25.持ち帰り
私の単純さはともかく、食べてもらえたのが幸せで、たんぽぽの綿毛みたいに浮き立った気持ちだ。奇怪になる顔を押し殺し食器を回収すると、温かいお茶を淹れ直す。皇帝が不思議そうな表情を作ったのが謎だけど、外の人達の食器を回収する頃には忘れてしまった。彼らにもおいしかったと言ってもらえたのが嬉しかった。
しかしこの喜びも長時間は続かない。
何故なら夕食が終わってしばらく経ってもエルネスタが帰ってこないからだ。
いい加減戻ってきてもおかしくないはずで、ヴァルターはむずかしげに考え込み、皇帝もまっすぐに机を見つめながら両腕を組んでいる。
寒さが厳しくなってくると、こちらを心配したヴァルターが室内に留まるよう忠告した。黒犬もスカートの裾を咥えて留めるから、無理をするなと言いたいのだろう。
そんな最中で皇帝が口を開く。
「ヴァルター、あれは帰ってこないな」
あ、少し苛立ってる。
皇帝の言葉にヴァルターがため息を吐いた。
「左様ですね。これはもう、帰ってくるつもりがないかもしれません」
彼の確信はエルネスタとの付き合いの賜物なのか、これを聞いた皇帝は席を立った。
「時間を無駄にした、戻るぞ」
「かしこまりました。エルネスタには後日私から……」
「不要だ。それを連れて行く」
「は。……いえ、いまなんと?」
それ、が何を、いえ誰を指すのかヴァルターが理解するのに時間はかからなかった。
「連れて来い。でなければそれの命はないと添えておけ」
これはびっくり。エルネスタが来ないなら来させると言った皇帝陛下は、どうやら私を質にとることで呼び寄せる算段を立てたらしい。
ヴァルターは渋い顔だけど、黙って出ていく主の背を見送った。
「申し訳ありません。陛下がああおっしゃるときは、なにを言っても……」
「そう、ですね。うーん、エルネスタさんが戻ってこないのなら、そう考えてしまうのも無理ないかもしれません」
「……よろしいのですか?」
「反対してもどうにもなりませんし」
皇帝の性格を鑑みればごねてもどうにもならない。それに人質程度だったらどうってことはないので頷いたが、これにはいたく驚かれた。
「い、え……しかし、フィーネ、良いのですか。連れて行かれるとなれば宮廷ですよ」
「書き置きは残していかれるんでしょう? だったらエルネスタさんは来てくれますし、一晩くらいはどうってことないです」
「確かにエルネスタはあれで情が深い。人質となればなおさら貴女を見捨てるなどしませんが」
「ですよね。だから大丈夫ですので、ちょっと待っててください、戸締まりしてきますから。あとお皿も洗っていきたいのですが……」
「皿は置いていきましょう」
「でも……」
「夕方以降、貴女はまともに休んでいないのだから、苦労を掛けただけエルネスタに洗わせれば良い。さあ、外は冷える。貴女は上着を取ってきてください」
ヴァルターは裏口や窓の戸締まりを確認し出す始末だ。
それから間もなくして上着と襟巻きを持って家を出た。書き置きはヴァルターが準備してくれたので問題なかったが、中身は決して見せようとしない。
戸締まりを終えた頃には外にはすでに誰もおらず、私たちは皇帝を追う形になる。携帯型の硝子灯を下げつつ坂道を下っていると、ヴァルターが喋り始めた。
「不審者が出たとなれば、どのみち貴女をひとりきりで残すわけにはいかなかった。ですので安全な場所に行くのは反対しませんが、それもエルネスタが帰ってきていれば解決していたのです」
「まあその、お仕事が長引いたのかもしれません……」
「フィーネ、貴女はエルネスタを信頼しすぎです。彼女は根っからの悪党ですよ」
「ですがエルネスタさんは恩人ですし、私は彼女が好きなので」
道は慣れている私が先行している。背後で呆れた気配がした。
「それにその悪党とお付き合いがあるのなら、ヴァルターさんだって悪党なんじゃありません?」
「なんと、我々が悪党だとフィーネは知りませんでしたか」
「もうその話しぶりがエルネスタさんのお仲間です」
そこそこ開けた道と硝子灯のおかげで道迷いは起こさないけれど、夜の山は静寂の中に名状しがたい不気味さを秘めている。夜に出歩かないから、少しどきどきしているのは秘密だ。
私の前を歩く黒犬が黒鳥を頭に乗せつつ、時折「大丈夫?」と言わんばかりに振り返っていた。こんな感じで前は使い魔、後ろはヴァルターが守ってくれている。
皇帝や近衛さん達は転ばずに降りられただろうか。
他愛ない考えに気を取られつつ山を降ると、ようやく街道に降りられた。
てっきり先に行ったと思ったのに皆残っており、馬車の扉が開いている。それを確認したヴァルターにそっと背中を押された。
「良いですか。陛下は怖い御方ですが、オルレンドルへ尽くす意思があるとわかれば無闇に命を奪う方ではありません」
「へ?」
「聡明な貴女であれば大丈夫なはず。信じていますよ」
「待ってヴァルターさん、あれには陛下がご乗車されてるんですよね」
「馬車は一台しか用意されていない。それに陛下が良いと判断されたので……」
「そんな、二人乗りで構いませんから馬に乗せてもらえませんか」
皇帝陛下と使用人を一緒に乗せる近衛がどこにいる。てっきり誰かの馬に乗せてもらうと思っていたから呑気に構えていたのだ。
しかし助けを求めても、相手は物言わずとも諦めろと語っている。
馬車に押し込められてしまった私は借りてきた猫となり、意味なく謝りながら皇帝のはす向かいに座るも、目線は始終膝に落としていた。一度ちらっと相手を見てみたが、窓の外を見ているだけでこちらに目線を寄越そうともしない。
よりによって、内装が向こうで乗っていた馬車と酷似しているから現実逃避が捗った。向こうのライナルトと一緒にジェフの目を盗み、魔法を使って近衛を出し抜いて、二人だけで街を歩いた。皆に大目玉を食らったけれど、ライナルトにはまた出かけようと誘ってもらえた。次は結婚式までにピクニックにいけたらいいなあとぼんやり考えていたら、不意に話しかけられた。
「ニーカとは知り合いだったか」
驚きで身を固めていると、他人を見る目でもう一度問われる。
「ニーカとは知り合いだったかと聞いた」
「あ……な、何故でしょう、か」
この時点で知っていると語っているようなものだ。相手も気付いているのか、目元が厳しく細められるが、その目はあなたが別人でもかなり傷つく。
「竜の腹を裂いた折、名を呼んでいた」
名前を呼んでいたのを聞いていたらしい。
下手な言い訳は不信を招くと、エレナさんの時と似た回答をしていた。
「到底真実とは思えんな」
「申し訳ありません。報告が上がっているかもしれませんが、私はどうにも自身の記憶が定かではありませんので、己の発言すら正しいとは申し上げられないのです」
「だろうな。お前ほど目立つ人間であれば尚更、どの家の出かわからぬはずがない」
あああ、やっとわかった。
皇帝が同席を望んだのはこの疑惑を片付けるためだ。
相手は足を組んだまま、窓枠に肘をついて手の甲を頬に当てる。
「私に含むところがあるのであれば、使い魔を出すかと思ったが、そのつもりもないか」
「な……なぜそんなことになるのでしょうか! 私は陛下に含むものなど……!」
「煩い」
はい、ごめんなさい。
口を噤んで前のめりになりかけた上体を戻す。
「演練の帰還の折、街中で立っていたろう。お前は目立っていた」
「あ」
「どうやら皇帝に含むものでもありそうだ。それがエルネスタの弟子で色つきともなれば、この頭に留めておく程度の価値はあろう」
「……オルレンドルに、ひいては陛下に後ろ暗い心などございません」
二心はないと証明するのはどうしたら良いのだろう。この人相手には、言葉より行動が必要だからむずかしい。それを思うと、私に竜の腹を裂かせたエルネスタの判断は正しかった。
「この身が疑わしいのは誰よりも承知してございますが、そのつもりがあるのなら、あの庭で陛下の御首を狙うのがもっとも確実でございました」
「ふむ」
「魔法使い達は居れども、私のことは誰も知らなかったのです。油断を誘えたのはあの時間のみにではございませんか」
「さて、若さの割に口が回り私好みの回答も出来る。どこでその知恵を身につけたかも気になるな」
「記憶が定かではないのです、お許し下さい」
「記憶とは都合の良い御託を並べる万能の理由だ」
必死に思いついた言葉を並べ立てるけど、墓穴を掘っているのは気のせいか。変な汗がこめかみに浮かびだす。いっそ黙りを決め込んだ方が良さそうだが、その程度で詰問が止まるのかは疑問だ。
早く! 宮廷に! 到着して!!
そう願いつつしどろもどろになってあれこれ並び立てたが、彼が興味を失う頃には疲労困憊だ。
しかも言い逃れできたんじゃない。私があまりにも情けないから、記憶に残す価値がないと判断された。
「もういい。魔法の腕はともかく、我が胸に刃を立てる勇気はないとは伝わった」
客間に通され、寝台に寝転がってから思いだした。
皇帝は黎明を竜と呼んでいた。私は元から名称知っていたけど、彼は一体どこからその名を聞いたのだろう。