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26.愛する人はただひとりなので

 宮廷は幾度も訪ねているし、新居の区画探しも兼ねて歩き回ったから、建物の構造や役割はおおよそを把握している。私が通されたのは一般来客用だけど、その中でもひときわ奥まった区画だ。お風呂やお手洗いが備わっている豪華な仕様で、おかげで静寂の中でゆっくり過ごせる。一見感激ものの素敵な部屋でも、宮廷というものを知っているおかげか、案内された意図は察せられる。


「逃げたりしないのにねぇ?」


 硝子灯のみならず部屋中の明かりを灯し、姿を現していた黒犬を抱きしめる。

 綺麗で過ごしやすい場所を与えてくれるので怖くはないけど、ここは色つきを警戒した隔離目的だ。どちらかといえば着替えをどうしようと悩んだくらいだったけど、しばらくして寝衣と着替えを届けてもらえた。貴族の女性服だったのは困ったけど、替えをもらおうにも、侍女さんはとっくにいなくなっている。

 こちらに来てからは絹織物と縁がなかったから、さらりとした手触りは少しくすぐったくて、寝るにもどこか落ち着かない。お風呂でゆったり過ごし、広い寝台で横になっていたら夜も更けていたけれど、興奮が冷めずに寝付けずにいた。

 黒犬は私が暗がりを嫌うとしっているから、隣でくっついている。使い魔の良いところは抱き枕代わりにしても、体重をかけても嫌がらない点かもしれない。

 やることもないし、出来るのは寝ることくらい……と思ったところで勢いよく身を起こした。

 ライナルトや皆に思いを馳せ懐かしんでいたけど、これはまたとない機会だ。私はシス直伝の認識阻害の魔法を覚えているのだから、『目の塔』へ直行して様子を見に行くことができる。封印を解除するまではいかなくとも、様子を見に行くくらいは可能だ。

 そう、逃げはしないけどちょっと抜け出すくらいは!

 思い立てば行動は早い。早速着替え、外の状態を確認する。扉を開いても周囲に人はおらず、廊下に一歩踏み出したところで気付いた。


「あ、これはだめね」

 

 網をすり抜けた感覚が全身を襲い、直後に不利を悟った。しばらく待っていると、やがて足音が聞こえ出す。

 やってきたのは魔法院のバネッサさんだった。

 彼女は幾人かの軍人を引き連れている。彼らが厳しい顔つきをしているのに気付かないふりをして、誰もいないから途方に暮れていました、と言わんばかりにだ。

 怪訝そうなバネッサさんが話しかけてくる。


「……部屋から出たみたいだけど、一体どうしたの?」

「ちょっと寝付けなくて、本でも借りられないかなあと思って出てみたんです。ですが誰もいなかったので……」

「本?」

「はい。落ち着かないのでお借りできないかしらって」

「悪いけどそういうのは出来ないの。大人しく寝ててくれない?」

「むずかしいですか。……わかりました」


 ちゃんと演技できているかな。

 バネッサさんは、私が部屋の出入り口に張った結界を超えたこと、気付いたのだと知っている。

 人質のために魔法使いを駆り出させて、それがバネッサさんだった。ただ魔法使い単体は信用できないから、彼女の監視役としてさらに軍人がついた。予想だけど、たぶん合っているはずだ。

 彼女は物言いたげに私を睨めつける。


「……安易に部屋から出るのは勧めないわ。気をつけてちょうだい」


 で、軍人の前で私を問い質せば、色つきの心証が悪くなるから黙らざるを得ない。こんなところかな?

 私も結構宮廷寄りの考えができるようになってきたのかもしれない。

 見守られながら部屋に戻るものの、窓を開けてみたら、やはり扉と同じように網目状に糸が張られている感覚がある。


「出られなくはないけど、喧嘩は売れないしね」

『ええ、いまは大人しくしておきましょう。周囲は糸状になって封が成されています』


 ひとり言のつもりが返事が返ってきた。辺りを見回しても誰もいないが、確かに黎明の声だ。


『本調子ではありませんが、このくらいであれば』

「声は出して大丈夫?」

『わたくしのあなたは声の方が意思は伝えやすいでしょうが、いまは避けましょう。あの使い魔は違う人間につながっています』


 寝台の上では黒犬がきょとんとした様子でこちらを見ている。

 たしかに黒犬はエルネスタの使い魔だし、彼女に黎明の存在が伝わるのはまずい。まずいというか説明が色々とむずかしい。

出てきてくれたの、と問えばほっそりと笑った気がした。


『くらがりは、いけません』


 ……本当に彼女の存在に救われてる。

 外には出られないし、また着替え直して寝台に横になれば、黎明が周囲について教えてくれる。彼女が生前時から感じ取っていたらしいが、ここからそう近くない場所に厳重に封が成された区画があるらしい。たぶん『目の塔』だ。


『奇妙なまでに空気が淀み、大気が歪んでいたのです。風が微かに穢れを纏っていましたから、いまのわたくしのあなたが向かったところで、太刀打ちはできないでしょう』


 教えてくれるので、突発的な作戦はなしとなった。手がかりを目の前に残念ではあるけど、発覚すれば処刑も止むなしだったろうから、これで良かったのだろう。

 ひしひしと実感させられるけど、黎明がいてくれるとはいえ、ひとりでは出来ない事が多すぎる。元の世界でも、誰かの協力があったからこそやってこれた。抱え込むのは止めにして、いい加減エルネスタやレクスに事実を打ち明けることを視野に入れるべきではないだろうか。厄介ごとを避けたいエルネスタは嫌がるだろうから、拒絶される可能性もあるけれど……。

 答えの出ない悩みを抱える合間、優しく頭を撫でられている感覚がある。黒犬抱き枕と、目の前で眠りこける黒鳥。黎明のあたたかさに包まれていつの間にか眠りについていた。

 起きたときにはとっくに陽も昇っていて、どうしてここまで眠っていられたのか、自分でも疑問に感じたくらい。しかも机には朝食が置かれていたから、侍女の入室も気付かなかったらしい。

 普段ならエルネスタにたたき起こされているところだけど、今日は咎める人がいない。寝ぼけ眼を擦りながら着替えを済ませ、黙々と食事を摂ったものの、その後も部屋から出るのは認められない。出来ることもないので結局眠っていたら、変化が起きたのは昼もとっくに過ぎてからだ。

 ヴァルターがおやつを持ってきてくれた。


「やることがなくて暇でしょう」

「暇すぎて寝てたくらいですが、疲れは取れました」

「レクスの勧める本を持ってきました。これくらいしかできなくて申し訳ないが、いましばらくお待ちいただきたい」

「エルネスタさんはまだ姿を見せないんでしょうか」

「その点はご安心を。昼前には仏頂面を晒しながら登城しました」


 姿を見せてくれたが大変ご機嫌斜めだったらしく、周囲の人を相当萎縮させたようだ。


「いまエルネスタさんは何をしているんですか?」

「陛下やシャハナ長老を交え会談を。終わる気配を見せないので、しばらくかかるやもしれません」

「それをわざわざ知らせに来てくれたんですか? ありがとうございます!」

「レクスの要望でもあったのです。貴女が宮廷に連れて行かれたと聞き、心配していた」


 お菓子はクリームをたっぷり詰めた揚げドーナツの詰め合わせだ。他にもチョコレート、糖蜜がけと種類がある。実はお昼の用意がなかったのでこれは嬉しい。


「私はこの手のものに疎いので買ってこさせましたが、噂では謹慎中のバッヘム家当主が好まれる菓子だとかで、有名な店のものです」

「聞き捨てならない情報ですね。嬉しいですが、差し入れしてもらっていいんですか」

「フィーネ、忘れているかもしれないが、私はオルレンドル帝国皇帝ライナルト陛下の近衛であり、そして帝都内有数の名家たるリューベック家当主の実弟で、右腕的存在です」

「あ、なるほど」


 明日の体重には目を瞑り、ヴァルターとおやつの時間となったが、彼、甘すぎるのも案外いけるらしい。砂糖の量に驚きながらも食べていた。

 盛り上がりに欠けるものの、彼には会話を退屈させないだけの教養と話術がある。他愛ない話でも興味を引く話題はいくらでもあったし、治安対応なんかに興味を示したら、笑われてしまった。


「フィーネは普通の女性ならば興味を示さない話題を好みますね」

「普通ですよ、だって自分の住む国ですもの」

「そうではなく、我々のように国を守る側からの視点で話を聞きたがる」


 会話ってむずかしい。

 適当に誤魔化して、やがて夕方になろうという頃に、エルネスタもやっと姿を現した。しかもレクスも一緒で、二人ともややお疲れ気味だ。

 エルネスタはきつめの目元をさらに悪くして、どっかりと椅子に腰を落とすし、レクスもうっすら笑うだけで元気がない。


「お二人とも、お疲れさまです」


 飲み物を用意しようとしたらエルネスタに捕まった。

 彼女は鬱憤を晴らすように頭を挟んで力を込めてくる。


「あんたねぇぇぇぇぇぇぇ……!」

「いたいいたいいたいいたい」

「あんなやつら放っておいて家に籠もってりゃよかったのに、大人しく人質になる馬鹿がどこにいる……!」


 大変理不尽なお怒りを買ったのでした。

 エルネスタを宥めるのに時間がかかったが、彼女の怒りは心配の裏返しだ。


「ったく、なにもなかったからよかったようなものを……」

「エルネスタさんなら来てくれるって信じてましたので」

「この脳天気娘。そんなこと言って、あんたヴァルターがなんて書き置きを残したか知らないの」


 どんな書き置きだろう。ヴァルターを見るも、満面の笑みで返されたのでさっぱりだ。

 これにエルネスタは頭を抱えた。


「皇帝にのこのこと付いていった挙げ句、しかもこんなのんびりと過ごして……」

「なるほどそういう」

「なにがなるほどよ」

「大丈夫ですよ、叩いても出ない埃を探されても痛くありません。噂はすぐに収まるでしょうし、なにもなかったものを気にしても仕方ないんですから」


 彼女は皇帝が女を連れ帰った意味を考えろと言いたいのだろうが、噂や陰口は付いていく時点で承知していた。宮廷は人間不信になることにかけてはとびきり優秀な魔窟だし、噂を主食として過ごす人間がいる以上、その程度気にしていられないと私は知っている。だからあっさりとした回答になったのだが、これがエルネスタには違う意味で受け取られた。

 

「聞けばうちでも結構なもてなしをしたそうじゃないの。いまだって上物の服を着ちゃって、あの男の顔にほだされでもした?」

「違いますよ、皇帝陛下に逆らったって意味ないだけです」

「そう言って騙されていない自信はある? やめときなさいよ、あの男は適当な女をとっかえひっかえで、誠実さなんてありゃしないんだから」


 ご機嫌斜めなので若干当たり散らしているが、そんな彼女にもすでに慣れっこだ。


「お顔は綺麗ですけど、そういう気はおきません」

「ほんとーにぃ?」

「ないですってば。私、婚約者一筋ですもの」


 ドーナツを食べ過ぎてお腹がいっぱいだ。夜ご飯が入るか心配していたら、沈黙が気になって顔を上げた。そうしたらエルネスタがぽかんと口を開け、ヴァルターやレクスまで驚いた様子で目を見張っており、私は油断と失言を悟った。

 家族や大事な人がいるとは話していても、すべてぼかして話しているから、婚約者がいるとは教えてなかったなって。

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