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19.穢れた竜の仮宿

「黎明さん、ですか」

「はい。ですが人の群れでは、わたくしの名前は名前でないと聞きました。呼びにくければ、れいちゃんでも、めーちゃんでも、お好きなように」

「えっあ、はい……?」


 随分気さくな竜さんだなあ……。

 喋りもゆっくりだし、調子を乱されてしまうのは、傷つきながらも圧倒的だった姿とは正反対のせいかもしれない。気を正さねばと背筋を伸ばした。


「つかぬことをお伺いしますが」

「はい。なんでも聞いてください」


 相手が正座になるので、私も思わず正座になった。


「聞きたいことはたくさんあるのですが、まず、どうして竜さんはこんなところにいるのでしょう。……そもそもここってどこですか」

「ここは、あなたの意識をお借りしたもの。風景はわたくしの知る森を再現しました」

「現実ではないのですね。似た経験をしたことがあるので、それは納得できました。でしたら、なぜあの竜さんが私の前に姿を見せているのでしょう」

「あなたに元気がなかったので、わずかでも慰めになるかと思い、お声がけしました」


 眠る前の話だ。しかし、それと同時に彼女は不可解な理由も告げる。


「それにお礼も言わねばなりませんでした。いくら用意されていたとはいえ、恩人に何も言わずに休むのは申し訳が立ちません」

「休む?」

「はい」

「恩人って、私がですか」

「そうだと認識しています」


 用意ってなに?


「ええと……? 認識に食い違いが発生しているようなのですが」

「食い違い、ですか? ですが消えかけ、彷徨っていた心だけのわたくしを見つけたのはあなたでした」

「傷ついた姿がそうなんだとしたら、多分、合ってます。ですがそれがどうして私の中に、という話になるんでしょう」


 心、とは人間で表現すれば魂となると、過去に宵闇に見せてもらった会話で学んでいた。

 けれど私はただ泣き声を追って彼女を見つけただけだ。相手こそ困った様子で首を傾げる。


「あなたの中に、わたくしのように穢れたものでも入り込める空洞……土壌というべきでしょうか。人の身でも拒絶を起こさず、傷を癒やし休める場所がありました」

「休める場所……穢れた……」

「元々精霊と同調できる素養はあったとお見受けしますが、人でいえば、慣らされた土地のようなものです」


 初めは意味がわからなかったのだが、聞くにつれて段々と思い当たる節が出てくる。


「穢れを取り込み慣れているといいますか、自然では生まれない存在なので……すでに一度取り込んだ覚えはないですか」


 この発言で思い至った。

 ……もしかして『箱』と目を交換したときの状態を指している?

 それ以降も度々シスの貯蔵魔力を頂戴していた。話を聞けば、その“慣らされた土地”状態で彼女が入っても大丈夫と判断したらしい。


「わたくしは禁忌を犯しました。ですからこのまま消滅も止むなしと思っていたところに手を差し出されたので、休んでもいいのだと……思ったのですが……」


 段々と険しい表情になっていく。むむむ、と眉根が寄っていたが、やがて不安げに私を見た後、深々と頭を下げる。

 いえ、下げるなんてものじゃない。それこそ額を地面に付けた。


「その様子では違うのですね。申し訳ありません、わたくしの勘違いでした」

「いえ、だからって頭を下げなくても!」

「知らない方の内に勝手に入り込むなど、非礼どころではすまされない所業です。かくなる上は、いますぐにあなたの中から退散を……」


 本当にスウッと姿が消えていく。周囲の景色が霞み、彼女が遠ざかっていく感覚に慌てて肩を掴んだ。


「あっ!? え、あ、わ、わあ!? 待って待って! いま消滅止むなしって言いました!?」

「はい。最早心だけの存在、まして穢れてしまえば消えるしかありませんが、勝手にお体を借りるなどあってはなりません」


 な、なんかよくわからないけど、彼女がすっごく私を気遣ってくれるのは理解した!

 この人、いえこの竜、きっともの凄くいい竜だ!

 

「ならいいです、いいですから! 気にしないから、いいから残って!」

「ですが」

「きちんとお姿を見せてくれただけで充分ですから!」


  私はなぜ、ニーカさんを喰らった竜を必死になって留めているのだろう。

 自分の行動が疑問で仕方ないけど、すぐに思い至った。彼女は私の知っている半精霊や精霊と比べ、人間を尊重する姿勢を見せたからだ。想像していた姿とまるでかけ離れた黎明は、いまにも泣きそうな表情で両手を組んでいる。


「あなたのなかに居ても良いのでしょうか」

「いいです、いいです! ところでそれでお腹痛いの治りますか!?」

「……時間はかかりますが、治ります」

「傷は? 見た目だけじゃなくて、本当に痛くないって思えるくらいまでです」

「そちらも、心をいまの状態に合わせて修復すれば……」

「穢れは?」


 これは無言で、ただただ悲しげに首を横に振った。

 穢れの正体が気になっているが、いまはとにかく彼女を留めるのが優先だ。


「いまの私にあなたを追い返す理由はありません。ですが、もしそれでも気に病まれるのでしたら、あなたになにがあったか聞かせてもらえませんか」

「お聞かせするくらいならば構いませんが……」

「それに黎明さんは竜ですけど、人智を超えた存在には変わりありませんよね。でしたら、私の置かれた状況なんかは把握できないでしょうか」

「把握……」

「この世界の情勢や、あなたも知っている精霊とか……わからないことだらけなんです。でもなにから手を付けて良いのかわからなくて、だからまずは色々知らないといけなくて。手がかりになるならなんでもいいから……」

「……落ち着いてください、わたくしはどこにも行きません」


 あせる心を一言で落ち着けてくれる。

 その上で、彼女は言った。


「あなたについては、お聞かせいただかないとわかりません。知っているのは、あなたが精霊と近しい人だということだけです」


 これには驚いた。彼女、私が違う世界からきた人間だと気付いていないのだ。例えばシスと目を交換した際はすぐに私が転生者だと気付いたし、ルカも魂から記憶を読み取っていたから、当然知っていると思い込んでいた。

 ところが、彼女の返答は彼らとは一線を画すものだった。


「たしかにあなたを宿としてお借りしましたが、無断で記憶を読みとるなどしません。そんなことをされたら、誰だっていやでしょう?」


 ……不覚にも、人外にも常識をもつ存在がいたのだと感じ入ってしまった。

 そしていくらか話を聞いたのだが、彼女、竜という分類にはなるものの、精霊には変わりないらしい。


「竜が人の形を取れるのも驚きなんですが、そんなこともできるんですね」

「体をお借りしている身であれば、せめて目線を合わせた方がいいでしょうから……それに、大きいとこわいでしょう?」

「お腹が痛かったでしょうに、ありがとう」

「あなたの中に落ち着いてからは、少し和らいでいます。その分、外では怖がらせてしまいましたが……」

「ちょっとびっくりしましたが、いまと同じ人の姿だったから怖くはありませんでした。だから近寄れたんですよ」


  隣家の幽霊屋敷等で鍛えられたのも大きい。意外と実になってくれているのは、喜ぶべきなのだろうか。けれどこの回答に、彼女は不思議そうに首を傾げる。


「人の姿?」

「はい。泣いていたでしょう?」

「そのときは、人を象る余裕などなかったのですが……人の形を取ったのはいまが初めてです」


 おかしなことを言うが、私とて自分が見たものを間違えたつもりはない。

 その旨を説明すると、相手はしばし沈思した。


「お尋ねしますが、目が良いと言われたことはありませんか?」

「目、ですか? 知り合いの半精霊になら、視え方が違うといわれたことがあります」

「少々、失礼します」


 彼女の指先が私の目端に触れた。やはり瞼は持ち上がらないが、まるで本当に見えているかのように観察しはじめ、結論を導き出す。


「あなたは"視る"才能があるのですね。おそらくそれで、本来見えないはずのわたくしの姿を捕らえたのでしょう」

「ですが、今回黎明さんは人型になったのはじめてだとおっしゃいました」

「心だけといえど、竜の姿では目にかかる負担が大きい。無意識で変換を起こし、その後入り込んだわたくしがあなたに同調したか、あるいは人を真似た姿が元々これだったのを読みとったのかもしれません」


 つまり、目が勝手に自動変換を起こしたと考えていいのかな。


「ですが、あなたはただ視ただけ。でしたらどちらでも良いのではないのでしょうか」

「い、いいんですか?」

「大事なのはこうして意思疎通を図ることですから」


 気にする必要はないみたいだし、それ以上でも以下でもないのだろう。便利ではあるけど、シスにも小遣い程度くらいにしかならないって言われていたから、そんなものなのかもしれない。


「それよりも、わたくしにお話ししたいことがあるとお見受けしました」

「あ、でしたでした。どこから話せば良いかな……事情は簡単だけど複雑なんです。なんといいますか……」

「“あの子”絡みですね。微かにですが、あなたから彼女の気配がします」

「わかるんですね」

「わたくしだから、でしょうか。しばらく彼女の気配を身近に感じていたからですが……他に気付けるとしたら、あの子の片割れくらいでしょうか」


 『あの子』、すなわち宵闇の存在を思い出したとき、黎明はきゅっと唇を結んで手に力を込めた。

 彼女がなにを奪われたのかは、もう予想が付いている。安心してもらうために、力の入った手を握りしめた。これはもう、ニーカさんを殺した相手として嫌うだけはできない。


「私がここではない違う世界から来たといったら信じてくれますか?」


 この言葉に、しばし彼女は黙り込んだ。


「必要なら記憶を見てもらって構いません。いいえ、その方がわかりやすいかもしれない」

「……その必要はありません」


 優しく、染み入る声だった。

 長い夜が明け、森の深い奥に、穏やかな光景が広がる……そんな風に、目の前が拓けた錯覚を与える安心感。自然の美しさを体現する彼女の微笑みは、慈愛に満ちている。


「この穢れた心を受け入れてくれた優しい子。あなたの言葉を疑うとは、すなわち空をふき抜ける風の通り道を疑うも同じ。すべてをありのままに信じましょう」


 不思議な言い回しだが、彼女なりの真摯な感情だとは伝わった。

 

「……信じてくれて、ありがとう」

「ですがひとつ確認を。その話を明かしたということは、あなたは帰りたいのですね?」

「はい」


 それは当然帰りたい。思った以上に力を込めて返事をしていたら、想いを汲んでくれたか、彼女は頷く。


「……わかりました。ならば、まずはこれを知る必要があるかもしれません」

「黎明さん?」 

「その事由のすべてを解し、解決策を見出すには、多少の時間と思考を必要とします。いまのわたくしの活動限界時間を超える可能性が高いでしょう」

「やっぱり、黎明さんでも難しいのでしょうか?」

「少なくとも、一晩で出る答えではありません。ですから、まずはお互いに共通するであろう原因……あの子について、あなたも知っておいた方が良いと思うのです」


 その上で私の求める答えと探し出す、と結論を出したが、彼女は『あの子』については声で語るのではなく、記憶で伝えたいと申し出た。その理由を唇をわななかせ、肩をふるわせながら伝える。


「ごめんなさい。我が身に起こった現実を人のように語ることが、わたくしには難しいのです。……あなたの心にわたくしの記憶を送ることを、許してくれますか?」

「……辛いのにありがとう。お願いします」


 黎明の頬に涙が伝う。

 やがて瞼の裏に流れ込んでくる光景は想像通りだ。

 突如やってきた嵐の如き精霊に番を殺され、卵を失う。両目を失ったまま怒りに呑み込まれ、その精神性ごと狂わされていく経緯を追体験していくのだった。

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