153.貴方との約束を
頭ははっきりしているようだし、寝言を言っているわけでもないらしい。すぐバレる嘘を言う必要もないだろうし、っていうことはヤーシャが本当にラトリア次期国王になる?
ヤーシャはぎろりとライナルトを睨む。
「貴様のせいだぞ。貴様のせいで、私は覚悟を決めねばならなくなった」
…………これはどうも、ライナルトがなにか焚きつけでもしたのかもしれない。
その証拠に、ヤーシャの言葉を聞いたライナルトが上げた「ほう」という声がわずかに弾んでいる。
「これは驚いた。ラトリア王家でもっとも見込みがない貴公が次期国王とは」
「ああ、見込みがないし期待もかけられていないからな。あと一刻もしないうちにクシェンナ宮、市井と大騒ぎになるはずだ」
「面白そうで羨ましい限りだ」
「は?」
青筋を立てるヤーシャに、ライナルトはわからないのか? と言わんばかりに低く喉を鳴らす。
「期待されていないのなら成功の敷居は低かろう。私などは民の生活の基盤を整えてやる程度、当たり前という顔をされるからな」
「……お前という王に支配される民は気の毒に思えるな」
「そうだろうな。だが、現状私以外にオルレンドルを導ける者はいない」
「前王の治世は比較的温厚だったはずだ。簒奪した奴が言うことか?」
「膿で爛れ腐るのを待つよりはましだろう」
ヤーシャはオルレンドル王室の内情を知らない。ラトリアにすれば、ライナルトよりも前帝カールの方がよかったように映るのだろう。
不意に、ライナルトが不思議そうに私を見る。
「カレン?」
「なんでもありません。邪魔はしませんから、どうぞお続けになってください」
侍女に聞かせる話でもなさそうなので、私が給仕係だ。熱々のお茶は用意できないけど、果実水でそれっぽく体裁を整える。
……それにしても目の錯覚かしら。
私が驚いてしまったのは他でもない。ヤーシャを前にしているライナルトは、完全に面白がって遊んでいるように見えたからだ。彼がとても楽しそうだから、ヤーシャのどこを気に入ったのかしらと考えるのだが、そもそもライナルトとヤーシャが仲良くなる切っ掛けが一切不明だ。
私の記憶を辿る旅をよそに、ヤーシャは胸を張る。
「先んじて貴様を訪ねたのは他でもない。私に如何ほど食料を寄越せるかを確認するためだ……いらん」
「美味しいのに……」
「そうじゃないんだ。ちょっと黙っててくれ」
お腹が空いているのかしら? と、近くにあった焼き菓子を置いたら顰めっ面になった。
オルレンドルから持ってきてもらったものだから、甘すぎないし口に合うと思ったのに残念だ。
ただ、そのお菓子をじっと見つめるヤーシャは、なんとなく悲しそうに眉を寄せる。
「菓子ひとつにこれだけ砂糖をまぶせるなんて贅沢な食べ物だ。オルレンドルではこれが王族の菓子なのかもしれないが……」
「……いえ、普通に市井で出回っていますよ」
私が置いたのは粉糖をまぶしている木の実のクッキーだ。
私の言葉にヤーシャは眉間に皺を寄せる。
「やはり貴国は我が国よりも富んでいる。わかってはいたが、こういうところで差が出るのだな」
お菓子ひとつで……と思うかもしれないが、実際に自分の足でラトリアを見て回った限り、砂糖をふんだんに使った菓子類はけっこうな値段だ。すでに家計簿を気にする必要がなくなった身だが、十四才で一人暮らしをしていた頃を鑑みれば、嗜好品の類はおいそれと買える価格ではなくなっている。道を歩いているだけでも、国全体が少しずつ貧しくなっているのを肌で感じる瞬間もあったし、アヒムやマルティナは徹底として大通り以外の道を避けようとしていた。最近は強盗も増えたらしいとシスが話を聞いている。
国力の差に打ちひしがれるのは、もう気ままな王子ではなくなったからだろうか。
しかし落ち込んでいたのは一瞬で、すぐに表情を引き締めた。
「オルレンドル皇帝。私がラトリアの冠をいただくにあたって、あの時の言葉が果たして本気なのかを確かめたい」
「支援を受けると?」
「むしろそれ前提だ。貴国の助力なくしては私の政は立ち上がらず泥舟と化し沈むだろう」
……ライナルト、本当に焚きつけたんだなー。
じっくり話を聞きたいところだが、ここで割り込むわけにはいかない。
ヤーシャはさらに身を乗り出した。
「私が国王を担う代わりに、オルレンドル領に向かった兵士はすべて引かせる。そちらには決して手出しをさせないと約束しよう」
ふむ、とライナルトは机を中指で叩く。
「元より嘘を吐いたつもりはない。こちらとしては貴公に力添えするのは構わないが、これまで敵国として認識していた国から助けを受ける……貴公は良くとも、果たして頭の固い周囲が認めるかを聞かせてもらいたい」
「ああ、まあ、借りるだけ借りて、私が潰れては意味がないものな。そちらとしては持ち逃げされる可能性もある」
……あら?
ちゃんとライナルトの意図を汲めてるあたり、ヤーシャって政に心当たりがあるのかしら。
出会ったばかりとは大違いの姿を見せる青年は、全身に込めすぎた力を抜く。
「まあ、新王に納得しない臣下に私が殺される可能性は少なくない。これからはそういう馬鹿者も増えて行くことだろう」
「正直に言う」
「見抜かれる嘘を言っても仕方ない」
だが、とヤーシャは言う。
「私の命の心配だけは不要だ。この身は父上と兄上が責任を持って守られるから、どんな不届き者が来ようとも、私はかすり傷ひとつ負うことはない」
兄上ってシグムントよね?
つい昨日まで次期国王だった人が、いきなり後継として担がれた弟を守るの?
というかウツィアは?
ちょっとラトリア王家の内部ってどうなってるのかしら。
いえ待って、いまヤーシャは命「だけ」といった?
私の疑問を見て取った青年はふん、と自嘲気味に笑う。
「私の即位は限定的なものだ。ラトリアの復興に失敗すれば、兄上は容赦なく私の首を飛ばすと宣言された。私もそれを良しと受け入れた」
「はい?」
「だからオルレンドルでもなんでもいい、私は即刻ラトリアを立て直せねばならないんだ。私自身が力をつけ、兄上をも凌ぐ王になったと世に知らしめねば、兄上は民意を掲げ私を討伐するとおっしゃられた」
えっと……つまりそれって。
「あなたのお兄様が力を貸してくれるのは期間限定と……」
「見張りだ。オルレンドル皇后。あの人は貴国と戦争がしたいようだから、私の失敗を見逃さないだろう」
……守ってくれる人が命を狙ってくるって、気が休まらないのでは。
元々ヤーシャは大した人気もない王子だ。それが突然の即位、さらにオルレンドルの力を借りるとあれば、ラトリアとしては初の事例のはず。長い歴史を持ち、かつ国民一同で国難を乗り越えてきたからこそ、国民は強い王を求めている。ヤーシャに王としての資質を問いたいはずだ。もしかしたらラトリアをオルレンドルに売ると思われるかもしれない。ぽっと出の王には想像に絶する厳しい環境が待っているだろう。
本来であればヤロスラフ王のように歓迎される王であるべきで、国民を不安に陥れるような政策を初めから持ってくるのは愚策と言える。
しかしヤーシャには時間がないのだ。誰にも有無を言わさない結果を必要としており、そのためにライナルトの目前に乗り込んでいる。
まもなく即位するであろう青年に、ライナルトは口角を持ち上げた。
「貴公の言うとおり、援助を授けるだけではこちらが消耗する一方だ。何を持ってオルレンドルに益をもたらすと約束してくれる」
「貴国の助けをもってラトリアが冬を越した暁には、豊富な海産物や真珠でもって貿易を行いたい。それと将来的には祖父の代で開拓を諦めた大規模な銅鉱床を開くつもりだ」
んー……と、頭を廻るのはオルレンドルの資源事情。銅はほしいかも。
ヤーシャは将来的に精霊の力をもって、土地が豊かさを取り戻すことも視野に入れるようだ。そのあたりもつらつらと話すのだが、唐突にニヤリと笑った。
「あと三国会議の締結を前に即位するのも決まった。数々の取り決めは、私の名前で署名されるはずだ」
「…………あっ」
「……気付いたか、オルレンドル皇后」
私たちが精霊の問題で騒いでいるのは、いわば大陸の平和を保つためだ。
それがいつ簒奪されるかもわからないヤーシャの名前で署名されるとなれば、下手をすれば前王の約束だからと反故にされる可能性がある。というか、オルレンドルと戦争をしたいという発言が事実なら、シグムントならやるだろう。
ヤーシャはただ支援を受けるだけじゃなく、うちにとっても力を貸さなきゃならないような状況を持ってきた。
オルレンドルは食料や炭に余裕があるし、多少放出しても問題はなさそう。なによりヤーシャを焚きつけた本人だし、背中だけ押しといて逃げるのは私がいただけないのだが……。
初期投資はお金がかかるけど、断る理由もなさそうなのに、ライナルトは何を勿体ぶっているのだろう。
そもそもラトリアの貿易品など調べてあるし、こうと決めて行動している時点で迷いはないはず。びっくりするくらいの即断即決の人なのだが、即決しない理由は何だろう。
わざわざ目を閉じて、ヤーシャの焦りを引き出すように待っていたのは……あ、喋りそう。
「支援は構わないが、条件がある」
「何だ」
ライナルトの視線がまっすぐにヤーシャを捉える。
次の言葉には……不覚にも、一瞬呼吸を忘れてしまった。
「コンラート領をオルレンドルに返してもらいたい」




