18.物語は動き出す
ブローチについて、レクスが何を思ったかは不明だが、深くは尋ねてこない。会話の見極めがうまいと述べようか、ブローチの捜索を約束してくれると、私は早々に部屋へ引き上げた。
屋敷の主の気遣いもあって、部屋はエルネスタの隣だ。彼女はまだ起きていて、本を広げて読んでいた。
「レクスとの話が終わったんでしょ。わざわざ報告にくる必要はないわよ」
「そうなんですけど、エルネスタさんには一言お礼言っておかなくちゃと思って」
「レクスを紹介したことなら、いらないわよ。あなたの仕事に対する報酬なんだから、わたしは報酬を払っただけだもの。……まあ、ちょっと高すぎるから、いくらかは後払いでもらうけど」
「そうじゃありません。いえ、それもありますけど」
竜や他のことに気を取られるばかりで、彼女の密やかな気遣いに気付くのが遅れてしまっていたから、休む前に伝えておきたかった。
ごろりと転がり、背中を向ける姿に向かって笑いを零す。
「宮廷の人達から守ってくれてたことや」
「貴女を保護したわたしにも容疑がかかるからよ」
「今日は色々お喋りしてくれてました」
「なんのことよ。意味わかんないし、喋ってただけでお礼言われる謂われはないわ」
「はい、でもありがとうございました」
頭を下げて、お礼の気持ちを伝えておく。
今日はあなたがどれほど私を守ってくれていたのかを教えてもらった。彼女の行動を振り返れば、エレナさん、ニーカさんの件で思い悩まぬように、必要以上に話しかけてくれていたとやっと気付ける。
「知らないってば。ていうか疲れてるんだからさっさと寝なさい、レクスのところは朝が早いし、寝ぼすけは嫌いよ。人様の家に長時間お邪魔する気はないからね」
事情も知らないのに、守ってくれてありがとう。
でも私は、あなたにひとつ聞かねばならない。
「エルネスタさん」
「なによ」
「悪い魔法使いは、エルネスタさんが倒したんですか」
恩人にこんな質問をするのは申し訳ないと思っている。
でも多分……悪い魔法使いは討ち取ったと語るレクスは、事前申告のとおりすべてを語っていない。彼も多分、私が違和感に気付いたのを知った上で話を続けた。なぜわかる、と問われたら自信はないけど、多少なりとも宮廷で様々な人々と向き合ってきた成果だ。
『悪い魔法使い』について追及してしまえば、秘匿された『箱』ことシスを知る私の正体は何者かといった話になってしまうから、あそこは話を切り上げた。
エルネスタはぴたりと黙り、胡乱げな表情で肩越しに振り返る。
私たちはけっこうな時間を見つめ合ったが、折れたのは彼女だ。
「わたしも聞きたいのだけど、あなた、あいつの眷属じゃないわよね」
「あいつって誰ですか」
「とぼけたら答えないけど」
「……眷属じゃありません。それに面識もありません、本当です」
「嘘じゃないわね」
「はい」
あなた方の知る『箱』とはだけど、嘘は言っていない。
彼女が私になにを聞きたいのか、誰を連想していたか、これで予想が付いた。
この白髪はシスと同等の色で、彼女は出会った頃に「純粋な人間で白は初めて見た」と言っていたのを記憶している。
純粋な人間でないなら、シスか、白夜か。私は前者であり、そして、きっとシスは討ち取られてもいないはず。
一時的にシスの目を借り受けたから知っている。あれは人の手に負える存在ではないし、斃すだなんて、だったらもっと被害が大きくないとおかしい。地下遺跡に玄室があったからには、かつて精霊に作られた施設であるのは確定。であれば遺跡を利用して作られた『箱』と、核となった半精霊の青年は「エル」の存在があったからこそ解放の兆しが見え、同時に死したからこそ早い段階で完全な封印が成されようとしていた。
「エル」の振る舞いは絶対的な自信と力があってこそだった。
エルネスタの黒鳥に対する発言を踏まえ、さらにシャハナ老といった人々と協調を図る必要があったのだとしたら、彼女はエルほど傲慢には振る舞えなかったはずだ。硝子灯開発や銃の改良技術で長老の座に登り詰めたが、その研究期間はエルよりも長い。
こちらの皇帝はシスを解放しなかった。それどころか……意図は不明だが、前帝の手先になった『箱』を何らかの手段を用いて再度身動き取れないようにしたのではないか。さらにエルネスタは、私がシスの眷属なのではと疑っていたのならどうだろう。
頭が痛くなりそうな憶測の答えが紡がれる。
エルネスタはどんよりと濁った瞳を見せる。
「勝った、なんておこがましいことは言いたくない」
「なら……」
「わたしでは敵わなかった。エレナが時間を稼ぐ間に、そいつが動けないよう新しい結界を敷くのがせいぜいだったから」
エルネスタには深い後悔の一面が垣間見える。
「結界ですか」
「そ。でも、これ以上は聞くのはやめときなさい。その話は宮廷の禁忌だし、わたしもあなたの質問の真意を質さなきゃいけなくなる」
「わかりました。教えてくれてありがとうございます」
「……いまの話、レクスには内緒だからね」
「はい、私たちだけの秘密です」
もう一度頭を下げて、用意してもらった部屋に戻る。
……コンラートを思い出す上質な寝台は、寝心地が良いはずなのに、無性に寂しさを思い出させてくるから寝付けない。
疲れているはずだ。だから寝なきゃ、さあ寝なきゃと目を閉じるのだけど、これがいっそう眠気を遠ざける。
それどころか目を背けていた感情が襲ってくるから大変だった。
「帰りたい」
こんな現実は知りたくなかった。
ヴェンデルと猫の取り合いをしたい。ウェイトリーさんのお茶が飲みたい。リオさんのご飯が食べたい。シスとルカの便りを待ち、マリーに叱られながら身支度を調え、マルティナやゾフィーさんとお喋りしていたい。
ライナルトは婚約が決まってから、ずっとくっつきたがりだった。よく肩を抱くし、私は逃げないのにと思っていたけど、いまとなっては違う。
彼に大丈夫だと言って抱きしめてもらいたい。
「今日……進展あったよね……」
頑張った、と思おう。
やっと眠りについたときには、外は白みはじめていた。
綿の枕とは違う感触がしていた。頭が傾きすぎて首が痛いけど、頬が優しく撫でられている。
私の指は地面をなぞるが、そこは柔らかな芝生の感触。
外が明るく感じるのは快晴のおかげだけど、いまこんな風に外で寝るなんて可能だったろうか。いえ、それよりも誰かが影になって光を遮っている。
私はリューベック家の一室で寝ていたはずで、状況にまるきり説明がつかない。
指は相変わらず頬をなぞっていて、不思議に思って瞼を持ち上げれば、まず飛び込んだのは大きな影二つ。……豊かな胸の膨らみだと気付いたのは時間を置いてからで、しばらく置いて瞼を閉じた女性と目が合った。
相手は瞼を下ろしているから目が合う、と表現するのはおかしいのだけど、確かに視線は合ったし、相手は私が起きたのを認識した。
ふわりと花の如く微笑んで、どこまでも静かなのに、あたたかく、まろやかな声で挨拶する。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
その一言だけで、柔らかに抱かれる心地で気が緩んだ。
藤色がふわりと揺れ、つややかで、まるで絹みたいな繊細な髪に思わず手を伸ばす。予想通り触り心地が良く、そして甘い香りが漂った。
「わたくしの髪が気に入りましたか? ええ、でしたら好きにどうぞ。あなたという人の形を真似た意味が生まれます」
膝枕の姿勢がつらいけど、この人にずっと包まれていたい気持ちが強い。楽な体勢になろうと寝返りを打とうとしたところで……上体を起こした。
「起きられるのですか」
「お、起き……!?」
「ええ、それも良いでしょう。あなたがたは短命ですから、時間は大事に使わねばなりません」
この、芝生の上に座り話しかけてくる、なんかちょっとひらひら多めの服で、露出も大胆で、なおかつ藤色の髪を併せ持つ女性は……!
……え? 傷、どこいったの?
「見た目だけ塞ぎました。あのような姿では、あなたは恐怖を覚えたでしょう?」
目は相変わらず開かないが、悲しげに眉を寄せながら、そっとお腹に手を添える。
「え、あ……い、痛い、ですか?」
「……少し。……いいえ、嘘をつきました。すごく、です」
「そ、そうなんですね。ええと、薬を煎じたら良くなったりとかは……」
処方したら良くなったりする?
このときは大真面目に聞いていたら、女性はクスリと笑い、私は我に返った。
「待って待って待って、いま考えが読まれた!?」
「そのような失礼はしていません。あなたの顔に描いてありました」
また頬に手が触れられる。お母さんが赤ちゃんを撫でるときみたいな手つきに、思わずされるがままになった。
なんでこんな状況に。というか私は寝ていたはずなのに、まるで違う場所にいる夢の如き現象と、対峙する相手に思わず問いかけていた。
「あ、あああなた、あの、竜のひと……竜さんです、か」
寝起きとびっくりが襲ったせいで戸惑いが隠せない。
「わたくしたちは人の世に姿を見せていないはずですが、よくご存知ですね」
「じゃあ……」
女性は口角をつり上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。わたくしは“竜”の形を取るものであり、わたくしは薄明を飛ぶもの、明けの森を守るものと呼ばれます」
「ああ、ええと」
「黎明、と呼ぶものもいます」