16.簒奪の英雄、それは
元の世界では存在せず、面識のない人だ。
緊張していたが、挨拶の形はきちんと取った。
「初めましてレクス様。お目にかかれて光栄です」
こちらの世界に来る前は、礼は格調高く、しかし尊大すぎない態度になるよう学び直していた。今回はそれとは真逆、お辞儀は婚約以前と同様に目上の人に対する礼儀を心がけたつもりだ。下手に突っ込まれてはたまらないと思ったのがぎこちなさで表れたが、相手は緊張と受け取ってくれたらしい。ふわりと笑い、改めて席につくよう促してくれる。
「それはこちらもだ。新しい魔法使いの存在は気になっていたのだが、それがエルネスタと上手くやれているというのだから尚更だ」
やっぱり良くない方の噂?
「ほら、エルネスタはこの通りひねくれ者で素直じゃない。このわかりやすいようでわかりにくい気遣い下手なところが殊更誤解を招く」
「愚図が嫌いなのは本当よ。その子は魔法を教える必要がないから苛々させられないだけ」
顔を背けるエルネスタに「ね?」と笑いかけるレクス。肯定すると帰ってから大変なので、笑うだけに留めておくけれど、彼女が素直じゃないのは全面的に同意したい。
「さて、久しぶりに弟も早い時間に帰宅した。やっと友人も顔を見せてくれたことだし、楽しい夕餉にしようじゃないか」
席につく際に、彼の服装で思い出した。髪の色が違うけど……宮廷の庭に到着した際、ライナルトと一緒に細身の男性が竜を見ていた。
「失礼ですが、レクス様はあのお庭で、陛下の傍にいらっしゃいましたか?」
「よく気が付いたね。かつらを被っていたからわからないと思ったのだけど」
自身の髪を摘まむと茶目っ気を含めながら笑う。
「ご覧の通り、私も君と同じ精霊達の眷属だ。しかしながら魔法の類は扱えない半人前でね」
「魔法を使えない、ですか」
「意外かな?」
「少し……。“色つき”の人はみんな才能を開花させると思っていました」
「“眷属”でも才能がなかったのさ。だが残念とは思わない、おかげでいまでも陛下に重用していただけるからね」
「あ、なるほど。だからヴァルターさんも……」
「いや、弟は……」
「レクス」
弟の一言になぜか困った表情をするが、それも一瞬だ。
レクスは笑って話題を変えた。
「それより呼び方だけれど、私は公の場以外では様は不要だ」
「そんな、目上の方を呼び捨てにはできません」
「いいんだ。実は我が家が運営する孤児院でもずっと呼び捨てでね。特にこんな……ヴァルターとエルネスタがいる打ち解けた場で様付けされると、むず痒くて仕方がない」
なんて言ってみせるけど、これではいそうですか、とは頷けない。そこにエルネスタとヴァルターが助け船を出してくれた。
「気にしなくていいわよー。こいつほんとにガキ共にも呼び捨てにされてるから慣れてるし」
「あの子達は活発すぎますがね。レクスは甘く見られがちなのが困りものですが……フィーネ、兄に他意はありません。呼び捨てにしたからといって罪に問うなどしませんから、ご安心を」
「では……はい、レクスと」
「うんうん。そのかわり私もフィーネと呼ばせてもらうから」
エルネスタやヴァルターも良いというが、特にエルネスタからは無言の圧を感じるので、従っておく方が良さそうだ。
夕餉中は暗い話は避けたのか、レクスの話は面白かった。
先ほども話題に出たリューベック家が運営する孤児院や、エルネスタとの出会いなんかを教えてくれる。やはりといおうか、きっかけはシャハナ老だ。
「シャハナ老から才能はあるのにきかん気の難しい子がいると話はされていてね。思った以上に大変気難しかったけど、ちゃんと話をすればほら、慣れるしこの通りだ」
「本人を前にして、あんた本当に失礼よね」
「君ほどじゃないさ。で……調薬の才能がずば抜けて高い。私も助けてもらっているけれど、特に魔力を溜め込みすぎて体調を崩してしまうからね。定期的に看てもらっているよ」
彼女の昔話を聞くと新鮮な気持ちになる。エルネスタと接する時間も増えたためか、この時にはエルとエルネスタの違いも楽しめるようになっていた。
「エルネスタさん、そんなことまでしてたんですね」
「まさかフィーネは、彼女からなにも聞いていない?」
「はい、そちらはエルネスタさんのお仕事の話ですので」
「その子の言う通りよ。仕事内容を他言するわけないでしょ」
「これはまた、君にしては口が固い。私は別に隠し立てはしていないのに」
「だからそこの図体のでかい弟が苦労してんのよ」
エルネスタがレクスに調合しているのは咳止めだと言っていたが、やっぱりそれだけではなく別のお仕事もあったのだ。
「エルネスタは、ファルクラムから来たばかりの頃は本当に融通がきかなくてね、周りと折り合いを付けられなかったから私が仲介をさせてもらった。そういう付き合いだ」
しみじみと実感がこもっているのだが、こんな話をできるのも仲が良い証拠、なのかもしれない。
このように夕食は和やかに、つつがなく過ぎていった。出される料理も文句なしで、人に作ってもらうご飯のおいしさに感動が絶えない。貴族の食卓にしては騒がしく、コンラートを思い出して楽しかったものの、気になったのはレクスの食の細さだ。お皿はそれぞれ三口ほど口を付ければ良いくらい。しかし彼にとっては、皆が楽しく食べる方が重要らしく、始終笑顔で対応していた。わずかな間でも人柄が透けて感じられる。エルネスタが心を許しているので信頼が置けたのだが、楽しい時間ばかりは続かない。
苺のカスタードクリーム添えを食べ終わり、紅茶で口直しをしてからだった。
「エルネスタ。君はまだ、私に彼女を会わせるつもりはないと思っていたよ。なのに今日はどうして私の誘いを受けてくれたのかな」
この質問にエルネスタは席を立った。
「動きはとろいけどそれなりに仕事はこなしてるし、あんたに会わせても問題なさそうな人柄だってわかったから連れてきただけよ」
「では何を話させたい?」
「さてね。わたしはこの子の事情に詳しく知らないから不明なんだけど、いまのところは前帝陛下が亡くなった時の話に興味があるみたいよ」
「……それはまた、珍しい」
「わたしはお腹も膨れたし、考えたいこともあるから部屋でひと眠りする」
なんと席を外したではないか。
最後まで同席すると思っていたから驚いていると、レクスが教えてくれる。
「あの時は彼女にとっては苦い日々が多かったからね」
「良い思い出がないということでしょうか」
「……なんといったものかな」
ここでレクスは考え込むが、すかさずヴァルターが助言を送る。
「エルネスタがああ言ったのなら、好きに話して良いということでしょう。頑なにここに連れてきたがらなかったのに、考えを変えたのもそういうことかと」
「……すみません、連れてきたがらなかった、とは」
私は普段のエルネスタの話しぶりから、いつか彼女が言っていた、「もっと親身になって相談に乗ってくれる」人をレクスではないかと見当をつけていた。とうとう紹介にまで至ったのだと考えていたのだが、彼女の思惑と反対だとしたら……何故なのだろう。これにヴァルターが教えてくれる。
「フィーネ。貴女は帝都に突如現れた色つ……精霊の眷属です。ですので本来ならば魔法院の庇護下にあるべきであり、元長老預かりなどと曖昧な形ではなく、従来通り魔法院に登録されるべきでした」
「それをね、どうしてかエルネスタはとても嫌がった。それはもう、ものすごく、すっっごい剣幕で怒られた……と、弟がしょげながら帰ってきた」
「私はレクスの伝言を伝えに行っただけですが。あと、しょげてはおりませんので、捏造はお止めください」
時期を考えてヴァルターが大工さん達を連れてきてくれたあたりだ。
「いまの帝都で眷属はそれだけで危険視されている。それに……白夜のことは聞いたかな?」
「帝都に現れた精霊ですね。その精霊の色に近いせいで、警戒されやすいと教えてもらいました」
「そう、そうなんだ。それに先ほど食事の見させてもらったが……気を悪くしないでほしい。貴女にはやはり教養が備わっている。礼儀作法も身についているね」
あ、やっぱり見られてた。探られてるかな、と感じていたら合っていたらしい。
「どこに出してもおかしくないお嬢さんであれば、身元は必ず明らかになる。だが不思議なことに、どこからも出自の記録が出てこない。まるで湧いて出てきた出現では、憲兵隊も訝しむ」
「でしたら、かなり前から調べられたんですね」
短期間で調べが付くはずもない、相当前から調査が入っていたはず。
「申し訳ない。エルネスタには関わるなと言われたのですが、気になったのでレクスに話しました」
「勝手に調べたのは私だから、ヴァルターは叱らないでやっておくれ」
「怒るなんてとんでもない。むしろ……やはり見つからなかったのだと、納得できて良かったです」
大貴族だからできる大規模調査だし、知り合いに総当たりする必要はなくなった。
この返答に兄弟は意味深に視線を交わした。これだけで意思疎通しているのだから、仲が良さそうだ。
「エルネスタからの頼みだ。彼女が教えろというなら、あの時の記憶を掘り起こすのはやぶさかではないけれど、フィーネ、君はどうして過去の話を知りたいのだろう」
「疑問に思われても無理もありません。過去の出来事は私に関係のない話です」
目を向けるべきは帰るための手段を探ることなのだが、この辺りの話を無視してはならない気がしてならない。レクスに目を合わせ訴えた。
「ヴァルターさんから聞いているでしょうが、私は自分の名前や記憶すら曖昧です。知っているはずのことすらわかりません」
「そうだね。この国では知っていて当たり前の現状さえ、君の記憶はあやふやらしい」
「その埋め合わせと思っていただけないでしょうか」
「貴族の私にそれを聞く理由は?」
「さっきレクスさんがおっしゃったとおりです。私は貴族だった可能性が高いのかもしれません、噂ではなく、正しいお話を聞ければ、わからなかったことが見えてくるかもしれません」
表向きの記憶障害を盾にした説明、レクスは沈思の後に頷いた。
「いまとなっては過去の話だから、多少は構わない。けれど私は政に関わる身になる、一般には知り得ない事実を有しているから、その部分はあえてぼかすよ」
「それでも助かるのです。どうかレクスさんから見た皇位争いのお話を聞かせてください」
そしてキルステン家がどう関わっていたかも確認しよう。そう思っていたのに、まず彼から明かされたのは意外な名だ。
「……まずは、そう、これを確認しよう。陛下が冠を戴くにあたり、もっとも活躍し、英雄とも称された人。エレナ・ココシュカの名は聞いたことあるかな?」
ブックマーク、感想、評価等々いつもお話にお付き合いいただきありがとうございます。
これから6巻の情報も段々と出てきますので、どうぞよろしくお願いいたします。