31.狂乱は誰が為に
もっと渋られると思ったのに、あっけらかんとしている。固まる私の反応が面白くて仕方ない様子で喉を鳴らしていた。
「失敬。だが少しでも私に詳しい者であれば、この髪のことを知らぬ者はいないのです。だというのに、フィーネはいつまでも騙されてくれるから、私も黙っていた」
などと教えてくれる。公然の秘密らしかった。
「髪の根元の色が違ったので、もしかしたらって思ったらそういう……」
「ああ、そこでばれたのですか。忙しさにかまけて染め直しが遅れたのがいけなかったですね」
「な、なんでヴァルターさんは髪を染めてるんでしょうか。その色だと、レクスさんに寄せていったようにしか見えないのですが」
「見えないも何も、寄せていったのです。似せなければ意味がありません」
「なら、もしかしてレクスさんのために?」
前髪をつまみ持ち上げながら教えてくれる。
「フィーネも知っているとおり、レクスは身体が強くありません。眷属が出現し始めてからはともかく、元々宮廷への出仕は最低限で表に出る人間ではなかったのです」
「つまり、レクスさんのお顔を知っている人は少ない?」
「貴女の聡明さには度々驚かされる。その通りです、彼の顔を知るものがいないからこそ、私がリューベックを名乗り、この髪を見ると私をレクスと勘違いする者がいる」
「勘違いするんでしょうか。レクスさんと騎士のヴァルターさんでは大違いでしょうに」
「もとより私がレクスの名代を務めることも少なくありませんでしたからね、これが意外と引っかかります」
「それの何がヴァルターさんにとって重要なのでしょう。まさかレクスさんを狙う不届き者がいるとか」
返事がないが、見上げればそこにある笑みで正解を悟った。
「巷で言う”色つき”問題は、上の方ではもう少々深刻な問題です」
「レクスさんが眷属だからって、それだけで?」
「フィーネはそれだけと言うが、私にとっては”それだけ”で終わらせてくれる人がどれだけ貴重か、貴女はわからないでしょう」
レクスはリューベック家当主として手腕を買われているから、眷属であったとしても重宝されているとは教えられた。でもライナルトの気質を知っている人々や、差別が明らかとなった現状ではそれが気に食わない人も多い。これを機に蹴落とそうとする輩から、兄を守るためにヴァルターは髪を染めた。
「それにこれは、私にとっても良いことでして」
「たとえばどんな?」
「示しが付くのです。私はかの騒動でも髪の色は変わらなかったし、魔法も使えなかった。兄弟して”色つき”にならず周囲はさぞほっとしたでしょうが、私はそれが許せなかった」
なんとなく彼の言いたいことが伝わった。
彼にとってリューベック家当主はあくまでレクスだけなのだ。
「こうして兄に合わせ髪を染め、矢面に立ち兄を守る。そうすれば次男が兄を蹴落とすなどあり得ないと私を知るものは考えてくれる。おかげで妙な相談も減りました」
「……ご苦労なさったんですね」
「レクスの負担を考えればなんてことありません。本来なら安静にしておかねばならない兄が無理をするのを、私はわざと見過ごしているのですから」
その言いようは心から兄を案じているものであり、この発言でレクスの容体が思った以上によくないと知った。
「レクスさんは無理をしているのですか?」
「そうとは見えないかもしれないが、かなり」
ヴァルターは度々休むよう進言しているものの、ここで立たねばリューベック家が落ち目になるとレクスは踏ん張っている。
「普段はあまりお加減が悪いようには見えなかったから、思ってもみませんでした。そんな事情があるなんて想像に至りませんでしたし、お恥ずかしい限りです」
「思ってもみなかったということは、それだけレクスがうまくやっている証拠です。私としては朗報だ」
「私にとってレクスさんは良くしてくださった方です。次はもう少し気を配りますが、ヴァルターさんも教えてくれてありがとう」
「いえいえ、これも貴女が婚約者一筋だとわかったからです」
「はい?」
話の脈絡がなかった。どうして婚約者の話が出てくるのか話の意図が掴めずにいると、彼は爽やかに言ったのだ。
「私は貴女に好意を抱きはじめていましたが、婚約者がいるならこちらに振り向きはしないと確信できる。それがとても助かるのです」
「あ、はぁ。それはどうも……?」
「ですから教えても良いと思えたのですが、それよりもブローチだ」
お待ちになってほしいが、この話題を深く追うのも怖くて何もいえない。ヴァルターも「終わった話だ」みたいになっている。
リューベックさんみたく追い詰めてくる雰囲気はないから怖くはないけど、この底の知れなさは、相手が『ヴァルター・クルト・リューベック』なんだと実感した瞬間だ。
ひとつあの人と違う点があるとしたら、ヴァルターに対しては、こちらから歩み寄っても良いと感じるだけの親しみやすさがある点だけれども……。
「ついさっきの出来事ですが、なにか進展があったのでしょうか」
「調査に入る以前にわかりやすい事態に発展していましたが、これがまた厄介でして」
話によると、私の想像をはるかに超えて面倒くさい事態になっていた。
なんと肝心のスウェンからブローチを奪った衛兵、運悪くと述べるべきか、抜き打ち監査に当たって盗んだものを没収されていた。
「没収されたのなら、いまはどこにあるのでしょう」
「宮廷です」
なんと没収された理由が「一介の巡回兵」が持つにしては不審すぎると判断されたのだ。この監査をおこなった人物は真面目な人で、ブローチを見るなり一目で宮廷に献上される程の品と見抜いた。逸品物だからどこぞの富豪か、そうでないなら宮廷の宝飾品録にあるはずだと考え、いまは宮廷内で保管されている。その一端の騒ぎはヴァルターも小耳に挟んでいたくらいだが、まさかそれが私の捜し物とは思いもよらなかったらしい。
「スウェンはよく無事でしたね。それほど大事になっているなら、彼に手が伸びてもおかしくなかったのに」
「押収品とは言わなかったのですよ。横領はまた別の罰を与えられますからね。仮に手が伸びたとしても、レクスが上手く庇います」
工作する気満々らしく、あくどい笑みに親しみを覚えてしまう。
「リューベック家のものだと言い張るつもりだが、盗まれたとなれば我が家のものである証拠が必要になってくる。そこで伺いたいのですが、どこの職人に依頼したものかわかりませんか」
「わかり、ませんね……」
本当は細工の特徴でどこの工房産かは推測できるが、こちらの世界では生産すらされていない。
「となれば文書を偽造するのが妥当だが、この方法ではもう少々時間が掛かります。もうしばらく待ってもらえますか」
偽造。偽造ってそんなあっさり。
もちろん反対はしない。代替案など浮かばないし、私の物だと証明できない品物を正攻法で取り戻すなど無理に等しいのだから。ただ文書偽造には結構な技術がいると聞いたことがあって、もしかしてリューベック家には、お抱えの職人でもいるのかしらと気になるところだ。
ただ、これに付随し気になる点がもうひとつある。
「ヴァルターさん、あなたは教えてくださらないですが、これも聞いてよろしい?」
「どんな疑問でしょう」
「スウェンさんを連れてきたのはブローチの行方が本題じゃありませんよね」
本来であればスウェンはお役御免のはずだが、いまだにレクスに拘束されている理由がわからない。けれどヴァルターは笑うだけで何も教えてくれず、話題を別に移した。
『精霊会議』だ。当日はヴァルターも皇帝の近衛として後ろに立つらしい。ヴァルターは、どうしてエルネスタが私を参加させたがるのかわからないと語った。
「エルネスタが貴女に入れ込んでいるのはわかるのですが、それでも部外者を捻じ込む行為など初めてだ。ほとんど無理矢理だったと思っても良い」
「エルネスタさんがそこまで……」
「しかも今回においては、精霊側がどんな用件で再度接触を図ったのかが不明であり、なにがあるかわからないのが実状となる」
「陛下はなぜ精霊との対談をお認めになられたのでしょう。陛下のご気性なら、てっきり断ると思っていたから意外です」
これにヴァルターはやや目を丸めたが、やがて苦笑して頷く。
「それについては相手もわかっていたのでしょう。あえてあの生物が『竜』であると名を伝え、存在をちらつかせて我らを食いつかせた」
竜の呼称を教えたのは精霊側からだったらしい。
「では土地を……共存を図りたいといった用件ではない?」
「少なくとも陛下がそう考えておられない。それにあの竜の中身を見た貴女ならわかるはず。我らはトゥーナについても問わねばなりませんから、穏便に終わるとは考えない方が良い。使い魔を出すのはもっての外ですが、身を守る準備を怠らないでほしい」
人間にとって精霊は未知の存在だ。ヴァルターは私の身は守れないと念を押したかったのだろう。
「それに貴女はすでにエルネスタに見出されている。発言権はないが、ただ立ち合うだけにしても、見聞きした内容は決して他言しないと誓ってもらいたい」
「それはもちろん、約束できますが……」
「と、エルネスタはこんな話はしないでしょうから、伝えておいてほしいとのレクスの伝言でした」
たしかにエルネスタだと注意は後回しになりそう。
その後は夕餉の時間を迎え、そのときになってようやくレクスと顔を合わせられた。スウェンやニコも同席するも、ずっとスウェンは仏頂面で、レクスとまともに顔を合わせようとしない。あえて空気を読まないエルネスタとヴァルター主導でご飯は進み、スウェンはずっと塞ぎ込み気味だ。
私はニコの相手をしつつ、エルネスタの手伝いをして、肝心の『精霊会議』に向けて意気込むのだけど、当日になって出鼻を挫かれた。出鼻以外にも予期せぬ出来事に見舞われた。
「それで、なぜ汝がそこにいる」
白夜が真っ直ぐこちらを見つめてくるのだから、たまったものではなかったのだ。
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