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15.ふたり風呂

「こ、ここリューベック家なんですか!?」

「そうよー」

「そんなのいつの間に決まったんですか。少なくとも出かける前は違いましたよね」

「さっき従者から声かけられたでしょ。あれよあれ」


 謎の女性に気を取られている間に話が纏まったらしい。私は気付かなかったのだが、なんでもレクス氏は竜がいたあの広場にいたらしい。それで私たちの現状を見かけて声をかけてくれたのだが、いったいどの人がレクス氏だったのだろう。

 エルネスタはくすりと不思議な笑いを漏らした。


「ひとまず私たちは風呂よ風呂。まだあいつ帰ってきてないし、ひとっ風呂浴びるわよ。っていうかこのために来たのよわたしは」


 屋敷の玄関を潜るなり、慣れた様子で案内をしてもらうではないか。主人たるレクス氏やリューベックさんもいないのに勝手をするが、使用人達は咎めない。どうぞどうぞ、といった様子で道を空けていく。

 屋敷の内部は、当然ながら見渡す限り調度品は絵画から壺まで手の込んだ貴族の家だ。


「エルネスタさん、リューベック家って他にご家族はいないんですか」


 こんな質問ができたのは、人払いができたお風呂に入ってからだ。エルネスタが誘いに惹かれたように、確かにリューベック家のお風呂は素晴らしい。優に一部屋分は確保されている浴室は、白が基調の大理石仕様。温泉資源が豊富なオルレンドルらしく天然の湯を流していて、ぬるめのお湯がゆっくり流れ込んでくる。香油入りの石鹸を贅沢に泡立てながら、エルネスタは威勢良く背中を擦っていた。

 なめらかな肌にそんな乱暴な……と言いたくなるくらいの力強さだが、エルネスタの洗いっぷりは豪快で気持ちが良い。


「いないわよ。どっちも兄弟が十代の頃に病死してるから、レクスがヴァルターの養育を担ったようなもんね」

「ということは、レクスさんはお若くして当主ですか」


 汚れを早く落としたくて、二人揃ってお風呂に入った。いくら大衆浴場がある文化とはいえ、お互い初めてだとちょっとは遠慮してしまうかもしれない一緒のお風呂。しかしエルネスタは裸体を恥ずかしげもなく晒しているから、私もそんなものか、と服を脱いだ。

 彼女が頭から豪快にお湯を被ると、飛沫が顔に飛んでくる。


「みたいね。なんか大変だったとはヴァルターに聞いたことあるけど、いまも当主やっていい地位に登り詰めたんだから、筋肉馬鹿の弟と違って政の才能はあったんでしょうよ」

「はぁ……」

「気の抜けた返事ね」

「いえ、私はまだ直にお目にかかっていないので、二人の話だけを聞くととても世話焼きな方の印象が強かったので……」

「実際馬鹿みたいに世話焼きだからね。個人で運営してる孤児院に加えて、療養院にもかなり出資してる。このご時世にそんなのまだ続けてるんだから、お人好しもいいところよ」


 指をくいっと動かされ何事かと思ったら、背中を向けろとの合図だった。言われたとおりにすると、背中に固い感触が当てられる。エルネスタがお気に入りの固いタワシは、リューベック家にも置いてあるらしい。


「エルネスタさん、洗ってくれるのは嬉しいのですが、ちょっと力加減をお手柔らかにお願いしたいで……あっ、強い、力強い」

「そのやわやわな力で身体洗ってるのみるとイラッとすんのよ。汚れ落とすならもっと力を入れなさい力を」

「いやー!」


 逃げようとしたら肩を掴まれる。


「大体あんだけ汚いところに足首埋めて膝付いておいて、ただ洗って落とそうってどういう了見してんのよ。同じ湯船に浸かるんだからもちょっとしっかり落としなさいって。ほら、もっと爪の間も綺麗にする」

「石鹸あるんだから汚れは落ちますってば!」

「臭いもあるでしょ」

「そのための香草風呂でしょー!?」


 エルネスタがお風呂に入る前、使用人さんに注文をつけて大量の香草を持ってこさせた。彼女はそれらをいくつかの麻袋に詰め込むと、遠慮なく湯船にドボンドボンと放り投げた。おかげでお風呂はやや緑色がかり薬っぽいものの、薬草風呂に仕上がっている。

 人様のお家の風呂でここまで出来るのもある意味凄い。

 ごしごしと力強く背中を洗われながら、内心で悲鳴を上げているとこんな質問が飛んだ。


「魔力酔いの方は落ち着いた?」

「あ、あー……はい、魔力の流し方ですか? 教えてもらったおかげで、最近は体調も崩してません」

「それにしては微熱が続いてたけど」

「そっちは体質なのでなんとも。慣れない環境が続いてたからですし、いまは加減も覚えました。エルネスタさんも無理言わないし、ゆっくりやれてます」

「そりゃ倒れられても困るもの」


 素直じゃないのはエルと一緒。別人だとわかっていても、こういうところに親しみを覚えてしまう。


「じゃ、いま顔色が悪いのは変なもの見たからってことでいいのよね」

「悪いですか?」

「魔力酔いの時と同じ感じがしてるわよ、気付いてないわけ」

「そういう気分の悪さはないですけど」

「ほんとに?」

「なんでそんな疑わしげなんですか」


 お湯で泡が洗い流されれば向かい合いになったが、今度は髪を洗ってもらえるらしい。大人しくされるままになるが、背中の時と違い、俯いた頭を揉む手は丁寧だ。

 ……これはマッサージな気がする。気持ちいい。


「なんていうのかしら。貴女に流れ込む魔力が、貴女の扱える範囲を超えてるような気がしてね。黒鳥を使った影響かしらと思ったんだけど」

「黒鳥はいつも通りです。あのくらいなら私に無理させない範囲で調整してくれてるから、酷使し続けない限りは……」

「それがそもそもおかしいんだけどね」


 などと不思議な発言をするではないか。この続きを、彼女は湯船に浸かってから答えてくれた。


「気付いてないのが不思議」

「なにがです?」

「自分で調整できるってあたりがすでにおかしいってこと。あの子……そう、その子」


 反応したらしい黒鳥が湯船に浮かんだ。


「見た目は油断を誘う形をしておいて、あれでしょ。やっぱり凄いのよね」

「そんな他人事みたいに……。エルネスタさんの黒犬だって充分すごいですよ。黒鳥はともかく、誰もあんな子を連れていなかったじゃないですか」


 エルに呼応して従順に、しかも賢く役目を果たしているではないか。しかしエルネスタは不満げに顔を半分湯船につけ、ぶくぶくと息を吐く。

 浮き上がると「あのねぇ」と詰められた。

 

「本気で言ってるみたいだから教えてあげるけど、わたしの使い魔、貴女のその子ほど賢くも、自立もしてないから」


 目が点になるとはまさにこのこと。エルネスタは浴槽の縁に後頭部を預け、足を伸ばしながら身体を浮き上がらせる。湯気の中でゆらゆらと、どこか透き通った表情で天井を見つめている。


「時間を掛けてあそこまで教えて学ばせたのよ。貴女のそれみたいに自分で考えて学ぶようにはできたのもつい最近。……それでも最先端を走ってた自信があったんだけど」


 あーあ、と長い息。その鎖骨に黒鳥が流れ着き、エルネスタにぴたりと張りついた。


「わたしはあんたにはなぁんにもできないわよ」


 指が黒鳥を弾き、丸い物体がまた湯船という名の航海に乗り出す。

 この子は私が作った使い魔じゃない。ただその答えは言えないし、エルネスタも求めようとはしない。愚痴っぽい呟きも、憂いを含む寂しげな瞳もそれまでだ。

 姿勢を戻すと、手の平がお湯を弾いて顔に飛ぶ。ぎゃあ、と叫べばけらけらと軽やかな笑い声が浴室に響いた。


「にっぶ。もうちょっと俊敏さを身につけなさい」

「十分身についてます……!」


 エルネスタもいい大人なのだけど、こういうところが子供っぽい。私も負けじと手の平を組み合わせると、水鉄砲遊びの要領でお湯を飛ばした。

 ぬるめの湯だったから、つい気持ち良くて長湯してしまい、二人してのぼせてしまったのは笑い話だ。

 ぐったりと椅子にもたれ掛かっていると、帰宅したヴァルターが顔を出してくれるが、不思議そうな彼には「なんでもない」と互いが揃えて声を出していた。




 用意してもらった服はゆるめで、着心地の良いしつらえだった。気になったのはこざっぱりとしていても、意匠が使用人用ではない点だが、ここでは私もお客様らしい。使用人達に色つきに対する偏見がないから、街で受ける人々の視線を思い出すと不思議な気分になる。


「フィーネって、そーしてみるとどっかのお貴族様なのよね」


 エルネスタの揶揄いは放っておいて、ご当主レクスは帰宅が遅れている。ヴァルターによれば滅多に登城する人ではないから、いざ宮廷に赴くと引っ張りだこなのだと苦笑しながら教えてくれた。


「私もレクスに付き添う予定でしたが、エルネスタと新しいお客様がいるから先に戻れと。夕餉までにはなんとか帰るとのことでした」

「げぇ、もうちょっと客に気を遣いなさいよ」

「遣っているから積もった仕事を終わらせようとしているのです。レクスも久方ぶりに貴女と語り合いたいと話していましたよ」

「あいつの話、めんどいのばっかりだから嫌なのよね」

「もっと頻繁に顔を出していれば話も積もらなかったはずです」


 そしてヴァルターは微笑をこちらに向ける。


「今日は離れたところから見ていましたが、フィーネもお疲れさまでした。エルネスタの秘蔵っ子に、宮廷は殊更湧き上がっている。これで貴女も魔法院に認められると良いのですが」


 ……エルネスタの話といい、ほんとに危うかったのだと感じ取れる。

 世間とは離れたエルネスタの家にいるから、どうもそういった方面の話が入ってこなくて困りがちだ。


「ところで顔色が悪い。しっかりと休まれましたか」

「エルネスタさんにも言われましたが、問題ありません。元気なくらいですからご安心ください」

 

 部屋で休んでいてもいいと言ってくれたが、体調に変化はない。むしろ身体がぽかぽかしていて、体温が下がらないくらいにあたたかい。熱にしては不調による熱とも違うし、身心に異常はないので不思議な感覚だ。

 これはエルネスタとヴァルターの軽快な軽口に気を取られる間に、すっかり落ち着いてしまった。竜やニーカさん、不思議な女の人。気になることが目白押しだけれど、楽しい時間が過ぎるのが早い。夕餉になると、約束通りリューベック家の当主が帰宅した。

 ヴァルターと同じ緑混じりの灰色の髪。少し癖のある長めの髪を肩口で結び、前に垂らした男性は弟とは正反対の細身で、すらりとした優しげな面差しの人だった。


「やあ、エルネスタ。やっとこちらに姿を出してくれたね」

「嫌々よ、嫌々。あんたのところの風呂が立派だから借りに来ただけで、顔見せはついで」

「それでも充分さ。ヴァルターから元気だとは聞いているが、やはりこうして会っておかねば心配だ」


 男性の興味は私に移る。どこかヴァルターと通じる顔立ちだけど、全身鍛え上げた軍人と文官では雲泥の差がある。加えてこの人は病気がちだったはず、と噂が頭を過った。


「初めまして、お名前はかねがねうかがっているよ。フィーネさん」

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