24.兎肉の煮込み
私の絶句は別の意味として受け取られた。
それはそう、こんなところにオルレンドルの最高権力者がいるなんてあり得ないし、声すらなくすのが当たり前。ヴァルターはライナルト達に見えぬように「落ち着いて」と表情を作り話しかけてくる。
「突然のことに驚かせたのは謝罪します。エルネスタに用があり訪ねさせてもらいましたが、彼女はいまどこに?」
「朝から出かけています。遅くならないとは言っていましたが……」
「……だそうです。陛下、いかがなさいます」
実物がいて疑うのもなんだけど、本当に本物らしい。皇帝は目を閉じたが、それも一瞬だ。
まっすぐに見つめられると、変な気持ちになる。
「帰らぬとは言っていないのだな」
「そ、そのはずです」
「ならば待とう。あれには用がある」
そう言って背を預けられそうな木陰に向かうけど、もしかしてまともな風除けもない外で?
ほぼ山中になるこの場所で、しかも秋も過ぎた頃になると、陽が落ちれば一気に冷える。いくらなんでもそれはない。
「え、あ、い、家の中どうぞ!?」
自分でも驚くほど馬鹿みたいに大きな声が出たけど、何故エルネスタの嫌う皇帝をわざわざ家に招く発言をしてしまったのだろう。大体彼は色つき、もとい眷属を嫌っているし、エルネスタと仲良くしに来たわけでもなさそうなのに……。
ああ、もう、でも手遅れ。目が合ってしまった。
別人だったとしても、大事で思い入れのある人だし、なによりお客様を寒いところで放置できない。家へ入ってもらうよう玄関を開いた。
「お茶、淹れますから中にどうぞ」
「フィーネ、良いのですか」
「お客様を放って外に待たせる方が、エルネスタさんの評判を落とします。彼女のことをわずかでも気遣ってくださるのでしたら、どうぞ我が家にお入りください。……妙なものは出さないとお約束します」
ヴァルターに意思を伝えれば、彼が皇帝を説得して招き入れようとするも、簡単に頷いてくれる人じゃない。他の人にはわかりにくいかもしれないけど、嫌そうなのは伝わっている。
「外で構わん。気遣いは無用だ」
「私としましては御身を冷風の中に晒し続ける方が耐え難いのです。エルネスタの家は確かに狭苦しいですが、風除けにはなるでしょう」
どう説得するのか見ていたら、何故だか私に話題が移った。
「時にフィーネ、こちらに来る道中で、見慣れぬ足跡をいくつも見つけました。見たところ複数人の足跡だったのですが、来客があったのですか」
「い、いえ、来客ではありません」
「では、あのような真似をしたのは知り合いではないのですね」
視線の先では、遠目にもわかるくらいはっきりと人が分け入ったとわかる状態で花壇が荒らされている。花壇の上が私の部屋になっているから、そこからのぞき込んだのだろう。
恐怖がわずかに蘇り、実は……と窓に張りついていた人影の説明をした。乱暴だったとしても彼らの関係者だったらとわずかな希望に縋ってみたが、やはりヴァルター達ではないらしい。
むずかしげに眉を寄せた、すぐさま皇帝に進言を行う。
「どうやらエルネスタの家周りには不審者がうろついている様子。このように塀もなにもない家ですから、この人数では襲撃を受けても対処が遅れます。私共のためにも、中でご滞在ください」
「お前はどうあっても私をその家に押し込めたいらしい」
「それが役目にございますから。それともいますぐ宮廷に引き返してくださるのであれば、無理は申しません」
皇帝の意を尊重する他の近衛の方々も、不審者がいるらしいとあっては意見が変わる。全員がヴァルターの言葉に賛同し、主に進言すれば、皇帝とて固持し続ける理由はない。嫌々でも中に入ってくれるが、やはりライナルトと酷似しているためか、素っ気ない態度に胸が痛む。
「ヴァルターさん、入るのはお二人だけですか?」
「流石に全員は狭すぎるでしょう。残りの者は家の前に立たせます」
「ですが、もうじき陽も暮れますし、本当に寒いですよ」
「ありがとう。ですが我々は陛下の安全を守らねばなりませんし、もし賊だったとしたら、我々がいると見せた方が良い」
近衛の人たちも、すでにそのつもりで動き始めている。ついでに家の周りを軽く見てもらえるみたいで、皇帝の安全のためであっても、私にとっては嬉しい心遣いだ。
「ありがとうございます。エルネスタさんは帰ってこないし、実は怖かったので、本当に助かります」
「最近出没している賊であっては大変ですからね。なにかあってはいけません」
刻々と陽は傾き始めている。エルネスタはいまだに帰ってくる気配を見せないし、彼らに私に出来ることといったら、せめてあたたまれる場所を作るくらいだ。
「ヴァルターさんも中で待っててください。飲み物を作って、外の火鉢に炭をいれてきます」
「ああ、いや、私たちは……」
「すぐですから!」
皇帝とその近衛を、監視も無しに家の中に置いておくのはまずかったのだろうなあ、と思い至ったのは、茶器にお湯を注いでから。
妙な言動だったとか、まともに髪も整えてなかったなあと気になるのは、私が彼を意識しているせいか。少し悩んでから別の竈に火を入れ、盆を持って離れる。
室内では、皇帝陛下が長い足を組み、両手を交差させ瞑目していた。
「お待たせしました。お茶です、どうぞ」
「フィーネ、顔色が悪いのだから無理をしてはいけない」
「大丈夫です、無理はしていません。きついときはきついとちゃんと言いますよ」
大事なのはお客様のために淹れた事実で、飲んでも飲まなくてもよかった。ヴァルターが話しかけてくれるのは、彼なりに緊張を解そうとしてくれているためだ。
ヴァルターと細々話しながら、都度都度席を外して、近衛さんのために火鉢を用意した。室内には念のため黒犬を置いたから、エルネスタが心配する事態は起こらないはずだ。
時間は過ぎるのはあっという間だけど、エルネスタはいつまで経っても帰ってこない。空が藍色に染まると、私は困り果て、ヴァルター達に謝っていた。
「すみません、もっと早く帰ってくるといっていたのですが……」
「彼女の行動は誰かが制限できるものではない。貴女が謝罪する必要はありませんよ」
「……もしなんでしたら、明日宮廷にお伺いするように伝えますけれども」
「そうしたいのは山々なのですが、今回は急なのです。気が休まらないだろうに申し訳ない」
用事の内容が気になるも、一介の使用人がそれ以上は聞けない。そもそも、皇帝陛下の待機する部屋で近衛とここまで親しく話すのも妙な光景だ。
ただ、皇帝陛下が私の知るライナルトと気性が一緒なら、絶対そんなこと気にしてないし、歯牙にもかけていない。それがわかっているから私もヴァルター怖じ気付かずにここまで喋れているけれど……。
お茶のお代わりを用意する、と離れた厨房で、ひとり悩んで天井を見上げた。
……私はうまく笑えているか、まったく自信がない。
どう考えても、皇帝と会ってからの私は不安定だ。
私は最初から”ライナルト”と親しくさせてもらっていたから、本当にただ知らない相手として対峙したことがない。だから無視されたり、冷たくされたりする事実が落ち着かないのだ。
会えてうれしいけど、私を知らないあなたといるのがひどく悲しい。奇妙に浮ついたり、落ち込んだりを繰り返して、ちょっと疲れてきている。
すっかり話し相手になっていた黒鳥に話しかけた。
「…………持っていっていいと思う?」
黒鳥は丸い体を縦に動かして、とうとう意を決してお皿を用意する。
普通だったら考えもしないけど、この日に限って下準備をしていたのが兎肉だからいけない。
自分の家のはずなのに、なぜか遠慮がちに入室して声をかけた。
あのぅ、と我ながら酷く情けない声を出す。にこやかなヴァルターと、相変わらず我関せずな皇帝陛下へおそるおそる問う。
「も、申し訳ありません。主は未だ帰宅せぬまま、陛下をお待たせしてしまっております。しかしながらあまりにも遅いようですし、よかったら食事は如何かと……」
エルネスタも帰ってくるからと、お茶を淹れる間に下準備していた肉と野菜を炒め、調味料類を放り込んで火を点けていた。鉄の分厚い蓋で重石をされた煮込みは、さらりとした食感で食べやすい。
驚くヴァルターに、言い出すべきではなかったかなと恥ずかしくなった。
「兎肉の煮込みなんですけど……もしよかったらで、置いておくだけにしておきますので、はい」
お皿は二人分、パンと葡萄酒を添えた盆を置くと、給仕もそこそこに退散した。その後は近衛の人達にも差し入れをしたけど、こちらは笑顔でお皿を受け取ってもらえたから幸いだった。私はこちらの近衛の魔法使い嫌いと誤解していたので、反省しなければならない。
コンラート当主代理の時とも違う、まるで経験したことのない一大イベント。この時の自分の振る舞いには、後できっと頭を抱える自信がある。
私も外で簡易的に食事を済ませ、中に戻ると、そこには空になったお皿が二つあった。それだけでも驚嘆に値すべきなのに、「美味しかったです」と丁寧に礼を述べてくれるヴァルターがいる。さらにはこちらを一瞥した皇帝陛下が言った。
「上等だった」
こんな一言でも喜べてしまうのだから、私は単純な人間だ。
活動報告更新:6巻特典補足+おまけみたいな世界設定