには力が足りておりません」
私ではないひとの声が喉から発せられているから、驚いて口を押さえてしまった。唯一状況を受け入れていたのは白夜くらいで、彼女は黎明の望みを正確に見抜く。
「ならば少しばかり力を貸そう。自ら語ってみせよ、薄明を飛ぶものよ」