28.歩めなかった未来はここに
牢屋越しに会う青年は想像以上に立派だった。肉体労働もしているのか、細身ながらも筋肉を付け、顔つきも男性らしくなっている。目つきが鋭くなっているのは環境故の変化だが、それでも私の知るスウェンの面影を残してくれている。
ヴァルターが連れて行ってくれたのは、衛兵詰所近くの留置場だ。中には多くの人が拘留されているらしいが、荒くれの中に私を連れて行くのを避けたかったのか、スウェンだけを別に移してくれていた。
スウェンはヴァルターに嫌悪感を隠さない。
私には見覚えあったのか軽く目を見張ったけど、知らない振りを通しそうだ。
「どうだろう。彼で合っていますか」
「間違いないです、この人ですね」
「……だ、そうだ。悪いが出してもらえるか、ここでは話がし辛い」
リューベックの名を出していたからか、衛兵がスウェンを解放してくれるのも早かった。それとも犯罪に手を染める人が多すぎて、盗人ひとりに構っていられないからなのかもしれない。
落ち着いた先は小部屋だ。向かいに座ったヴァルターが尋問のため罪状を確認するも、スウェンは非協力的だった。
「お偉いさんが何のようだ、おれはあんたに追われるようなものは取ってない」
「だが衛兵が君が盗みを働いたところを目撃した」
「そいつは濡れ衣だ。馬鹿な盗人が近くにいたおれに押しつけたんだ」
「そうだな、相手は君とここしばらく組んでいた仲間だ。見たところ裏切られたのかな」
あからさまに動揺した。私も初耳だが、スウェンも顔に出してしまうから、事実を肯定してしまっている。
「君は一月以上前、こちらの女性から宝石を盗んだね」
「いや、知らない」
「それは通らない。君が宝石細工のブローチを売ろうとして困っていたのは知っている。……うまく分解できたかな?」
「なんっ」
「できなかったろう。君は目が肥えているらしい、飾りを少しでも傷つければ価値が下がると知っていたから、纏まった額を手に入れるために宝石のみを外すことはできなかった」
「お前、どこの誰だ」
「私の話はまだ終わっていない」
怒りに身を震わせたが、ヴァルターの顔を見た途端に分の悪さを悟った。私には彼の後頭部しか見えないけれど……待って、髪の一部根元が金髪になっていない?
疑問を感じる間にも、見えない圧混じりの尋問は続く。
「付近の質屋程度では売り先が見当たらなかったのだろう。あったとしても、裏道しかないから買い叩かれた。だがそれで正解だ、もし売り払っていたとしたら、私は君の仲間ごと斬り払わねばならなかった」
「いくらあんたが貴族だからって、あそこは貴族の手だって届きやしない。できもしないことを言うな」
「だろうな。だが殲滅は無理でも、やりようはある。定期的に行われている労働と配給支援を打ち切られては、困る者も多いはずだ。……君が懇意にしている孤児院もあったかな?」
「……いや、待てよ。配給支援って」
「リューベック家が仕切らせてもらっている。具体的には私の兄が、だが、進言して取りやめてもらうくらいはわけもない」
青年の顔色が変わり、これに満足したヴァルターは悠々と足を組む。
「立場をわかってもらえてなによりだ」
「……うそだろ。なんでそんな大物が出張ってるんだ」
「必要だからだ。あまり時間を取らせないでもらいたい」
悪役はエルネスタの十八番と思っていたけど、こちらも十分型にはまっている。面白がってるなぁ、と観察がてらの傍観だ。
「さて、盗人には相応の処分をと言いたいところだが、今回は見逃してあげても良いと思っている。無論、ここまでいえば私が何を言いたいのか、その意図も理解できるはず」
スウェンは悩んだ。時間にしてたっぷり五分以上は悩んだ。
下唇を噛み、額には汗を滲ませる。ヴァルターも青年に猶予を与えたが、慈悲があったわけではない。
「答えなくても構わない。私は個人的な事情で慈悲をあげただけで、それなら君の奥方に話を聞くだけだから」
「おく……!?」
出すつもりのなかった声が出てしまう。
スウェンに奥さんがいると聞いて、どうして驚かずにいられよう。これはスウェンには相当効いたようで、あからさまに怒りを露わにした。
「おい、まて、お前どこまで知ってる!」
「大体は、どこまでも。……ファルクラムからの不法移民らしいというくらいかな。奥方は君のやっているところをしらないな」
「アイツは関係ない! 手を出してみろ、タダじゃ済まないからな!」
「現実的ではない脅しは脅迫として無意味だ。私ならばたとえ手隙であろうとも、君くらいなら五つも数え終えぬうちに首の骨を折れる」
「この……」
「こういってはなんだが、配給支援がある以上、最低限生きるだけなら困らないはずだ。さらに言えば君は健常な若者であり、働き口さえ選ばなければ真っ当には生きていける」
唇を噛みしめるスウェンは、刺し殺さんと言わんばかりにヴァルターを睨みつける。
「……ファルクラムから来た移民に、どれだけ差別があるかも知らないくせに」
「知らないとも。私はオルレンドル貴族だから移民の気持ちはわからないし、知るつもりもない」
「クソが」
「だが君たち移民が真っ当にやっていくための支援を行っている。勝手に手を振り払い、犯罪に手を染める者に優しくできるほど、私の腕は広くない」
「そうやって殺されていった難民がどれだけいると思ってる」
「君こそ奥方のためにと言い訳をして盗みを働き、結果誰かを不幸にしている」
あああ、場がどんどん剣呑になっていく。耐えきれなくなってそっと声をあげた。
「あの……ちょっとよろしい?」
このままだとスウェンがヴァルターに掴みかかりかねない。どちらかが殴り殴られるなんて見たくなかった。
「ごめんなさいね。あなた、たぶんファルクラムのコンラート領のスウェンさんだと思うんだけど……」
「は……!?」
「どうして知っているかとかは勘弁してね。それでね、あなたが私から盗った胸飾りなんだけど、あれは私が大事な人からもらったものなの」
名前を出したのは交渉が必要な相手に情報を掴んでいるぞ、といった牽制だ。
「……いまとなってはあれが私と婚約者の唯一の繋がりなの。返してくれたらあなたの罪は問わないし、もしヴァルターさんに恩を着るのが癪なら、今回の釈放金は私が融通したっていい。お願いだから返してください」
あれだけ高価なものであれば、足を付かせないためにバラバラにされている覚悟もあったから、無事だとわかって嬉しかった。エルネスタからもらったお金があれば釈放金も足りるはずだ。
頭を下げていると場の空気が落ち着いた。
「……あんた、どこでおれを知ったか知らないけど、コンラートを知ってるのか」
「とてもいい領主様と、ご一家が住まわれていたのを知ってる。……そのご子息のスウェン様よね?」
「元、だよ。一家が殺されたあとは親族に身ぐるみ剥がされて、何もかも奪われて追い出された。いまじゃただの移民でしかない」
悔しげに目をそらすのは過去を見つめているからか。
ああ、だから人相や一人称も変化してしまったのかもしれない。奥さんがいて大事な伴侶がいるなら、スウェンだったら強くあろうとするはずだ。
スウェンはため息を吐いた。
「あんたのは返してやってもいいけど……手元にないんだ」
ヴァルターが動いたのを見て、慌てて手を振った。
「違う違う、あんたの調べ通りだ。売っぱらってなんかいないし、嘘もついてない! あれは盗られたんだ!」
「嘘をつくとろくな事態にならないが」
「違う! 本当にないんだ、持ってったのはオルレンドルの衛兵だよ!!」
絶叫はヴァルターを停止させた。訝しげに席に座り直す軍人を、スウェンは心臓に手を当て、引きつった顔で見つめている。
「言われた通りだ。売り先がむずかしかったから、こうなったらある程度買い叩かれてもいいと思って持ち出してた。そしたら仲間に濡れ衣きせられて、そのまま衛兵に捕まったときに盗られた」
「盗った? 回収したの間違いではなく?」
「おれをしょっぴいたやつらは、そんな立派な正義感があるやつじゃない。断言しても良いけど、絶対に懐に入れてる。というか売れば高くなるって言ってたの、聞いたんだよ!」
どうすると目で尋ねるヴァルターだけど、スウェンは嘘をついていないと断言できる。盗みは働いたけど事情がありそうだし、信じて良いと頷いた。
「……やれやれ、今度は身内を探らねばならないとは」
腰を浮かすヴァルターは、もうスウェンに用はないと言いたげだ。
「いやいやいや、ちょっと待て! 素直に喋ったんだから釈放してくれよ! このままだとおれはここに濡れ衣でぶち込まれたままだ!」
「だが彼女から盗ったのは変わりないだろうに」
「だから返すっていってる! それに衛兵だって顔がわかんなきゃ大変だろ!」
「その程度なら、記録をあたればすぐなのだが……フィーネ」
「すみません、あとで必ずお返ししますので、お金を貸していただけますか」
ヴァルターは私がこう返すとわかっていたらしい。
「貴女はそう言うし、仕方ない。実を言えば、私も彼を連れて行かないわけにはいかなくなりました」
意味深な言葉を吐くと、スウェンの釈放を決めてしまった。リューベック家の権威を使って、言葉一つで手続き完了だ。これにスウェンは唖然とした様子だったが、家に帰してもらえないとわかるとヴァルターに頼み込んだ。
「なあ、あれを返すために協力はする。絶対するから、ちょっとでいい、家に帰らせてもらえないか」
自分の命がかかっているとき以上に、必死の形相で頼み込む理由をヴァルターは知っていた。
「例の目が見えないという奥方か」
「そうだよ。この際だから、もうどこまで調べてるのとか、そんなのはどうでもいい。とにかくおれが家を空けてもう三日も経ってる。買い置きだって、たいした量があるわけじゃないんだ」
目が見えないとなれば心配になるのも無理はない。一時的になら帰しても良いと思うけど、やはりヴァルターは首を横に振った。
「すまないが私の仕事はブローチを取り返し、君を我が家に連れて行くことになる」
このとき、スウェンはどうやって腕利きの軍人を出し抜くか考えていたに違いない。青年の考えをお見通しの男はくるりと背を向けていった。
「だから奥方も連れて来させれば問題ない。……奥方の名前はアデルだったかな」
「それは偽名だから、アデルの名前じゃ信用してくれない。おれの名前を出して、ニコっていったら信用するはずだ」
鼻の奥がツンと痛むのを堪え、素知らぬふりで彼らから顔を逸らした。