143.歴史を動かす提案を
シスが私の緊張を解すため、わざとライナルトをからかったのはわかっている。
悪戯好きなのは困ったものだけど、おかげで私が落ちつけたのも確かだ。
大丈夫か、と目線だけで問うライナルトには微笑んで返す。私は多分、自分で思う以上に緊張していたから、少し気持ちが緩んだのを機に、顔の代わりに顎付近を両手で軽く叩く。
「がんばろ」
小さく呟いて気合いを入れると、ちょうどラトリアの文官が私達を呼びに来た。ただ、文官と言ってもお国柄を表すかのように肉体は鍛え上げられている。
ニーカさんを始めとした大勢のオルレンドル人を従えながら、ラトリアのクシェンナ宮を歩くなど、オルレンドルの歴史でも類を見ない偉業ではないだろうか。ただし、肝心の皇帝陛下にそんな感慨はないし、他の人達は私たちが滞在する迎賓館を出た瞬間から、オルレンドルの仮想敵国のただ中に身を置いていることにいたく緊張している。ラトリア人が私たちに害をなさないか、目を皿のようにして相手の一挙一動を見張っているのだ。
特にジェフなんて顔が怖いことになっているし、護衛の中で一番適度に気を抜いていそうなのはアヒムくらいだ。異国のただ中で見せられる彼の姿は、むしろ熟練の強者を伺わせるが、多分、本人にその自覚はないのだと予想される。
ヴェンデルとエミールは管理をマルティナに任せてお留守番。
ライナルトの魂の誘拐から始まり、人間世界の常識を変えてしまう物語の行く末は、クシェンナ宮の絢爛豪華な広間で決定される。
頑強さを訴えていた城の外観とは打って変わって、そこは実用性とはかけ離れていた。
天井には金箔を散らした装飾が幾重にも連なり、中央のシャンデリアが瞬く星を抱くように輝いている。磨き抜かれた石の床は、映り込む灯りをゆるやかに揺らめかせた。壁には国旗のタペストリーが掛けられ、甘やかな香油の香りが漂い、広間全体がひとつの夢のように息づいている。
家具の類は一切おかれておらず、あるのは大きなテーブルがひとつだけ。
椅子は大きく三箇所に分けられるように集められており、これがそれぞれの所属する国分けだ。
私たちと同時に到着したのは、やはりラトリアには似つかわしくない御仁達。すなわちヨー連合国の五代部族の人々で、私にとっても見知った顔が揃っている。
キエムやイル族長を始めに形式的な挨拶を交わしていると、人の波を縫うように現れたのがラトリアの代表だ。
先頭を行くのはジグムント。続いてウツィア。そして控えめに一歩下がってのヤーシャといるが、ヤロスラフ王の姿はどこにもない。
代わりにと言わんばかりに、ジグムントが赤い外套を羽織っているから、彼が国王の名代なのだろう。
しかし名代として挨拶したのは、次期後継ジグムントではなくウツィアだった。
「オルレンドル、並びにヨー連合国の皆さま。ようこそおいでくださいました。わたくしウツィアが国王陛下に代わりお礼申し上げます。また、ヤロスラフ王の不在をお詫び申し上げます」
少し緊張の面持ちを隠せない少女に、王位継承権もない娘が出しゃばるなと声にする人がいないのは、すでにこの国の実態を共有済みだからだ。ライナルトから伝えられたヨーの面々は、大いに思うところがあるだろうが、淡々と取り繕うか額に青筋を浮かせるのみで留めている。
私も、正直開幕くらいはヤロスラフ王が体面を取り繕うために出てくると思っていたから意外だったけど……冷静に考えるなら、もう、その必要がないまでにヤロスラフ王に気力が尽きているか、内部でウツィアに権威集中させる方向で話がまとまったかのどちらかだ。そのあたりは地面ばかりを見つめるヤーシャの態度でわかる。
外交の場において、これほど冷ややかな空気は初めてかもしれない。
この空気から逃げるように人払いが行われ、当たり障りなく開幕しようとしたが――その前に、ジグムントの注意がライナルトに向いた。
「オルレンドルは皇后陛下がご同行されたようだが、そのまま同席を?」
「以前も似たようなことを尋ねられたが、返事は変わらない」
このあたりは疑似精霊郷と同じね。
ライナルトが断言すれば、後は何も言えないのかジグムントも大人しく席に着く。
肝心の三国会議はラトリア宰相の説明から始まり、一同はラトリアの主張に粛々と耳を傾ける。
「我が国はすでに精霊・星穹と、こちらのウツィア様の婚姻が進んでおります。星穹については、皆さますでにお会いしているでしょうが……」
ウツィアの素性をはじめとした説明で、彼女がこの場にいる正当性を主張し、精霊の移住はラトリアの主導で行いたい旨を、前回と同じように説明して行く。ただ、ひとつこちらが知らない話があったとすれば、彼らの手で精霊の配分表ができていたことだ。それは意外……といっては失礼だが、よくできていた。たとえば私たちが一番気にする精霊の分布も、オルレンドルやヨーへ公平に渡している。今後生み出されるであろう魔法技術に関しても、三国間条約として残す旨を記していた。以前とまるで違う歩みようには、主張だけを行っていた以前と比べ、表面上だけでも説得力を持たせようとするウツィアの成長を感じたくらいだ。
すべての説明を終えると、ウツィアは胸に手を当てながら全員に主張した。
「皆さまにおかれましては、この若輩者では信用ならぬ……とのお考えもあることでしょう。ですがわたくしは、精霊の御名とラトリア王ヤロスラフ陛下の名にかけて、精霊のもたらす力は平等に分け与えるとお約束いたします」
……もしかしたら、最初にこの分布で提案してくれたら、こちらも譲歩したかもしれない。
――でも、可哀想だけど、いくらヤロスラフ王やジグムントがウツィアの後見を務めても、彼女では信用が足りない。
仮にこれがもうちょっと軽い、大して国益にもならない外交だったら彼女に任せても良かったけど、今回は国運がかかっている。オルレンドルの意見はヨー連合国の意見であり、各々は腕組みをして、唇を横に結ぶだけだ。
ここまでの演説に、待ったをかけたのはサゥ氏族のキエムだ。
「そちらの主張はわかった。以前よりも力のある精霊をこちらにくれてやろうという意思も受け取った」
「ラトリアの想いを汲んでくださり、感謝いたします」
「こちらとしては、国の未来を担う大事な会議に、豪傑と呼ばれたヤロスラフ王が姿を表さないのが気になるが、それは御国の事情だ。深入りはすまいが……」
ぽつっと「ウツィアを認めてるわけではない」と本人に釘を刺すのを忘れず、キエムは机を叩く。
「いくら条約を結んでくれようが、精霊を束ねる立場にある者がラトリアに永住するのは不公平ではないか?」
「まあ、どこが、でしょうか」
「技術の伝達、精霊の意思決定。その他魔法に纏わるあらゆる事項を、真っ先に知るのがラトリアだ。我が国に伝わるまで二日三日と時間を要しては意味があるまい」
「皆さまをラトリアまでご案内したのは記憶に新しいと存じます。あの技術をもってすれば、大した時間差もなく伝達できましょう。ヨーの方々には、それを身を以て体験してもらうべく、わたくしが精霊に提案したのです」
「それはありがたい。だが、ラトリアが正直にヨーへ精霊の一切合切を教えてくれる保証はどこにある」
ラトリア側が隠蔽したら意味がないものね。
人と精霊の婚約は両者の結びつきを強調するのには打って付けだけど、為政者にとっては警戒する要素にしかならない。
ヨー連合国側は端からラトリアを信用していないから、受け入れるつもりはない姿勢だ。
キエムも、国益が絡むとなれば年下の女性であろうと容赦はしない。ラトリア王ならともかく、代理人相手にははっきりと不快感を露わにし、ついでと言わんばかりにジグムントを睨めつける。
キエムの態度は無礼千万とも言えるが、ヨーの風習からすれば、ジグムントは王位継承権を有しているくせに、イル族長のように戦士でもない無名の女性に実権を明け渡している腑抜けだ。
そんな人間に国賓を相手させているのだが、ヨー連合国を下に見ているとキエムが受け取っても仕方ない。こればかりはオルレンドル以上に屈辱を感じているだろう。
こちらがあまり事を荒立てないでほしいとお願いしていたから堪えていたのだろうけど、黙って見過ごしては喧嘩になりそうだ。
私はライナルトへ目配せして、許可をもらうと扇子を広げた。
「キエム族長、わたくしに発言させてもらってもよろしいでしょうか?」
一瞬で我に返ったキエムは、にこりと表情を繕う。
「無論だ、カレン皇后陛下。お見苦しいところをお見せした」
「キエム族長の、国をよりよく導きたいという愛が伝わりました。民を想われるお心に、わたくしは敬服いたします」
……キエムはこれで機嫌を直してくれたのでよし。
私は扇子で口元を隠しながらウツィア……というよりも、彼女とジグムントを見た。
「精霊の分布や彼らに纏わる未来について。キエム族長もおっしゃっていたように、以前よりも譲歩いただいてますね。精霊と人とのかけはしを担ってくださるとの、ウツィア姫の心遣いに、オルレンドルは深く感謝いたします」
ジグムントの目元がやや細まった。
きっと警戒したのだろうが、うん、正解だ。
「ですが以前も、星穹様に案内いただいた精霊郷で申し上げましたとおり、オルレンドルとヨー連合国はラトリアの要望を受け入れることはできません」
「何故でしょう」
「理由は様々ありますが、キエム族長のご意思と、オルレンドルの意思は同じとお考えください」
口元は見せない。目だけでラトリアには申し伝える。
「ですが以前からこの話は平行線を辿っております。おそらくこのまま話を続けても、互いが譲歩することはないのではないか……と、わたくしは案じています。これについて、ウツィア姫はどうお考えでしょう」
「もちろん、三国の足並みを揃えるために、そちらの理解を待つ用意がございます」
「では、精霊の方々が勝手に移住してきたりはしないのですね?」
到底「はい」といえない質問に、笑顔で固まるウツィア。
この場面、彼女の立場がライナルトで、いまの主張を要人相手に通すのだったら、嘘でも「はい」と通すけど、それができないあたりが経験の差だ。
ウツィアは、オルレンドルやヨー連合側が精霊郷が壊れかけているのを知っている、と気付いたのだろう。
私は笑った目元を崩さぬまま「まぁ」と声を上げた。
そうでないと、おそらくウツィアに何も話していない、助け船を出さないジグムントへの苛立ちが現れてしまいそうだったからだ。
「ウツィア様は本当に精霊のことを考えていらっしゃる。わたくしも精霊の義娘がおりますが、まだまだ至らぬ事ばかりで、見習いたいばかりです」
二の句は与えない。矢継ぎ早に、ひっそりと背後に待機していた人物を紹介した。
「ああ、それとこちらにいる、わたくしと同じ白髪の方。こちら半精霊です。大昔『大撤収』の際に残った精霊と人の間に生まれたのだとか」
これはヨー連合国にも話していない。
ライナルトの要望はこれから話す主題のみだったから、「どぉも~」と気楽な調子で、宙に座って足を組むシスへ、キエムははっきりと目を丸くした。
私は扇子をたたみ、はっきり告げる。
「オルレンドルはラトリアを信用できません。その理由は、ジグムント殿下もすでにご存じであらせられるでしょう」
コンラートの崩壊をこんな風に使うのは嫌だけど、オルレンドルが信用しないと断ずる材料にはなり得る。
この要人だらけの場なら、かつて私がラトリアに婚家を滅ぼされている、と知らない人は少ないだろう。
でも、私に敵意はない。
最大の笑顔で柔らかく告げる。
「ですが嫌というばかりで、拒絶をしては駄々を捏ねる子供と同じ。わたくしはオルレンドルを含む諸国のために、よりよい提案をすることができます。そのためにこの場に参じました」
ラトリアの提案は呑めない。
でも、時間を先延ばしにしていても、刻一刻と崩壊が進んでいる精霊郷からの、精霊の移住は止められない。
なら私が行うべきは、三国すべてが納得する条件を提示することだ。
そして次の言葉は、オルレンドル皇帝から発せられねばならない。
期待に満ちている私の眼差しにライナルトは応えてくれた。
「オルレンドルは、人と精霊が共存する学園設立を提案する。精霊が人に、人が精霊に依存するのではなく、正しく共存という形で生きるための、特別自治領の創設だ」
場所はオルレンドル帝国ファルクラム領。
これが私の出す、平和のための答えだ。
12/25に角川文庫から「あやかし憑きの許嫁」という和風ファンタジー小説(恋愛)を出します。
詳細はカバーが出てからとなりますが、記憶の隅に置いていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。




