22.希望となるひと、それは
ひと月を過ぎた頃には、自分でも想像以上に落ち着きをみせていた。今日のエルネスタは魔法院等に出かけるそうで、私は見送りに立っている。安全面を考えるなら着いていくべきなんだけど、このところの私は体調が優れない。留守番となった私に、彼女は何度目かもしれない忠告を送る。
「大人しく寝てなさいよ」
「はぁい。片付け終わったらちゃんと休みますー」
「ご飯は昨日ので構わないから」
「私がそれは許せませーん」
黒犬が鼻をスカートに押しつけるので、肉付き骨を渡せば、ぶんぶんと尻尾を振りながら離れていく。エルネスタ曰く最近は改良を加えており、そのおかげもあって、遊び心を覚えた。自身の使い魔の様子に、エルネスタは少し呆れている。
「エルネスタさんこそ、黒犬ちゃん連れて行かなくていいんですか」
「誰に言ってるの、貴女より身を守る手段は多彩なのよ」
エルネスタの肩の上に猫が鎮座していた。その子はただの黒猫ではなく、深い漆黒で作られている。いまは子猫ほどの大きさだけど、いずれ大きくなっていくらしい、彼女の新しい使い魔だ。
彼女がこうも気にかけるのは、最近になって帝都近辺で強盗殺人が起こっているためである。
「数日前も行商人が殺された。うちは変なのが近寄ってきたらわかるようになってるから、黒犬の指示には従いなさい。なにされようが家は絶対に壊れないから、変な気は起こさないようにね」
「はい、気をつけます」
「まあ……貴女とわたしの使い魔でやっちゃってもいいけど、処理が面倒だから放置で良いわ」
帝都間近で犯罪を行う集団となれば度胸も並外れているのか、街道を行き交う人々はピリついている。軍の面子もあるからいずれ摘発されるだろうけど、警戒するに越したことはない。
「帰り、遅くならないでくださいね」
「わかってるわよ。貴女は怖がりだし、わたしも外じゃくつろげないからね」
硝子灯があるからましだけど、周囲は真っ暗闇の森の中に立った平屋だ。
エルネスタがいるから平気で暮らしていられるけど、彼女がいないのはかなり心許ない。
今日のエルネスタの外出先は魔法院と、あとは野暮用と言っていた。安全面を考えるなら一緒に着いていくべきだが、このところの私は体調が優れない。
エルネスタの見送りを済ませると、黒鳥に話しかけた。
「お皿洗いおわらせたら寝ちゃおうかしらね」
お昼も適当でいいし、夜は昨日下ごしらえしていた野兎肉の煮込みだ。久しぶりの煮込みに腕が鳴るが、休んでからでないと取りかかれそうにない。
食あたりとは違う痛みが走る。お腹を押さえると休め、と言わんばかりに黒鳥が目の前に浮いていた。
家の戸締まりを済ませ、自分の寝台に入る頃には脂汗がぽつぽつと流れ始めている。
まるで内臓からかき回される痛みが襲ってくる。頭が乱される気持ち悪さにシーツをぎゅっと掴んで堪えるが、意味のある行動ではなかった。
でも、これでもマシになったし、頻度も時間も徐々に減りつつある。数時間程度で終わるけど、痛いものは痛い。少なくとも寝入ってしまえば痛みとはお別れできる。魘されながら眠りの淵についたとき、私の意識は内にあった。
以前見たままと変わらない光景だ。森のなかにぽつんと広場があるが、その端っこに“黎明”が横になり、まるで胎児の如く眠っている。
これも見慣れた光景だ。
……今日は起きられないかな?
黎明の傍らに座ると、やがて身じろぎをする気配がある。
眠たげに目を擦る彼女と目が合った。
「おはよう」
「おはよう……ございます。わたくしのあなた。今度は、どのくらい眠っていましたか?」
「二日、かな。前より短くなったかも」
幸せな夢に揺蕩い、そして目覚めた。現実はご覧の通りで、はらはらと涙を零した彼女は、悲しげに涙を零しながら謝った。
「心をいまの状態に近づけるためとはいえ、わたくしがいまを認め、変わるには時間を要します。負担をかけてしまい、申し訳なくおもいます」
「大事なものがなくなってしまったなんて、簡単に受け止められるわけない。私は平気だから、悲しそうにしないで。少しずつでも、あなたが元気になってくれる方が嬉しい」
穢れを受け入れるといっても、感情はすぐに追いつかない。彼女の番と卵を殺された悲しみは、眠りにつくことで、徐々に整理されている。
私の体調不良の原因は黎明だった。お腹の痛みは彼女の仮宿になり同調したためで、初めて会った日以来、定期的に熱と痛みにうなされている。
「私には違いがわからないのだけど、穢れに合わせるってそんなに変わるものなの?」
「一見わかりにくくとも、同族から見れば違いはあきらかでしょう。もっと言えば本質的に近寄りがたい感情が生まれます。嫌悪感とも申しますけれど……」
「忌避……されるのね。私は平気だけど、これから生きにくいだろうによかったの?」
「痛みを知る前のわたくしなら、穢れに合わせてでも生きようとはおもわなかったでしょうが……」
けれど、と黎明は胸に手をあてる。
「わたくしのあなた、あなたがわたくしを受け入れてくれました。穢れたわたくしでも存在してもいいのだと知ったから、ここにいられるのです」
きっかけは偶然だったのに、必要以上に恩を感じてくれている。これは他にも私が転生人だと話したのも良かったかもしれない。お互い特殊な事情持ちだから、孤独ではないと思ってくれたみたいだ。彼女には保護者めいた雰囲気があるけれども、卵を守れなかったお母さんとしての心理が隠れていそうだ。
黎明が落ち着くと、いつも通りこれからについて話し合う。
主題は私の元の世界への帰還方法だ。起きている時間は少なくても、目を覚ましている間は様々話し合っている。私の記憶も開示して視てもらい、原因となりそうな人物の差異も発見できた。
"宵闇”だ。彼女はあの少女の違いに激しく驚いていた。
「宵闇が人を解していた……」
などと絶句していたくらいだ。
あの少女は異世界転移人“リイチロー”と出会っていなかった線が濃厚だ。
私の世界の宵闇は、かつて“リイチロー”と出会いを果たし、人と共存し、彼を愛した。
異世界人は死した後、生まれ変わるには何百年も必要とするという。魂が世界に馴染むまでの間、ずっとどこかを彷徨い続けるらしいが、"宵闇"は死後の彼を救いたかった。
その手法として作り出されたのが異世界の人間を呼び寄せるための魔法、つまり私がこの世界へ転生する基となった異世界への転生召喚魔法だ。現代日本等、向こうの世界の人間を呼び寄せるが、この魔法、実はかなりとんでもない。実行されたら最後、異世界人は生死に関わらず、魂を抜き取られて転生を果たすから、お世辞にも出来が良いとはいえない。
彼女は“リイチロー”が作り上げた『山の都』の人間と協力し、幾人もの転移人が発生した結果、たくさんの転生人が生まれ、亡くなり、魂が大陸中を彷徨った。
これが重罪だった。ただでさえ精霊が人の政に関わるのは禁じられているのに、『山の都』の中枢に交わり、召喚魔法を生み出して転生人を呼び寄せたのは、世界への冒涜になる。
ただし、彼女は精霊でも唯一の“心を視て、意思疎通を図れる”存在だ。
死した後の転移人達に祝福を与え、魂をこの世界に馴染ませ、また生まれ直しできるようにしてあげることで、罪を贖える機会を精霊達に与えられた。あの地下遺跡は大陸中に散らばる転移人たちの魂の集積所で、玄室は宵闇が彼らを癒やしてあげるはずの場所として作られた。
それでも祝福を与えず、死にかけた末に出会ったのが、私の世界の“宵闇”なんだけど……。
黎明は複雑な顔で考え込む。
「彼女はわたくしたち風にいえば“死を司るもの”です。ですから心を視ることができるといえば、たしかにそう。祝福を与えなかったのはあの子らしいのですが……」
「こちらとの違いは、やっぱり転移人との出会いよね」
「間違いありませんね。こちらでは、理の外からやってきたものたちの心が彷徨っているなどと、問題になったことはありません。ですから召喚魔法自体が生まれなかったと考えます」
「じゃあ、こちらの彼女が人の世界に残されて、閉じ込められた理由はなにかしら」
無言で首を振った。
宵闇は精霊郷でもけっこうな古い精霊だ。精霊郷にいなかった理由は、黒い色を持っていたせい。様々な特色を持つ少女は他の精霊達から怖がられた。そのために人界に連れて行かれ、隔離されていた。
「わたくしも雛の頃のあの子を知っていますから、隔離までのあの子が大人しかったのは本当です。ですから変わるとすれば、人の世に留まっていた間なのですが……」
黎明は群れない竜だった。大規模ゆえに騒がれた『大撤収』は知っていても、宵闇が変質した理由まではわからない。だからこそ彼女が解放され、巣を破壊した行為が理解できない戸惑いもある。
謎は残したままでも、宵闇については多少情報を得られたのはかなりの進展ではないだろうか。
彼女は私が元いた世界に帰るための手段についての見解を述べる。
「まずはシクストゥス……わたくし達と、人の間に生まれた嬰児を解放する必要があると考えます」
なんてびっくりなご意見だった。
いつもお話にお付き合いくださりありがとうございます。
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