154.約束は叶えられる
コンラート。
私の師ともうひとつの家族達が眠る、愛しの地。
先の墓前でしてきたのは、あと十年でヴェンデルの手に取り戻させるという約束。
仮に十年が難しくとも私が生きている間に……と告げていたから、こんなところでコンラートの名前が出るなんて夢にも思っていなかった。もちろんライナルトなら約束を叶えてくれると信じているが、領地なんてものは簡単に取り戻せないと――。
「コンラートって、あのコンラートか?」
まさかの名前に冷や汗を流すのはヤーシャで、返事に困るようにこめかみを揉み解す。
ぎゅっと目を閉じると、みるみるうちにこめかみから汗が流れ出す様は、コンラート領の有用性を考えているのだろう。
長い時間をかけて彼は言った。
「他じゃダメか」
「譲る気はない」
ライナルトの確固たる声音に、条件を譲ってもらえないとわかったのだろう。
彼は依然、苦しそうな表情を崩さない。
「冗談だろう。あそこは父上が矜持を捨ててまで取引をし得た土地だ」
「しかし今では赤字を垂れ流すだけの頭の痛い存在だろう」
「金の卵かもしれないとは思わないか」
やはり一度手に入れた土地を手放すのはヤーシャといえど難しいのだろう。私もライナルトを援護できたらよかったのだけど、変に気を使って何もいえない。こんな大事なときに限って私の感情がオルレンドルの弱みになるとはいけないと思って黙りこくってしまうのだ。
ヤーシャはうんうんと唸り声を上げる。
「そりゃあこうなった以上オルレンドルに攻め入るなんてことはしないが、やっとのことで手に入れた豊かな土壌なんだぞ。森を開拓して農地にする長期的計画が……」
「どのみち今の貴公では扱いきれん。開拓とて数年は国庫を喰いつぶすだけだ」
「いやそうは言ってもだな。たかが端っこの領地といえど、オルレンドルに返却したとなれば国民の士気が」
「そこをうまく制御するのが王の仕事だ。そもそも最初から評価は底辺なのだから、いまさら地に落ちたところで困ることもあるまい」
「それはそうなんだが……」
やはり一筋縄では行かない。
決め手に欠けるヤーシャは頭を抱えた。
「いや、でもそれはオルレンドルも同じだろう。あの土地を手に入れたところで、そちらに益なんてあったか? これから復興するにせよ維持費とてかかるだろうに」
そこでライナルトが足を組む。
顎を少し持ち上げた威丈高な態度は見るものによっては腹立たしさを覚えさせるものだが、そんな態度とは裏腹に発言は思いやりに満ちていたから不思議だ。
「私が妻を獲得するにあたって、彼女とはある約束をしていてな」
「は? 約束?」
「第二の故郷を取り戻すというものだ。私が譲歩できない理由はそれで察してもらいたい」
途端、ヤーシャの顔はとんでもなく情けないものと化した。
顔の中心に顔が全部寄ったみたいにぎゅっと詰められ、何か言いたいが何もいえない、そんな葛藤を漂わせてやがて呻いた。
「そういえば皇后はコンラートの。あー……」
きっとシグムントとの確執や王位争いで完全に失念していたのだろう。
なんともいえない表情で私を見やり、ぐう、と喉の奥から漏れた音を出す。
「すまない完全に頭になかった。ああ、そういうことなら確かに取り戻したいよな。私だってラトリアを愛しているから、故郷を想う気持ちがわからないなんてことは言わないさ」
このあたりでヤーシャにはもう、諦めの気配が漂っていたように感じられる。
頭を抱えながらも彼は言った。
「わかったわかった。互いに十年程度の領土不可侵協定を交わして、半年内に返却。これでいいか」
「ふむ、十年」
つまりコンラートの復興に、ラトリアの影を心配する必要はない。
十年という期間に、ヤーシャはじろりとライナルトを睨めつける。
「なんだよ。支援分の恩としては妥当な期間だろ」
「ああ、三年、五年あたりでやっと立て直せたくらいだ。ちょうど国が安定し豊かになったくらいになる」
「それは否定しないが、そもそも永遠に仲良くしようなんて言っても胡散臭いだろうが。私だって信じないぞ」
そこは永遠に! と言いたいところだが悲しいかな、期間限定の方がお互い約束を守るだろうという確信がある。ヤーシャも為政者を間近で見てきたからこそライナルトを疑う。
彼は胸に手を当て、なぜか心底安堵したように息をつく。
「貴様はわかっているだろうからぶっちゃけるが、十年の不可侵条約を飲んでくれるのならこちらとしても助かるくらいだ。オルレンドルに怯えず内政に集中できるのは有難い」
オルレンドルがヤーシャを支援するといっても、やっぱり条約があるとないとでは安心感が違うしね。
ヤーシャもコンラート領を失う代わりに、さらりと十年の安定を引き出したのだ…………うん? もしかしてヤーシャってけっこうやり手なのかしら?
ここで私もあることを思いだし「あの」と挙手する。
二人の視線を浴びながら、ある提案を申し出た。
「ついでになんだけど、よかったらお互いの外交や国民感情を円滑にするための機関を置かない? 名前は大使館や領事館っていうもので……」
「大使ぃ?」
「ええ、大使の意味は分かるでしょ。その拠点をそれぞれの国に置いてしまおうって案」
胡散臭そうなヤーシャ。
それはそう。転生前としては当たり前の存在だったけど、こちらの世界において三国は大変仲が悪く、バチバチにやり合っていたのもあって、姿を見つければ即処刑! といった例も少なくない。文化が進んでいるにも関わらず、意外にも各都市に大使館といった拠点を置く余地がなかった。
ライナルトが興味津々といわんばかりに目を輝かせたので、私もヤーシャへの説明を続ける。
「こちらの国にもラトリアを出たはいいけど、やっぱり故郷に帰りたいって人もいるだろうし……そういう人の助けになると思うの。それに外交官があらかじめ滞在しているのなら、互いに連絡を取りやすいでしょう?」
「う。まあ、助かると言えば助かるが……いや、でも危険だろ。うちじゃ襲われても文句は言え――」
「そこは国王の腕の見せ所でしょう? 少なくともオルレンドルの方はライナルトがいるから平気なはずよ」
ヤーシャが詰まってしまうのは、若き王として国民を制御できないと言えないためだろう。
……と、勝手に話を進めてしまったが肝心の皇帝陛下は大丈夫だろうか。そっと反応を伺えば、ラトリアに拠点を置ける利点を言わずとも理解しているみたいで、瞳の奥で様々な計画を立てているようだ。
これなら安易な反対はされまい……とわかったところで、話を変える。
「ただの提案だから、よかったら程度で考えていてちょうだい。私としてはコンラート領をヴェンデルの元へ返してもらえるなら十分だから」
そして立ち上がったのは、公式の場では許されないお礼を告げるためだ。
私が深々と頭を下げると、ヤーシャが戸惑う気配を感じる。
「ありがとう。これであの子にコンラートを返してあげられる」
「いや……あそこは父上が奪った土地で、別に礼など」
「それでも言いたいの。決断してくれてありがとうって」
「ま、まあ、言ったからには必ず返すが……」
ライナルトには咎められるかもしれないが、国が一度でも手に入れた領地を手放すのは難しいと皇妃として学んできて知っている。侵略され、皆殺しにされ、奪われた側が言うのはおかしな話かもしれないが、ヤーシャがコンラートを苦しめたわけでもないのは覚えておくべきだ。国として返還は当然やもしれずとも、彼個人の決断にお礼を告げるのが間違っているとは思わない。
ライナルトに「もういい」と中断されるまでお辞儀は続いた。
ヤーシャはしばらく小声で何かを呟いていたが聞き取れなかった。全身から力が抜けたような、まるで酔っ払いの状態で退室してから、私はライナルトに非難めいた目で言われる。
「頭を下げる必要などなかったろうに」
「公の場ではないのだから許して。それに彼だって、コンラートの返却は相当非難されるはずなんだから。きっと私たちの想像以上に言われると思う」
「……貴方は他人に心を砕きすぎだ」
しかしそれ以上の小言はない。
私は忘れないうちに、今度は全身を使って彼の首に手を回した。
「……ありがとう」
ほとんど泣き声に近くなった私に返されるのは力強い抱擁だ。
「約束は違えない」
「うん」
すっかり寂しくなってしまったあの土地に、もう一度花を咲かす未来が待っている。
やっと大手を振って帰れるのだと思ったとき、両目からとめどなく涙が零れ出す。
ああ、すっかり大丈夫と思っていたけど、やっぱりまだ傷は深い。
肌に食い入るように爪を立て、ばかみたいにありがとうと繰り返しながら泣きじゃくる私を、ライナルトはずうっと離さなかった。
この人と一緒になってよかった――心の底から、そう思った瞬間だった。




